高い治療成績の理由

はじめに

私はこれまで他の医者にかかっても治らないという患者ばかり治療してきました。他の医者が治療の手を出すことを嫌がる患者様にも積極的に治療してきました。そして実際に高い治療成績を出し、多くを手術することなく社会復帰させています。例えば脊柱管狭窄症をわずらい「歳だから今の症状は当たり前、仕方ない」と医者に宣告された人を元気に歩けるようにしています。また、数年前より車イス生活で、本人や家族さえ独力で歩くことをあきらめていた人を歩けるようにしたり、脳梗塞で半身麻痺でしびれのある患者様を積極的に治療し痺れを治癒し、歩行を今まで以上にスムーズにさせたりというようなことをしています。おそらく常識を超えた治療効果をあげています。
私は別に摩訶不思議で奇抜な治療をしているわけではありません。多少のテクニカルなブロック注射を除けば、私の治療は誰にでもできる普通の治療です。そんな「普通の治療」でどうして高い治療成績を出せるのかについて述べます。そして私の型破りの治療が普通の治療法と認められて広まり、苦痛に苦しむ患者様が少しでも減り、高齢者が独力で生きていける社会を手助けできればいいと本心から思っています。ここでは脊椎の保存的療法を中心に解説していきます。

1、診断技術

 A)常に新しい診断基準を考える

教科書に掲載されていないが「長年の勘がこの病気だということを推測させる」という「自分なりの診断基準」をどんな医者もベテランになると多少は持っていると思います。常識を超えた高い治療成績を得たいのならば「教科書に掲載されている診断基準」を用いるだけでは無理です。これは教科書を無視しなさいという意味ではありません。診断基準とは、もともと「誰にでも簡単に診断を下せるようにと考えられたマニュアル」ですから、あまりにも単純化され、グレーゾーンの存在を無視しています。よってグレーゾーンの患者を教科書の診断基準で治療することは無理なのです。
臨床を熱心に研究していると「患者の多くがグレーゾーンである」と気づきます。なぜなら高齢者は少なくとも二つ三つの病気を合併していてそれらを単純な診断手技では分けて判断できないからです。私の場合、新しい診断方法を患者から学びます。そして患者を診察したデータを持ち帰り、家で画像診断と照らし合わせ、新しい診断方法の発見をさらに積み重ねています。「医者の勘を勘で終わらせないため、忘れないようにするため」です。このHPではそうした新しい発見の数々を掲載し、誰もが閲覧できる状態にしました(整形外科のみですが)。今後も新たな診断方法を更新していきたいと思っています。ただし、学会で認められているわけではありませんので、私が編み出した診断法で診断した場合の責任は各自にあります。

B)高位診断が重要

どの神経が何が原因で障害を受けているのか?を考えることが重要であると医者ならばだれもが知っています。しかし高位診断は世界トップクラスの著名な教授(専門家)にさえ容易にできるものではないということをまず認識します(愚弄しているわけではありません)。多くの医者は高位診断がとても難しいという事実さえ知らないものです。教科書通りに診断するから実際は教科書通りにはいかないという事実を知らないのです。ましてや高位の診断はMRIなどの画像で行ってはいけません。画像は真実ではありません。私は最近、腰痛を訴える患者の痛みの原因が胸椎の高さにあることを臨床的に知りました(BICBで語っています)。それほど高位診断は難しいということです。ではどうすれば高位が診断できるのでしょう。たとえばの話です…
L3、L4、L5、S1と神経根を1回の診察で一本ずつルートブロックしていけばどのルートをブロックしたときに「最も症状が改善されたか?」が判明します。バカバカしいと思うかもしれませんが、そういう手間暇をかければ高位が診断できます。
私は独自にDGR Tinel法や知覚異常マップなどを開発し、高位を診断する技術を独自に身に着けました(もちろん不完全です)。しかし、それでもグレーゾーンが存在するのでその都度ルートブロックを行い、手間暇かけて診断しています(ちなみに私はブラインドでルートブロックをする技術があるので診断が容易ですが、この技術は一般的でないため(別ページでその方法を解説します)誰にでもできるというわけではありません)。
そういった小手先の技術よりももっともっと重要なことがあります。それは「患者から話を聞く」ことです。特に地位がある医者は問診をおろそかにする傾向があると感じます。というのも専門家は専門以外の話を無視するからです。患者は内科の話しや耳鼻科の話しもしますが、それらを聞き流す傾向があるのが専門家たちです。それではきちんと真実を診断できません。教科書に載っている診断基準で完璧に診断できると思うのは医者の奢りであり傲慢さです。単なる神経痛に見えても、そこには免疫異常やアレルギーなどが関与しているかもしれないわけで、そうした真実には権威ある医者ほどたどり着かないものです。

C)疼痛マップ

私は患者の症状からおよその高位を診断するための「疼痛マップ」を作成しました。どこが痛ければここが悪いというものを素早く理解するためのものです。さて、私の作成した疼痛マップは教科書には掲載されていない全く新しい革新的なものです。その理由は皮膚、筋肉、骨膜など、浅層、深層と段階的に考え、全ての組織の感覚異常を重ね合わせて作ったものだからです。今まで私たちが参考にしていた髄節マップは皮膚の表面の知覚異常を表現していただけのことで、皮下組織、筋肉などの深部の痛みを表現していませんでした。にもかかわらずほとんどの医者は「皮膚表面」という実用性のない髄節マップを利用して高位を診断していました。当然誤診します。
患者が「足がしびれる」と言った場合、それが皮膚表面のしびれなのか、皮下組織に感じているしびれなのか?それとも深いところからわきでるようなしびれなのか?それによって診断が変わります。しかしこれまではそんなことは全く考慮されることもなく、皮膚表面の髄節マップを頼りに高位診断していたと思います。「皮膚表面だけにあるしびれ」なんて滅多にありません。つまりこれまでの髄節マップは高位診断に役立ちません。だから私がマップを作製しはじめたのです(申し訳ありません、マップは未完成です)。

D)教科書はあくまで参考程度

教科書に掲載されてある診断方法、そしてMRIなどの画像診断はあくまで参考程度です。再度申しますが単純化された診断方法に真実は存在しません。診断は無数の可能性をパーセンテージで示すものであり絶対がありません。教科書に掲載されてある診断法を学ぶことは重要ですが、一通り学んだ後はそれを複雑に積み重ね、多面的に患者の症状をとらえる癖をつけなければなりません。医者のプライドや教授や先輩医師の面目を立てるために診断を歪めてはいけません。それは医師として恥ずべき行為と思っています。
私たち医師は厳しい縦社会を生きています。そのため教授の意見、教科書の意見、先輩の意見を絶対視しなければならないという教育を受けて育ちました。それが「自ら考えること」を阻害し、間違った診断でもゴリ押しするという愚かな医者社会を生んでいます。いち早くそのことに気づき、自ら診断する能力を築いていく精神へと発展していっていただけたら、どれほど患者を幸せにすることができるでしょう。

2、治療技術

 A)治療技術の向上とリスク管理

「治療技術が上がること=リスク管理が厳しくなること」、このイコールの関係を最初に理解しておく必要があります。よく効く薬は副作用も大きいという意味です。多くの医者が誤解しているのは、大胆な治療をする=リスクを無視して無謀なことをすると考えているところです。違うのです。大胆な治療をするために、様々なリスクに先手を打ってリスクをことごとく軽減させる技術を持たなければならないということです。多くの権威ある医師は治療技術を上げるためにリスクを無視してしまいます。その名誉欲のせいで何人もの患者が被害を受け苦しんでいるのが世の医療界です。
私はたとえば、治療技術を上げるためにステロイドを使用したり、薬の使用量を多くしたり、回数を増やしたり、使用間隔を短くしたり、2種類の治療を同時に行ったり…などあらゆる工夫をします。しかし、それはリスクを無視しているのではなく、リスクに対する管理を何重にもはりめぐらせることを意味しています。副作用もしっかり研究し、教科書に掲載されている副作用以外に起こりうることへも対処します。そのため、患者に起こった不具合は、それが全て自分の責任で起こったと考え、その対処法を毎回考えます。それができなければ治療を進歩させることは暴力となります。治療技術は上がるが合併症も多い…では無謀すぎます。リスク管理は想像以上に複雑で難しいものです。整形外科医でありながら全身管理をしなければなりません。しかし、その煩雑さを受け入れることでのみ技術が進歩します。

B)治療ミスを極限にまで減らす

医者が想像している数の何倍も、実はミスが多いのです。例えば、簡便に見える膝の関節内注射でさえ、薬が関節内に入っていないことが多いのです。このミスは治療回数をいくら積み重ねても絶対にゼロにはなりません。私もミスします。ミスは治療成績を極端に悪化させます。ではなぜ私がこれほどまでに高い治療成績を上げられるのか?それはミスをしないからではないのです。ミスを察知できるからなのです。
極端に皮下脂肪の厚い太った患者の膝に注射をミスをしたとして、そのミスを察知できますか?という話です。察知の手法はここでは述べませんが、全てのブロック注射でミスを察知できる能力が向上すれば再度成功するまでリトライすればいいでしょう。そうすればミスゼロとなります。だから私のブロックはほぼミスゼロです。おかげで治療成績が圧倒的に高くなります。他の医者からすれば、私の治療成績の高さが信じられないはずです。つまりそれほど他の医者は知らず知らずにミスをしているという証拠でもあります。ただし、リトライには精神的な強さが必要になります。それは精神のところでお話しします。

C)注射時の痛さを極限にまで減らす

これが治療技術とどう関係があるのか?おそらく理解できないでしょう。あなたが患者の立場ならわかります。痛くない注射なら患者に「何回も治るまで受けてみよう」という気持ちが芽生えるからです。例えば透視下に行うルートブロックは、神経に針を刺して造影剤を流し込みますのでおそらくもっとも強い痛みを患者に与えます。もちろん効果は高いでしょうが何回も受けようとする患者は少なくなります。結果的に治癒にまで導くことができません。痛くない注射であれば「失敗したのでもう一度やらせてもらえますか?」と頼み込めば、患者はその場でOKしてくれます。しかし痛い注射なら「結構です」と断られます。
また、通常、痛みをともなわないしびれの治療にも応用が効きます。なぜなら、痛みを伴わないしびれの治療で、その注射がとても痛いのであれば患者は拒否します。痛くないからこそしびれ治療の注射を受けようという気になるのです。痛みは辛抱できませんが、しびれは辛抱できます。ですからしびれの治療をするためには痛くない注射であることが必須条件となります。
私は全ての注射治療をもっとも細い針を使用して行っています。アルツの関注でさえ27G針を用います(最近はアルツの注射をする機会が減りましたので25Gを用いています)。硬膜外ブロックも25G針を用います。細い針を用いるには、高い注射技術が必要になりますがトライしなければ全ての治療成績向上に限界が出てきます。さらに私は局所注射をしながら、ゆっくりデリケートに針を進めていきます。加えて刺入点を強く指圧する方法も同時に行い、刺入時の痛みさえも軽減する方法を行っています。

D)適材適所適量を常に考える

ブロックにおいて高位診断ができることが治療成績に直結しますが、高さがわかっても適所に治療しなければ意味がありません。例えば、腰部硬膜外ブロックを行う際に、多くの医者はJacoby Lineを指標にし、L3/4に注射するという「やりやすさ」を求めた定型的ブロックをしがちです。しかし、S1のルート障害であるなら、ブロックはL5/S1から刺入した方が治療効果が高くなります。
しかしL5/S1はL3/4よりも皮下脂肪が厚く、またここは高齢者で棘間が狭いことが多いので入りにくいというイメージがあります。そういったイメージに打ち負かされることなく、障害部位に近いところからブロックするという強い精神を持っていただきたいと思います。こういうことをすると注射ミスが多くなりますが、ミスしないところまで腕を磨けばいいことです。
また、薬がどう広がっていくかをイメージし、適切な体位をとらせること。痛みの範囲を考えて薬剤の量を増やすことをする必要があります。決してルチーンにブロックをしてはいけません。ただし薬剤の量を増やすことは、タップした際のリスクを激増させますので未熟なうちはできません。ブロックの量や濃度を上げることでリスクが高まりますので上げれば上げるほど責任が重くなり注射に神経を使います。しかしながら、量や濃度を上げても、治療費は同じですから、そういう治療は奉仕活動と同じです。奉仕活動をするには強い精神力が必要です。

3、精神の強さ

A)常に自分の未熟さと考える

ブロック注射してもその治療効果がはっきり現れなかったとき、ほとんどの医師は「患者が特殊だから治らない」「情動がおかしい」「難治性だから仕方がない」と考えたくなります。この逃げを絶対にしないと腹をくくることが重要です。治療効果が出なかった場合「完治しないのは自分の診断が間違っているからだ」「他の視点から病状を考えて他のアプローチをする」というように徹底的に自分のせいにし、他に方法がないか頭脳を使うことです。頭脳を使えば使うほど、教科書に載っている診断法があまり意味をなさないことに気づきます。教科書に掲載されている診断法が全てだと思っているうちは頭脳を使っていないことの証になります。頭を使い、いやというほど考えることです。治療が効果を発揮しないとき、自分の診断が間違っていると考えることは医者としてのプライドを傷つけます。しかし、そんな安いプライドは早々に捨てましょう。すると診断力・治療力がぐんぐん上がります。私は常にプライドを捨てています。

B)他の医者の診断をあてにしない

他の医者がすでに硬膜外ブロックを数回行い、治療効果が全くない場合に、あなたは目の前の患者に硬膜外ブロックをさらにしようと思いますか? 私はします。なぜなら他の医者が治せない患者ばかりを治してきたからです。そして治せます。なぜ他の医者が治せない患者を治せるのか?それはこれまで述べた通り、診断技術も治療技術も格段に磨いてきたからです。その自信と必ず治すという強い精神があるからこそ、他の医者が「治療困難」とお墨付きを付けた患者を治療できるのです。他の医者とは…教授であったり、有名なペインの医者であったり、日本で屈指の脊椎専門家であったり…そういう医師たちが見放した患者を一から治療しています。他の医者の下した負け犬の診断は全くあてにしません。自分を信じることです。教科書や権威に負けないことです。

C)プライドを捨てて頭を下げる

ミスをゼロにするためにはミスしたら患者に頭を下げて謝り、土下座してもう一回治療させてもらえるように頼み込むことです。おそらくそれをしているのは世界で私一人だけではないでしょうか? 他の医者が私ほどプライドを下げられるとは思えません。皆がミスを認めることは負けだと思っているからです。違います。ミスをごまかすことが負けなのです。自分に負けているのです。
高齢者の脊椎は極端に変形し注射技術が相当高い者でもミスをします。しかしミスをすれば患者は医者の腕が悪いと思うでしょう。高い技術を持っている医者ほど、患者にそう思われることは屈辱です。その屈辱を受けてもへこたれない精神力を鍛えてください。屈辱を受けるのではなく、自ら屈辱に飛び込むのです。名誉が汚され、悪評が立ってもミスを認めてください。患者にバカにされてください。その不利益は後に最高の利益をもたらします。それは誰よりも高い治療成績を誇ることができるという最高の利益です。

D)治らない患者を宝とする

何をやっても「ちっともよくなりません」と訴える患者は「あたまがおかしい」と考えるのはたやすいことです。しかし、器質的な病態を徹底的に探ると決心すれば「頭がおかしい」と思っていた患者から真の器質的原因を発見できることが多々あります。その発見は世界的な発見であることも珍しくありません(それが学会で認められるかどうかは別次元の話)。治らない患者は次々と医者に困難を与えます。そこから逃げずに治そうとすると、あらゆる工夫と発想がわいてきます。そしてその発想が集大成してくると、これまで外科的にしか治せなかった病気を保存的に治せるようにもなります。
私にとっては「治らないで文句ばかりいう患者」は宝です。そういう患者だけが私の治療技術を進歩させてくれます。治る患者を治していても治療技術は少しも進歩しません。だから私は治らない患者が大好きです。心の底から大好きです。そう思えるようになるまで精神を鍛えてみてください。その恩恵は計り知れないものとなります。

E)媚びぬ、退かぬ、省みぬ…「北斗の拳、サウザーのセリフより」

私はパートのお医者さんを専門でやっていました。パートの医者はすぐに交換が効く存在です。つまり経営者に嫌われると即刻クビにされる不安定な職です。つまり野良犬です。しかし私は経営者に媚びません。商業主義には絶対に傾きません。それこそがパートの生甲斐です。パートだからこそ利益を考えずに患者を治すことに集中できます。
また、常に全力で治療をしている私にとって「治療方針に口出しされる」ことは「治療に手を抜くことを命令された」ことと等しくなります。私は目の前の患者の治療に少しでも手を抜くことは医者生命にかけてしません。つまり自分の治療方針を注意されても「退く」ことはありません。これが「退かぬ」です。治療に口出しされるのであれば辞職を選びます。つまり私に注意・警告は存在しません。絶対に退かないのですから。
これらの結果、経営者に都合の悪い自体が発生したとしても私には反省という文字がありません。反省するようなことは最初からしません。ですから経営者が私に指導することは無駄なことです。ただし、これは自分の我を通すのとは訳が違います。自分を磨くために、患者の幸福を追求するために、必要な意見は取り入れていかなければなりません。ですから経営者の意見の中に、自分を向上させる要素があるのなら勉強します。ただし、営利主義の経営者からの意見で、そのような自分を向上させるものを見つけられたためしがありませんが…。
媚びぬとはだれに媚びないか?普通は経営者に媚びない…と考えるかもしれませんが違います。私は患者に媚びないのです。近年の患者は医者不信に陥っており、自分の考えを医者に押し通そうとします。医者を信じていないからです。そうした患者のいいなりになることが媚びです。私は患者のいいなりにはなりません。ただし、患者のいいなりになるのと、私の意志を貫くことでの治療効果に大差がないと思った時は患者の言うとおりにします。軽症の場合は自然治癒することが多いので、私の意志を貫きません。
この「媚びぬ、退かぬ、省みぬ」という精神は不惑の四十の精神です。この精神を持っていることを面接先の病院が見れば、おそらく不採用となるでしょう。それほど「貫く」ということは難しいことなのです。治療成績が高い理由の3つ…いいかえれば心・技・体ですが、そのうち「心」がもっとも難しいものです。難しいですが、これを貫けば不動の自分が出来上がります。不動であるが故に自信を持って患者を治せるのです。

来年で50歳の現在

不惑の四十を貫いてきた10年間がもうすぐ終わりを告げます。今年開業し保険制度を遵守しなければならない状態になってしまいました。今まで自分のやりたいことを貫いてきましたが、法を順守するためにはそうも言っておられないようになりました。とりあえずですが、治療技術としてある程度のレベルまで達し、社会には一切認められていませんが自尊心も満たされ、「媚びぬ、退かぬ、省みぬ」という不惑の精神は不要になってまいりました。社会の歯車を考え、医療を行政の大きな流れの一つであるという見方ができるようになりました。今後は個人を回すのではなく、世の歯車を回さなければならないのかもしれません。ならば自分も歯車の一つにならなければなりません。その技量が私にあるのかわかりません。

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