医師も高齢化、75歳以上が8人に1人の時代

全人口の8分の1以上が健康寿命を超えてしまった

2014.09.15.総務省がまとめた報告によると、75歳以上の人口が総人口の25.9%に達し、8人に1人が75歳以上という時代になりました。しかし、問題は75歳を過ぎてからも日常生活に制限なく健康に過ごすことができるかどうかであり、平均寿命がいかに延びても、健康寿命がそれにともなって延びなければ、国が衰えていくことを意味します。健康寿命とは「日常生活に制限なく健康に過ごすことができる期間」であり、平成22年調査では女性は73.62歳、男性は70.42歳であり、75歳という年齢ではほぼ全員が日常生活に制限が出るレベルの不健康を患っていることになります。つまり、75歳以上は健康寿命を過ぎており、全人口の8分の1が日常生活に支障があり、介護などの医療サービスを受けなければならない状態であることがわかります。健康を維持するためにはとてもお金がかかりますが、そうしたお金のかかる高齢者が全人口の8分の1以上になったということです。このままですと国の経済状況も刻々と悪化し、困窮するでしょう。それはあまりにもたやすく予測できることであり、大至急対策を立てなければなりません。私が日常損傷病学を立ち上げたのはそのためです。国の経済を医療面から支えるためです。健康寿命を平均寿命の延び以上の速度で伸ばしていかなければなりません。

医師も歳をとる

医師とて高齢者になります。高齢になった医師は明らかに若い医師よりも新しい医学知識がなく、30年も40年も前の時代遅れな医学知識で診療していることが少なくありません。しかし、そうであってはならないのです。

本来、医師は歳をとればとるほど、多くの患者を診療してきたことになるため、機転も応用も効き、あらゆる万一の事故に対応できる能力が向上していくはずです。よって、日常生活から職業上の指導、保険の制度の知識や良い病院の紹介先など、全てにおいてアドバイスが優秀であるはずです。ところが実際はそうではなく、適当に手を抜いて診療している高齢者の医師が多いことに、私は同じ医師としてとても恥ずかしい気持ちになります。自分がそうならぬよう努力すると共に、今後、高齢になられる先生方をも指導していく必要があると感じています。なぜならば、医師も高齢化するわけですから、「高齢だから仕方ない」では済まないからです。今後はご高齢の先生方にも現役バリバリで仕事をしていただかないと、日本経済が衰退します。

 外科医は高齢になると内科医になる

外科医は手術を専門に技術を磨きますが、高齢になると視力も体力も低下するため、手術を専門として診療することが不可能になります。また、外科医はチーム医療ですので、大病院から巣だって開業した外科医は、チームを作ることが難しいので外科医としてやっていけません。これらの理由から外科医は高齢になるとほぼ必ず内科医となります。しかし、外科医から内科医になるのと、もともと内科医であるのとでは、内科の知識量が異なるため、もと外科医は診療技量が劣ることが多いようです。

 まじめな医者ほど高齢になると劣化が速い

まじめな医者とは、教科書通りの治療、指導をする型にはまった医者です。大学病院などで長年まじめに勤務してきた優等生です。不真面目な医者は早くから大学を辞職し、一匹狼でがんばってきた医師で、自分なりの治療法を身に着けてきた医者です。

教科書通りの診療をしてきた医師は、教科書に載っていない症状を示す患者を拒否し、患者を型どおりにはめようとします。このまじめさは、大学勤務中は利点となりますが、高齢化すると知識が劣化するため時代遅れの診療になってしまいます。一方、早くから独立した医師は、「患者視点に立った」診療をしなければ生きていけませんから、教科書通りではなく、目の前の患者を治すためのあらゆる工夫をこらします。あらゆる工夫から編み出した治療法は、病気を治すための真実に近いため、時代が進んでも真実は変わらないため、蓄積した医療技術は高齢になっても通用します。よって高齢になってからの診療技術は、早期に大学から独立した医師の方がまじめな医者よりも上に行く傾向が高いと言えます。

 学んだ医者と考えた医者の違い

医者は確かに勉強熱心です。学んで知識を身に着けます。しかし、学んだものは型にはまっており、高齢者にはそのほとんどが通用しません。もともと医学は高齢者向けに構築された学問ではないからです。高齢医学は最近始まったばかりの学問であり、全く医学が現実社会に追いついていません。よって、学ぶのではなく、目の前の患者をどう治すかを必死に考えた医者のみが真に高齢者の病気に対応できるようになります。

医師の世界は「考えること」を悪とされ、「自分の考えで治療する」と破門されてしまう世界です。その中で「考えて治療する」ことはとても勇気のいることです。しかしながら、勇気を出して考え続けて編み出した治療法は、多くの患者を診療すればするほど秀逸な医療技術となっていきますから、その医師が高齢になってからも、ずっと患者の役に立つわけです。学んだ医者は高齢化と共に劣化し、考え続けた医者は高齢になるほど、さらに診療技術が向上していきます。私はこの事実を、現役の若い医師たちに伝えなければならないと思っています。

 血圧の薬を飲み続けて本当にいいのですか?

型にはまった内科医は「降圧薬は医師に言われた通りに一生飲み続けなさい」と言います。しかし実際は、自律神経失調のある患者に降圧薬を服薬させると、急な血圧の変化に耐えきれず、めまいやふらつきを起こし、失神することがあるのです。こうした事実は教科書には掲載されておらず、型にはまった医者は否定します。型にはまらない医者は「自律神経失調を考慮に入れ、血圧を高めに保つ」ことの方が健康寿命を延ばせることを肌で感じて患者に降圧薬の減量を指示します。もちろん後者の方が真実に近いのですが、そのような機転の利いた診療は「型破りである」と言われ否定される運命にあります。よって、型破りな医者は大学病院や医師会から嫌われ、孤独な思いをします。しかしながら、そうやって「自分で考えた治療法」は高齢になっても劣化しませんから、高齢医師になってから、周囲の住民からの信頼度に大きな影響を与えるのです。「考える医師」は「学ぶ医師」よりも高齢になってから優秀になります。というよりも高齢になるほど優秀になります。なんと素敵な言葉でしょう。「高齢になるほど優秀!」。そう、これが人間が高齢になっても生きる意味ではないでしょうか。そういう医師を多く作りたいからこそ、この日常損傷病学を立ち上げたわけです。

高齢化するほど優秀になる医師を目指す

私は常に考えながらブロック注射の技術を磨いてきました。よって私の行うブロック注射は、医学教科書のメニューにないものがあります。上頚神経節ブロックや傍神経根ブロックなどです。ブロック注射は高齢になってからも行える手技であるため、毎日行っていればその技術は衰えず、数をこなすほどに診療技術は上がっていきます。今は、さらに自己抗体や副腎皮質ステロイドホルモン、高コレステロール、血行障害、神経の張力などを考慮に入れた独自の考え方でブロック場所や回数、使う薬剤、補助の経口薬などを次々と考えだし、日進月歩で患者を真に治す技術が向上して行っています。自分でもその伸びがどこまで続くか予想できない程、日々進歩しています。そして現在ではブロックで睡眠障害、自律神経失調、パーキンソン症候群、認知症、脳梗塞後遺症などを治療するまでに至っています。歳と共に優秀になる医者を目指しています。そしてこれは考えることを止めない限り、死の直前まで続くでしょう。

高齢になるほど競争力のある医師を養成する

まさにブロック技術は高齢になるほど高められる技術であり、どの科の医師にもできることであり、この技術を若い医師たちに伝えていき、「高齢になってからこそ競争力が高くなる医師」を若い時代から養成していくことが私の望みです。私が教えた医師たちは高齢になってからこそ地域の住民に大きな恩恵をもたらすでしょう。そして高齢化社会を先導するはずです。これを読んでいる医師が、今のところゼロであることは認識していますが、千里の道も1歩からです。誰かがやらねば始まらないわけですから、それを私がスタートさせる所存です。いずれ私は賛同する若い医師たちを実力ある医師に育てていきます。

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