折れないで欲しい医の心

はじめに

日本は言わずとも超高齢化社会に突入した。「この社会を変えない限り、若者の夢や未来は打ち砕かれる。」この言葉を医療は現実化している。高齢者にかかる医療費が莫大であり、これが若者たちに行くべき国家予算を食いつぶしている。それゆえ、医を志す者はこの高齢者医療の異常さを常に心に持っておきながら医療に従事しなければならない。お金(国家予算)のことを考えない医療は、そもそもありえない話なのである。医師は高い志を持ち、「お金に関係なく道を極める」べきだと若い医師は思うだろう。だが現実はそうではないことを若いうちから知っておかなければならない。お金なくして医療はありえない。そのことを無視すると、将来、医の心は折れる。
高齢者を救う医療はとても地味で脚光を浴びない。だが医道を歩もうとする者ならば、必ずこの地味な高齢者医療に全身全霊をささげてくれると信じている。全身全霊とは医療を湯水のごとく遣うことではなく、限られたお金の中で全力でやりくりすることも含まれる。そこには医者にとって地位もメリットも得られるものも多くはない、がその使命感に充実した人生を歩むことができることを保証する。すでに腐ってしまった医者には用はない。これから医者になるであろう若き学生たち、研修医たち、これから開業しようとする医師たちに、充実した医の道があることを知ってもらいたい。これから言うことを、折れない医の心を築き上げるための一助にしてほしい。そしてこれからの日本を助けてあげてほしい。

1、嘘つきは保険医のはじまり

保険請求をする際に傷病名がないと請求できないことは医者ならば誰でも知っている。よって単に腫瘍マーカーを採血して調べるにも「転移性悪性腫瘍」と嘘の病名をつける。肝機能を調べるには肝炎と嘘を書く。嘘の傷病名を書くことはまるで保険医の仕事のようになる。そして良心を失う。傷病名を書けば請求は通る。だから「ない病気」をでっちあげて高価な検査をたくさん入れる。こうなったら医者の終わりである。保険医である限り、嘘をつかずに仕事をすることは絶対に不可能ではあるが、あきらめずに常に良心を持っていてほしい。

2、教科書通りでは患者は救えない

まず私たちは保険医であり、保険医としての治療指針を守らなければならないと教え込まれる。保険では治療回数、使用できる薬剤、治療期間などが決められていて、その枠内でしか治療をしてはいけないことになっている。教科書にはその治療指針が掲載されている。体重が120キロある人でも体重が40キロの人でも治療指針は同じであるから、120キロの人に倍量の薬を出すこともできない。目の前の患者を救うためには、医学書の内容をことごとく無視していく必要性があることを、全身全霊で医者をやっていれば必ず感じる。
医学書は世界の医学の大家が研究した偉大な功績の集大成である。その集大成を否定し、過去の偉人たちの権威を否定しなければ患者を救えないということを意味する。長いものに巻かれる習性のある男性という生き物にとって、医学書を無視することは睾丸が縮みあがる思いであろうことは推測できる。しかし、医学書のガイドラインでは救えない。その事実は何よりもあなたが良心ある医者であればあるほど感じざるを得ないこと。問題はそのことを直視するか目をそらすか?である。医学書や保険医の治療指針を無視することは、万一あなたがそれで事故を起こせば、法律的に守られないことを意味する。しかも保険請求ができないので赤字診療になることも多い。そんな無謀なことをしてまで目の前の患者を助けるか?それはあなたの医者としての良心にかかっている。
全身全霊で医者をやっていれば、ガイドラインという壁にぶつかって前に進めないことがあることを痛感するようになるだろう。無法者になれと言っているわけではないが、患者を本当に救ってあげるには、繊細でデリケートでありつつ、ほんのわずかずつ医学書という壁を打ち破っていく勇気が必要となる。断言するが、その勇気がある人にしか医学の新しい発見ができない。そして新しい発見を医学書の新たなページに刻んだ人はそういう勇気と誠意を持って医療に立ち向かった人である。医学書(権威者たちの過去の遺物)の圧力に屈した医者は燃えることのできない中途半端な人生を歩むことになる。

3、コストパフォーマンスを考えてはならない

治療には1、値段が高く利益の高い診療、2、値段が妥当な診療、3、手間の割に利益が低い診療、4、診療請求できない診療、がある。超一流の医者になるには常に3か4の診療をしなけれならないという法則がある。これは法則であるからしてこの道を通らない医師は一流にはなり得ない。コストパフォーマンスが悪い診療手技にこそ医道の極みがある。しかしそれを知るのは極めた者、つまり1000人に1人のサムライ医者のみである。無料の診療をするのは非常に心が折れる。そうやって全力を尽くした診療をしても患者には感謝してもらえないし病院経営者には敵対視される。器の大きいサムライ医者が指導医であればおそらく歓迎されるが、そういう指導医に出会うことはまずない。出会っていてもあなたにサムライの意志がないのならサムライ医師は振り向いてもくれないだろう。
コストパフォーマンスの悪い治療をすればほぼ必ず逆風が吹く。その逆風を浴びることを「気持ちいい」とした者だけが偉大な医者になれる(それは教授であるとは限らないが)。例えば整形外科領域では、コストパフォーマンスが悪いものが種々存在する。関節内注射がその一つである。保険請求ではどこの関節に注射しても点数は同じ。しかし、関節は小さい関節、深い関節では難易度が極めて高くなる。例えば脊椎の椎間関節にあなたは注射できるか? 股関節にきちんと薬を入れられるか? 手や足の指の関節はどうだ? おそらく簡単にはできないだろう。非常に難易度の高いものであるのに保険点数は一律である。しかも800円程度の超安売り注射である。ならば誰が指や股、椎間関節などに関節内注射をやろうとするだろうか? そう、ほとんど誰もしないのである。
私は保険点数など完全に無視している。だからあらゆる関節に注射するし、そのおかげで普通の医者ができない高度な技術を身につけることができた。コストパフォーマンスなんて考えることなく突き進めば必ず一流になれる。しかし、きわめて高い技術を800円で売るには心が折れそうになる。それは自分のプライドを自分で叩き潰すような行いだからだ。

4、医の道をビジネスにすることは醜い

  •  患者の病気を治さない方が病院はもうかる。経営のために何度も患者を通わせる。
  •  毎日のように通院させる理由はつけようと思えばいくらでもつけられる。
  •  来院させる必要のない患者に対し、何かと理由をつけて定期的にレントゲンを撮る。
  •  注射すれば一度で治ると思われる患者にも注射をせずにリハビリ通院させる。
こういうことを医者の恥だと思わないか?
患者をヘビーローテーションさせることは決して法律違反ではない。だがこれをやっている医者の心は決して晴れない。それで億万長者になったとしてもすっきりしない。医者としての良心にさいなまれるから良心を捨ててビジネスに徹する。だが、どこまで行っても醜い。せっかく医者というエリートになれたのに、心が晴れない診療(仕事)をすることになる。そんなあなたの人生はハッピーだろうか?こう問いかけると「きれいごとを並べているだけだ」と開業医たちは言うだろう。その通り、裕福なのになぜきれいに生きないのか?人生は一度しかないのに…。金儲けに走る医者は私から見ればとても醜い。どんなに地位や名誉を持っていたとしても醜い。自分の姿を鏡に映して見てはどうだろうか? まあ、醜い姿は美しく生きた人にしか見えないが・・・

5、立ちはだかる保険医の治療指針と向き合う

保険医の治療指針は公正平等ではない。整形外科の医者が椎間板ヘルニアで激痛を訴える患者に週に2回硬膜外ブロックを行えば、1週間で2回は認められていないといって平気で査定される。気が狂いそうなくらいの激痛を訴えている患者を目の前にして「ブロックは週に1度きりしかできません」とすずしい顔で治療を拒否し、病院を追い返さなければならないのが保険医の治療指針である。また、権威者(教授など)が保険医の治療指針を無視してもおとがめなしだが、町医者がそれをすれば厳重注意される。保険制度とはいうものの、力関係で査定の状況が変わる。残念ながらこの制度が覆されることは将来的にもあり得ない。だから目の前の苦しんでいる患者を救うにはある程度保険医の治療指針を無視しなければならなくなる。
例えば神経根ブロックを行うとする。神経根ブロックは1回1500点という高額な治療だが、一度に2本やっても3本やっても4本やっても1500点しか請求できない。つまり2本目以降は無料奉仕となる。さて例えば、あなたはこの状況で左右併せて4本の神経根ブロックを目の前の患者を救うためにしてあげられるだろうか?6000点を請求すべきなのにそれを1500点で行えば¥45000の赤字!さらに施行時間が3倍くらいかかる。つまり時間単位で計算すると¥15000が¥5000くらいに減ったも同然。つまり¥60000の価値があるものを¥5000で行ったということと同じ意味だ。
こんなバカバカしいことを医者として患者にやってあげられるだろうか?コストパフォーマンスから言えば、4本同時の神経根ブロックを行えば利益が10分の1以下になるということを意味している。さすがにこんな治療をすれば医者としてもプライドもつぶれるし、経営者からは怒鳴られ、あなたの疲労度もかなり高い。まさに破壊的(マゾ的)なボランティアである。断言しよう。名医と呼ばれる人たちはそれをすずしい顔でやってのけた人たちである。ただひたすら患者のことを考え、自分の修行のために利益を無視する。そういうサムライの医者が1000人に1人くらいは存在する。そこまでマゾな医者人生を歩むことを一文の得にもならないと999人の医者はそう考える。だがそれは違う。全力を尽くす仕事は本当にすがすがしい! そのすがすがしさが折れそうになる心を癒してくれる。

6、不出来な患者ほど大切にする

病院に来るような患者は優良患者である。悪質な患者はそもそも病院にさえ来ない。不出来な人は病気を慢性化させ、救いようがないほど悪化させてから、診療時間終了1分前に十数カ所以上もあろう悪い部分を「治してくれ」とやってくる。はっきり言う。あなたが真剣に日本の将来を考えてくれるのなら、救わなければならないのはこうした「どうしようもなくだらしない人々」の方である。そもそも人間の生活階級はピラミッド型をしている。低所得者ほど人口が多い。ピラミッドの頂点の人々の健康を管理しても国は発展しない。低所得者を救わなければ意味がない。礼儀も常識も知らない底辺の人々と深くかかわることは医者にとってデメリットばかりでメリットがほとんどない。当然ながらこういう人々に全身全霊無料奉仕することはたいへん心が折れる。恩を売っても仇で返されることもしばしばある。
キリスト教は信じる者を救う。つまり信じる者しか救わない。だがあなたは医者として、あなたを愚弄し、信じない患者たちを広く救ってあげてほしい。この精神はマゾそのもである。キリストでさえ信じる者しか救わないのに、サムライ医師は信じない人まで救ってあげるのだ。私は自分に唾をはきかけ、ナイフを突き刺して脅してくるような悪質な患者こそを大切にしている。なぜか?そういう患者を治療するには少しの失敗も許されない。その緊張が集中力と思考力と洞察力を高め、医者としての技量を伸ばしてくれることを体験しているからだ。背水の陣に自らを置く。それがサムライである。メリットは自分が高まること。

7、天を走るのではなく地をかける

普通の人は出世を望む。地位が上がり「長」が付く役職に就けば、有利にことが運ぶ。しかし、そこに真の頂点はない。残念ながら人はどんなに修行をしても、地位が上がり天に近付くと天狗になってしまう。天狗になった者はそこからは真の実力は落ちる一方となる。真に自分の医者としての実力を求めたいのなら、設備も整っていない三流の病院を渡り歩くことだ。そこで真実と向き合う。環境が悪いなら自分で環境を変える。環境を変える力もまた実力なり。そうして身に付けた真の実力は、隠していてもいずれ必ず世に出てしまう。そうなると天に近付いてしまうが、そうして自然に得た地位は受け入れればよい。その実力を後輩教育に役立てられる。だが、天を最初から目指した者は地位しか手に入らない。何も目指さない者よりは優秀な医者になれるのでそれを否定しないが、真の実力者ではない。一般庶民を大勢救えるのは真の実力をつけた医者だけである。どうか底辺を走り続けてほしい。そこで腐らないで欲しい。医者という職業についていれば生活はどうにでもなるのだから。自らジョーカーを引き自分の修行としてほしい。

8、患者に恩を着せない

私は現在、約70%の患者を初診の1回きりの治療で完治させることができる。メインはブロック注射である。やってみるとわかるが1回きりで完治させると患者は医者にほとんど感謝しない。例えば過去10年間、どこの医者にかかっても治らなかった肩こりを初診時にブロックをして完治させた。おそらくその医療技術の提供は100万円級の感謝をされてもおかしくない。だが、あまりにもあっけなく、しかもほとんど無痛で完治させるものだから患者はそれを「私の腕がよいから治った」とは思わないのだ。偶然に治ったと感じるようだ。私も患者に恩着せがましく「私は他の医者が治せない病気を治せるすごい医者なんです」なんてことは言わない。ブロック注射は私が独自に開発した他の医者が真似できない注射法であるが、そんな宣伝もいっさいしない。普通にトリガーポイント注射をする程度の気軽さでさっとやってさっと返す。そして患者の多くは2度とやってこない。当然だろう。一度で完治するのだから。
10年間治らなかったものを一発で治すというような神技をやっても感謝もされないのはかなり虚しいものである。治療費も安い。病院経営者側からも感謝されない。患者から感謝されるという自尊心の満たし方もできないし、病院にお金もたくさん落ちない。しいて言えば私の外来が混まないことが唯一のメリット。これほど自分自身に得がない虚しい治療を患者に密かに行っているわけだ。密かに。他の医者ができない卓越した治療技術を密かに恩着せずに無言で注射する。患者に感謝されることを欲さないことにしている。
以前は私も患者に「私の注射の腕はすごいんですよ」と恩を着せていたことがあった。そのころはお中元、お歳暮…感謝の品を毎日のように絶えずいただいた。現在はそのころよりもはるかに腕が上がり、さらに多大なメリットを患者に示せるようになった。だが、恩に着せない、宣伝しないせいで患者から感謝の意(お歳暮、お中元など)がほとんど来なくなった。このように、腕が上がるほど私の治療技術を誰にも宣伝しなくした。治った患者もそれを偶然だと感じ、私のすごさを周囲に宣伝することもしない。いや、宣伝しないように寒邪に忠告した。外来が混雑しすぎるからである。
普通ならここまで認めてもらえない状態が続くと心が折れるだろう。だが私はそのおかげで快適な診察ライフを送れている。外来が混まないという恩恵だ。中には「先生、ずっと治らなかった痛みがすっかりとれました。先生のおかげです。ありがとうございました。」と言う患者もいる。が、「よかったですね」と私はあっさり言うのみであり、患者は拍子抜けした顔をしている。私にとって、今では、治療は朝飯前にできることであり別に恩を着せるほど大した事件ではなくなっている。普通の医者ができないことを当たり前のように普通にあっさりとやってのける。それでいいのだ。この「普通感」こそが自分の腕を上げてくれる教材になっている。名医になる必要はない。名が通ってしまえば修行の邪魔になる。名前が上がるように振る舞う必要はない。まあ、そのように密かに身を隠していても、いずれは注目を浴びてしまうことは避けられないが…。

9、何をやっても治らない患者は最高の教材

誠心誠意、全霊を尽くしても治らない患者に毎日のように遭遇する。それが医者人生である。治らない患者を目の前にすると医者はどういう思考をするか?私はそれを、同僚や上司たちの姿を見て学んだ。逃避する。「患者がおかしい」と定義するようだ。教科書通り診断し、教科書通りに治療し、それで治らないのは患者がおかしい。自分の診断や治療に対する考え方は間違っていない。と必ず言い聞かせている。
さらにはXPやMRIのフィルムを取り出して、患者に「異常がありません」と宣言しているのをよくきく。ちょっと待て!異常がないのにどうして痛みがあるんだよ!そのことを真摯に考えない医者ばかりと出会った。教授も含めてそのことをまじめに考えようとしている医者に今まで出会ったことがない。だがら「患者がおかしいからだ」という方向に逃げざるを得ない。それは名のある医者でさえそうだった。違うのだ。治せないのは患者がおかしいからではない。治療の威力が届いて(成功していない)いないからだ。診断が間違っているからだ。というところに考えを踏みとどまらせておかなければならない。それが医者の根性・心意気というものだ。
今の教科書は1000年後の教科書と比較すればおそらく正解が2~3割くらいしかないはずだ。つまり教科書の7~8割は間違っていたり、思慮が浅い。その教科書で人間の全てを知ったような顔で診察するのは不誠実である。常にいろんな可能性を考える。現在解明されていない病態の可能性があることも考慮する。それが真実。すなわち、診断も治療もあらゆる可能性を考えて、あの手この手と回数、量、薬の種類、投与の場所・時間などを様々に変化させて治療しなければ治せないのだ。前にも述べたが治療指針に従っていては本当に典型的な患者しか治せない(専門外来とは典型的な患者だけを集めて治療している自慰外来だと思う)。あの手この手を考えるうちに新しい治療が生まれる。新しい治療からさらに新しい治療が派生し治せなかった患者を治せるようになる。それが医学の進歩であり、典型的な患者を集めていたのでは進歩しない。つまり、治らない患者こそが医学を進歩させる鍵になっている。そして自分の腕を上げるもっとも大切な教材になっている。
私は治らない患者に出会うと落ち込むのではなく、目が輝く。さんざん考えて悩むが、悩んだ末に必ず新しい治療を思いついて試す。新しい治療が次の新しい治療を生む。だから私は今や他の医者が治せない患者を次々と治していける。それはとっぴなことをしているのではなく、少しずつ考えて少し違うことを行うということを積み重ねた成果である。まあ、信じなくてもいいが。普通はおもいきった治療をしたのに「全く効きません」と言ってきた患者には溜息をついてしまうもの。だがあきらめることはない。その患者と治るまで一生付き合えば、患者はあなたのもっとも素晴らしい教科書になる。今は治らないにしても、他の患者に施した新しい治療がきっかけで、5年後には治せるようになっているかもしれない。マスコミで有名なペインの大家、教授、神の手を持つと言われるスペシャリスト…そういう医者たちが治せなかった患者を治せたときは気持ちいい。苦労はするがその甲斐はある。

10、人間の限界に挑戦する

人間という生き物はエコノミックアニマルと呼ばれる。直訳すれば経済的動物であるが意味はそれほど単純ではない。真の意味は「利潤が得られない行動を起こすと莫大なストレスが脳を襲う」ということである。そのストレスに耐えられない動物が人間なのだ。凶悪犯罪を犯した受刑者を手なずける方法として、朝からずっと地面に穴を掘らせて、夕方にはその穴を埋めさせるという作業を連日行わせるというものがある。それは無意味なことをやらせるという莫大なストレスを与え、このストレスから逃れるためには従う方がましだと思わせるためである。
無意味、利潤なしという行動が人間の精神に与えるストレスは計り知れないほど大きい。したがって患者からも称賛されない、同僚には馬鹿にされる、保険の審査で査定される、経営者から怒鳴られる、時間の浪費・精神力の消費が激しい…などの治療は医者にとってもっとも精神的に苦痛をともなう作業なのである。
私は1から8の項目で、敢えてそれをやってみよう!ということを述べてきた。何のために?それは治療技術の頂点に立つためだ。そして困っている人の役に立つためだ。私は現在、他の有名な医者たちが治せないと手をこまねいた患者でさえ軽快させる技術を得ている。別にその技術を誰にも認めてもらっていない。だがそんなことはどうでもいい。ただひたすら爽快なのだ。迷いもストレスもない。孤島でも僻地でもどこででもやっていける。スタッフも設備もいらない。腕一本でどこででも全力で治療ができる。そういう技術を身につけ、そしてそれにおごることなくさらに毎日治療の腕に磨きをかける。
医療制度が崩壊しても無関係に食っていける技術というものは将来への不安をかき消してくれる。だから他の医者がいやがる面倒なことを笑顔でさらっとできてしまうのだ。こんな幸せな人生が他にあろうか…と思える。安定が自分の根幹となると、他人にすがろう、頼ろう、仲良くやろう、などという思考が消え去り、本当のマイペースで物事を運べるようになる。つまり保険制度、常識、教科書、法律、他の医者からの敵意、職場をクビにされるなど全く無関係に医療に専念できるようになる。ただただ目の前の患者の健康を増進させるという真の目的に従っていればいいのだ。この自由度がさらに腕に磨きをかけることに拍車をかける。毎日が楽しい。

最後に

ここに挙げた考えは私が常にそう自分に言い聞かせてきたことである。押しつけもしないし真似てもらおうというわけでもない。ましてや説教ではない。ただ、世の中の医者の1000人に1人くらいはこのような考えでサムライ医者をやっている医師がいると信じている。名医100選にはそうした医者がところどころ存在するだろう。決して大学の教授が100選に選ばれているわけではない。折れない心は私の場合30代後半からついてきた。おかげで楽しい医者ライフを送っている。手を抜かない医療をすることに迷いがない。

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