医学の功罪

医学の進歩のおかげで、この100年で先進国は未体験の高齢化社会を経験するようになりました。高齢者がこれまでのように死去していかないおかげで、人口ピラミッドが崩れる現象です。医療の発展は喜ばしいことばかりではなく、医療産業としてお金儲けと強く結びついており、それゆえに人の幸せのためだけに医学が発展するのではなく、商売目的で発展するために、多くの罪を残していくことがあります。ここではそうした医の功罪について述べていきます。

医学論文の過ちと限界

高額な医学書も20年後には古くて使い物にならない。それは既成の知識が新しい事実によって置き換えられるからである。よって医学書は数年に一度改訂される。それほど教科書は正しいとは限らない不完全なもので構成されている。そして100年経てばその医学書の内容は不完全どころではなく、ありとあらゆるところに誤りが見つかるようになる。1000年経てば…その時代の医学書は茶番と化す。真実は100年経っても1000年経っても変わることはない。置き換えられていくものは真実ではないでは実際に1000年経った時に今の医学書の知識はどれほど新事実に置き換えられているか、まじめに想像してほしい。1000年も経てば科学の進歩もすさまじい。次々と新しい診断機器も開発されている。その時に置き換えられていない普遍の知識はおそらく3割もないだろう。「1000年後の未来、医学書の内容は少なくとも大半が誤りであると断定される。」これはほぼ真実に近い。にもかかわらずほとんどの医師が教科書を大上段に構えて、患者の前で、マスコミの前で上機嫌で教科書的知識を解説し正当性を誇示する。しかしそれは法的には「正当」であるが人間性では不誠実というものだ。→続きを読む

医師の妄想千里を走る

医学は日進月歩で進歩しているが、脳・神経系・ホルモン系・免疫系のほとんどが解明されていない。よって現在ある様々な治療法はすべてが有効ではなく、たとえば高血圧、糖尿病、アトピー、リウマチ、クローン病、癌など、多くの人々が罹患する病気に対する治療薬はない。治療薬がないというのは、症状を抑えることはできるが、完治させることができないという意味である。医師たちはこれらの疾患を持つ患者を診療するとき、「治らないとわかっているが症状を抑えるために薬を出す」というやるせない気分になる。ただ、何とか工夫して「治す方法がないか?」と考察するベテラン医師たちもいる。その考察は当然ながら医学書には載っていない独自の考察であり、たとえその考察が正しいものであったとしても、現医学の水準ではその考察を検証することができない。よって医師たちが「何とか治す方法はないだろうか?」と考察することは、科学者の間では「妄想」と呼ばれる。→続きを読む

レミケードで種々の副作用が出現した症例

抗TNFα抗体製剤が近年RA治療に使用されるようになった(製品名:レミケードなど)。この薬剤はサイトカインの一種であるTNFを抑制するが、抑制しすぎることで様々な悪影響を人体に及ぼす。各国の製薬会社はこの副作用を過小評価し医師にプロモーションしている。彼らは安全性を訴え、どんな医師にでも簡単に使えるような印象を与えようとしている。それを信じた医師たちは次々とその生物学的製剤を使用し、その治療効果の高さに魅入られた。しかし、少なからず使用した患者に甚大な副作用が表れはじめている。ふとRA治療の原点に返り、効果は高いが副作用もコストも甚大。そういう薬剤の使用に躊躇すべき医師としての良心を少しだけ芽生えさせてもよいのではないだろうか。自分がもしRAになったとして、この抗TNFα抗体製剤を自分自身に使用したいと考えるだろうか?今回はそういった問題点を考える一助としての症例報告をする。(→続きを読む)

レミケードの副作用の過小評価にご注意

レミケードは現在、クローン病、潰瘍性大腸炎、リウマチ、乾癬、ベーチェット病、強直性脊椎炎などに適応が認められている非常にキレのある効果の高い薬剤である。ここではその作用機序を詳しく説明しない。これらはTNF-α阻害薬と呼ばれ、炎症反応を伝えるTNF-αを、伝える前にこれと結合して伝わらないようにする薬剤である。これまで炎症を抑える薬の代表格であったステロイドにとって変えることができるので、期待されている。しかし、TNFは体内で傷ついた細胞を排除し(殺し)新しい細胞に置き換えるという体細胞循環を断つので、傷ついた機能しない細胞が増えることになり、それが神経細胞や肺の細胞など重要臓器に蓄積すると、人を死に至らしめる重篤な病気を生むことにもつながる。(→続きを読む)

医学・統計学についての真の知識

たとえ話をすると、椅子に腰かけると下肢痛が出る→腰椎椎間板ヘルニアという診断は、正しいか間違いかは別にして統計学的処理をして決められる。腰かけても痛くない人と痛い人、MRI画像でヘルニアのある人とない人、この4群をχ2乗検定などを行って相関を求める。そして相関があれば「椅子に腰かけると下肢痛が出る→腰椎椎間板ヘルニア」は関連がある!という考え方で医学・診断学が成り立っている。このように、関連を求めて症状と診断を結びつけるというやり方は真実を無視しているというところに医学・診断学の限界がある。真実はもっと複雑で、症状が出るまでに様々な要素が絡み合うのだが、そうした複雑な真実には浅はかな学問では到底たどり着けないため、便宜上統計学で理論を簡便化し、世の中が回っている。(続きを読む)

医学に嘘が多い理由

  •  治療の医学と破壊の医学、常に勝つのは破壊の医学である。
破壊の医学とは「この神経を切断(破壊)したらここが動かなくなった」ということを元に、「この神経はあの筋肉を支配している」ということを証明する医学。破壊の医学は「切断する」という簡単な労力で神経支配という医学的な発見を立証できるため研究者たちのほとんどは破壊の医学を実行したがる傾向がある。破壊はたやすく証拠も十分。これに対し治療の医学はこの傷ついた神経にあの薬を使ったら治ったということを示し、なぜ治ったかを推論してその治療法を伝えていく学問。治療の過程には何百という複雑な過程があるため、この薬の何がどう作用して治ったのかを証明することは困難。よって実際に奇策を用いて病気を治すことができる医師がいたとしても、その医師の理論が認められることはまずないので治療の医学は認められにくく広がりにくい。治療の医学を志す医師と破壊の医学を志す医師。常に世のトップに行くのは破壊の医学者となる。→続きを読む

医者をやめたくなったらこれを読む

ここでは国民皆民保険である医療保険制度の矛盾を解説し、医師たち、患者たちが、診療現場で極めて理不尽と感じることにたびたび遭遇する理由を述べていきます。若い医師たち、そして患者たちは「なぜ理不尽なことをしなければならないのか?」の意味を知りません。それは保険制度の矛盾を知らないからです。若い医師と書きましたが、若いとは開業するまでを表し、年齢を表しているわけではありません。苦痛に悩む患者に治療ができない訳、大学で症状詳記を書かされる訳、診断書を毎月書く訳、経口薬ばかり出す訳などなどその真相を述べていきます。真相を知れば理不尽さに怒る前に対処ができる可能性が広がります。ここでは整形外科を例にとって話を進めていきますが、他の科にも共通しています。→続きを読む
 

 学者が抱く臨床家への不信感

医学研究は大きく分けて基礎と臨床に分かれる。が、いつの世も基礎医学と臨床医学が協力し合って医学が発展することはまずない。その理由は基礎医学者は臨床医学者をある意味軽蔑しているからである。基礎医学は数学的であり理論的であり常に真実を求める。それに対して臨床医学は条件を変えたデータ分析であり、条件を変えると結果がころころ変わり真実からかけ離れる。例えば「脳の重量は男性の方が重い」という一見常識的な定義も、条件が詳細に設定されなければこの結果は変わる。日本人の男性の脳と欧米人の女性の脳と比較すれば、欧米の女性の脳の重量が重くなったり、調べる集団に年齢の偏りがあった場合定義が崩れる。このように臨床医学は条件次第で結果が変わるため「真実でないこと」が「真実の仮面をかぶって世間に広まる」ということがしばしば起こる。真実を追求する基礎医学者にとって、真実でないものを流布する臨床家たちは「信用できない」と軽蔑するのはこのためである。臨床データは細かく条件を付ければつけるほど結果が変わるという「非数学的な理論」となってしまうが、そこに統計学というあたかも数学的であると思わせる解析データーを付け加えて「証拠」があるように見せかけることで理論的に仕立て上げている。よって基礎医学者たちは臨床家の定義を全くといって耳を貸さないものである。→続きを読む

統計学の致命的な功罪

統計学は数学であり理性であり科学理論であると言われる。しかし、本当に真実を求める科学者は統計学が理論にもとづかないことをサポートし、しばしば悪用されることを知っている。例えば、関連の有無を調べるカイ二乗検定で「関連なし」と出たとしても、条件を細分化し、グループを細分化していくと、ある条件下では「関連あり」と出る。つまり綿密な調査をすればするほど関連性はみつかるが、条件を指定せずにおおざっぱに調査をすれば関連性がみつからなくなる。このように調査がおおざっぱで条件を指定しない、そして仮説の立て方の思慮が浅い研究者ほど有意差を見つけることができない。しかし、有意差がない場合に「関連がない」と断言できてしまうのが統計学の功罪である。この功罪のおかげでどれほどの嘘が世の中に出回ってしまうか?その例を上げて解説する。この手の論文が現存する医学論文を全否定できるほど破壊的であることは理解している。私はこうして医学にケチをつけるつもりではない。統計学は証拠として用いてはいけない学問であるということを再度確認するためにこうして例をあげている。その上で、医学を真摯に研究して行こうと述べているのみである。→続きを読む

疼痛治療の混迷

超高齢化社会を迎え、高齢者が働くこと、自立した生活ができることができるための医療の構築が急務となっている。その社会の要求に応えるかのように、最近では分子レベルの疼痛メカニズム解明が急展開を見せている。薬学研究では分子レベルでのレセプター研究が進んでおり、それに追従するように神経生理学、麻酔科学、整形外科学でもそれぞれ疼痛研究が進んでいるが、しかしながらこの4つのチームが情報を提供し合って研究を進めているかといえばそうではなく、ぶつかりあって混迷しているように思える。ここでは4チームのそれぞれの思惑を探り、互いに何を目指してい研究しているのかをはっきりさせ、いったい真実がどこにあるのか?を考えて行きたいと思う。なにせ疼痛メカニズムの解明は、超高齢化社会にとって大急務であるのだから、いがみあっている場合ではない。→続きを読む

統計学の甘い蜜に浸ってはいけない

例えば腰椎椎間板ヘルニアがMRIによって確認され、ヘルニアのあるなしと、坐骨神経痛のあるなしを比較検討する。統計学ではヘルニアがある人には有意に坐骨神経痛が起こることが多いと主張する。「関連性がある」とは「関連性がないと仮定すると」ヘルニアがあって、かつ、坐骨神経痛があるという事象が偶然に起こる確率は5%未満、または1%未満でしか起こらないということを言う。この時p<0.05、p<0.01というような表現を使い、ヘルニアと坐骨神経痛は偶然で同時に起こることはまずあり得ない→ヘルニアと坐骨神経痛は必然である→ヘルニアと坐骨神経痛は密接な関連がある。という理論が成立する。ここまでは数学を習ってきた者になら理解できる。帰無仮説が棄却されるなどという難しい言い方を使うが、要するに偶然か必然かを確率的に示すのが統計学である。さて、ここからが問題発生である。この統計学的な結果から、学者ではない一般の人々は「ヘルニアがあるから痛いのだ」と考えるだろう(学者でさえそう考えている者が多数いる)。だが、統計学ではそれを言ってはならないのである。統計学は関連があることを認めるが、因果関係については述べてはならない学問なのである。なぜなら、ヘルニアがあっても全く症状なしという人が高齢者の半数以上に存在すること。そしてヘルニアが全くないのに坐骨神経痛が強く出ている人も少なくないこと。現実にはヘルニアと坐骨神経痛の因果関係が必ずしも成立しないのである。 →続きを読む

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