医療の限界を超えるために

現在の医師の方々、そしてこれから医師を志そうとする方々、医療の限界を知りその限界を超えられる先生になってください

医学はさまざまな学問の中、もっとも保守的な学問の一つ。それは人の体を扱う上で、間違った知識がはびこると人の命に悪影響を及ぼしてしまう。そういった責任があるがゆえに検証につぐ検証を行ってからでないと新しい知見が認められないからだ。だから学問自体が既成事実を重要視する→過去の学説にとらわれて学問が大胆に発展していかないとなる。だから医療の進歩は工学や機械学などに比べると非常に遅い。また、医療の進歩が遅い理由は保険制度にある。保険制度が認めている治療以外の治療は「保険外扱い」となり、高い実費がかかる。また、保険外の治療で患者に悪いことが起きれば、その責任は治療を行った者がとらなければならない。
新しい治療には常にリスクが伴うが、そのリスクまで背負わされてしまうため医師は新しい治療をしたくてもできないというジレンマに追い込まれる。さらに保険外の新しい治療を行うことで医師会や学会で異端児扱いされてしまうこともある。よって新治療を行う医師は四面楚歌となり孤立してしまいやすい。ただし、四面楚歌にならずに済む方法が一つだけある。それは教授という地位に就き、権力を身につけること。そうすれば新しい治療を誰にも責められない。だが、このような状況では、新治療は教授しか開発できないということになり、一般の医師がそこに加わることができないだけに医学はなかなか進歩しない。教授の数は医師の数の百分の1くらいしかいないのだから。
教授でもない一般の医師が新治療を患者に試したいのなら命をかけなければならない。わが身を崖っぷちに立たせ、患者に何かが起これば全て責任をとる、つまり医師生命をかけて治療にあたる必要がある。そんな極まった精神で医療に従事している一般医師は、もちろんほとんどいない。よって医学は保守的にならざるを得ない。
だが、少し考えればわかるが、斬新な治療、大胆な新手術などは必ず誰かが発明する。発明した医師は保険外のことを行い、責任をとり、崖っぷちに身を立たせている。もちろん失敗もあるが、そうやって医学を前に進めている。必ず誰かがやっている。その誰かにあなた自身がなってほしい。世界中の医師一人一人が少しでも前に進めた医療を自分の手で推し進めてくれればどれほど素晴らしい世界となるか。そうでなければ医療は本当に進まない。

まずは医療の限界を知る

今の医療をもってしても治せない病気は五万とある。老化もその一つである。そして医療の限界の壁は一人一人の医師に大きな巨大な絶壁となってたちはだかっている。その壁がなんであるか?知らなければ超えようがない。医療の壁には4本柱がある。自分の壁、患者の壁、お金の壁、社会の壁である。

医療の壁1、自分の壁

A)体調不良:過酷な労働条件で厳しい医療業務にたずさわっている医師たちは、その精神的・肉体的ストレスが蓄積し、新しい治療への意欲が失われ、保守的でベルトコンベア式に患者を診療しがちになる。教科書通り、先輩達の右へ習えの治療しかしなくなる。
B)患者の身に立つことができない:「患者がもしも自分の母親だったらどう治療する?」の立場に立つことができない。母親にならそんな雑な治療を進めていないだろうという治療を他人には平気で進めてしまう。「相手の立場に立てるかどうか?」は人間の精神修行の中でも最高峰レベルの技能である。日ごろから自分の精神修行を行っていないと、出来るものではない。
C)嫌悪する患者に尽くせない:医師とて人間である。もし患者が我が子を殺した殺人犯であったら、嫌悪と憎悪で治療を施す気になれない。これは極端な例だが、現実として、自分を脅す患者、怒鳴りつけてきた患者、あまりにも礼儀をわきまえない患者、マナーを全く無視する患者などに本気で治療を尽くそうとする医師はいないだろう。この壁を越えてはじめて到達できる医の境地があるが、そこまでにたどり着けるには相当な精神の成熟が必要となる。
D)施設が充実していない場所ではできない:新しい、工夫ある、手の込んだ治療を行うには、それなりの環境が必要である。機械・設備・場所・人材・優遇などが揃っていないとできないと考えるのが普通の医師である。だが、医療に全力を尽くすのであれば、環境を自分の力で整える。周囲からの風当たりも考えながら、迷惑にならない範囲で最善を尽くす。それを貫き通せば、周囲が環境が少しずつ変わっていく。だが、周囲を変えるには本人に桁外れの精神力を必要とする。
E)プライドが許さない:人は知らず知らずに見返りを期待する。それは医師とて同じ。保険適応にならないような細かなおもいやりある工夫をともなった複雑な治療をしてあげても、患者が感謝してくれなければそれをする気力も出なくなる。100円しか支払わない患者に10000円の治療を自腹を切って行うなんて誰に出来ようか? そんな治療をしても感謝もお礼もしない患者が普通にいるというのに。第一患者にはそれが理解できようもない。理解されないかつ労力が数倍かかるものを、ただで患者に配ることは、医師としてのプライドが許さないものである。このプライドを自らぶっ潰さなければ、治療技術は向上していかない。己の技術向上のためにプライドや労力を捨てていけるだろうか?
F)面倒くさい:新しい治療は他の医師にも理解されないばかりか、患者にとってはさらに理解できるものではない。したがって治療を受けてもらうには相手に信用してもらい、かつ説得しなければならない。短い診察時間内でそれをすることは想像以上に骨が折れる作業である。よって理解力に乏しい患者には今まで通りの普通の治療だけしておこうという気持ちになってしまう。普段から面倒なことをきちんとこなす癖をつけておかないと、この壁は乗り越えられない。
G)新たな治療をすることの難しさ:患者に施す新しい治療には責任がつきまとう。したがって、本当は実験を積み重ねもしていない「新しい治療」を患者に施すのは犯罪に近い。むしろ医師としてやってはいけないことである。よって新しい治療とは、例えば薬を1cc増やしたり、他の類似薬で代用したり、わずかに変化させることを毎日毎日積み重ね、そして新たなものへと変化していくものである。つまり、他の医師から見れば「乱暴極まりない治療」かもしれないが、誠心誠意をれをやっている医師にとっては、毎日の積み重ねでしかない。毎日の積み重ねだからこそ患者に施すことができるのであって、全く新しい治療を他人の意見を参考にしていきなり開始するのは外道である。
H)圧倒的なスピードを必要とする:新たな治療の試みは、他のスタッフも慣れていないだけに段取りが悪く治療時間が延びてしまいがちである。よってそんなことをちんたらやっていたのでは患者を長時間待たせてしまい、他のスタッフにも患者にも経営者にも迷惑をかけてしまう。よって新しい試みを追加するためには、日常業務が他の医師の2倍くらいの速さでできるようになっている必要がある。そして余った時間で新治療を患者に奉仕する。よってスピードアップのための様々な工夫、やり方を己のスタイルで作り出さなければならない。教科書通りの処置をしているとスピードを2倍にすることは不可能。治療を新しくする前に、古い慣例的な治療のスピードを2倍に上げておかなければならない。
I)心理戦を制しなければならない:短い時間で患者を説得させなければ新しい治療を受けてくれない。そのために医師は患者の心を読み、心理的に相手を短時間で説得させる技術を持たなければならない。そのための話術は相当頭の回転が速くなければできないもの。ここに挙げたことを実行している医師であれば、もうすでに相当頭の回転が速くなっているはずだからできるはずだ。
J)実績と研究の繰り返し:患者に新しい治療をすすめるには、その治療成績を患者に説明できなければならない。リスクや副作用も考慮した上で説明する。その成績に自信がなかったら、患者にすすめられるものではないし、患者も納得しない。よって、常日頃から自分の行った治療成果を患者から訊き出し、それをカルテとは別に自分のノートに書き込んでいかなければならない。それを家に持ち帰り、他者の論文を研究し、治療の見直しを常に行い…と、地道な努力を要する。それを繰り返し積み重ねることによって、病態の真実が見えるようになり、そして新しい治療への自信がつく。それをしていない者はいつまでたっても自信あふれる治療を患者に施すことができないままとなる。

医療の壁2、患者の壁

A)他の医師が患者にトラウマを作っている:患者に治療を進めても絶対に拒否し続ける者がいる。多くの医師は面倒くさいので拒否した患者にその理由を聞こうともせず、治療をあきらめる。だが、治療拒否のほとんどの理由が過去の治療にある。下手な医者が下手な治療をし、患者に激しい痛みやその後の副作用などの深い傷を刻み込んでいる場合がほとんどである。自分の過去を振り返っても、そういう下手な治療をしていた時期があった。患者はその痛い治療経験をトラウマにしている。この壁を取り去らなければ、その患者は一生不幸なことになる。面倒であるが時間をかけて、少しずつ説得していくことだ。そして信用を作ることだ。そこまで患者の面倒をみる価値はある。己が成長する。
B)痛い・怖い治療は原則的に不可能:患者は人間である。痛い・怖い治療は相当切羽詰まらない限り受けない。よく効くことがわかっている治療でさえ、痛い・怖い治療なら患者は拒否する。これは当たり前のことである。つまり、新たな斬新な治療を受けていただくためには、無痛・無恐怖の治療を行わなければならない。私は痛くない・怖くない・かつ大胆な治療の訓練を毎日積み重ねている。どんなに忙しい時でも痛みと恐怖をゼロにするために長時間かける。この痛みと恐怖の壁はおそらく、他の様々な障壁の中でも最高峰の壁となって医師の前に立ちはだかっている。技術と精神の両方の修練が必要であるがゆえに面倒であり、多くの医師はここをないがしろにしている。
C)早期治療の壁:早期治療をもっともいやがるのは患者である。我慢できない程痛いわけではないのに、どうしてそんな大胆な治療を受けなければならないのか?という疑問を患者は常に持っている。だらしがない患者は早期に治療するという思考が全く欠如している者もいる。だが、斬新な治療は早期に行ってこそ高い効果を発揮し、治療成績も上がり、第一患者がもっともハッピーになれる。だが普通は患者が医師の説得には乗らない。ここは医師がいかに患者の幸せを考え全力で尽くしているか?という姿勢を見せる以外に説得する方法はない。名医は必ずこの壁を越えている。
D)生活指導の壁:斬新で大胆で保険外の治療をも行って、頻度も上げて、長期間繰り返し行って…それでも改善しない患者が約1割は存在する(私の場合、かなり高率に治療寛解させていて1割だから、他の医師のところになら3~4割くらいは存在するだろう)。彼らに「体をいたわって活動するように」と指導すると、「別に体にきついことは何もやっていない」と全員がこう返答する。彼らは日常生活(例えば寝ている時の寝具の不都合、顔を洗う時の姿勢など)が体を傷つけていることを知らない。いや、指導しても「違う、体をいたわっている」と最後まで反論する。平行線でらちがあかない。患者に嫌われることを承知で生活指導をしなければ患者を救えない場合がある。
E)高齢の壁:「歳だから痛いのは当たり前」と患者に諭したことのある医師は大勢いるはずである。高齢者への治療は湯水のごとく怒涛の治療を行ったとしても現状を維持するのが精いっぱいである。「治療しなければすぐに寝たきりになる」という断崖絶壁にある高齢者に、私は超積極的に怒涛のごとく治療を行い、現状、やっと一人で通院できるレベルをキープしている。寝たきり=死が近い、わけであるから、私の治療は生命維持に近い。そこまで私が高齢と戦っているのは、その怒涛の治療の中に新たな治療発見の鍵が隠れているからだ。断言する。現状維持は我々医師の勝利である。決して高齢と言う絶望に負けていない。治療は無駄にはならない。
F)甘えの壁:「驚くような治療成果を上げ患者を救っても、患者はすぐにその健康を使いきってしまう」この意味がわかるだろうか。人は競争社会で生きている。競争に勝たなければ地位もお金もアップしない。しかし、競争に勝つには全力を出さなければならない。治療が成功し、患者の痛みが寛解しても患者はその健康体を「再び痛みが出るまで」体力を使いきってしまうのだ。私が治療しなければ、すでに痛みで仕事を放棄しているはずなのに…治療をするものだから全力で仕事をして再び体を壊してやってくる。このような患者の「治療依存」状態をどこまで医師として許してやるか?甘えを受けてあげるか?時に迷う。だが、私は患者に「このままでは体がもたない」ことを毎回進言すると共に、全力で怒涛の治療を行うことにしている。患者の身に立てば患者が納得するところまで手を差し伸べるべきであろう。いよいよ、危機感を感じれば私に従う。だが、そうなるまでは甘えさえてあげる。甲斐のない治療はあまりにも虚しいが、虚しさが感じられなくなるまで全力で尽くすことに決めている。
G)治療回数の壁:次は1週間後に来てくださいと言っても来ない患者は五万といる。仕事が忙しくて社会人には基本的に病院通いは無理である。その治療の壁を唯一乗り越えられるのは1回キリの治療で完治させることである。そのため私は、1回キリで治すための新しい治療法をあみだしている(例えば複数のブロック注射を一度に全部行う)。もちろん保険外なので無料奉仕でやってさしあげる。しかも初診の患者にいきなりブロックを数本する。患者は初診でいきなり注射ときいて怖がるが、誠心誠意説得に当たればたいてい応じる。ほとんどの患者は1回キリの治療で完治するので2度と来院しない。病院はもうからない。患者数は減る。あまり減らしすぎると解雇される。よって普通の医師にはなかなかできない技である。だが、優秀な医師がいるとのうわさはすぐに広まるので、結局患者は一定数以下には減らない。治療の理想と言えば理想であるが、簡単な技ではない。
H)自分の希望を押し通す患者:患者は慢性の持病を十年以上患っていることも少なくない。その間何人も医師が入れ替わり、病院を転々とし、治療を学び、「自分がやってもらいたい治療」というものを患者自身が持っていることが少なくない。そして私を目の前にして「ここに注射を打ってください」と指定してくる。他の医師がやっても治らなかった同じ治療を私にも強要してくるのだ。私はこんな程度で腹が立つほど未熟な人間ではない。患者には新しい私の治療と、昔の医師たちがやっていた治療と、両方を交互に行い、「どちらが効きますか?」とたずねて患者に選択させている。患者にわかってもらうために、患者の我がままもききながら自分の治療へと導く。

医療の壁3、お金の壁

A)医師は検査でお金儲けを画策していると思われている:私も若かりし頃、夜中に緊急で来院した患者にXP、CT、MRIと多量の検査をオーダーし、多額の金銭を払わせるというペナルティを課してやったことがある。こういう意地悪をすることで少しは気が晴れた。このように私がカミングアウトする理由は、実際にお金儲けや制裁目的で不要の検査を大量にオーダーする医師が世界中に五万といるからだ。しかし、支払いで痛い目に遭い、医師不信となり、必要な検査さえも拒否する患者が最近は多くなってきた。治療のために必要な検査を患者が拒否するということは診療拒否に等しく、そんな患者にまともな治療をしてやるか!と立腹する医師がいるのもわかる。だが、実際、検査にお金を払いたくないという患者は大勢いる。確実に日本の経済も低下している。そういう経済の痛みを考えると、一概に診療拒否をした患者に医師が治療の手を抜くということをやっていいものか?と考えさせられる。
私は検査拒否した患者には、検査なしでも積極的に治療を行うことにしている。その分のリスクは自分が背負う。XP検査なども可能な限りオーダーしない。よって病院にとって私の存在は不利益な存在となる。クビにされるリスクも背負う。最終的に患者がもっとも低料金で済むようにお金勘定を考えて治療している。さいわいなことに私はブロックなどの処置の件数が多いため、それでも他の医師の2倍以上の売り上をあげるからクビになることはまずない。
B)治療費が高いと患者は来院しなくなる:医療の限界に挑戦する際に、必ず考えてあげてほしいのは患者の懐具合の限界である。せっかく治療が効果をあげているのに、来院しなくなる患者がいるが、それがお金のためだったとしても患者は医師にそういうことを告白しない(同様に待ち時間の限界もお金の問題と同レベルの問題として存在する)。
例えば胸部硬膜外ブロックは14000円で腰部硬膜外ブロックは8000円である。ではT12/L1に硬膜外ブロックを行う際に、どちらのブロックでお金を請求するか? 私は間違いなく8000円のほうで請求する。胸部に行っても8000円の方で請求する。14000円で請求するのは医師として腹黒い。この腹黒さは必ず患者とのわだかまりを作る。そしてもう少ししっかり治療をしたかったのに…というところで患者に逃げられる。医を極めたい人間にとっては治療が半端に終わることの方がいやなこと。私にとってお金などどうでもいい。だから安くしてさしあげる。安くなった分は自分が2倍の仕事をすれば何も問題ない。お金のことで医療に全力を尽くせないのは誠に悔しい。まあ、開業して支払いに苦労している方にはできなくても仕方ないが・・・。
C)症状詳記なんてたやすいこと:週に1度のブロック治療ではこれ以上よくならないが、週に2度ブロック治療を行えば症状が改善するといった場合がある。が、日本の保険医療制度は週に2度の同部位ブロックを認めていない。痛みが激しく、耐えられず、もいちどブロックを受けにきた患者に対し「週に1度しかできません」と言ってブロック注射を拒否した医師は限りなくたくさんいる。だが、症状詳記をていねいに書けば保険でも認められないことはない。ならば、ブロックを拒否する理由は、症状詳記を書いてまで患者に尽くすのは面倒であるという理由となる。まあ、確かに、症状詳記を書いても医師に得することは一つもない。だが、拒否した医師は「週に2度治療をすると患者の症状が治るいう新たな可能性」を経験しないことになる。
新たな治療は今までと違う治療をすることでヒントが生まれる。それらは保険が認めていないものがほとんどである。保険内でお金を請求できる治療しかしない医師は一生新たな治療に自分が目覚めることはない。症状詳記を書くなんてことはたやすいことだと自分に言い聞かせなければ、全力で治療などできようか。
D)無料奉仕!そんなにできないことかなあ?:今の保険医療は労働者に厳しく、高齢者・生活保護者に甘すぎる医療となっている。労働者は仕事があるので多くても週に1度しか来院できない。高齢者や生活保護者は毎日通院できるし、費用もほとんどかからない。労働者は首と腰に痛みを訴えても1日にブロックは1箇所しかできないので、どちらか一つしか治療できない。高齢者や生活保護者は違う日に来院させて2箇所に十分に治療が受けられる。労働者は支払いが3割なので金払いが悪く、高齢者や生活保護者は0~1割なのでいくら治療しても取りはぐれがない。よって後者へと手厚い治療は傾く。これでいいのか?
私は労働者こそ大事にする。1日に2箇所同時ブロック治療が認められていないなら、無料で治療してあげればいい。私は無料奉仕を全く厭わない。何度も言うが、自分の仕事量を2倍にして、他の医者の2倍以上の売り上を上げていれば、無料奉仕しようとも経営者には何も言われない。このおかげで治療実績を山のように積むことができ、診療技術も日進月歩で上昇する。
E)お金の限界が医療の限界:経済力のない開発途上国では、国民がまともな医療を受けられず死んでしまうことは日常茶飯事である。お金の限界が医療の限界であることは否定できない。つまり、日本は今後、経済の低迷と共に医療低迷にならざるを得ない状況にある。患者がお金を払えないので医療技術が進んでも、それを患者に施すことができなくなる。
私は今から医療経済危機状態に備え、医師の思考の転換をうながそうとしているつもりだ。お金が払えない患者がいたらサービスするのもその思考転換の一つ。どの道、医師は食うに困らない。多少貧乏になっても生きていける。ならば困っている人には無料奉仕してあげるのも手ではなかろうか? そうしなければ経済の低迷が医療の限界になってしまう。医師の治療技術も上がらなくなってしまう。
F)金勘定に走るとそこで医師の成長が止まる:若いころを思い出してみてほしい。労働時間外でも仕事をし、先輩にくっつきながら医療技術をどんどん身につけていった若い頃を! その頃は損得勘定など何も考えず、がむしゃらに知識を吸収していったではないか。自分の行動の一つ一つに対価を求めるようになると新しいことは何一つ吸収できなくなる。なぜならば、新しいことを身につける時は、習うにしても考えだすにしても、金銭を請求(保険制度が認めていない)できないからだ。
したがって、医師はお金勘定に走った時点で成長がストップする。限界に挑戦してもお金もうけにはならない。対価を求めればプライドは保たれるが、必死に修行している医師にはどんどん抜かれていく。抜かれていっても尚、対価を求めるのはみじめで楽しくない人生かもしれない(他人の人生をとやかく言わないが)。医療の限界に挑戦するなら、常に対価を求めてはいけない。対価以上のことをしなければ限界は超えられない。

医療の壁4、社会の壁

A)チームワークを無視しなければならない:小さな医院での診療ならよいが、総合病院で同じ科の医師が何人もいるような場所で働くのなら、限界を超えた医療はチームワークを乱すことが確定する。あなたが新しい特別な治療の第一人者であり、それなりの地位と名声があれば、スペシャリストとして扱ってもらえるので問題はない。だがその途上にある医師には様々な人的障害が待ち受けている。新しい治療は同僚に理解されないどころか、偉い先生の名誉も傷つける。よっていやがらせを受けることはまず当然であり、最初からそういう障害を気にしないと腹をくくっておく必要がある。解雇されれば再就職先を探せばいいくらいの覚悟がいる。
小さな医院でパートしていても、卓越した治療技術を披露すると、やがて院長に妬まれることになる。新しい治療で多くの患者を救えば、同僚の医師のプライドを傷つけることは避けられない。特に若い頃は嫌われることを覚悟しなければならない。私は若かりし頃から上司に歯向かった。
B)チームワークを考える:若い頃は同僚に嫌われていても、時が経つとその並はずれた治療技術が確固たるものとなり、周囲が認めるようになる。他の医師には大変困難な治療も、あなたになら目をつぶってでもできるようになる。そこまでになるには10年を要す。が、そうなれば自信に満ちて不惑の精神が芽生える。そこまで成長したら、周囲の医療チームたちのことを思いやって上げてほしい。自分がでしゃばりすぎると、他人のプライドを傷つけることがあることを考え、控え目に治療を行う。もちろん治療は全力だが、自分の腕を患者に自慢したり恩着せがましくしたりしないようにし、院長よりも目立たなく行動をする。そうすることで本当に人の痛みがわかるようになる。人の痛みがわかるようになれば、患者からの情報収集力も格段に上昇し、診断力もさらに上がっていく。控えめにしてもどの道、損はない。
C)社会に認められることを懇願してはいけない:医療の限界を超えられるようになると、今まで救えなかった患者をどんどん救えるようになってくる。だが、その治療法は社会に認められているわけではない。保険も認めてはいない。これに悔しく思い、あせってマスコミを利用して自分の名を上げようとする医師もいる。マスコミを使えば、治療の予約患者で1年先まで満員御礼となる。だが、そこには必ず専門治療者としての奢りが出てしまう。患者が最初から医師を信用しきっており、治療もスムーズに受けてくれて、患者の背景も金銭も、治療リスクも、考えることから遠ざかって頭が悪くなるのである。
専門家扱いされてちやほやされると、患者の全体が見えなくなり知識馬鹿になる。自然に社会に認められていくのはやむを得ないが、自分から画策して社会に認められようとしないほうがいい。奢れるもの久しからず、そこで成長速度がぐんと落ちる。成長しないとは言わないが。
D)新たな治療は学会には広まらない:いくら効果がすぐれていようとも、新たな治療は学会に広まることはない。なぜなら、本当に効果のある治療なら、それは真実を突いている。真実は嘘を淘汰する。学会には世界の教授たちの築き上げた嘘の仮説だらけである。ならば新しい治療は必ず過去の重鎮たちのプライドをへし折る。実際に治療が成功しても、教授たちの圧力がかかり、そういうものは学会には広まらない。しかも、新たな治療の原理が解明されるには四半世紀を要する。だから最初から学会に広めて名声を上げようとは思わない方がいい。
親身になって患者治療に専念する家庭医などは、新たな治療の境地に立っているような場合があるが、おしくもそういった治療は学会には広まらずに埋もれていく運命にある。だが、今後の高齢化社会を助けられるのは、そういった埋もれていく運命の治療の中にある。何とかしてそれらの治療を学会につぶされないように水面下で広めていきたいものである。
E)新しい治療技術は世間にも広まりにくい:私は日夜、様々な注射技術が向上していることを肌身に感じる。そして技術が向上したら次にもっと複雑な注射に挑戦する…ということを繰り返し、腕を磨いている。まるで大道芸人の芸の練習のようだ。毎日の積み重ねで技術が上がる。だが、この技術を他の医師に教えても、伝わるか?が問題である。秀逸な技術は積み重ねから生まれるものだから、少し教えたくらいでは伝わらない。治療の腕が上がれば上がるほど、他の医師に伝えるのが難しくなっていくのである。そして「自分しかできないこと」が増えていくので、お金もうけには全く困らなくなる。
逆にこうした技術を無料で他の医師に教えることは、商売を放棄するようなものである。おひとよしである。だからこそ、新治療が世間に広まらないのだろう。ここは敢えて、医師である限りおひとよしであってほしい。医師は商売人であってほしくない。
F)医療が壊れる:開業している医師の多くがお金儲けを目指している。だが、そのお金は国や地方自治、共済組合などが支払っている。だから国の経済が低迷すれば医療は壊れる。もうけ主義の医師が増えれば、その崩壊の速度が上がる。そこにお金のかからない早期治療、一発完治型治療を目指す医師が増えれば崩壊の速度が下がる。本来、医療の崩壊を防ぐには、もうけ主義を排除して行かなければならないが、医師も人間なのでそうはいかない。私の思惑は、もうけ主義に走らない優秀な医師をどんどん育てていき、もうけ主義に走ると患者が来なくなって自ら倒産してしまうような医療界を築くことである。そうしなければ若者のお金が高齢者や生活保護者にどんどん流れ、未来が苦しい世界になる。まあ、私は政治家ではない。自分のベストをただ尽くすのみである。

医療の限界を常に念頭に置いて治療をする

以上、医療の限界がどこにあるか?の4本柱を解説した。限界を知ることではじめて限界を越えようとする方向が定まる。無鉄砲にがんばっても限界は超えられない。私は、ここに書いた長ったらしい内容を、常に片時も頭から離さずに治療を行っている。それはまさに自分との戦いである。その目的は…本気でこの超高齢化社会の構造を変えるためだ。高齢者が死の1日前まで元気で働ける社会を目指しての医療水準の向上を目指している。
医学と言う保守的で進歩の遅い学問において、医学の進歩を期待しても間に合わない。よって現在ある寝たきり患者でも起こしてしまう私の治療を、世間に広める道を選ぶことにした。そのためには医師の意識改革や、私の特殊な医療知識や技術を伝える必要があり、こうして行動を起こしている。出来る限り医療の限界を広げるつもりである。

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