医学で米国より先に進む方法

はじめに

第二次世界大戦前、医学の最先端を行く国はドイツであった。その最先端技術を取り入れるために世界はドイツ語を学んだ。だから医学用語にはいまだにドイツ語が残っており、例えば酸度をあらわすphは「ペーハー」と呼ぶ。第二次世界大戦後、アメリカ合衆国が医学の最先端を行くようになったため医学用語には英語が用いられるようになった。米国の最先端医療技術が日本で実用化されるまでには種々の理由があって10年はかかる。つまり日本は米国より10年以上遅れた医療を展開することになる。しかし、米国には致命的な理由があってどう逆立ちしても日本よりも先に越せない分野がある。つまり日本が米国より医療技術で先に行ける方法がある。ここではその方法について述べる。


日本の医学はT大官僚制

日本の医学制度を牛耳るのはT大であることは衆知だろう。どこの医大も学長はT大卒が多く、学長ではない普通の教授もT大卒の割合が多い。その理由はT大が官僚とのつながりが強いためT大卒の教授ほうが行政を動かす(資金繰りや法制の網の目を抜ける)ことに都合がよいからである。T大の縦のつながり、横のつながりは想像以上に日本に強く根付いており、日本の医療制度を動かすためにはT大卒の教授をトップにしておくほうが都合がよい。そして最大の都市である東京都、公的な病院を牛耳るのもT大である。よって医学部の教授になるためには実績よりもT大卒であることが優先されやすいという実情がある。東京近郊の私立医大もT大卒の教授が多いので教授の選出投票ではT大卒の方が勝ちやすい。まさに「教授を目指すのであればT大」という図式が日本では出来上がっている。日本の医学界で出世したいのであればT大医学部に入学が必要条件であり、入学するためには幼少の頃から勤勉である必要がある。言い換えると医学界での出世はすでに幼少期に決定すると言える。


医学官僚制は資本主義からかけ離れる

日本の保険法制では、資本主義の自由原理が働きにくい。日本では保険制度は共産主義が貫かれており、生活保護受給者でさえ日本で最高の権威のある病院で最高の技術を用いた極めて高価な手術をほぼ無料で受けることができる。大企業の大金持ちと生活保護の患者が全く同じ医療」を受けるのが日本という国の習慣である。これは弱者優先とも言える共産制度であり、生活保護者・高齢者。児童の方がお金を稼ぐ労働者たちよりも手厚い医療を受けることになる。その理由は彼らが「何曜日でも病院に通うことができる」からである。そしてお金は保険がほぼ全額支払うので病院側としては「もっとも金払いのいいお客様」になるからである。医療費が高額になってもそのほぼ全額を保険側が負担するので患者は「お金の浪費感が皆無」となるため、「高額な医療を受ければ受けるほど得」という原理が患者と病院側双方に働くようになる。生活保護者・高齢者・児童は病院と蜜月の関係にある。よって日本ではお金持ちよりもお金を全く生み出せない患者の方が手厚い医療を受けられる状態となっている。これは極めて資本主義からかけ離れており、極めて善意の共産主義(弱者にこそ最高のお金を掛ける)となっており、そこには競争原理が働きにくい状況が発生している。


競争原理とは「よい医療を行うと病院側の利益が上がる」という原理を意味する。資本主義では「素早く完治させることのできる優れた医療技術ほど高価」であることが当然である。しかし共産主義では「治さない治療で延々と通院させる医療技術ほど高価」となる。しかも、混合治療が許されていない現在、金持ちがいくらお金を積んだところで「同じ医療」しか受けることができない。お金を積んで贅沢が許されているのは日本の法制では「差額ベッド代」のみであり、「豪華なホテル級個室で医療が受けられる」というだけのことになっている。肝心な医療技術となるとどんなお金持ちであっても身分が高くても「生活保護受給者」と変わりない内容になる。


「日本という国に生まれたことを感謝しなさい」と私はよく「後期高齢者」に説教している。なぜなら、高額な医療を受けることに「もうしわけない感」さえ持っていない患者が多いからである。自分のふところが痛まないからと言って、湯水のごとく高額な医療を受けようとする彼らの態度に怒りを感じてしまうことがある。


ここに挙げた例はほんの一例にすぎない。日本の医療制度は弱者を利用して国からお金を吸い上げるシステムとなっていると言われても反論ができない。事実、弱者ほど病院にとっては「おいしい患者」となる。その制度を作っているのは官僚でありT大卒者たちである。なぜそうした共産主義の医療制度を彼らが作り上げたのか? その理由をここでは追求しないが、共産主義はそのシステムを牛耳る者が民衆を完全支配できる。支配者側だけが特権を得られるのが共産主義国家の特徴である。こうした特権システムと密接につながりがあると思われる。つまりT大卒が民衆を「健康、つまり命を媒体として」支配でき、官僚(支配者側)が特権階級者となれることを意味する。資本主義ではお金を媒体に競争原理が働くため「安定は崩れ競争が激化」する。そうなるとT大を頂点とした支配体制が崩れてしまう。その辺が関係あるのではないかと私は推測する。


保険制度は治さないほど儲かる

共産主義医療体制の短所として、「患者を治さない、弱者を囲う」ことが医療従事者に最大の利益をもたらすというものがある。それが日本の医療制である。日本の医療制度を悪いとは言っていない。そのおかげでどんなに貧しい人でも最高水準の医療が受けられる。それはそれは慈悲深い国であり神様仏様の国と言っていい。しかし、高齢者の病気はほぼ治らないので、まさに高齢者を手厚く接待することで病院は国からお金をいくらでも頂戴できてしまう。しかも高齢者は職がないので毎日でも病院に通うことができる。まさに高齢者は病院に富をもたらす。超高齢化社会の日本では、弱者である後期高齢者の人口割合があまりにも増えた為、後期高齢者を利用して国からお金を引き出す商売が生まれてしまったのである。官僚たちもそこまで予期できなかった。


さて、単純に考えてほしい。あなたが開業医の立場であったとして…来院した高齢者を初診で1回の治療で完治させてしまったとする。これでは経営が成り立たない。「治さないで何日も通院させる」ことが儲ける方法である。この経済原理が働いているうちは「即効で完治させる治療法を開発しよう」という意志が生まれない。つまり、現在の保険制度では「開業医から新しい治療法が開発される」という状況にならない。これが日本に世界最先端の医療技術が生まれない理由となっている。競争原理が働かないからである。一方アメリカでは国家の保険制度がとっくの昔に破綻しており、代わって民間の保険会社が医療費を支払うシステムになっている。つまり「よい医療を行えば、儲けが増える」という資本主義になっている。お金をかければかけるほど最先端の技術、そして最高の技術を持った医師に即刻診てもらえる。そして最高の治療技術を持った医師は大金を稼ぐことができる。よって医師は「患者を早く治す最先端技術」を身に着けようと切磋琢磨する。だから米国の医療技術は世界の頂点を走ることにつながる。


高い技術が全く評価されない日本

日本の医師は自分の治療技術をどれほど極めても「給料は一緒」という不遇が待ち構えている。そしてさらに、「どれほど高い治療技術を身に着けても出世は不可能」という不遇も待ち構えている。この二つの不遇を医師の立場で言い換えると「高い技術と知恵を身に着けるほど自分の技術の単価が安くなる」→「高い技術と知恵を身に着けるほどプライドが傷つく」ことになる。よって日本の医師が真に高い治療技術を身に着けようと思えば「早期にプライドを捨て去る」という精神修行が必要になる。つまり自己犠牲である。日本人医師の技術力は自己犠牲なしでは高まらないという宿命を帯びている。まさにサムライ日本である。私はサムライの医師たちを知っている。自己犠牲の極地に立つ医師たちを知っている。そしてほとんどのサムライ医師はT大卒ではない。T大卒の医師に「早期にプライドを捨て去る」ということは不可能だからであろう。よって最高の治療技術を持つ医師はほぼ必ずT大卒以外となると思われる。陛下の心臓手術を行った医師のことが記憶に新しい。この法則が正しいかどうかは、実際に世間を見渡せばわかることである。もちろん、T大卒の医師は優秀であることは認識している。しかし、官僚体質が邪魔してしまいサムライが育ちにくいのではないかと分析する。


官僚制度が医師の成長を妨害

私はおそらく注射技術では日本でトップクラスであることを自覚している。それは他の有名な医師たちの治療で治らなかった患者たちを注射1本で次々と改善させていくことで実感しているだけであり、コンクールに出て優勝したからではない。あしからず。さて、トップクラスに昇るのは「それほど苦労がなかった」ことも実感している。私がこのHPに書き溜めた論文の数々は、最近8年間で作成したものである。たった8年で誰の手も借りずにトップクラスに昇ることができるわけだから「それほど苦労がなかった」と言える。スポーツ・芸能界や芸術界と比較すると、極めて少ない労力でここまで来ることができた。


最初に断っておくが自慢話をしているわけではない。私は日本という国で自分の医療技術の自慢をしても「一切得にならない」ことを熟知している。自慢ではなく、事実、自己犠牲を承知で治療技術を研究した結果、あまりにもあっけなくトップにたどりついてしまうことに対して、違和感を抱いた。


なぜなら、医学界は頭脳労働の頂点を極め、勉強に研究に精を出しつくした者たちの集まりであり、それほど頭脳競争が激しい場所で、こんなに簡単にトップに行くのは「何かおかしいのでは?」と感じた。その疑問が今解けたのである。「官僚制度が医師の成長を妨害している」ことに明解に気づいた。


日本の医療は共産制となっている(これは開業して初めて気づいた)。医療技術の全てが保険請求手技の中から選ぶしかないという状況なので、「この病気にはこの治療を何回まで」と決められている。つまり病名が決まれば治療法も回数も決められていて、全国どんな医師が治療しても、その治療法は一律「同じもの」となる。医師が教授であれ日本医師会の会長であれ、一般開業医であれ、「病名と治療法」が明確に決められていて「保険制度が決めている医療行為以外のことを行えば厳罰に処す」という構えになっている。だから新しい医療技術を開発する余地がなく、どんな名医であったとしても決められた治療しかできない国となっている。共産制なので医療技術が均一化されており、「出る杭は打たれる」ことになっている。「出過ぎた杭は厳罰に処す」体制でもある。


つまり医師たちは自分の技能を磨くことを国の法律で禁じられているに等しいわけである。もちろん、保険制度に逆らい、全て自費で行うと言うのであれば医師は法律の枠の外に出られて自由である。しかし、自費診療では患者が来なくなるのでまさに「自殺行為、自己犠牲」の極みである。私の言いたいことがわかっただろうか。私が「自己犠牲を武器」に医療技術を磨いてきたが、それほど苦労なくトップに立てた理由が、他の医師たちは「成長を止められている」からだった。それに今やっと気づくことができた(何と気づくのが遅い!)。


日本は教授天国

日本の保険制度は共産主義であることは前述した。共産主義は民衆、特に貧困層にアメを与えて支持を得て、支配者階級が絶対的支配権を得るために存在することは今では常識となっている。言い換えればT大卒が絶対的支配権を得るために保険医療制度が共産主義のまま維持されていることは有利と考えていいだろう。


さて、医学部の教授はその絶対的支配権の象徴である。一般の企業では絶対に許されていない「医局員を自由にクビにできる権力」「博士号をニンジンにして自分の利益になる研究だけをさせていく権力」の絶対的権力が与えられ、それは労働基準法の法外に置かれている。よって医局員は全員がイエスマンとなる。医師というエリートたちを自分の奴隷のように扱ってよい権限は、男のロマンであろう。おそらく県知事になるよりも快感が大きいのではないだろうか。


そして教授にのみ「新しい治療法開発」の権限が与えられていると言っていい。大学内は治外法権。つまり保険制度が厳格には適用されない。倫理に反しない限りほぼ何をやっても許される場所である。正確には保険制度が適用されていないわけではなく、保険の監査が甘くなるように仕組まれている。大学は保険の監査から逃れられる聖地(安全地帯)である。よっていくらでもごまかせるという意味である。だから新しい治療法を研究し、医局員の力を借りて論文を立派なものに仕上げることができ、それを有名雑誌に発表して名誉を上げて行くことができる。


そして、日本での最大の恩恵は…他の医師たちが去勢されているということ。教授以外の医師たちは自分の意志で保険外の治療を行うことは非常に困難な状況である。だから新しい治療法を開発することはなかなか難しい。大学でのみ新しい治療法が開発される。よって教授は少ない労力(競争力)で日本トップの権威と業績を得ることが出来てしまうという仕組みがある。T大卒であればそうした特権へのレールが敷かれている。そして保険制度を牛耳るのもT大卒である。まさにT大が他の医師の成長を妨害し、T大卒の医師が教授になりやすい母体を作っていると言えるかもしれない。それを強固にしているのが保険の共産主義制度と言えるだろう。


何もそれが悪いと言っているわけではない。そのおかげで日本は慈悲深い国となっていることは素晴らしい美徳である。だがそれは日本に潤沢な国家予算があることで初めて可能なことであることを認めなければならない。日本は莫大な赤字を抱えている状況であり、このままでは保険制度によって国が食われて倒れてしまう。よって保険の共産主義は終焉に近づいていると思われる。


混合診療は妨害される

国は混合診療解禁に向けて動き出している。が、それが阻止される理由は明白である。T大を頂点とした医療の支配体制が崩れるからであろう。混合診療が解禁になれば、お金を持った者がよい医療に高額な治療費を支払うようになる。そうなれば医療技術の高い医師が有利になり、T大卒の医師が有利な世界が消滅する。医師であれば誰もが医療技術の向上を目指して治療法を競って開発する時代となってしまう。治療法開発はこれまで教授の専売特許であったのに、それが民営化されるに等しい。T大卒であれば教授になれた時代が終わる。医療の自由競争が始まる。官僚の解体である。当然ながら混合診療の法案は妨害される。しかしその妨害も財政赤字には勝てないかもしれない。


サムライ医師にしかできないこと

保険制度が根強く息づいている現在において自己犠牲を武器に医療技術を磨くことは「真のサムライ」にしかできない。そう、天皇陛下の心臓手術をされた天野先生のようなお方がサムライであると思う。サムライ医師が全国の各地に少数だが存在することも知っている。彼らは自分の命を削って腕を磨き普通の医師にはできないような高度な技術で患者を治療する。だが、彼らはその「あり得ない程優秀な技術」を持っているにもかかわらず、あまりにも不遇な人生を歩んでいる。命をすり減らしているのに給料は普通の医師と一緒。そして権威も何もない。まさに不遇であるが、彼らは不遇を武器にしている。


こうした不遇を武器に自己犠牲で技術を磨いていくことは米国の医師たちの精神では無理である。米国の医師たちは資本主義に毒されており、不遇。不経済を極めてストレスに感じる国民性を持っている。技術があれば認められる世界に生きていると、技術を磨いても全く評価されないことに耐えることができない。よって日本のサムライ医師は米国の医師には逆立ちしてもできないようなことができる。サムライスピリッツがないと治療できないものがある。その分野では日本が米国を抜いて世界の頂点に立てる。その一つのヒントが信頼である。


日本のサムライ医師は神である

お金儲けを考えず、相手の身分も関係なく、ただ目の前の患者を全身全霊で治療する医師の姿は患者の心を打つ。そこには米国の医師と患者にはあり得ないような信頼関係が生まれる。サムライ医師は自分のことを神とは絶対に思わない(プライドを捨て去っているから)が、逆にその姿勢が「神」である。一方米国ではお金を媒体として医師の治療が存在する。つまりビジネスである。どんなに優れた医師でも「神」ではなく商売人に落ちてしまう。そして医療ミスを起こせば即刻訴訟される。米国医師はお金に関してハイリスクハイリターンである。


ところが日本ではサムライ医師は患者との心の信頼関係を築くことができる。そのため患者は理屈抜きでお金抜きで意志を信頼し、自分の体を実験体として差し出す傾向がある。


例えば「私は認知症をブロック注射で軽くさせる技術を持っていますが、やってみますか?」と患者に問いかけたとする。米国なら「ブロック注射が認知症に効果があるわけないでしょう。エビデンスはあるのですか?」と返答されるところを、日本では「先生が治療して下さるならぜひお願いします」となりやすい。これが信頼関係である。私はそうした信頼関係から、様々な治療法をあみだすことになる。認知症・脳梗塞治療から耳鳴り・ALSの治療まで…難治性のものを軽快させることができるようになったきっかけは信頼関係である。信頼関係がなければそもそも新しい治療を患者は受けてくれない。


米国の医療技術は日本の10年先を走っているが、おそらく私の医療技術は米国の10年先を走っている。それは自己犠牲からしか生まれない治療法があるからである。米国の医師に自己犠牲は難しい。


米国線維筋痛症学会は斬新な発想を次々と提唱し、痛みの原理を解明しようと頑張っているが、私はすでに「解明ではなく治療」に駒を進めている。彼らが治せない線維筋痛症の症状も、一歩進んで治しにかかっている。一歩先に治療の駒を進められるのは患者との信頼があるからである。私も「自分を信頼してくれる患者を責任を持って治療しよう」とするのできちんと研究せざるを得ない。だから米国にはないような調査・研究を米国にさきがけて行える。サムライ国家日本ならではの最先端医療技術が、おそらく全国各地のサムライ医師の元にあると信じている。ただし、それらの技術は共産主義の保険制度、それを支える学会の圧力で表には出ない仕組みになっている。私はそうしたサムライ技術をなんとかして抽出し、発表していきたいと思っている。


サムライ医師が出世できる時代

サムライが不遇である時代をどうにかして打開しなければと思っている。自己犠牲はさすがに悲惨である。寿命も短縮する。それを可能にするのが混合診療解禁であると思われる。そして若い医師たちはたった今からサムライを目指して修行してほしいと願っている。サムライが世界に出る時代を作り、日本が医療界で世界のトップに立つ世の中を見てみたい。私が生きているうちにかなうかどうかはわからないが、サムライ医師にはそのくらいのパワーが秘められていると信じている。

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