画像診断学

脊椎単純X線計測法 ~その実践~

安価で手軽な検査である単純XPは骨格のバランスを診るという目的においては、CTやMRIが普及した現在でももっとも有効で有用な診断ツールである。が、X線の計測法の詳細を医師たちが学ばないため、または統一された計測法がないため、計測者の主観によって事実が歪められ計測がいい加減になるというたいへんもったいない状況が続いている。統一された計測法がない現在では、XPを評価した脊椎の研究が進みようがない(進んでも信用に足らない)。私は自分が脊椎の調査研究をする上で、自分なりの取り決めをして計測した。その方法を皆に真似てほしいというような傲慢な考えはない。ただ、今後の脊椎研究に少しでも役立ってもらえればという思いと、私の文献(計測法)の公正さを示すために記した。医学の研究というものは公正さを欠いたものは価値が低くなるどころか、有害なものとなってしまうこともある。そうならないための自分なりのけじめであるが、他の医師が読んでも考えさせられるところが多々あると思うので、今後の研究のために少しでも参考になればと思っている。→続きを読む

腰椎XPは立位でなければ意味がない

腰椎の診察の一手段として単純XPを撮影することは全国どこでも一般的であろう。多くは正面、側面、斜位の合計4方向を臥位で撮影する。しかし、もっとも診断に重要な意味を持つ側臥位は、実は診断価値の低いものであるということをほとんどの整形外科医が認識できていない。ここでは側臥位での撮影がいかに正確性に欠けるものかということを筆者のXPを用いて証明する。→続きを読む

Sharp角の診断価値の低さの検証

私は別に過去の権威者の作成した診断基準を否定して彼らの名誉を傷つけようなどとは思っていない。ただ、真実を知ることはこれから医学を学ぼうと思っている者たちにとって有意義であるから、敢えてここに真実を述べる。そういう意味で現在世界的に通用している股関節臼蓋形成不全の診断基準であるSharp角が実際は診断価値があまり高くないことをここに述べる。特に厳密に検証することは敢えて避ける。興味がある研究者は立位や臥位、腰仙部奇形の有無によってこれらの角度が容易に変化することを検証するとよい。ここでは簡単に概要を述べる。続きを読む
 

腰椎XPの読み方

ここでは知っているようで実は知らない、そして教科書では習わないXPの読み方を解説する。椎体は円柱の形をしていると思われているがそうではない。椎体の前方は丈が長く、椎体後方の丈は短い。側面から見ても明らかに台形の形をしている。つまり後方に傾斜している。台形の角度は下部腰椎になるほど急角度となる。L1椎体の台形の傾きはわずかであり、ほぼ長方形に見える。しかしL2,L3,L4と下部に行くほど台形となり、L5腰椎は10°近くの傾斜がある。続きを読む

医師も知らないMRIの常識

  •  MRIで異常がなければ「異常なし」、つまり「痛みがあるのはあなたがおかしい」と言われ(思われ)る。
  •  MRIで異常があれば「異常あり」、つまり他に痛みの原因があったとしても全てMRIで指摘された部分のせいと言われ(思われ)る。
  •  MRIで異常を指摘されないならば手術は必要ないと言われ、MRIで異常があれば「手術すれば必ずよくなる」と言われる。
これはほぼ世界の常識であり医師世界の非常識でもある。世界はMRIを中心に病態を考え始め、患者の痛みの原因の本質が何であるかを考える思考を止めてしまった。最近数十年の話である。MRIがあるから、医者は頭を使わなくなった…こういうMRI神話が異常であるということは医者ではない人であっても気づき始めている。(「MRI神話は終わった」を参照)。しかしMRIを絶対といまだに信じている医者は少なくない。続きを読む

 正しい生理的後弯の定義

頸椎の側面単純XPを撮影すると少なからずストレートネックや後弯ネックがある患者と遭遇する。これらの形態は正常ではないと言われつつも以下のような理由で病的意義を見出せないでいた。それは
  • 1、異常がなくても姿勢や重心移動の変化で後弯化する
  • 2、痛みのある患者が一時的に防御姿勢をとって後弯化する
  • 3、後弯ネックの診断基準がなく見た目の直感で決めつけている
などである。よってXPでストレート(後弯)ネックを見つけてもそれが病的なのか生理的(姿勢が悪いだけ)なのか? 一時的なのか慢性的なのか? 後弯であると何がどうからだに悪影響するのか?全くわからないのに適当な自論(推論)を患者に吹聴するといういい加減な状況が続いている。これらのいい加減な医学を脱するためには後弯のメカニズムを調査し、正常と異常の区別をするための診断基準を作成しなければならない。→続きを読む

高度な脊柱管狭窄を示しながら症状が乏しい例

ここでは、脊柱管断面積が正常の20分の1という極めて高度な脊柱管狭窄を示しながらも、症状が強くない男性を挙げる。MRI画像所見を絶対視するのではなく、画像と症状が一致しない例がちまたにたくさんあふれているという目で見ていただきたいと思う。この逆もしかり。下肢両側びまん性に症状があれば、これまでは馬尾症候群と判断していたと思う。しかし、高齢になれば椎間孔が何か所も狭窄し、び漫性の症状を呈している場合もあるということ。教科書的な安易な考えは誤診の元であるので注意したいところである。本文が両側び漫性の下肢症状=馬尾症候群と短絡的に決めつける思考回路を、もう少し建設的に考えるきっかけになればいいと思っている。ただし、本文はかなりマニアックな画像調査であるのでななめ読みでは理解できないのであしからず。→続きを読む

確実な腰椎高位診断法

放射線科の医者と整形外科の医者が腰椎にナンバーリングする際に、お互いの意見がかみ合わないことがしばしばあることは世界中で見られる日常茶飯事な現象である。そしてあってはならないことであるが、高位(手術の場所)を誤って腰椎の手術をされたという患者も決して少なくない(毎年必ず起こっている)。おもしろいことに、これだけ問題にされている腰椎の高位診断のミスを、まともに研究し、それをなくそうとする動きがない。今回私は腰椎の破格について全年代において調査をした。すると今までの医学的知識では腰椎の高位が診断できないことを発見した。腰仙部の破格はこれまでの教科書に掲載されていた割合よりもはるかに多く、しかも移行椎が各種存在する(これについては追加報告する)。→続きを読む

仙骨孔の同定法

仙骨の破格を調べるためには仙骨の単純XPを読めなければならない。また、腰椎の高位診断のために仙骨孔のナンバーリングが必要になる。が、この部分は1、破格が非常に多く個性に富む、2、成長過程で形態が変化、3、骨格の重なりが複雑、4、腸管ガスや糞便が重なる、などの理由により読影が非常に難しい。特に仙骨孔は後仙骨孔で丸く、前仙骨孔で楕円で横に長く、上位で前後の距離が長く下位で短いなどの特徴があり同定は極めて難しい。ここではその同定方法について詳しく述べる。→続きを読む

単純XP測定誤差についての調査 ~脊椎機能撮影より~

脊椎の動的な不安定性、イレギュラー性を調査するにはニュートラルな状態での椎体・椎間板などの計測と、屈曲(伸展)時の計測との差を算出しなければならない。当然のことながら静的な一つの画像を計測するのと比べると、二つの画像を比較する結果は単純に倍の誤差が生じる。椎体や椎間板の計測は側弯があったり体が少し傾いていると輪郭が二重になり、どこを計測して良いのかわからなくなるというのに、二つの数値の差を出すということ自体、角度なら5°や10°の誤差は当たり前と思わなければならない。それはどんなにていねいに、どんなに厳密に行っても避け得ない。→続きを読む

画像診断学」への4件のフィードバック

  1. 整形外科にて放射線技師をしておりますが、興味深く拝見させていただきました。
    一つお尋ねしたいことがあります。
    腰椎撮影を坐位にて行った場合は立位に比べて如何でしょうか。
    高齢者の場合、立位を保持することが難しいことが多いので。
    恐れ入ります。

    • 坐位での撮影で問題ないと思われますが、坐位では大腿直筋がゆるむので骨盤が若干後傾します。その分、生理的な腰椎の前彎が消失しやすいという点があると思います。アライメントを読みたいのでしたら、やはり立位がよいかと存じます。

  2. 先生には、感謝してもしきれない程お世話になっております!
    私を、一歩前に進めてくれた先生 のブログは、いつも拝見させていただいております!

    今回、MRI検査の画像についてお聞きしたいと思います!
    私の脊髄くも膜下麻酔手技での手術後に撮影した、MRI検査なのですが
    麻酔手技から24時間が経過してから、下肢が麻痺している原因を確認する為に撮ったものに、
    ハッキリと、くっきりと穿刺部位がわかるように針痕が、PC画面に写っていましたが、
    MRI検査では、針痕までもが画像に写るのでしようか?

    針痕が画像に写っていた事で、手技ミスでは無かった!…と診断されましたが
    皮下組織に針痕が写っていただけでは無いか?…と、考え過ぎなのでしようか?

    • MRIで「手技ミスはなかった」と今の科学技術力で言えるはずもなく、それはそう判断した者の妄想と思われます。前にも論文で述べましたが、統計学的には因果関係があることを証明することよりも、因果関係がないことを証明することの方がはるかに難しい。真実を述べると、因果関係がないことを現在の科学力では調べようがないと言っても過言ではありません。全ての事象においてです。しかし、妄想が常識として通る場合もあるのです。
       例えばある薬に発癌性があるかないかの因果関係を調べる研究があったとしましょう。真に因果関係を調べるためには場合分けをしなければなりません。場合分けと言うのは、実際にその薬を飲んだ人と癌が起こった人のうち、癌が起こった人の遺伝子による場合分け、居住地に寄る場合分け、年齢や性別による場合分け、食生活による場合分け、などなど、無数にある場合分けを全てきっちり研究すれば、いつかは真の因果関係にたどりつき、「やっぱり薬と癌の因果関係はある」となります。が、場合分けをきっちりしなかった場合は、因果関係がないという結論になります。つまり、捜査の手を抜けばぬくほど因果関係はないという結論になるという統計学上の法則があります。
       逆を言うと、真に「因果関係がない」ことを証明するには、無数にある場合分けの全てを実行し、いかなる場合分けを行っても「全く因果関係がない」ときにだけ「真に因果関係がない」ことが証明されます。無数に場合分けをするには1000年くらいの期間を要します。つまり、「因果関係がない」ことを証明することは、数学上不可能というのが万物の法則なのです。

       よって、因果関係がないことの証明は、捜査の手を抜くことで可能となる。という法則があり、そこには「悪意」が必ず潜むという法則も成立してしまいます。悪意とは人を理論でおとしいれるというものです。そのため、「因果関係がない」という論文は、基本的には「科学的に、あってはならない」ものなのですが、権威者の口を使って言わせて事実を作ってしまうという風にされてしまいます。「因果関係がない」という発言や論文は、頭が悪い者、少ない労力しかかけないなまけ者の意見と断定できます。このように「因果関係がない」系の意見は科学者の恥だと私は思っています。実際は「因果関係がない」ことを証明することなどできるはずがありません。証明できるのは因果関係ではなく「意図できるミス」なのか「意図できなかった事故なのか」という点だけです。

       さて、これがあなたが起こそうとしている裁判の真実なのですが、人間界に真実は通用しないというのもまた真実。私が心配しているのは、人生を「人を恨む」ということに費やすことの不幸さです。裁判に勝ち、相手を負かすことができたとしても、健康がとりもどせるわけでなし、恨むことをやめたほうが心が自由になれます。裁判に勝ってもすっきりなどするはずがありません。
       
       私はあなたが一刻も早く、人を恨んで暮らしていることから抜け出してほしいと願っています。恨むことに人生を費やすことは、あなただけではなく、周囲の人の人生をもネガティブなカラーにしてしまいます。許すことをしたほうが、あなたの心が軽くなります。

       一応、相手の言い分を述べておきます。脊髄はL1の高さ以下ではすだれのようになります。このすだれ状のところに針を刺しても、すだれは「針をよけるのですだれにささりにくい」と言われています。穿刺した場所が「すだれ状」の高さであることが確認できているという意味で、この高さからの穿刺では「神経を傷つけるはずがない」という論法で相手はあなたに対抗したと思われます。もしもL1よりも上で穿刺していたならば、「意図できたミス」と認定されてもやむをえないが、L1以下で刺しているから、ミスとは認定しないという意味だと思います。

       相手が言いたかったのは、教科書的に正しい手技を行っている場合に起こる事故は「ミス」ではなく「事故」扱いになるという意味だと思います。針を深く刺すと事故が起こるという意見は、確固たる教科書の意見ではなく、個々の教授の一意見であり、未だに事実として医学界で認識されていません。だから「ミス」ではなく「国が認めているやむを得ない事故」扱いと相手は言いたいはずです。事故であるならば、国は一律6万円を払うことを法律できめているので、それで納得しなさい、となっているわけです。

       これは事実上、国が西洋医学を守るための盾になっていることを意味します。この後ろ盾のおかげで、医者たちがのびのびと堂々と医療ミスを犯すことができてしまうわけです(皮肉です)。だからこそ医師がお上のいいなりになります。国は医師を自分たちのいいなりにするために、国の後ろ盾という甘い餌を与えているという図を知らなければなりません。医療ミスを単なる事故にしてしまうという甘い汁です。

      隠されている事実を「ミス」とするためには、医学界全体を敵に回さなければなりません。私が最初から述べているのはこのことです。国家やアメリカ合衆国を敵にして戦うことになるという意味がそこにあります。勝ち目がない。そして恨みだけが残ることになります。一部の教授が、小さなテキストブックの中で、「穿刺で後遺症が出る」という発言は、医学界が承認していることではなく「個人の意見」なのです。それを医学界全体の認識にするためには、アメリカ合衆国を相手にしなければならないわけです。日本の医療ではなく世界の医療です。
       実際に、医療ミスの調査をしている者たちは、いるにはいますが、調査研究は結局いかされていません。これは闇にほうむられているのと同じ意味です。だから私が紹介したフランス人の論文も日の目を見ていないわけです。

       医療界に隠されている事実はごまんと存在し、被害者は世界中に存在しますが、それはやむを得ない犠牲としてほうむりさられています。隠ぺいもまた社会を潤滑に回すための必要悪として存在しています。早期胃がんの手術で死亡する患者は世界中にいますが、それはミスとして扱われず、不慮の事故として扱われるのと同じです。裁判をしても勝てません。承諾書をとるとらないは関係ありません。術中に動脈を切るなど明らかなミスをしていても、それはミスではなく不慮の事故なのです。
       アメリカ合衆国が必要悪として認めている「穿刺後遺症事件」を「ミス」であると認めさせるにはいったいどこと戦えばよいのか?それを冷静に考えることです。この文章をそのまま弁護士に見せてもよいと思います。
       
       しかしながら国が「稀な事故」としているものを「稀ではない」「被害者が世界にいくらでもいる」となると、国は動かざるを得なくなります。だから、この裁判はそういう被害者を集めで団体で交渉しない限り勝ち目がないと私が一番最初に述べています。あなたがたが相手にしているのは、いち、病院や医師ではなく、世界という巨大な敵だということに気づいてくださいといいたかったわけです。世界を相手にして勝てる場合もありますが、それはあなた一人や弁護士ひとりの力では無理だと思います。弁護士会がたばになってかかっても無理だと思います。たとえ勝訴したとして、それで何が得られるのでしょう。それで多くの人が幸せになれますでしょうか。

       再度言います。人を恨んで生きる人生は地獄です。すでに事実は私が証明した通りですから、それで納得されて、前をむいて生きられることを希望します。もし、可能なら当院まで医療秘書Aの話を聞きにこられたらいかがでしょう。遠方からでも来る価値はあります。人生を変えられるチャンスかもしれません。恨みから得られるものは因縁であり、勝っても負けても再びその因果があなたに巡ります。そうではなく、誰かを幸せにして差し上げることを始めれば、いつかそうした善行が自分に巡ってくる。その時の満足感はなんともいえないものです。

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