症状のない異常所見と症状のある正常所見

症状のない異常所見と症状のある正常所見

症状とは何か?という基本的な考え方から説明しなければなりません。症状の概念は医師教育の中に含まれていませんので、案外理解しがたいものです。なぜなら症状は患者一人ひとりの主観であり、客観的に診ようとする医師にとって「個人の都合」はどうでもよいとする「冷血さ」が医師たちに培われているからです。患者を客観視する癖がつくと「人の痛み」は無視するようになります。その問題点を根本的に見直すのが日常損傷病学です。医師の常識的には診断基準に沿って患者を判別するのが正しいことですが、医師に真に要求されているのは判別ではなく、日常生活に支障をきたす不具合を取り除くことです。そういう考え方からすると、生活に支障をきたす不具合のことを症状といいます。ところが日常生活は各個人によって全くことなるため、真に患者を治療するためには、個人個人で診断基準や治療目標を設定し直さなければなりません。未熟な医師にはそれができないため教科書的な病気の診断基準で症状あり・なしのライン引きをしてしまいます。この考え方を見直さない限り医学の発展は患者の利益、国益から外れて行くでしょう。
走るときにだけ痛い膝は走ることをしない高齢者にとっては症状ではなく、スポーツ選手にとっては人生をかけた大きな障害であり極めて重大な症状です。 このように各個人の都合に応じた病気の診断を、これまでの医師たちは行ってこなかったために患者と医師間には大きな溝ができていました。 症状一つにしてもこれだけ大きな医師と患者の間の溝があるにもかかわらず、そこに画像や採血などのデータの異常所見の有無が加わると、いかに診察が混乱するか、想像にたやすいでしょう。
これまで、一般的に考えられてきた病気の診断基準は、画一的であり「医師の視点」でしかなく、現実の日常生活にそぐわないものばかりでした。今後は「患者の視点」に立った診断基準が必要であり、それを考察し確立していくのも日常損傷学の意義です。 多くの開業医は症状のない異常所見を病気とみなし、患者を脅迫して通院させるという手段で経済活動を行っています。そして症状があるのに異常所見がない場合は「大丈夫です。異常ありません。」と言い放ち、苦しむ患者を無慈悲に見放すということを行ってきました。 こうした医の倫理に反する診療を正していかなければなりません。なぜならば医学自体が熟してきたからです。

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