医学・統計学についての真の知識

診断学は統計で成り立つ

たとえ話をすると、椅子に腰かけると下肢痛が出る→腰椎椎間板ヘルニアという診断は、正しいか間違いかは別にして統計学的処理をして決められる。腰かけても痛くない人と痛い人、MRI画像でヘルニアのある人とない人、この4群をχ2乗検定などを行って相関を求める。そして相関があれば「椅子に腰かけると下肢痛が出る→腰椎椎間板ヘルニア」は関連がある!という考え方で医学・診断学が成り立っている。このように、関連を求めて症状と診断を結びつけるというやり方は真実を無視しているというところに医学・診断学の限界がある。真実はもっと複雑で、症状が出るまでに様々な要素が絡み合うのだが、そうした複雑な真実には浅はかな学問では到底たどり着けないため、便宜上統計学で理論を簡便化し、世の中が回っている。

統計学は真実とは全く異なるもの

占い師や風水師と自らをそう呼び商売をしている人はたとえば「1966年4月5日生まれの人は情熱的で自分勝手で一般常識に従わない人」というような○○生まれ→○○な人という相関を定義づける。彼らはしばしば自分の行っていることは「統計学的に正しい」と吹聴する。しかし実際に彼らが統計学の公式を用いて計算しているという話は聞いたことがない。もしも計算でそれらのデータを世に示すことが本当にできたとしたら、彼らは今頃占い師などという半端な商売をやっていない。歴史に名を残している。
実のところ、占い師や風水師の「統計学的に正しい」は「嘘をついている」わけだが、彼らの言わんとしていることはわかる。4月5日生まれの人に情熱的な人が半数より少し上回っていれば、4月5日生まれ→情熱的、といいたいのだ.
もちろん医学がこんな占い師たちの発想であっては困る。医学を占いでやってもらいたいと思っている人はおそらく一人もいない。人の命を預かる学問を占いで決めると、実際には診断ミス、治療ミスが続出する。ミスは100人に1人でも困る。100人に1人でも困るものに占いは使えない。
  • いいだろうか?ここが重要だということ。何度も言う。診断ミスは100人に1人でも困るのが医学だということ。
  • 占いの結果はたとえ嘘であっても命までは奪われない。しかし医学の診断ミスは後遺症を残すし命も奪う。
  • 占い師が統計学を無視してよい理由は「それほど害がない」からであるが、医学が統計学を無視すれば有害となる。だから100人中2~3人しか例外が出ないような診断を学ぶのが医学である。
しかし、実際は100人中2~3人でも例外が出るなら、それも困ったものなのだ。統計学的には相関があったとしても、例外が2~3人もいるとなると統計学自体がやばい。
ここで一般常識として知っておきたいことがある。それは統計学で人のからだを診断するということ自体が倫理的にやってはけないことだということだ。やってはいけないのだが、被害を最小限に抑えるには一定基準を設けなければならない。その基準として統計学があるというだけのことで、医学には常に例外が存在しているというのが真実である。 100人いれば2~3人には例外が出る。そんなあいまいなものを信じるしかないという状態でいま医学は動いている。だから例外の者は治療で悪化する。治療で後遺症を残す。しかし、それは法律で認められた例外なのである。統計学とはそれほど冷血で残酷なもの。しかし、そのデータ内で診断を下せば、医療ミスと言われずにすむ。まさに統計学は医者の身を守るためにとても重要な学問である。

良い医療は統計学を疑うことから始まる

そもそも難病、奇病と言われるものは10万人に1人くらいに存在するが、これは完全に統計学の範囲外にある。100人中1人の例外を認めている統計学で10万人に1人の難病・奇病を診断の網にかけることはできない。そして実際に医者がうまく診断できない奇病はそこらじゅうで見かける。
痛みに関する病気、皮膚に関する病気、かぜに関する病気、血圧に関する病期など…誤診の宝庫である。だから統計をひとまず置いておいて、経験から得た勘で診断しなければならないのが医学である。そして実際にはそれらの中にまだまだ発見されていない奇病がたくさんあるのが真実である。
「おかしいなあ、教科書に載っていない症状だなあ????」と感じたときにそれを医者として長い経験を積んで得た「例外たち」をたどって新たな診断を下さなければならないのが現場の医療であるが、それをしたことがある医者は少ない。ほとんどの医者は教科書に載っているどれかの病気に必ず当てはめようとする。注意して観察すればそういう例外には10人診察すれば1人くらい出会う。早い話が統計学は10%の患者に通用しない。それを認める器量が医者にあるだろうか?
例外を認めることは教科書に反し、新たな病態を自分自身が提起することを意味する。そんな勇気はおそらくあるまい。だが実際にはそういうことが多数あることを認める器量が、数十年医者をやっていたのなら育っていてほしい。が、そういう医者を見たことがない。
人間は十人十色と言われるが、実際は万人万色である。ここに統計学が入る余地はない。そのことをしっかり胸に秘めて医学に携わるのが良医であり、冷血にも統計学で診断し、例外を無視するのが悪医である。ただし、統計学を学ばずに自分の勘だけで診断する医者は悪医にも劣る。大学で出世をもくろむ医者は統計学を大上段に構え、統計学的に相関があることを鬼の首でもとったかのように自慢げに主張する傾向がある。私は彼らを悪医としか見ていない。だが悪も必要であるからその存在を認めている。
一方、私は統計学に従わない例外と闘い挑むことが医者の本来あるべき姿だと思っている。教科書片手に裁判官気どりで患者の病気を決めつける医者はとても多いと思うが、個人的には私はそういう医者にむしずが走る。

統計学では「風が吹いたら桶屋がもうかる」は正しい

風で砂埃が舞い上がり、それが目に入り失明する。失明した人は三味線弾きになる。三味線が多く消費されるために猫の皮がはぎとられ猫が減る。するとネズミが増えて桶がかじられる。その買い替えのため桶屋がもうかる。というのがこのことわざの由来。
この手の3段論法が正しくないことを皮肉ったことわざでもあるが、統計学を用いて実際に強風が多かった年とあまり風が吹かなかった年と、桶屋のもうかり具合に相関があったら、風が吹いたら桶屋がもうかるということは科学的に正しいと証明されたということになる。科学とはそこまで人をばかにしている。ばかにしているが一定基準がなければ科学は発展しないから、真実とは限らないと知っていても人は統計学を利用し、統計学を自分の理論を証明する道具として使う。まあ、それは仕方ない。多数決と同じようなものだ。
例えば腹痛と便秘との関連を統計学を用いて調べる。これは腹痛のあるなしと便秘のあるなしで4つのグループを作る。それをχ2乗検定を用いて有意差を証明する。すると腹痛と便秘は関係ありと証明されることになる。
ただしここから先は医者たちに好き勝手な解釈をされる。「腹痛の多くは便秘が原因である」「便秘すると腹痛がでやすい」「腹痛は便秘で起こる」などなど、これらはどこかおかしいと感じるならあなたにはまだ良心が残っている。腹痛の原因はあまりにもたくさんある。にもかかわらず腹痛→便秘とすることは間違いはなはだしい。間違っていても統計学を用いると正しいように聞こえる。嘘も誠にできるのが統計学を用いた3段論法である。

作為的な必要十分条件

AだからBは言えてもBだからAは言えない。これは数学的常識であるが医者たちはこの常識をしばしば無視し、科学者とは言えない論文を書く(私も書いている)。
  • 例えば1+1=2であるは正しいが、2は1+1であるは正しくない。2は5-3、8÷4、2×1の結果でもある1+1とは限らない。
  •  例えば馬尾型の腰部脊柱管狭窄症では、左右両側の足に症状が出る。これは統計学で相関があることが証明されている(馬尾型とは何本もある腰神経根の束全体が脊柱管が狭くなることで締め付けられている状態)。
しかし、左右両側の足に症状があるから馬尾型の腰部脊柱管狭窄症であると言ってはならないしそう決めつけることは間違いである。神経根が左右同時に椎間孔で損傷することは高齢者ではよくあることで、それを馬尾型とするのは非常識である。だがこの非常識はまかり通っている。
どうしてまかり通るのか?それは統計学を用いて逆を証明してしまうからだ。つまり、両側の足に症状が出ている人を集め、その人たちのMRI画像を撮り、腰部で脊柱管に狭窄があることを調べる。そしてこれを関連付ける(有意差を求める)ことで両足の症状→馬尾型狭窄症と科学的に無理やり証明してしまうのだ。
だが真実は違う。狭窄があっても症状は何もない患者もいるし、両足の神経根症状があっても画像上狭窄のない人もいる。そのような例が少なからず存在する。その例外を無視することにお墨付きを得るのが統計学だ。
χ2乗検定を利用して「両足の症状→馬尾型狭窄」「馬尾型狭窄→両足の症状」の両者の相関を両方向から証明し、二つの関係が必要十分条件であるかのように見せかけるという詐欺が医学では日常茶飯事に行われている。  
  • 実際の医療現場では次のような会話がよく聞かれる。
  • 患者:先生、両足がしびれるんですけど・・・
  • 医者:両足ねえ…両足は馬尾型の狭窄症だから治らないんだよねえ(頭の中でつぶやく)
  • 患者:がまんできないんです
  • 医者:年齢が年齢だから仕方ないよ
  • 患者:…(怒)…
  実際は神経根が両側同時に障害されることは馬尾狭窄がなくても生じるのに、それを馬尾型だと誤解されてまともに治療してもらえないパターンが整形外科外来では日常茶飯事だ。馬尾型狭窄は治療効果があまりないと教科書に語り継がれているのが原因だ。
ところが現実には硬膜外ブロックなどの治療を行えば、両足の症状はとてもよくなる。教科書が統計学で構成されている以上、教科書には間違っている事実がごまんと存在する。医者たちが統計学を間違って使用することによってこのような被害者が生まれ、真実とかけ離れた教科書が出来上がる。医学者たちが有意差を悪用することにより「必要十分条件を満たすかに見える間違った診断」がまかり通る。
 

 三段論法は医学の常識!

代表的な三段論法の例がある
  • 大前提:全ての人間は死すべきものである。
  • 小前提:ソクラテスは人間である。
  • 結論: ゆえにソクラテスは死すべきものである。
  大前提とは定義に近いものであり既知の事実的なもの。そこに小前提という個別のちょっとした事実を置き、そこから新たな結論が生み出される。小前提は個別のちょっとした事実であるから真実としての価値は低い。しかし、これを大前提と結びつけることにより小前提の話を真実として語ることができる。医学はこのような三段論法から成り立つ場合が相当数を占める。つまり嘘が真実の皮をかぶっていることが少なくない。
  • 整形外科では次のような三段論法がある
  • 大前提:神経が圧迫されて神経が傷つく
  • 小前提1:ヘルニアが神経を圧迫する
  • 小前提2:神経が圧迫されて神経痛が出る
 
  • 結論1:ゆえにヘルニアで神経痛が出る
  • 結論2:ゆえにヘルニアを除去すれば神経痛が治る
  • 結論3:ゆえにヘルニアがないのに痛がるのは精神異常か詐病である
  • 結論4:ゆえにヘルニア手術をしても痛みがとれないのは精神異常である
 
このように神経痛を持つ患者を精神異常者扱いするという笑えるような笑えない話が世界で今も起こっている。しかしこの結論はよく考えないと理論の矛盾に気付かない。この4つの結論のどこが矛盾か?言える人(医者)はいるだろうか?
  • この手の三段論法は小前提が必ず矛盾している。
まず、小前提1の矛盾であるが…脊柱管内にヘルニアはとび出る。しかし脊柱管は実際のところかなり広い。脊髄が圧迫を受けるところまでに及ぶには莫大なヘルニアが必要になる(実際は莫大には出ない)。しかも腰椎は馬尾神経がすだれ状にパラパラ存在するのみで莫大なヘルニアが突出したところで「のれんに腕押し」状態で圧迫などできない。仮に圧迫できたと仮定したとしても、ヘルニアで直接の圧迫を受けるのは前側を走る運動神経のほうであり、痛みを感じる体性感覚神経はその後方を走る。だから痛みが出る前に運動神経麻痺のほうが先に来る…などなど矛盾点が豊富にある。さらに、70歳以上の高齢者では人口の7割が普通にヘルニアがある…が症状はない。矛盾の宝庫である。
 
  • 小前提2が正しくないことはようやく最近になって言われ始めてきた。
神経が圧迫されても痛みなどほとんど出ないことは手根管症候群や肘部管症候群などで痛みが発症しないことから、医者なら誰もが知っている。第一、痛みを感じる神経が損傷するなら痛みが感じられなくなるはずではないか!? 今では痛みの仕組みが徐々に解明されてきてはいるが、整形外科医が学ぶ程度のあさはかな痛みの知識くらいでは神経損傷と痛みの関連を理解できるとは思えない。ここも矛盾の宝庫と化した。
  だがこの矛盾を認めると整形外科医の権威が落ちる。そこでこの矛盾を正当化するための動物実験が今も尚世界中で行われている。それが異所発火説というものだ。ここで異所発火について詳しくは述べないが、異所発火説の功罪はこちら
  小前提が崩れれば結論の全てが真実とかけ離れていることが露呈する。が、それも声を大にして言うことはまともな医者には許されない。それは自分たちの地位を脅かす散在である教授たちの顔に泥をぬることに等しいからだ。それは医者と言う縦社会では絶対に許されない(特に日本では)。そして私はなぜヘルニアで痛みが出るのか?その真実を今もなお追究している。結論はおおよそ予想がついている。張力であるが、世の整形外科医が考えていたほど単純ではない!
  統計学的処理をすれば上記の4つの結論は全て事実関係に相関ありとなってしまう。だから4つの結論は真実からかけはなれてはいるが科学的に「正しい」と証明されてしまうのである。それが医学であるということを忘れてはならない。嘘は統計学を用いれば真実に見える。良い医者になるためには統計学に騙されず、真実を見なければならない。
  そもそも統計的な処理は真実を必ずしも反映しない。それを肝に銘じることだ。だが、たとえそうであっても、我々は統計学を用いて論文を書かざるを得ない。それは科学的かそうでないかのボーダーラインだからだ。そうでなければ占い師や祈祷師が医者をやるようになってしまう。それでは民衆に大きな犠牲を強いてしまう。
  統計学は真実でない場合も少なくないが、大きな犠牲を払うよりはまし。ましだから統計学がある。統計学や医学書はメジャーを救うために作られており、マイナーを救える真実ではないことが多い。私は常に真実を見ようとして医学を極めてきた。だから嘘がすぐに見えてしまう。統計学は嘘の宝庫に見えるのは私だけであろうか。

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