ブロック注射と訴訟リスク

はじめに

他人に注射をする限り、それが採血であってもインフルエンザのワクチン注射であっても、巨大皮下血腫、アレルギー反応による注射部組織の壊死など、予期せぬ事故が起きる可能性があります。どんなに注射の腕がある医師でも回数をこなせば事故に遭う確立が上がります。このことを医師が注射をする限り、片時も忘れないでいただきたいのです。

大学病院は砦の内側

大学病院や公立病院では医師がどんなミスを行ったとしても病院側が全力で医師を守ってくれます。しかし、一歩外に出れば医師を守るものは何もない無防備な丸裸状態となります。今後は日本も訴訟がビジネス化されていきますので医療従事者は格好の餌食とされ狙われています。ブロック注射をする医師は訴訟リスクが高くなるという自覚が必要であり、常に狙われていると考えておきましょう。

顧問弁護士と和解金

たいていの病院には顧問弁護士がいると思いますが、顧問弁護士がいれば患者と低料金で和解してくれると期待してはいけません。弁護士同士が話し合いで和解すれば、実際に裁判所で判決を言い渡されるであろう慰謝料の5倍から10倍の金額になることを覚悟しておかなければなりません。つまり顧問弁護士は裁判所に通い係争するわずらわしさを買い取ってくれる役割をしてくれるだけと言ってよいかもしれません。お金で裁判を買い取るようなものであり、裁判所通達による慰謝料よりも当然コストがはねあがります。つまり、顧問弁護士は医師を守ることに役立ちません。常に自分の身は自分で守る必要があります。医師が患者にブロックをするということはこうした手痛い出費・災難が降りかかる可能性の高いところに自ら首を突っ込んでいくことを意味しているということを常に覚えておかなければなりません。

背水の陣こそが医師の技量を上げる

リスクに立ち向かう医師のほうが保守的な医師よりも格段に腕が上がります。毎回1万円を賭けた将棋をするのと、毎回遊びで将棋をするのと、将棋の上達度が雲泥の差になるのと同じです。背水の陣で臨んだ本気の医療を行っているのと、大きな傘に守ってもらいつつの医療を行うのとでは現場の緊迫感がまるで違います。
先ほど述べた訴訟リスクは緊迫感の大きな要因の一つになります。交感神経節ブロック、神経根ブロック、硬膜外ブロックなどの保険点数の設定はこの「緊迫感」による点数差と言っても過言ではありません。そして毎日緊迫感を背負うことで1日1日医師の技量が上がります。その積み重ねは長年経過すると他の医師たちが追従できないほどの領域にまで達するものです。

超一流の医師になるために

医師免許を持っているだけで高給かつ安定した人生を送ることができるでしょう。しかし安定の中に生きた医師は超一流になることはありません。常に自分を困難の中に置き、緊迫した状況の中、精神力を集中させ、考え、忍耐力を鍛えながら診療をこなすことでしか一流への道は拓ことがないでしょう。
出世することが一流なのではなく、治すことが困難な患者を治せることが真の一流です。毎日困難に立ち向かい、診療技術を磨いていると不動の優越感に満たされ、ぶれない、迷わない、媚びない診療ができるようになり、心が非常に安定した状態になるでしょう。

痛みを与えない手技を訓練する

訴訟リスクに直結するのがブロック手技を施行する時の痛みです。医師側から考えるとブロック注射が痛いことは当たり前であり、当然患者が我慢するべきと考えがちです。しかし患者はその後に起こる合併症とブロック時の痛み関連あるものとして記憶し、注射の痛みが強ければ「注射のせいでこうなった」という被害妄想を抱き恨むものです。逆に言うと注射の痛みがほとんどなかった場合、被害妄想も弱まります。
よって痛くないブロック注射手技は医師をリスクから守ると言っても過言ではないのです。さらに付け加えると、実際に痛くない手技を行えば合併症は起こりにくいということを認識しましょう。痛い=重要な組織を損傷していることにつながっていることが多いのです。
一流を目指すのであれば、数多くの困難な注射を行っていかなければなりません。その分、多くのリスクに遭遇しますが、そのリスクを回避できる最大の手段が注射を痛くなく行える技術です。そのために可能な限り細い針を使えるよう訓練が必要です。細い針は全てのブロックリスクを軽減します。

一流と安全性は同じ意味

ブロック注射が一流というのは「素早く正確にできること」と思われがちですがそうではありません。安全にできることが一流なのです。効かない注射…OKです。しかし危険な注射はNGです。
患者は医師に安全性を求めることはありません。安全にできると信じているからです。しかし、実際は合併症を起こすか起こさないかは医師の技量によるもので、安全にできるかできないかは医師の技量によって天と地の差があるものです。合併症を起こすたびに医師はリスクある注射に対する意欲が薄れていきます。自信を無くし負け犬になります。そこで医師の成長は止まります。だから重大な合併症は絶対に発生させてはならないのです。
ブロックをする際には逆流があるかないか?血管注射になっていないか?組織を損傷していないか?シリンダーを押して注入すべきか?迷う場面が毎回あります。その時に思い出してください。「今、この手技が患者に合併症を作るかもしれない」と常に言い聞かせて慎重になってください。確認が面倒だからといって無言で素早く注射する…そういった油断がいつか合併症を作ってしまいます。

副作用・合併症を自分の目で見て研究する

合併症を作らないようになれば一流です。ですが合併症がいつどのようになぜ起こるかは医学書には書いてありません。常に予期せぬところで起こると考えてよいでしょう。しかもなぜ合併症が起きたのかが全く不明なものも日常茶飯事にあることを知りましょう。因果関係が不明な合併症を「患者のいいがかり」と思う癖がついていると思いますが、この癖を正さない限り、合併症を起こさない安全な医師になることは不可能です。
そして合併症が起こっているかいないかは患者からいろいろと根掘り葉掘り訊きださなければわかることではありません。患者は医師に嫌われたくないので合併症を隠します。それらを訊きだして初めて合併症を自らの目で確認できます。一流=安全=合併症を研究する、という意味でもあります。決してわずかな合併症も見逃さないでください。そうでなければ一流にはなれません。
患者から合併症を訊きだす際に絶対に忘れてはならないことを述べておきます。それは、患者の訴えた何らかの症状は「基本的に全て己の行った注射のせいである」ことを大前提として話を進めることです。明らかに「自分の注射のせいではない」と思っても、一旦は自分のせいだと考え、注射と合併症の関連性を空想してください。その空想から重大な医学的新知見が生まれるからです。私が高コレステロール血症と下垂体・副腎機能低下症の関連を見つけることができたのもそうした空想のおかげなのですから。

逃げたら終わり

私は患者に起こりうる全ての合併症の責任をとる覚悟で、些細な筋肉注射でさえ、油断せず、全身全霊で集中しながら行っています。リスクの高いブロックを行うときは万一のことがあったら責任を取る。絶対に逃げないという覚悟で行っています。
承諾書にサインさせれば責任を逃れられるなどとみじんも考えたことがありません。だから私は患者の既往歴を詳しく訊きますし、内科的な病気でさえ全てチェックを怠りません。それが責任を取ることの本当の意味だと思います。私がこれまで、他の医師が治せない難病を治せてこれたのは、そうした安全性に対するチェックをとことん追求してきたからです。決して「無謀に注射を打ちまくって、患者をモルモットにしたから治せるようになったわけではございません。
今後、日本も訴訟大国となってくるでしょう。そうなれば責任ある注射をやろうとする医師が減少してしまうことでしょう。実はそれこそがチャンスです。他の医師がやれないことをやれるようになれば、医師の中でもオンリーワンの存在になれます。訴訟リスクこそ自分のエネルギーと考え、前に進んで修行に励んでください。
もちろんこれは一流になるための登竜門であり、一流でなくとも二流で十分という先生は訴訟リスクに立ち向かう必要性はありません。

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