医師の能力は適応力である

はじめに

現在、医師の治療能力を正確に判定するツールがない。よって医師の能力は認定医資格、博士号、地位(役職)などの肩書きで判断されている。経験した症例数、手術件数なども医師の能力を示す指標として妥当だが、症例数を重ねるだけでは実は医師の能力は上がらない。その理由は、自分の得意分野ばかりを研究するために専門バカとなるからである。医療界に専門バカは当然必要であるが、真に国民の健康を維持し、国力を保持するためには、専門バカではなくオールマイティな医師が必要である。その理由は高齢者になるといろんな科にまたがった疾患を何種類も合併することによって専門家には理解しえない症状を呈するからである。合併して出現した症状は、専門家が専門知識で専門分野のみを治療しても完治しないのである。
それに対し、オールマイティな医師は専門バカな医師よりも視野が広く、より真実に近い医療を提供できると私は考えている。しかし、それには複雑な症状のおりなす歯車を解釈しなければならないため教科書の概念を超えた空想が必要になる。国力が傾くほどに高齢化社会となっている現在、専門バカではなくオールマイティで博学な医師の養成が必要とされる。しかし、医者社会はそうなっていない。治療分野が細分化され、患者だけでなく医師さえも「患者をどの科に治療を勧めるべきか判断に困る」時代である。そこで幅広い適応力を持つ医師を育てるために、適応力とは何か?について述べることにする。

一般的な医師の能力

適応力について述べる前に、一般的な医師の能力について述べる。  
  • 1、診察力:「主訴と現病歴を訊くだけで診断の9割が判明する」と言われているがこれは誇張ではない。聴診器をあてなくとも、XPをとらなくとも、採血することもなく、問診票で9割の確率で真実の診断病名を的中させることができる。
しかしながら過去の偉大な医師たちは補助診断テストをいろいろとあみだし、そうした補助テストを用いなければ「正しく診断したことにしない」というような悪しき風潮を作り出している。よってまじめな医師は必死になって補助診断テストを患者に何十通りと行い、そして最後に「所見なし」と愚かな診断をすることが多い。
優秀かつ賢明な医師は補助診断テストが診断のあてにならないことを早期に感じ取り、そして自分の勘を信じることに移行していく。補助診断テストを学ぶことを悪いとは言わないが、補助テストが「本当のところ、何を診ているのか」を自分なりにつかみとらなければならない。過去の偉大な医師たちが「○○を診ている」とする考え方は正しくないことがしばしばあることは、真摯に患者を診察していればおのずと理解できるものなのである。それに早期に気づかなければ医師は賢明になれないが、教授や大学や学会のガイドラインに縛られているとそうした真実に気づくことが遅れてしまう。
偉大な医師たちが編み出した補助診断テストは常に「純粋に合併のない疾患」のみを診断できるものだということを知らなければならない。痛みを再現させるテストなどは、そこに神経痛やアロデニアなどが存在していると全くあてにならなくなるのである。そういうことは医学書では学べないので、診察力は結局「自分の頭で考え続けた医師」のみ向上する。
診断は、合併症が二つあるだけで不透明になるのが現医学書の診断レベルである。それをふまえた上で、患者を真摯に懸命に診察してきた医師のみ、患者を問診することで真実の診断病名に9割の確率で近づくことができる。画像診断さえもその補助にしかならない。よって専門家ほど診察力は低下する。数種の原因が重なっていると「異常なし」とし、それをこともあろうに「心因性」としてしまうのである。「心」は現医学の中でもっとも理解されていない分野であり、理解されていないもののせいにしてしまうことはオカルトを信じることであり、医者として、科学者として、もっともやってはいけないことだと思う。私は「心因性」とたやすく診断してしまうような専門バカを増やさない医師教育が必要と考えている。
2、技術力: 検査技術、手術技術、注射技術、処方技術、診察技術などのことを言うが、これらは数をこなすことで確実に上昇する。「数をこなす」には大学病院の専門診をしていればよい。しかし、専門診には典型的な症例の患者が多く集まるのでオールマイティかつ繊細な能力がつきにくい。それは大学という大きな権力の下にいるため、責任感が養われにくいからである。診断・治療に責任がないので緊迫感が得られず、どうしても自分に甘くなり、患者の訴えを親身になって受け入れる心構えから遠ざかってしまうからである。真に技術力を磨きたいのなら、自分一人が全ての責任をとらなければならない状況に自分を置くとよい。そのため野に下り、設備の整っていない病院で少しずつ信用と実績を作り、それが周囲に認められて患者が増え、そして症例数を飛躍的に増加っせていくことが望ましい。
  • 3、奉仕力: 多くの医師にもっとも欠落している能力である。これは患者にご奉仕しなさいというような単純な話ではない。「何のために治療するか」の根本を考える能力を示す。
多くの医師は「自分の業績を上げるために」「病院の利益を上げるために」「病院で幅を効かせるために」「研究のために」「お金を稼ぐために」などと自分のために診療している。患者の幸せを100%達成させるために診療をする医者はごくごくわずかしかいない。
たとえば、手術をいやがっている患者に手術を受けさせること、完治させてもらっては困る生活保護の患者を完治させること、治療をいやがって逃げてばかりの患者をそのまま見過ごすこと、今治療すれば治るのに医者を信用しないがために逃げてしまいそうな患者を放置すること、これらは患者の幸せを100%考えた奉仕ではない。人の人生は善悪や法では判断できないものが多い。医師が「どんなリスクも、どんな社会的状況も、患者の生きる目的も」無視して「病気を治すこと」を目指してはいけない。自分のエゴのために患者を治療するようになれば医師としての能力はそれ以上にならない。
格好のよいことを書いてしまったが、奉仕力を身に着けるためには極めて強い精神力と体力が必要になる。私自身、奉仕力を磨いていけるか自信がない。精神力はあるが体力が続かないためである。
奉仕力は常に医の倫理に引っかかることになる。前述した「今治療すれば治るのに医者を信用しないがために逃げてしまいそうな患者を放置すること」の例では、こうした患者を治療するためには「大丈夫、私を信じなさい」と患者を説き伏せる必要がある。しかし、このように説き伏せると、万一、治療が失敗してこの患者を死亡させてしまった場合、遺族に訴訟を起こされてしまう。「私を信じなさい」との一言が訴訟のきっかけになる。奉仕力を身に着けたがために医師の人生がボロボロになる可能性を秘めている。奉仕すればそれが食い物にされるのが人間社会であるからこそ、奉仕力を身に着けることは困難なのである。だからこそ奉仕力を身に着ける医師はいない。いないからこそ、その技術は世界で最も重宝される能力となる。 医師がちょっと有名になり、全国から患者が集まりだすと、「逃げる患者」を追っかけている暇がなくなってしまう。そして自分を崇めて向かってくる優良な患者だけを相手にするようになる。こうなると奉仕力は身につかなくなる。私もその例外ではない。

医学書にはない症状の患者ばかり

まじめに患者を診察していると、医学書に掲載されている典型的な所見とは一致しない患者が外来にゴロゴロ転がっていることにすぐに気づく。気づいた後にどうするかが問題である。「あれ?おかしいな。この病気にこんな症状は一致しないはず…」と思ったらどうするかである。
私は都立病院に勤務しているときに上司から教わったのは「つじつまのあわない所見=精神異常の証拠」と診断せよであった。医学書は絶対であり、それに合わない所見を呈した患者は精神が異常なので特異な症状が出ると考えるのである。この時、私は強烈な違和感を抱いた。
適応能力とは自分が学んだ医学知識を一つ一つ細かく切り刻んで、現在のつじつまの合わない患者の症状に合わせて診断・診療を可能にする能力のことを言う。例えば、テニス肘で痛がっている患者が上腕から肩にかけてまで痛みが広がっているという。確かにThomsen test(+)だが痛みの範囲が広すぎて典型的ではないと感じたときに、その症状にどう自分の考え方をどう適応させるかが適応能力である。私ならばテニス肘に頚椎症性神経根症が合併しているだろうと即座に適応させ、この患者に神経根ブロックを行う。間違っても精神科送りにはしない。

痛みに対してまじめに治療しているなら中枢感作にたどりつく

痛みを訴える患者をまじめに治療しようと考えていれば、患者の痛みに己の診療を適応させようと努力してきた医師ならば、ほぼ必ず中枢感作について考えようというところにたどり着くはずである。ここでは中枢感作については述べない(詳しくは「中枢感作について理解を深める」を参)。
なぜならば私の外来では平均して約4割の患者が中枢感作を合併していると思われるからである。適応力のない医師であれば、この4割の患者の痛みを取り除くことは不可能である。膝の変形+中枢感作、肩関節周囲炎+中枢感作というように、痛みが複数の症状から来ているのである。その数4割。この4割を精神科送りにしてしまいますか?あなたは。という問題である。
適応力を鍛えるなら、膝や肩の治療に中枢感作を改善させるための神経根ブロックの技術が必須ということになる。それが無理だというのなら、治せないとギブアップするか、患者を精神疾患者扱いすることになる。しかし、適応力を身に着けるには神経根をブロックできるという別次元の治療技術が必要になる。つまり神経根ブロックができない医師は適応力を身に着けようがないというところに収束する。中枢感作の存在を考える能力を身に着けるためには中枢感作を治せる技術を自分なりに磨かなければならないことがわかる。
しかし、現医学で、中枢感作はブラックボックスの中にある。全く解明されていない。解明されていないものを治療するのは医学を超越している。しかし、そこに踏み込まなければ中枢感作に悩んでいる患者たちを救うことができない。そもそもこのHPは中枢感作に悩む患者を救済するために作っている。そしてここまで多くの空想的理論を展開した理由は、ここまでしなければ空想を実体化できないからである。実体化しなければ世に広まることはない。世に広まらなければ人々を救えない。中枢感作を治療するには障壁があまりにも多いのである。(未完)

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