器質的な異常のない症状への積極治療の難しさ

器質的な異常のない症状への積極治療の難しさ

たとえば、慢性関節リウマチ様の症状が揃っているがリウマチ因子が陰性である患者に医師はレミケード点滴注射などの副作用の強い大胆で高額(1回20万円以上)な治療をしません。逆に症状は強くなくてもリウマチ因子がしっかり陽性であるとレミケードを勧めることができます。 異常所見のない患者への治療の場合、治療の副作用や不具合は全て医師個人が責任を負いますので、その重責を背負うことへの抵抗から、「器質的な異常のない患者には積極的に治療しない」という姿勢をとらざるを得ません。
私はそのようにして「積極的治療を拒否された患者」を専門に診療してきました。「他の医師に見放された患者専門」の医師です。逆に言うと、器質的異常が見つかれば症状は軽くても大胆かつ無謀な治療をしても法的には許されます。医師たちがXPなどで、患者の器質的な異常を見つけた途端にうれしそうに喜ぶのはこのためです。治療にお墨付きが得られ法で守られ、治らなくても責任を患者に転嫁できるからです。器質的な異常がない症状の場合は、この全く逆のことが起こります。
器質的な異常がない場合、明らかな他覚所見がない場合、診断は医師の空想ですから、積極的治療をして後遺症が残った場合、法的には守られず、賠償責任を負わされる可能性があります。治療ミスをすれば医師が崖から足を滑らせます。よって「器質的異常のない患者を積極的に治療する」ことは医師にとっては莫大な勇気を必要とします。見も知らずの赤の他人、かつ医師のことを不信感を持って接する患者に対し、現医学のガイドラインにない積極的な治療をすることが、どれほど無謀なことかを想像してみてください。医師免許が何枚あっても足りません。しかし私は来る日も来る日も器質的な異常がない患者に積極的治療を続け、そして現在のような「他の医師が治せない疾患を治す技術」を身に着けてきました。医師生命を賭けた崖っぷちに立つことで診療技術を磨いてきました。その結果いろんな医学的事実を発見するに至りました。
ガイドラインにない治療をすることは「患者をモルモットにしている」という反論があるでしょう。しかし、それは違います。先の見えない暗闇の崖っぷちをダイビングして試す人はいません。それは自殺行為です。暗闇ではまず崖の縁がどこにあるのかを手で足で何度も確かめそして崖を50cm下がったところに強固な足場を作ります。そしてその足場に降り、さらに50cm下に足場を作り…ということを毎日毎日繰り返すことで暗闇の崖っぷちを降りていけるのです。そして最終的には3000m下にある谷底の平地を発見できるのです。谷底に到達できた私の姿を見た他の冒険家たちは「命知らずの狂人」と指差して笑い、その名誉を汚そうとするでしょう。しかし、実際は毎日毎日わずかに困難を乗り越え、困難を普通に換え、さらに困難へ進み、その困難を普通に換え…の繰り返しで常人が到達できない困難を普通に換えて行くわけです。患者をモルモットにしているわけではありません。
患者をモルモットにできるのは、限られた教授と名の付く医師だけです。彼らは急いで偉大なる業績が欲しいために、足場も作らず、いきなり自分の考案した手術(薬・治療法)を患者に試します。よって多くの被害者を出します。それができるのは権力があるからです。私のような名のない医師が患者をモルモットにすれば、刑務所に入れられてしまいます。
私は亀のように遅い足取りで、ゆっくりじっくり足場を作りながら崖を降りて行きます。よって無謀に見える治療も、実はコツコツとした小さな実績の積み重ねでしかありません。そうやって崖を降りて病気を解明し、その成果を無料で他の医師たちに伝える。それが日常損傷病学です。ただし、皮肉なことに、コツコツした積み重ねであるにもかかわらず、他の名誉ある医師たちが「エビデンスがない治療」と意見をし、私の治療が無謀であることを吹聴するので、治療技術を無料で医師たちに伝えようとしても、医師たちが私を信じないということが起こるでしょう。その不名誉に対抗するために、私も徒党を組まなければならないでしょう。そうしたことをあらかじめ予測した上で「日常損傷病学」を立ち上げているのです。

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