器質的な異常があっても症状がないことの認識

器質的な異常があっても症状がないことの認識

医師たちはMRIやCTで器質的な異常を見つけるととたんに元気ハツラツとなり、「これが原因です」と胸を張って患者にムンテラするものです。しかしながら器質的な異常は病因になっていないことも多く経験します。にもかかわらず、その事実を見ないことにして「器質的な異常=病気」と診断してしまうのは、医師としての心の弱さではないでしょうか。
膝が痛いと訴える患者のXPで膝に変形がありました。変形を見つけた医師は患者に対して「この変形のせいで痛みがあります」と言うでしょう。ですが、真実はそうではないことをこの医師もうすうす感じているはずです。XPは過去の状態を表しているものであり、現在の痛みとは全く関係ないことが多々あることを。本当は神経痛で膝の一部が痛くなっているのかもしれません。ですが、「器質的なXP上の異常」を見つけた医師は、「変形と痛みが無関係であるかもしれない」ことを知っていたとしても、患者に対し「この変形のせいで痛みがあります」と言ってしまいます。それは医師としての心が弱いからでしょう。患者に信用されることを欲している心のせいでしょう。
さて、先ほどの間欠性跛行の話の続きです。 間欠性跛行の特徴は「30分歩くと足がだるくて前に出なくなる」というように暴露時間により症状が出現するという特徴があります。これを逆に考えると、間欠性跛行の患者も29分間は症状が出ないのです。よって外出しない高齢者にとって間欠性跛行は病気として成り立っていない場合がほとんどです。高度の狭窄症であっても手術を受けずに一生を送れる理由は、「器質的異常があっても機能的な異常になっていない」からです。 こういう現状を考察することを今の医師たちはほとんどしません。そういう教育を受けていないからです。そして狭窄があるからと患者を脅し、手術へと導く医師を私は多く見てきました。そして手術をしても全く改善しない患者も多数見てきました。
MRIではっきりとわかる脊柱管の狭窄は脊椎の変性ではありますが病気であるとは限りません。脊柱管が狭窄していても症状が全くない高齢者も数多く存在するからです。 さらに上記の患者の場合も脊柱管の狭窄という「器質的な異常がある」にもかかわらず、29分間は無症状で生活に困らないという真実がここにはあります。 医師たちは「器質的な異常あり」→「これが病因」と考える教育をされてきているため「器質的異常なし→病気ではない」と考えるようになっています。「器質的な異常なし→現医学で証明できないだけで目の前の症状は病気の一部である」と考えるのが医師の真にあるべき姿です。すると、「器質的な異常あり」→「それは症状発症の必要十分条件ではない」と大きな視野で診察する目が養われます。
真実は器質的な異常があっても日常生活を注意すれば発症させなくても済むわけです。発症させないのであれば病気ととらえる必要もなくなります。この患者の場合、20分歩行毎に5分休息を繰り返せば間欠性跛行を発症させることなく日常を送ることができます。 29分間無症状である理由は病因に反復刺激の病態生理があるからです。同じ動作を繰り返し行うことによってのみ生じる病状です。反復刺激による症状は「器質的」ではありません。「機能的」であります。正確には「器質」と「機能」の合併です。 器質的な異常は人間のストレス耐性閾値を低下させますが、その閾値以下の生活を送れば症状は発症せず、病気として完成することはないという新たな観点を持つことも日常損傷学の考え方です。

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