器質的異常のない症状

器質的異常のない症状

スマッシュを打つときにだけ肩に痛みが走る。普段は何をやっても全く痛くないというような症状に器質的な異常所見がないことは常識で考えれば医者でなくともわかることです。このような症状に現代医学は全く無力であり、患者もそれを知っているので医者にはかからず鍼灸や整体などに通うものです。最近ではプロスポーツ選手も医者に頼らなくなっていると聞きます。
このような器質的異常のない症状に現代医学が無力であることを認める器量が医師たちにあるでしょうか? いや、器量がある医師を育てなければなりません。それが時代のニーズです。 同様に採血データでは正常範囲内にとどまっている患者の症状を「敢えて治療していこう」という医師もいないでしょう。なぜならば診断のつかない症状に治療を開始するという経験がないからです。 体温が普段35.5度の人が36.8度になることは発熱ですが現診断学では発熱と診断しません。同様に尿酸値、コレステロール値、血圧など個々に考えて治療するという概念も現代医学にはありません。私が経験する具体的な医療の弊害を例に挙げると、関節痛や滑膜の腫れなどがあり、明らかにリウマチの初期症状だろうなあと思う患者でも採血データでは異常値がほとんどなく(MMP-3がかなり高いのみ)、しかし、治療は開始すべきだと思い、リウマチ科に打診しても、治療を一切してくれないというようなことが起こっています。器質的異常は初期には目立たないのが当たり前であるのに、症状があっても治療をしてくれません。
生体脆弱性という観点に立つと、正常範囲内ぎりぎりで発症する患者は数多く存在するはずであり、そうした患者にどのように治療を開始し指導していくかを今後確立していかなければなりません。 私がよく見かける例として痛風があります。多くは正常範囲内の尿酸値であるのに発症しています。臨床症状と正常値の設定が不一致であり採血データが意味をなしていません。 おそらく、痛風発症には尿酸値の高さ以外に関与する因子があると思われますが、現医学ではそういう「何かと何かを掛け合わせて発症する」という思考にまで発展するに至っていません。
世界の著名な教授先生たちは「診断基準」「診療ガイドライン」を作成することにとてもご熱心です。名を世に残すという作業の一つでしょう。そうした診断基準にケチをつける診療へと進まなければならない時代になりましたが、それは同時に彼らの名誉を著しく傷つけることになります。我々、未来を担う賢明な医師たちは、彼らのプライドを傷つけた代償は高くつくことも覚悟して診断基準の障壁を乗り越えていかなければなりません。

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