神の手を持つ医師の見分け方

神の手とは

 神の手とは現医学では治せない、または治すのが極めて難しい病気を改善させる技術のことを言います。よって神の手を持つ医師とは「医学書には掲載されていない技能、または文章に書き起こすことのできない精細な技を持つ医師」と定義できます。

 例を挙げると、ほとんど出血させることなく腫瘍を切除できる技能。拡大鏡を覗きながら直径1ミリ以下の神経を縫い合わせる技能などです。そういう技能を得るための方法は医学書には掲載されていませんし、たやすく弟子に継承もできません。

 また、投薬を例に挙げると、医学書的に「この病気には使うことを禁忌とされている薬」を少量用いて劇的に改善させる。手術でしか治せないと医学書に掲載されている病態に対して生活指導で治す。なども神の手の技能です。

 神の手とは「医学を超えた治療ができる手」のことを意味します。そして「神の手を持つ医師」は一人の例外もなく「医学書を超えた独自の技能」を持ちます。文章で伝えることのできる技術、教えればできる技術は神の手の技能ではありません。同じ手術を行っても、神の手を持つ医師はその仕上がりの良さは格段に高く、「神の手を持たない医師」には理解を超えたところにコツがあります。

医学では治らない病気がある

 アメリカ合衆国の国民の過半数は「医学では治せない病気がある」と理解しているそうです。日本ではそう理解している国民は極めて少ないでしょう。医学で治らない病気は医学書通りに治療しても治りません。そういう病気を治すには当然ですが「医学の枠から外れなければならない」のです。

 米国の医師の中で「患者の病気を治すためには医学書には書かれていない治療をしなければならない」と考えている医師は一体何割いるでしょう。統計学的には過半数の医師がそう考えているはずです。しかし、実際に医学書にかかれていない治療を行う医師は過半数いるでしょうか? 絶対にいません。理由は「医学書にかかれていない治療を行って病態が悪化した場合、患者から訴えられれば敗訴する」ことが確実だからです。

 では実際に医学書にかかれていない治療を行う医師は何割いるでしょうか? おそらく1%未満でしょう。すなわち「医師の過半数は医学では治らないことを知っていながら、自分の良心を偽りながら仕事をしている」という大変罪深い状態にあるということになります。

 医師になりたての若者であれば、がむしゃらに医学を学ぶのはよいでしょう。しかし10年以上医師をしているのに「医学で治らない病気は医学を超えた治療が必要」ということを理解しようとしないのなら医師の良心に問題があります。それは健全な精神ではなく、地位や名誉や稼ぎ、生活の安定のために心を売ってしまったことを意味するからです。

 企業戦士が売り上げを上げるために、卑劣な詐欺まがいの営業をするのはまだ理解できます。しかし、人の人生を、命を、預かる医師という職についている者が、医学の傘に隠れて良心を捨てることはとても悲しいことです。そうした医師は晩年になればいずれ自分の犯してきた罪を後悔することになるでしょう。残りの半数の医師は「医学が全て」と考えているでしょうから、自分の良心に傷めつけられることはありません。また、日本の医師も「医学が全て」と考えている者が大多数でしょうから、良心に責められる医師の数は米国よりも少ないでしょう。それはそれで幸せなことです。

難治性疾患専門医

私はすでに医師3年目で「医学では治せない疾患がある」「医学書は嘘が多い」ことを認め、他の医師が治せない患者を熱心に診ようとし始めました。大学病院でいろいろと治療をしてもらっても全く治りませんと言われた患者が来院すると目をらんらんと輝かせました。そしてあらゆる「医学書に書いてない治療」「医学書に禁忌と書かれてある治療」について研究しました。もちろん大学を離れます。大学病院でそんなことが許されるはずがありません。医学を超えた治療の研究は医学界に泥を塗る行為ですので「野に下らなければならない」という法則があります。つまり、神の手は大学では決して身につくことはなく、野の病院でしか構築できないという必然です。ですから、大学病院で温室栽培のようにして育った医師に神の手を持つ者は存在しません。大学病院にも優秀な医師はいますが、それは一度、野に下り、腕を磨き、それが認められて大学に再度呼び戻された医師場合に限られます。。

 医学では治らない病気になった場合、野で修行を積んだ医師を探さなければなかなか改善しません。

 しかし、日本国民の大多数が「医学では治せないものなどない」と考えていますので医師選びに「野に下る医師」を頭に浮かべる人はほとんどいません。

良心に忠実な医師を探す

 大学病院には優秀な医師が多いと言えます。それは医学書に忠実なのでいち早く新しい治療を取り入れることができるからです。医学で治る病気にかかった場合は大学病院に行くことは得策です。しかし大学病院で見捨てられた病気を治すには「神の手」を持つ医師を探さなければなりません。自分の良心を信じ、巨大な国家権力と戦う勇気をもち、人々を救ってきた実績のある医師を。

良心のある医師の見分け方

 良心のある医師は必ず研究をしています。医学を超えた治療をするわけですから、そこに間違いがあれば致命的です。無責任に「患者に自分の治療を試してみる」などということをしません。だから常に研究をしています。

 良心のある医師が必ず言う言葉があります。「私を信じてください。」です。この言葉が極めて重い言葉であるということを患者たちは知らないようです。「信じてください」と発言して治療し、症状が悪化した場合、訴えられると敗訴する確率が高くなります。医師の世界では絶対に言ってはならない言葉の一つが「私を信じてください」です。医師がこのセリフを言うには覚悟と自己犠牲が必要です。よって良心を持ってこれを言える医師は医学書にはない独自の研究成果と実績を持っていることの証となります。

 一方、神の手を持たない医師は「私を信じなさい」とは口が裂けても言わず、「医学を信じなさい」「論文データによると・・・」「統計学的には・・・」「どこどこの教授が・・・」「○○大学の治験で・・・」というように自分の背後にある大きな威厳を前面に押し出してきます。それは本当の意味で患者を改善させる自信がなく、自分の良心に従うのではなく、権威にすがって自分を誤魔化してきたことの証となります。

医師の世界は一般の世界と逆

 一般の世界では「私を信じなさい」というセリフを言う者を信じてはいけないという常識があります。人を騙す者がよく使うセリフと思われているからです。しかし、医師の世界では治療法を説明する際に「私を信じてください」と発言しないようにと私たちは教育を受けます。信じろとは言わず、治療・検査・手術の承諾書を書かせて責任を患者に押し付けるのが医療界の常識です。理由は医療過誤があまりにも多いからなのです。

 ミス・失敗・悪化・術死などはつきものですので「私を信じなさい」と言えば、その過失責任を問われます。ですから医師の世界では「私を信じなさい」と言えるようになるには何十年も修業を積み、過失が過去も未来も一切ないといえるレベルまで達にしなければ無理なのです。いいえ、そのようなレベルに達しても「言ってはいけないセリフ」です。 

ですから医師が言う「私を信じなさい」はとても信じる価値が高いセリフであり、神の手を持つ者証といえるでしょう。これは一般的な概念とは逆です。患者が神の手を持つ医師を探したいのであれば、地位や名誉だけを選考基準にしていると出会えなくなります。「私を信じなさい」というセリフを言える医師を探すのも一つの方法です。

神の手を持つ医師の見分け方」への4件のフィードバック

  1. はじまして。私は右耳がムンプス難聴でほとんどきこえず、大事な左耳は大きな耳鳴りに悩まされ、聞こえも少し悪いです。上頚神経節ブロック治療を受けたいのですが、どこで治療ができますでしょうか。ブログに先生のクリニックの情報が見当たりませんでしたので。よろしくお願い致します。

  2. 御世話になります。こちらから失礼致します。
    母親60代が15年前、腰の脊髄の腫瘍で医大で手術をしています。脊髄内部です。今回再発しており以前の手術跡の上に、つながるように10cm強の腫瘍が見つかりました。神経鞘瘍とのことでした。
    今、注射で痛み止めを打ちながら生活しています。注射をすれば、まだマシだけれども、足の痺れや痛みと腰の痛みに耐えられないようで、まともに睡眠をとれない状態です。

    先生にご相談したいのですが、痛みを取るには手術するべきなのでしょうか?
    このまま、経過観察をしながらペインクリニックに通ったほうが良いでしょうか?
    先生の治療に、母の病状は合いますでしょうか?

    あと、抜毛症にブロック注射は有効でしょうか… もう20年以上悩まされ続けています…何か光があれば…有り難いです。

    質問だらけで申し訳ありません。
    ご回答いただけましたら、幸せです。
    お返事 お待ちしております。

    • 腫瘍に関しては手術をすることが一般的には第1選択であり、これに異論を述べる医師はいないと思います。リスクがあるにせよ手術を受ける以外に手はないと誰もが考えると思います。それ以外の方法を知りたいという希望なのでしょうか? 医学では「手術しか方法なし」という結論だと思いますが、それ以外のアドバイスとなると、それは当然「医学や科学の枠を外れる回答」となります。枠を外れる回答を希望されているということでしょうか? その辺の意図を教えていただけますでしょうか。

      また、抜毛症ですが、ブロックが効果を発揮する可能性はゼロではありませんが「治療してすぐに答えがでないもの」の類でしょう。抜毛症もまた現医学で解明されていませんので、本気で治療を考えるのであれば、医学の枠外に考えを馳せる必要があると思います。その心の準備があるというのであれば、回答しますが・・・

       ご加持治療ができる当院の翠蓮先生(僧侶)は本当の神の手を持っています。相談されますか?

  3. お返事をありがとうございます。

    医大医師より「腫瘍は少しずつ大きくなっていく。今すぐ手術を要するような緊急性のものではない。歩けなくなったり、排泄困難になった時は手術をする必要がある」
    と、薬とペインクリニックを活用しながら経過観察をとの診断でしたので、手術をするリスクと比べ、手術しない方向を向けられているのかなと思っていました。 「以前の手術の癒着もあるだろうし、神経を傷つけてしまう可能性から後遺症は出るだろう」とのお話でしたので…。

    先生、髄内腫瘍、髄外腫瘍どちらであっても「手術しか方法はない」のでしょうか?脊髄内部の腫瘍と書きましたが、医師からは神経鞘腫としか言われず、素人がMRIを見ても髄内か髄外か判断できません。
    手術しか方法がないのなら、後遺症が出ても、車いすや寝たきり状態にならないのであれば、手術をするべきですよね。

    母親は、できれば手術を避けたいと日頃話しています。

    大変おこがましいのですが、私は以前からF先生、S先生にみていただくことを願いとして持っていました。抜毛症等、治す為の覚悟を決めています。そして今回、母親も是非みていただきたいと考えています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です