医師の妄想千里を走る

はじめに

医学は日進月歩で進歩しているが、脳・神経系・ホルモン系・免疫系のほとんどが解明されていない。よって現在ある様々な治療法はすべてが有効ではなく、たとえば高血圧、糖尿病、アトピー、リウマチ、クローン病、癌など、多くの人々が罹患する病気に対する治療薬はない。治療薬がないというのは、症状を抑えることはできるが、完治させることができないという意味である。医師たちはこれらの疾患を持つ患者を診療するとき、「治らないとわかっているが症状を抑えるために薬を出す」というやるせない気分になる。ただ、何とか工夫して「治す方法がないか?」と考察するベテラン医師たちもいる。その考察は当然ながら医学書には載っていない独自の考察であり、たとえその考察が正しいものであったとしても、現医学の水準ではその考察を検証することができない。よって医師たちが「何とか治す方法はないだろうか?」と考察することは、科学者の間では「妄想」と呼ばれる。
「手術をせずに○○は治る」などの医師が出す本をたまに見かけるが、それらは「妄想」の域を脱していない。さて、私はその妄想を馬鹿にしようというのではない。医学の進歩は必ず妄想から生まれるものであり、妄想を否定すれば医学の進歩を否定することになる。だから医師が妄想することはそれなりに賛成なのだが、実際は妄想が医学の進歩に悪影響することのほうがはるかに多い。ここではどういう妄想が悪影響をもたらし、またどういう妄想が医学の進歩に役立つか? 医師の言う妄想理論の真偽を見抜くちょっとした知恵について語ることにする。

医師も人間、心は弱い

痛みを訴える目の前の患者に注射をして痛みを除去しようとしたとする。その次の診療の時に患者が「注射は全く効果がありませんでした」と憤慨して訴えた時、医師は「なぜ効果がなかったのか?」を考える上で、「この患者の性格が悪い」「この患者は注射が効かない特殊体質」「この患者は精神的に未熟」などと考えてしまいがちである。治療の前に好き嫌いで相手を裁いてしまいがちである。本当は注射の技術が未熟なせいで、適所に薬が入っていないのだが、医師側としては「患者の方がおかしい」と考えたくなるものである。これが医師の「心の弱さ」だ。
医師は自分の注射の腕は確かで、間違いなく注射液は適所に入ったと思い込みたいものだ。しかしこの思い込みを正当化させるためには「患者が特異体質」という方向に持っていくか「この患者は単なるクレーマー」という方向に持っていくしかない。この「自分を正当化する方向への妄想」は医学の進歩を妨げる要素になる。もしもこの医師が自分の妄想を正当化しようとして「注射をしても無効→注射はこの疾患には効果がない」と学会発表すれば、医学は後退する。ましてやこの発表者が教授という地位を持つ者だとすれば、多くの医師は彼の妄想を否定することもできなくなる。
せっかく必死になって行った治療が、効果を発揮しないとき、それを「自分の腕が未熟なせいである」「自分の考えが浅はかであった」と自分のせいにできる心の強い医師は世界じゅうにそれほど多く存在しない。その理由は、医師は免許を与えられ守られた存在であり、特権階級であるからだ。特権を持つ者は自分を曲げる必要などほとんどない。教授などのさらに強い権力を持てばなおさらだ。曲げる必要のない権利の中で生きている人間が、患者に起こった治療上の不幸を自分のせいにすることはかなり困難である(それができる教授も中には存在すると信じている)。概して、医師は心が弱くなりがちである。自分に厳しくできないという意味で。よって医師の描く妄想の多くは「自分に都合がいい」ようになる。これが医学の進歩を妨げてしまうことは言うまでもない。

教授の妄想、千里を走る

今もなお、整形外科学会で暴走していて止められない妄想がある。それは「椎間板ヘルニアが神経を圧迫して痛みが出る」という妄想である。「高齢者の多くは無症状の椎間板ヘルニアがある」ことがMRIの進歩とともに判明した。さらに手術でヘルニアを除去しても痛みが全くとれない例も多々ある。また、痛みはあるのにヘルニアがない例もある。それでも、いまだにヘルニアが痛みの直接原因であると考えている整形外科医が多い。これは過去の整形外科学の教授たちの「ヘルニアが神経を圧迫して痛みが来る」という妄想を描き、それがいまだに暴走し続けている例である。
おそらく真実は、ヘルニアが神経の緊張を高め、脊椎の出口付近にある神経根が炎症を起こすことが最多の原因であろう。ヘルニアを除去すれば痛みが取れるのは、神経の緊張が低下するためであり、ヘルニアが神経を直接押していることが原因ではない。
よって1、ヘルニアがあっても、神経の緊張が低い場合は痛みが起こらない。逆に2、ヘルニアがなくても、神経根が緊張するような状況があれば痛みが出る。しかしながら、2の研究はなかなか進まない。「ヘルニアによる圧迫が痛みの原因」という過去の教授たちの妄想は簡単には払拭されないからだ。私はヘルニアがなくても馬尾神経が緊張し、痛みが出る症例を現在進行形で研究している。なんとかして過去の妄想を払拭しようと必死である。ただし、払拭するには証拠の数々を提示しなければならない。

医師の妄想の出来上がり方

整形外科の教授たちが椎間板ヘルニアの妄想を構築してしまった背景は、ヘルニアを除去する手術を行うことで「患者が治ってしまう」例が多数あったからである。ヘルニアは坐骨神経痛の間接的原因であると思われるが、10人中8人がヘルニア除去手術で治ってしまうと、教授は「ヘルニアが神経を圧迫しているから痛みが来る」と結論付けたくなる。それは当然である。ただし、10人中2人は手術しても治らなかった。この2人が治らなかった理由をどう結論付けるか?で妄想が未来の医学書に残る真実になるか、妄想となるかの分かれ道である。
この2人について研究したところで、答えは出ない。そして、たとえ真実の意見を唱えたとしても現時点でその真偽を見極める理論もない。ならばこの2人を無視すれば学会で、有名雑誌で発表して出世街道を進むことができる。逆に、この2人にこだわって、ヘルニアが痛みの直接原因であることをこの時点で否定して「妄想着想者」として扱われるのと、どちらを選ぶかは明白である。後者を選ぶ者は一人としていない。
ここでイイタイこと。医学の真実を追究すると、それは現在の理論で証明することができない。証明できないことを発表することは医師の世界では狂人扱いされる。よって現時点で論文発表するためには少数を無視するという手法しかない。ところが真実はその少数の中に隠されている。隠された真実を暴こうとすることは、現時点では得策ではない。

妄想が真実の場合、医師は商売人になる

これだけ世界じゅうに医師がいるわけで、中には真実にたどりつく医師もいる。たとえば、蜂の毒を注射することで、誰も治せなかった自己免疫性疾患患者を数人完治させたとする。これを学会で発表したところで誰にも信じてもらえないし、「なぜ治ったのか?」を証明することもできない。よって、ある特定の自己免疫性疾患を治せる特殊技術を身につけたとしても、それを権威ある雑誌などに発表できないという現実がある。しかも、その新しい治療法は、保険で認められていないので患者に金銭を請求することもできない。よって、こっそり治療法が患者の口づてに広まり商売繁盛となる。
特殊治療技術を身につけた医師は、商売繁盛になったとしても、その治療法は世に広まらない。よって真実はなかなか医学に取り込まれないという仕組みがある。一般の医師たちは「そんな魔法のような治療法があるわけない」と思ってバカにするが、実際は真実に到着した妄想療法が世界各地に少しずつ存在するものである。完治させることのできる妄想療法が広まらない理由は、証拠がないことが最大理由である。発表しても否定されるだけであることを医師も知っている。また、発表することは多くの偉い教授先生方のプライドを傷つけるので潰されてしまう。最後に、商売が繁盛しすぎると、忙しくてデータ収集・研究ができない。よって真実の妄想は広まらないのが普通である。

ある精神科医の妄想

私が20年前(医師4年目)某都立病院に勤務していたころの話である。末端肥大症の女性で、坐骨神経痛を訴えるやや知的障害をともなった患者を受け持っていた。MRI上椎間板ヘルニアがなく、しかし症状は坐骨神経痛そのものであった。腰部硬膜外ブロックを行っても効果が少なく、上司に相談したところ、「精神科を受診させなさい」と言われた。私は同じ院内の精神科医の紹介状に「器質的な異常は認めませんが、強く痛みを訴えるので、一度貴科的にご高診よろしくお願いします」と書いた。その医師と病院の通路で会った時の言葉がいまだに脳裏を離れない。
  • 「あのう、先生に紹介させていただいた患者はどうでしたでしょうか?」
  • 「精神科は何でもありですからね」
という言葉が返ってきた。「何でもあり」とは、器質的な異常がなくても、精神が病んでいるとどんな非論理的な痛みも自分自身で生み出すことができるという意味である。「何でも」というのは、人間に起こりうるありとあらゆる症状、その全てが精神異常から来る可能性があるといいたいわけだ。これが真実であるなら、医師は自分の理論や考え方に合わない、または医学書に掲載されていない症状を患者が示した場合、治療法を考えることをやめて全員精神科送りにすればいいということになる。 都立の病院といえば某超一流国立大学医学部を卒業した医者ばかりがいる。そういう病院で「精神科は何でもありですからね」という考え方がまかり通っていたことに壮絶な違和感を覚えた。
「精神科は何でもありですからね」は、いわばその精神科医の妄想である。しかしながらこの妄想は多くの他の科の「なかなか治らない患者」を一手に引き受ける妄想となっている。さらに、「症状を治せなくて困っている医師」たちの助け舟になる妄想である。つまり他の科の医師にとって都合のよい妄想。そして精神科医にも都合がいい妄想。だからこそ彼の妄想は他の科の医師に流れるように受け入れられ、そして真実でないとしても真実化して病院内に、そして教科書的に、そして全世界的に広まっているわけである。上司が「精神科を受診させなさい」と言った意味がやっとわかった。
医学書に掲載されている正当な治療法で治らない患者は精神異常扱いすればいいという風潮があることをこの病院を研修したことではじめて理解した。この時、医師になって初めて「医学書で理論づけられない症状は精神異常者扱いとする」という考え方があることを知り、猛烈な違和感を持ち、自分はそうであってはならないという反面教材とさせていただいた。
もちろん、この精神科医が言うように、精神異常の妄想により痛みの妄想(幻痛)が出ることがあることが絶対にないと言っているわけではない。問題は幻痛が多くの患者にあてはまるとする彼の診断妄想である。誓って言うが幻痛はめったにあるものではない。私の紹介した女性は、多少の知的障害をともなっていたが、幻聴や幻覚が現れているわけではない。そういう患者にいとも簡単に幻痛と診断する妄想が恐ろしい。彼女がなぜ画像上異常がないのに神経痛があるのか? 今の私には解釈できる。それは末端肥大症のせいで脊椎全長が脊髄よりも長くなり、脊髄に強い緊張が生じているせいである。当時の私にはわからなかったが、私の提唱する脊髄・脊椎不適合症候群であろう。

医師の妄想の罪

医師が妄想をして罪となるのは、その妄想による治療が1、患者の大きな負担となる場合、2、後遺症を残す場合、3、治療を放棄する・させる場合の3つである。
1、の例の代表は手術である。多くの外科医は「手術すれば治る」という妄想を持つが、本当にどの程度治るのかを十分に吟味する医師は少ない。外科医は医学書や雑誌の手術成功率ではなく、自分自身の手術成功率を見つめなければならない。
一流の外科医は「負け戦をしない」というやり方を必ず行って手術成功率を上げている。つまり、治る確率が低そうな患者の手術を拒否することを必ず行っている。どの患者を拒否し、どの患者を受け入れるかの診断基準は医学書には掲載されていない。よって己が構築した長年の勘を頼りにしている。この勘は、現医学理論を越えたところの勘であるから、妄想の域を脱していない。だが、一流の外科医は「失敗を自分の腕や自分の診断能力のせいにする」という強い心を持っているので真実に近い勘が育つのである。「地域のためにたくさん手術をしている」程度の二流の外科医にはこの強い精神は培われない。よって「手術すれば治る」という妄想によって被害者が大勢出ることになる。
2、の後遺症を作る治療については、医師の良心の呵責が激しい問題がある。
キレのよい治療は大きな副作用もつきまとう。副作用が長期続くと後遺症や慢性の新たな病気を作り出す。これは内科・外科に限らず共通している。保険が認める治療を長期行って、患者に後遺症が現れても、医師の責任にはならない。しかしながら、自分が考案した薬の調合量、注射が認められていない個所への注射などで後遺症が残れば民事責任を問われ、最悪の場合は刑事責任も問われる。よって学会などではキレがよく、副作用の大きい治療は否定的に扱われ、それを行う医師に水面下の制裁が加えられるものである。治すことに酔いしれて、副作用を無視する無謀な医師を作らないためである。
後遺症の全てが今の医学で解明されているわけではなく、予期せぬ場合がある。その一線を越えてキレのよい治療法を行おうとするスタンドプレーには制裁を加えなければ被害者が続出する。危険性と効果は紙一重であり、もしも一線を越えた治療をしたいのなら、それなりの研究発表の末、賛否を受け入れた上で行いなさいという医学界の常識がある。この常識は無謀な治療を医師にさせないという抑止力になっている。が、同時にこの抑止力が医学の進歩を停滞させる。とても難しい問題である。
また、安全性に関しても医学は追いついていない。10年服用し続けても安全であると言われている薬を50年飲み続ければどうなるかという問題である。高齢化社会の到来に伴い、薬を飲み続ける期間があまりにも長くなった。わずかな薬の副作用が蓄積した場合にどうなるのかの研究が全くといってよいほど進んでいない。が、安全性は確保できているという医師の妄想の元に薬が長期間処方され続けている。この長期投薬に疑問を持つ医師もわずかに存在するが、彼らの意見もまた妄想扱いである。しかもこうした善良な妄想は、医師界・薬剤界の不利益につながるから無視される傾向にある。真実に近づいた妄想は無視される運命にあると言っても過言ではない。
3、医師の積極的治療の放棄は世界共通である。症状と原因の因果関係がはっきりしていないものに、積極的な治療をするということはあり得ない話である。それらの治療法は医学書や医学雑誌にも掲載されていないからだ。
医学書に掲載されていない治療法を行うことは安全性の問題により推奨されない。よってたとえば整形外科ではこういうことが起きる。両下肢を痛がる患者がいる。この患者のMRIを撮影するが腰椎に目立ったヘルニアや脊柱管狭窄の所見がない。この場合、器質的な異常がないから積極的な治療法なしとされる。よって痛みを強く訴えても、鎮痛剤を処方されるのみとなる。
この場合、積極的な治療とは、腰部硬膜外ブロック、神経根ブロックなどがあげられるが、これらのブロックは整形外科医にとってハードルの高い治療である。因果関係がはっきりしない者に対しては積極的な治療を行わないのが普通であるから治療は進まない。もちろん、因果関係がはっきりしなくても「ブロックすれば治るかもしれない」という発想が、医師にないわけではない。が、それも妄想である。
妄想から発想した治療を行うことは医師の悪徳であると考えるとてもまじめな医師は結局治療を放棄する。まじめな考えが治らない患者を増やし、医学の進歩を停滞させる。医師は人間相手の仕事であるから、一つ間違えれば相手を傷つける危険性と隣り合わせである。よって、因果関係がはっきりしないものに積極的治療をすることを避ける傾向があることは言うまでもない。だが、それでは悩める患者たちを治せないのである。

安全性と副作用の妄想

医師の世界では治療の安全性と副作用のことはよく語られている。が、手術と後遺症の因果関係については語られることが少ない。術者が隠したがる傾向があり、また、手術と後遺症の因果関係を証明することも難しいためである。よって外科手術の世界は、医師の妄想のオンパレードである。「私が患者を手術で救った」と術者は思い込んでいるが、結局、手術で入院して安静にしたことで痛みが減少したというのが真実であったりもする。真実は常に見えない。
しかし、薬の場合は規格が同じであるので副作用を客観的にみることができる。よって副作用が取り沙汰されて世間を騒がすことが多々ある。だが、副作用の世界に極めて多くの医師の妄想が存在することを知る医師はほとんどいない。自分の考えは正しいという妄想着想をしている場合がほとんどである。
副作用で重大な事件を起こすことがあるが、その場合、多くは何らかの原因が3つ4つ重なっている場合が多い。遺伝的な問題、生活環境の問題、合併症の問題、投薬の問題などである。しかし、事件が起こった場合、医師も世間も「投薬の問題」にしか思考が及ばない。「なぜその副作用が起こったか」には複雑な問題が絡んでいる。なぜなら、投薬した患者の多くは何事も起こっていないのだから。その患者にだけ起こったという特別な事情があるはずだが、それは現医学で解明できない。よって、「この薬によって、○○の副作用が起こることがマレにある」という言い方で世間に広がる。そこには「患者が肉体労働者か主婦か、遺伝的問題があるか、どのくらいの期間どのような使用方法で投薬したか、他の内科的疾患はないか」などの情報が皆無に等しい。よって医師の間では「××を投与すると○○になるおそれがある」と情報が回る。しかしこれは医師の妄想にすぎない。
これの代表はステロイドである。ステロイドは副腎皮質ホルモンというホルモン剤であるから、体内のホルモンの歯車の回転を変化させ、ありとあらゆる副作用を引き起こす可能性がある。しかし、それは投与量と投与期間が問題にあるわけで、どれだけの量を、どういう人に、どの期間投薬してどうなったかという情報は皆無に等しい。もし、ステロイドの副作用を真摯に研究するのであれば、「これだけの投与量であれば、この期間使用しても問題になることはない」という安全性を確保する研究へと進まなければならないが、「ステロイドを使うと○○という副作用が出る」といううわさしか聞かない。
ステロイドは人間のストレス消火ホルモンとして非常に重要で、これがなければ人は生きていけないという重要なホルモンである。その重要な切っても切れないものを「治療に用いない」という風潮は医学を後退させる。医師が投薬しなくても、患者が痛みを感じている時に、すでに副腎から大量に分泌されているのである。それは体内で有用だから分泌されている。何もステロイドが悪者ではないのだ。にもかかわらず、副作用妄想が医師の間で回っているため、ステロイドの使い方を正しく研究する医師がいなくなってしまったのだ。
ステロイドを最も使用している内科の医師でさえ、ステロイド投与の方法と、ACTH、コルチゾル、糖、脂質、電解質の関係を正しく調査している者がほとんどいない。その結果、アレルギー性鼻炎などにステロイドを無意識に湯水のように使用する耳鼻科医などを育ててしまうことになるわけである。研究が進んでいないから怖いもの知らずになってしまうからだ。
  •  副作用は怖い→だからふたをする。という風潮は医師の妄想の一つである。
本当に副作用を研究するのであれば、「○○を××という使用方法でならほぼ安全性が確保されるが、△△を合併していると□□という副作用が起こる場合がある」というところまで調査しなければならない。非常に残念なことであるが、現在、ステロイドの濫用を防ぐ目的で作られたNSAIDの濫用が起こっている。NSAIDのほうが値段が高いがキレは悪い。よく効く薬は副作用も強いのは常識であるが、値段も安いというのも常識である。
値段が安くてよく効く薬は否定される運命にある。その理由は経済効果にあるという妄想を私は常にしている。よく効く薬に副作用が強く出るのは常識であるから、副作用が出ないようにコントロールできる腕が医師としての腕だと思うのだが、値段が安いだけに、それを研究して腕をふるう医師はいないというのも常識なのだろう。
安全性の妄想 安全ではない薬が「これは安全である」という医師の妄想の元に使用されることもたびたびある。その代表が「値段の高い薬」である。新しい薬はその安全性が確保されるには50年以上かかる。だが、それでは製薬会社が倒産して後に薬の発売許可がおりてしまう。こうなると本末転倒なのでほとんどの新薬は長期の副作用調査ができていないに等しいと考えて差し支えない。塩や砂糖でさえ、毎日多量に取り続けていると副作用が必ず出る。ましてや薬を飲み続けて副作用がでないはずがない。10年では出ない副作用も、50年飲めば出てくることがある。
特に因果関係がはっきりしないのが癌である。免疫抑制系の薬を永久に飲み続ければ、発がん率は上がって当然だが、それを研究し証明することは不可能に近い。なぜなら、癌の発生には遺伝子や環境から住んでいる地域、食べ物の傾向まであらゆるものが複雑に絡み合っている。薬との因果関係を調べるには5年や10年では無理である。よって新薬は「安全性が確保されている」という医師の妄想に基づく必要がある。ただし、妄想するにも国が定めた条件があり、その条件をクリアしなければならない。しかし、その条件も妄想で作られた条件であるから、結局一つの基準にすぎない。
だが、それでも、1本10万円近くするような利益率の高い薬(例えばレミケード)は、安全性が妄想されるのは世界の常識である。ステロイドにとって代わるほどのキレのある生体製剤が開発され、もっとも高価な薬の一つとして台頭しているが、私はそれらの薬の安全性にかなり疑問を持っている。ステロイド以上に危険なにおいがするが、現在、医学界に生体製剤を悪く言う者が一人もいないという異常さである。権力は信ぴょう性まで歪めてしまうということは歴史において普遍的であるが、どうだろう?私の杞憂でなければよいが。

医師の妄想被害者の終着点

現医学で解明されていない疾患は、悪い言い方であるが医師の妄想上で患者を治療している。というよりも治していない。治っていない。症状を抑えているだけである。高血圧、糖尿病、アトピー、高脂血症、高尿酸血症、膠原病、自律神経失調症など、治ったという話をあまり聞かない。
私は整形外科の分野で、耳鼻科の分野で、脳神経の分野で、泌尿器科の分野で・・・治らない患者を多々治療してきた。「手術でしか治らない」と言われた患者も含め多々治してきた。外科医の勝手な妄想で頸椎の手術をされ、痛みが治らなかった患者でさえブロックで治してきた。だからこそ、私の治療が妄想であってはならないと常に思ってきた。自分を客観的にみつめ、患者の訴えを常に自分の胸に刺してきた。「治らないのは己の腕のせいだ」といいきかせ続け、治す方向へと妄想してきた。
治療の危険性、副作用についても、絶対に目をそむけないことにし、多少でも不具合を訴えた患者には念入りに問診をとり、その副作用の傾向をしっかり頭に叩き込んだ。しかし、全て医学書には掲載されない細かなことであり、それは妄想と呼ばれても仕方がない。だが、真実の方向に妄想する訓練を自ら積んできた。私が、解説する多くの論文は、そうした妄想の産物である。現医学の水準では確証が得られないものばかりである。だが、真実を見ようとしてきたのだから、私の妄想は他の医師の妄想よりも的を射ているはずだと確信している。しかし、私の妄想は査読には耐え得ないので私の妄想が有名雑誌に掲載され、私が教授になることは絶対にない。だが、真実を見ようとする医師の心には響くであろうと確信してこうした文章を書いている。
 

 治療の医学

私は、治らないと言われている疾患を、治すことでその原因究明をしている。ひとつの治療を行い、それで患者が完治するのであれば、その治療法は原因に確実にヒットしていないとしても、遠くはないはずである。という理論にもとづく。Aの治療と、Bの治療で、Bの方が患者を完治に近づけることができたという場合、この病気の原因はBの周囲にあるのだろうという妄想をしてきた。そして常に治療法を比べることにより、妄想を真実に近づけるという作業を行ってきた。
こういうやりかたを私は「治療の医学」と呼んでいる。完治させることで病態生理を推測し、医学を発展させるというやり方である。このやり方は「医学書にもとづかない」ため、学会などから否定されることはわかりきっているので、私は敢えて学会に参加したことがない。治療ができて安全性が確立しているのであれば、学会認定医にこの技術を継承してもらう必要はない。町医者に伝承し「誰にでも治療できる」という状態にしてしまえばよいことである。私の治療はいわば妄想であるが、誰よりも安全に治せる。それは妄想呼ばわりされようが、患者にとっては関係のないことである。苦しむ人を救える技術。それは常に妄想からしか生まれない。治療の医学とは妄想の医学である。

妄想の医学には二つある

医師としての地位・名誉・利得を守るために真実を見ることをせず、自分に都合のいいように理論立てる私欲の妄想の医学。そして真実を見つめ、治すこと安全性を考え、常に改良を重ねて理論立てる公的な妄想の医学。世間ではこの二つが混同され、前者の妄想者が後者の妄想者を非難するのが世界の常となっている。だが、真実は今から200年後に判明する。前者の妄想は医学書から消え、後者の妄想が医学書に記載され続けるからだ。権力のために妄想を描いた教授たちの名前は医学書から消えさり、真実を研究した名もない医師の理論は200年後の医学書にも残る。各時代の医学書とはそういうものではないだろうかと妄想し、私はひとり、ほくそえんでいる。しかし、200年前に真実を提唱した医師の論文は発見されることがない。よって世の中で真に役に立つ妄想は浮かばれない運命にある。いや、浮かばれなくてもよいという信念があってこそ「役立つ妄想」が生まれる。それは私利私欲に汚されていない公的な妄想だからだ。この世知辛い世の中に「役立つ妄想」をできる医師を育てていかなければならないと真剣に思っている。

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