医学論文の過ちと限界

はじめに

高額な医学書も20年後には古くて使い物にならない。それは既成の知識が新しい事実によって置き換えられるからである。よって医学書は数年に一度改訂される。それほど教科書は正しいとは限らない不完全なもので構成されている。そして100年経てばその医学書の内容は不完全どころではなく、ありとあらゆるところに誤りが見つかるようになる。1000年経てば…その時代の医学書は茶番と化す。真実は100年経っても1000年経っても変わることはない。置き換えられていくものは真実ではないでは実際に1000年経った時に今の医学書の知識はどれほど新事実に置き換えられているか、まじめに想像してほしい。1000年も経てば科学の進歩もすさまじい。次々と新しい診断機器も開発されている。その時に置き換えられていない普遍の知識はおそらく3割もないだろう。「1000年後の未来、医学書の内容は少なくとも大半が誤りであると断定される。」これはほぼ真実に近い。にもかかわらずほとんどの医師が教科書を大上段に構えて、患者の前で、マスコミの前で上機嫌で教科書的知識を解説し正当性を誇示する。しかしそれは法的には「正当」であるが人間性では不誠実というものだ。
あなたたちは真実を見抜こうという視線で医学書を読んだことがあるだろうか? 疑いの目で医学雑誌を読んだことがあるだろうか? 教科書ならまだしも、医学雑誌の内容は1000年後は大半は誤りの茶番空想論となっている(その中に真実もあるが不十分である)。だから我々は最新の医学論文を読んでいる時でさえも、それを疑いの目で読まなければならないというのが医学に対して誠実というものだ。現、教授たちは教授になるために様々な論文を数多く書くが、それが1000年後の未来においても変わらない知識として耐えうるものはおそらくあまりないだろう。
ここでは、なぜ権威ある研究者たちの論文が未来において誤りになるのか?その原理を解説し、これを読んでいるあなたが真実に突き当たる研究ができるように、その精神力を磨けるようにその一助にしていただくと幸いである。真実に近い医学知識は、1000年後の教科書にも残っているであろう。そういう知識を積み重ねるためには常に強く誠実であらねばならない。教授たちの権威に屈しない物の考え方が必要になる。蛇足だが、私がここに記すことは1000年後の未来においてもほぼ正しく普遍的なものである。

少数無視の原則

人間の思考はそもそもスイッチング(二進法)から始まる。Aが(+)ならBとなり、Aが(-)ならCである。という原因と結果の導き方をする。つまり全か無かの2進法が基礎となる。例えば緊張すると血圧が上がる。リラックスすると血圧が下がる。という思考である。この思考を医者も一般人も誰もが正しいと評価している。だからこの知識は絶対的であり1000年後の未来も教科書にこのまま掲載されていると考えるだろう。
しかし、真実は違う。人は適度の緊張では血圧が上昇するが、過度の緊張状に陥ると血圧が低下して失神する。例えば、強すぎる痛みを受けると失神する。血を見て倒れる。などがそれにあたる。こういう事例は誰もが知っているにもかかわらず、先ほどの「緊張すると血圧が上がる。リラックスすると血圧が下がる。」という言葉の誤りに専門知識を持つ者でさえほとんど気付かないものである。その理由は、人間の日常生活で失神するほどのストレスにあうことが極少数(Minority)であり、例外または特別な場合とされるからだ。自然科学の分野では少数を無視するということが普通に行われている。無視しても「緊張すると血圧が上がる」という言葉が99%の人にあてはまる。だから無視してもよい→浅はかな思考が広がる→新事実が判明し改訂される、を繰り返す。これが医学論文が真実と離れてしまうまず第一の原因である。
「緊張すると血圧が上がる」というMinority無視の理論は、さらに間違った理論を推し進める。緊張すると交感神経が興奮し、アドレナリンが分泌されて心拍数が上がり、血管平滑筋が収縮して血圧があがる。という理論へと駒が進められる。一見この理論は正しそうであるが、これでは「肌から出血しているのを見て血圧低下が起こって失神する人」の病態生理を説明することができない。現代の医学知識を総結集しても、交感神経反射?で血管が拡張して血圧が下がる理由を説明できないのである。説明できないにもかかわらず、教科書には「緊張すると血圧が上がる」というMinorityが無視されたままの状態で掲載される。
掲載されて数十年が経つと、Minority(血を見て失神する仕組み)についても研究されるようになる。しかし、このMinorityの仕組みを解明するには生半可な頭脳や知識では不可能である。なぜならば、人間の生理機能はAが上がればBになるというような単純構造ではないからだ。複雑すぎて解説できない。にもかかわらず解説しようとすると幼稚園児なみのお粗末な解説となる。その例を下に挙げる。
「神経調節性失神では不安、恐怖、疼痛などを契機として交感神経の緊張が不十分となったり、副交感神経が直接刺激されたりすることで血圧、および脈拍の低下が起こる」というような感じである(医学論文からそのまま引用)。
これほど説得力のない論文では先ほどの「緊張すると血圧が上がる」というMinority無視の理論をくつがえすことはできない。よって誰かがこのMinorityを証明してみせる日が来るまで、教科書には誤りが堂々と掲載されたままとなる。ただし、真実にたどりつくには少なくとも200年から300年はかかる。なぜなら血圧の調整にはおそらくまだまだ発見されていないホルモンや神経が複雑にからみあっているからだ。それこそ、アドレナリンだけでなくセロトニンやドーパミン、バゾプレシンなどありとあらゆるホルモンが絡むと思われる。そんな事実が100年程度で解明されるはずがない。
アドレナリンは確かにダイレクトに血圧を上げる作用が強い。だが人間の体には血圧が上がり過ぎないようにする安全装置も作動するようになっているはずである。安全装置は多種多様に動けるようにいろんなホルモンとの絡みで作動すると考えるべきであり、少し考えたくらいでは解明できない。
真実を導こうという思考で研究すれば、論文は生きている間に完成しない。だからこそ科学者は「生きている間に論文を書こうとする」ので不誠実にならざるを得ない。逆に言うと世界の教授がいかに不誠実であるかがわかる。不誠実を積み重ねなければ論文を多く輩出するのは不可能だからだ。その不誠実な教授たちの中でも真実から目をそらさず、考察を積み重ねた者のみが真実に生きている間に到達し、ノーベル賞をとったりする。だがそういう誠実な教授はわずかしかいない。
こういう仕組みでMinorityを無視した思慮の浅い理論がそのまま数百年間教科書に残ることになる。ここが科学の落とし穴であることを、真実の探究者でありたいのなら認識しておかなければならない。教授も一般研究者も自分の発表を広く世に知らしめたいわけであり、そのためには少数を無視することがどうしても必要になる。いや、無視しなければ広がらない。そういう(世間に認めてもらいたいために研究をするという)圧力が科学者たちに常にかかっており、出世欲・名声欲が真実をゆがめるということを認識しておくことが真実を探究する者には必要である。

解明できればあなたもノーベル医学賞

  1. 血を見て失神する仕組み
  2. 緊張しすぎると下痢する仕組み
  3. 強い恐怖に遭遇すると尿失禁する仕組み
  4. 性的興奮でペニスが勃起し、強い興奮で勃起しなくなる仕組み
  5. 好きな人に触られる触覚が快感で、嫌いな人に触られると触覚が不快になる仕組み
  6. 寒い時は冷たいものが苦痛で熱い時は冷たいものが快感になる仕組み
  7. お酒で興奮する人とお酒で眠くなる人の原理
 
我々が日常で経験する現象であるが、これらはMinorityとして無視されてきた。そしてこれらを証明しようというような学者はないに等しい。現医学水準ではあまりにも難問なので誰も挑戦できないでいる。これらを解説するにはいまだにブラックボックスとされている自律神経系と、それらが感情とともに動くシステムを解明していかなければならない。複雑すぎて現医学水準では無理である。
感情や性格については近年、ようやくセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなどがそれらのベースになっている可能性についてわかってきた段階である。これらと自律神経の関係を全て解明するには1000年では足りない気がする。人間の体はスイッチで動くのではなく、歯車で動く。一つのホルモンが何十種類の臓器、器官、組織、そして次なるホルモンを動かす。その複雑さにいまだ人間の叡知が追い付いていない。今の科学が無力であると言っているのではない。一つ一つの単純思考を寄せ集めると真実に近づく。その寄せ集め、積み重ねは極めて困難なのだ。

統計学は真実をねじ曲げる

統計学はMajority(多数派)かMinority(少数派)か?を判断する学問である。AならばBという理論が一般的にあてはまるかあてはまらないか?を検定するのに使われる。一般的にあてはまると出た場合、その理論は「整合性アリ」と言ってよいとするのが統計学である。乱暴な言い方をすると多数にあてはまる理論・法則は「整合性アリ」、少数にしかあてはまらないものは「整合性ナシ」と判断する。こうした統計学を用いることで科学者たちは自分の仮説を正しい(科学的に証明された)と世間に認めてもらうということを行っているのが世界の一般常識である。だが真実は違う。
多数派が正しいというのは真実を歪める。それは自然科学のみならず、政治でも戦争でも、そういった理論で人間世界は展開されてきた。もしもあなたが真実を探究したいのなら少数派を切り捨ててはいけない。そして統計学処理をして自分の理論を正当化してもいけない(それは甘えや逃げである)。少数派も含めて全てに整合性がとれる仮説を導き出せるまで思考を多面化・複雑化させなければならない。
現在、研究データを統計学処理して、自分の主張する仮説を正当化するというシステムがあるおかげで自然科学の教科書には誤りだらけの状態が続いている。1000年後にその内容が茶番と化すのは統計学を用いているせいと言っても過言ではない。統計(Majority)は真実ではない。それどころか、統計処理は誤りに真実の仮面をかぶせてしまう。Minorityの中に真実を見つける糸口がある。ならば統計学は真実を嘘で覆い隠すベールとなる。統計処理が悪いわけではない。だが人の病態生理という複雑なシステムが統計処理で真実にたどりつくことはほぼあり得ないと認識しておくことは大切である。

統計処理の嘘の実例

現在、私が取り組んでいる「頸椎の軸と過屈曲の関係」の論文を例に、統計学処理がいかに不適切か?を証明してみせる。
私はまず最初に外来で頸椎のXPを撮影した者全員の頸椎の角度を調べた。そしてある仮説を立てる。「頭蓋底とC7椎体のなす角度が小さい者は首を前に曲げた時に過屈曲になる」という仮説である。早い話がまっすぐ前を向いて撮影しているのに頸椎が曲がって撮れている者は実際に首を曲げると普通の人よりも強く曲がる」という仮説を立てたわけである。
この手の論文ではまず、「前に曲がっている頸椎」の定義からはいらなければならない。「○度以上曲がっていると過屈曲になる」という○度の設定をしなければならない。これを例えば35度と設定し、35度以上群と35未満群の二つのグループを作り、同様に過屈曲群と正常群も作り(これも角度の設定を適宜行う)、この群に有意差が出るような角度を見つけ出すという作業をする。何千枚とXPを見ていると、感覚的に異常と正常の境界が見えてくるのでその境界の角度を設定するとうまく有意差が出るものだ。しかしながら当初、何をどうやっても有意差が出なかった。
  •  これ(有意差が出ないこと)が第1段階である。

物事を誠実に考えようとしないエセ学者は、この第1段階で論文を発表してしまうという大罪をやらかす。論文内容はこうだ!「頚椎の角度と過屈曲の関係性はない。よって頸椎の側面写真で軸異常を調べても臨床的な意味がない。」この論文がいかに間違っているか?は「医学・統計学についての真の知識」「統計学の致命的な功罪」で述べているのでそちらを参考にしてほしい。
このエセ学者的な論文は大学の教授クラスが平気で書いているものであり現在の「科学の常識」としてまかり通っていることを知っていてほしい。特に薬の服用と発癌の関係などの論文で多く認められるパターンである。統計学で有意差が出ないほうが有利に働く場合、この第1段階で発表してしまえば「科学的な証拠」として通ってしまうのが現代の社会現象である。「この薬と発癌性は関係ない」とする論文が典型である。さて、もちろん、誠実な学者は第1段階であきらめたりしない。
撮影時に痛みが強く、下を向いて撮影されてしまったために、痛みのない時には35度以上あるが、撮影時に痛みがあって35度以下となってしまったという症例もあるはずだという考え方がひらめく。そこで今度は撮影時に下を向いている人を除外し、正面を向いて撮影している人のみの集団で統計学的に検定してみた。するとはっきりした有意差が出た!
つまり「35度以下の人は有意に過屈曲となる」という結果が導き出された。これが研究の第2段階である。だが、これは100%の人に適用されるものではない。少数であるがこの結果にあてはまらない人が存在する。この少数派を無視して論文を発表してしまうのが浅知恵の学者である。世界中の多くの学者がこの「浅知恵の学者」にあてはまる。私も例外なく「浅知恵の学者」である。実際に私の浅知恵の論文がどんなものか?知りたい方は「頸椎機能撮影と臨床意義の調査」を読んでみてほしい。「浅知恵」と言われるものが実際にはかなり手のこんでいるものであることがわかる。だが、いかに手がこんでいても浅知恵なのである。なぜなら少数派を無視しているからだ。
第3段階は統計学的にあてはまらない例外たちをさらに洗い直すことである。本当に例外なのか?まだまだ細分化したグループ分けができていないために例外が出てしまったのか?を考える段階である。多くの医学者は第3段階には到達しない。なぜなら、少数派を無視しても、被害は少数のみであるからだ。
さて話を元に戻そう。私はさらに「まっすぐ正面を向いて撮影しているXP」の中にも体の重心が前傾の人と後傾の人が存在し、この前傾・後傾で頭蓋底とC7のなす角度が変化することをさらに発見した。つまり、重心が移動しているために35度以上の角度がついてしまっている偽陰性の症例があることを見つけた。この症例は「もしも前傾がついていなかったら角度がどうなっていたか?」という補正をしなければならない。補正をすれば少数の例外もなくなっていく。統計学的検定の精度を高めることができる。精度が高まれば診断が確定しやすくなる。このようにデータ補正を行って少数の例外も出ないように診断指針を作っていくのが第3段階である。
しかしながら第3段階は一般的には必要ない。なぜなら、そうやって素晴らしい診断基準を作ったとしても、その基準はあまりにも複雑なので、一般的な医学の教科書に掲載させることはできない。実用的ではない。診断価値が低いのである。だから教科書に掲載されるのは第2段階までである。
しかし、真実を追究したいのなら、第3段階であきらめていてはいけない。角度補正をするにしても、それを5度以内の精度に保ちたいのなら、さらにグループ分けをして補正しなければならない。私の場合、頸椎の曲がり具合を前弯型、後弯型、S字型、逆S字型、W型、ストレート型…などのタイプ分けをし、その上で補正するというような段階まで行っている。さらに付け加えると、このタイプ分けの定義さえ、何を根拠に分類しているのか?までしっかり研究しなければ真実には突き当たらない。さらに、補正するのはよいが、補正に意味があるのか?まで追究しなければならない。なぜなら、姿勢が前傾の人は、補正しようにもきちんとした姿勢をとれない可能性もある。そんな非現実的な補正に意味があるのか?まで考えなければならない。このように果てしなく真実を追究していくのが第4段階である。
私は第4段階まで追究する精神力を持っているが、出世を意識して研究している者たちには、おそらく、こんな無意味な研究をすることは耐えられまい。だが、実際は無意味ではない。研究を進めていると、他に見えなかったものまでが見えてくるようになる。それが他の研究に役立ったりするのだ。
現在、私は頸椎のアライメントについて第4段階まで研究を進めているが、そのおかげでいろんな真実が見えるようになった。だが、そういう視点で最初の命題をみなしてみると。「35度以下の人は有意に過屈曲となる」という命題は浅知恵であり真実ではないことがわかる。本来はタイプ分けと角度補正を行ってからでないと正確なデータにはならない。だが、一般の医師たちに35度で診断するという方法を伝えるには、補正することを強制してはいけない。強制すれば診断法が普及しない。よって私は上記の命題が浅知恵だと知りつつも、世に発表する時は浅知恵のままにしておく必要がある。このようにして統計学を用いた嘘が世に広まるのである。占いのようなものか(笑)。科学も占いも大差ないということである。

エビデンスはコマーシャリズム

手術の効果、薬の効果、注射の効果をアリと人前で発言するためにはその証拠を示さなければならない。証拠は統計処理の検定で行われていることは誰もが知っている。ただし、改めて認識しておきたいことがある。これらの検定は、ホラ吹きを撃退するためにあるということ。占い師が「この壺を買えば病気が治る」というホラを撃退するためにある。
壺を購入する→治る・治らない、壺を購入しない→治る・治らないの集団人数を検定して、ある一定数値を超えれば「壺の効果アリ」、超えなければ「壺の効果ナシ」と判定する。こういったある意味曲解された検定方法があるがゆえに、占い師のホラ吹き悪徳商売を撃退できる。だが統計処理検定は真実を反映していない。
薬を飲んだせいで悪化する人もいれば、壺を購入して治る人もいる。これらはMinorityとして無視されるが、真実はむしろMinorityのほうにある。例えば一般的な風邪薬を飲んで風邪が治ると世間一般に思われている。しかし真実は、風邪薬でウイルスを消滅させることはできない(抗ウイルス薬を除く)。逆に免疫力を低下させて風邪を遷延化させることも言われている。また、壺により精神の安定が得られると、熟睡ができ、その結果免疫力が格段とアップして病気が治ることもある。
この二つのMinorityに共通している唯一の真実は、どちらにしても人の免疫力によって症状が改善していることである。壺も薬もその媒体となっているのだろう。壺の効果を無視するのではなく、これを証明したほうが科学は進歩する。例えば、精神の安定と免疫力増強の関係を科学的に解明して見せるといい。占い師の盲信者であれば、壺の効果で想像を絶する免疫力の増強が起こり、癌が治ったなんてこともありうる。
何が言いたいか? 猫もしゃくしも「エビデンス(証拠)は?」と叫んでいる。それはまるで神の啓示のごとくに扱われている。が、本来、エビデンスにはホラ吹きを撃退するくらいの意味しかない、ということ。むしろ真実は、壺で治ったという人が一人でもいれば、その仕組みを解明することにある。それを解明できれば免疫増強システムを活性化させて多くの人を癌から救えるかもしれない。そうでなければ医学は進歩しない。エビデンス(証拠)はコマーシャリズム(商業)である。それ以上でもそれ以下でもない。自論を正当化するためにあるのではないが、現在、世界で統計学が商業用にされていることを事実として知る方がいい。それが悪であるとは言っていない。

Minority(少数派)は実は少なくない

統計学ではMajorityかMinorityかを判断するが、実はMinorityが少なくないという事例が多々ある。例えば血を見て失神する人は少数派であるが、血を見て血圧が低下して悪心となる人は決して少なくない。Linzerらによると失神を経験するのは全人口の約3分の1でそのうちの24%は反射性の失神(器質的な異常がない)だという。
失神と限定してもこれだけの多数存在する。ならば失神ではなくちょっとした血圧低下も含めれば大多数が経験する事例である。確かに日常生活においては、器質的疾患がないのに失神する人はほとんどいない。また、過度の緊張にもそうそう遭遇しない。だが、機会を限定しなければ大多数の人が「過度の緊張で血圧が低下する」ということに遭遇している。気分が悪くなって冷や汗をかいたときなどがそういう時である。
つまり、条件を満たせば誰もが緊張→血圧低下、の可能性があるわけで、Minorityは母集団のとりかた次第でMajorityになるものだとわかる。それでもMinorityを無視するのは、無視ではなく思慮が浅いといわざるをえない。話は変わるが、いまだに占い師が血液型で性格診断をしているが、世間ではそれがもてはやされ、血液型占い産業は繁盛している。何が言いたいか?思慮が浅い方が仮説は世間には広まる! 名も売れる。財産も築ける。出世も名誉も得られる。Minorityを無視したほうが個人の利得が大きい。

MinorityとMajorityは簡単に入れ替わる

どういった集団をピックアップしたか?によってMajorityとMinorityはたやすく入れ替わる。これは統計処理をして自論に正当性を持たせた権威ある学者の「弁慶の泣き所」となる。いかに知能指数が高く、いかに多くの論文を発表している権威ある学者でさえ、Minorityを無視したくなるという甘い誘惑に勝てる者はほとんどいない。よって、MinorityとMajorityがたやすく入れ替わることを突いてあげると、彼らの一生をかけてやってきた研究は足元から崩れさる。だからこそ、権威者は自論を支持する論文を片っ端から拾い集め、自論の弱点の突貫工事を行うことになる。これによって真実は再び覆い隠される。
整形外科の分野で、ひとつの例を挙げると、「椎間板ヘルニアで坐骨神経痛が発生する」という事例がある。これはヘルニアが存在している集団の坐骨神経痛の有無を調査し、それを統計処理をすることで正当化させた理論である。当初この理論に誰も疑いを持たなかった。しかしながらその母集団を壮年者に限定した場合、MinorityとMajorityは入れ替わる。
壮年者では椎間板ヘルニアがあるにもかかわらず症状が全くないという例がサンプルの無作為抽出で76%に認められるという。つまり、ヘルニアがあって神経痛がある者のほうが少ない。50歳未満ではヘルニアがあると、それに伴って神経痛がある人の方が多くなる。
このように年齢を分けてサンプル抽出するだけで、「椎間板ヘルニアで坐骨神経痛が発生する」という医学の常識がもろくも崩れ去る。だがここからがおもしろい。この事実は権威ある学者たちのプライドを打ちのめすには十分である。それを彼らが許すはずがない。なにせ彼らには権威とプライドがある。すると今度は動物実験で神経根をせんたくばさみのようなものではさみ、そして犬が痛がる様子を証明して見せた。はさんだ神経根から電気パルスが発生することを証明して見せた。そしてそういう論文を書く自分の部下に博士号を乱発した。これが自論の弱点の突貫工事である。だが、それでも真実までを消滅させることはできない。
ヘルニアは神経痛の一つの原因になっていることはわかるが、それは痛みの歯車の一部でしかない。いくら巧妙に自論を支持する論文を祭り上げても、ヘルニアが坐骨神経痛の必要十分条件にはならない。壮年者という集団に限定すれば、ヘルニア理論は嘘!とまで言い切れる。ヘルニアがなくても痛みがある人、ヘルニアがあっても痛みがない人たちをMinorityとして無視したためにこういう浅はかなヘルニア伝説を生みだしてしまったわけだ。
お恥ずかしい話ではあるが、ヘルニア全盛時代の教授陣はまだまだ存命であるので、この浅はかなヘルニア理論はいまだに教科書に否定されずに残っている。よっていまだにヘルニア手術で治らない患者という犠牲者を出し続けるに至っている。この過失が修正されるには、権威ある者たちの世代交代が完全に行われるまでの時間を必要とする。最低でも今から数十年はかかるだろう。
それと並行してMinorityの証明がなされない限り、彼らは自論を引っ込めない。つまり、ヘルニアがないのに神経痛がある人の病態生理の解明が必要になる。前にも述べたがMinorityの証明には多面化・複雑化した思慮がいる。困難で険しい。もちろん私はその解明に全力を挙げている。ヘルニアの正しい知識が教科書に掲載されるようになるまでには100年以上かかるかもしれない。その間、ヘルニア手術の犠牲者はまだまだ増え続けるだろう。我々が覚えておくこと。それは母集団を変えるだけでMinority とMajorityを操作できるということ。そのデータに統計の検定を加えて、いつでも正当化できるということ。なにせ統計学はMajorかMinorかを決める手段でしかないのだから。

政府や大学からの研究補助金が真実をねじ曲げる

権威を手にした科学者は公的な研究資金を得る。このおかげで個人的には不可能とされていた実験でさえお金をかけることで実行可能となり研究の幅が広がる。だが、資金を頂戴したからには成果を出すことは絶対条件となる。先ほど述べたように母集団の厳選とMinority無視、統計学処理の3つを施せばあらゆる仮説を正当化できる。よって研究者が資金提供を受けると、真実が歪められる可能性が大幅にアップする。というのも、Minority無視ならまだよいが、Minorityのデータを改竄する輩が現れるからだ。
例えばカイ二乗検定を用いて有意差を求めるときなど、あと2~3人のデータを少し改竄するだけで有意差アリと出来るというような場合がある。そんな時、ちょちょっとデータを書き換えてしまうというようなことが起こりうる。改竄でなくとも、そのデータを末梢するだけで有意差が出る場合もある。データ末梢は改竄よりも罪悪感が少なくて済む。まあ、百歩譲って世界中の科学者にそのような不誠実な人が一人もいないと仮定しても、測定を全て機械まかせではなく、科学者自身が計測する場合は自分の研究が有意差の出る方向に無意識に測ってしまうということが起こる。特に治療の効果アリかナシか?の判定は、質問の仕方によっても変えることができる。よって効果のない薬を効果アリと導くことはたやすい。
何度もいうがそこに資金提供が行われている場合、なかなか無意識の不正操作に歯止めが利かない。我々が日常目にするエビデンスにはそのような報告者のちょっとした操作があちこちに存在していることを気にとめておく必要がある。特に私は製薬会社のパンフレットにある薬の効果データを最初から信じないように自分に言い聞かせてからMRの話を聞いている。

Minorityを受容するには不屈の精神力が必要

具体例を挙げよう。緊張と血圧上昇の関与(交感神経の興奮と血圧上昇の関係)を示すために、ある教授は被験者にホラー映画を見せて、その前・中・後に採尿をしてVMA(アドレナリンの最終代謝産物)を測定する。映画の最中は10分毎に血圧と心拍数を測定する。この実験のために200人の大学生をアルバイトで参加させた。この実験にかかった費用は200万円だったとしよう。
さて、実験結果は…200人中199人にホラー映画中にVAMの上昇、心拍数の上昇、血圧の上昇が認められた。200人中1人の男性は映画中に気分を悪くしてそれ以上映画を見続けることができなかった。彼は他の学生同様にVAMの上昇を認めたが、退場直前は血圧、心拍数、ともに低下していた。対処方法は以下のようなものがある。
1、1人の例外を受け止め、血圧が低下してしまう原理をさらに研究する(論文発表しない) 2、統計処理を行い緊張と血圧の関係の考察を論文発表 3、1人の例外は実験遂行不可(実験が正しく行われていない)としデータに入れない 4、1人の例外は心身症であると推論し、彼の特別性を補足し、全データを掲載
1はこの実験が失敗であることを認めることに等しい。つまり自分の打ちたてた仮説が思慮の浅いものであることを認め、さらに考察を深めて一から出直すことを意味する。陶芸家が不完全な出来の茶碗を叩きつけて壊すようなもの。次の研究へのステップにはなるが、労力も実績もお金も時間も失う。
2は世界中で行われている標準。統計処理で有意差アリと出るので「緊張すればアドレナリンが放出され、交感神経の作用で血管が収縮して血圧が上昇」と断言しても認めてもらえる。論文は証拠のある事実として教科書にも採用され名を残す。世界中の科学者がこの実験結果を引用し世界にこの事実が流通する。
3、1人の例外は映画の実験を途中で放棄したわけであるから抹消しても良心の呵責は少なくてすむ。これは母集団のデータ改竄にあたるが、そう考える研究者は少ない。実験結果はとても優秀で誇らしげである。
4、1人の例外を「精神異常者」として扱い、人間だから大勢の中にはこういう人もいるというような扱い方をすることは臨床現場では少なくない。彼を特別でマレなケースとしてしまえば研究者はさらに誠実・正直と思われ、3のケースよりも高い信ぴょう性の評価を得る。
さて、このうちどれが正しいか?は最初から決まっている。真実は1以外にない! 緊張→アドレナリン上昇→交感神経の興奮→血圧上昇、という考えは実際のところ思慮が浅い。これは真実ではない。真実はもっと複雑なホルモンの絡み合いがある。だが今の知識でそれを証明することは不可能。よって1へと駒を勧められる強靭な精神の持ち主はほとんどいない。
特に、補助金をもらいながらの実験であれば、1へと駒を進めることは自殺行為に等しい。何度も言う。Minorityを受け入れるには自分の腹を割腹するくらいの精神力が必要になる。権威を欲しがる研究者たちにそのような精神の強さがあるだろうか。

教科書は嘘だらけではなく思慮が浅い

最初に述べたが人の思考パターンは一元的である。Aが高ければB、Aが低ければCというようにHigh & Lowのパターンでしか考えられない。それは知識量のあるなしの話ではない。自分を追い込む精神力のあるなしで決まる。論文は一元論で話を進めなければ仮説がたてられない。Minorityを認め、多元的に考察しようとすれば、今の医学知識ではその仮説を証明できないという壁に突き当たる。
証明できない論文を公表しても地位も名誉も上がらない。よって医学書に掲載されている内容は思慮の浅い一元論で構成されることになる。思慮の浅さを「嘘」とは呼ばない。なぜなら統計学処理で整合性を保証されているからだ。だが真実からは遠い。もしも真実を探究したいのであれば、例外を認めない精神力が必要になる。自分の仮説を自分で打ち崩すマゾ的精神力が必要になる。そして権威の力に負けずに、自分の考察を進める強い推進力も必要になる。もし、あなたが真実の探究者であるならば、教科書の思慮の浅さをつぎつぎ暴いていくことになる。だがそれは研究者として異端児扱いされ学会では抹殺される恐れがある。名のある教授たちがあなたを迫害しにかかる。つまり地位も名誉も剥奪され、場合によっては精神異常者、サイコパスだといわれ、葬り去られる。が、その力に立ち向かう勇気を常に持ち歩いていれば真実に突き当たることができる。

真実を追究するメリット

真実を追究するメリットは、一般的に考えると皆無と断言できる。大学に所属していれば追放され、職場も奪われ、精神異常者扱いも受けるかもしれない。学会にもいられないので認定医も剥奪される。そんなことはないと言えるレベルならば、それは核心にまだまだたどり着いていない。真実は権威者たちの名を汚し傷つける手榴弾のようなものであるから、彼らから反撃されることを想定しておかなければならない。
反撃から免れるもっとも簡単な方法はあなたが一切、地位を持たないことである。大病院にも学会にも所属しないことである。あなたが底辺中の底辺であればどんなに強力ないやがらせをされてもつぶされようがない。私は、元より、そういう覚悟で常に真実を探究してきた。私は底辺であるから叩かれても痛くもかゆくもない。これ以上落ちようがない。おかげで、ノーベル医学賞もの?の大発見を次から次へとしている。ただし、いくつもの仮説を統合した多元的な考察なので論文化しても認めてもらうことは難しい。彼らには私の思考は理解不能というかサイコパスと言われるであろう。それも知っている。だから有名雑誌に投稿しない。どうせ査読には通るはずがない。
私は誰かに認めてもらいたいために思考を多元的にしているわけではない。他の医者から見離されて苦しんでいる患者を苦痛から解き放つために自らの勉強という意味でのみ研究している。おかげさまで真実に毎日1歩すつ近付いている。教科書的には治せないとされる患者を治せるようになっている。治すことがさらに新たな真実を私に提供してくれる。その繰り返しで真実が見えるようになっている。メリットは「実際に他の医者が治せない患者を治せる」ということ。それのみである。給与が上がるわけでもなく地位も名誉も上がらない。ただただ、難病の患者を治していける。その診療技術が頂点に立っているだろうことを自分で想像するだけで満足している。だからいつ死んでもいい。

真実は人を刺し殺す凶器

私は現在、教科書の誤りを無数に指摘できる。つまり学会の権威者たちを論破できる。だが、そんなことをして何になろう。彼らの思慮は浅いが、浅いなりに理論を組み立てる道具として十分に成り立っている。彼らの一元論から多元論を組み立てていける。それでよいし彼らに向かって真実という凶器を突き刺す必要はない。突き刺せば自分にその報いが返ってくる。私は権威者たちが怖くないが、彼らも人間であり傷つけるべきではない。だが、自分の考察を発展させて行くとき、彼らと同等以上に医学知識を得ている必要がある。たとえ彼らの論文が思慮が浅いものだとしても、現時点で彼らの発言を頭に入れておかなければ、自分の理論が真実から離れて行く。
彼らに戦いを挑むわけではないが、いつ反撃されてもつぶされないように知識武装をしておきたい。この適度な緊張感が自分を勉強へとつき動かしてくれる。Minorityを認めて真実を求めるということは自分自身との戦いである。決して権威者たちとの戦いではない。だが、最初は教科書に歯向かう勇気を持たなければ真実には突き当たらない。よってこれを読んでいる人たちには、戦う勇気を持つことを勧める。その刃でぜひ自分を突き刺してほしい。思考を深くすればするほど、それは現医学の水準では証明できないことがわかる。だが目的は証明ではない。目的は自分を鍛えることにある。論文を書いて名を挙げたいのなら、これを読む必要は全くない。前途多難であるが真実から逃げなければ最後には本当にいろんな人を救えるようになる。

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