偏りと時間の概念その2、数時間単位

偏りと時間の概念その2、数時間単位

日常の普通の姿勢でさえ同じ姿勢を数十分とっていると同一箇所に力がかかるために組織が損傷を起こします。例えば肘は90度以上の角度で数十分曲げたままでいると尺骨神経が肘部管で炎症を起こすことはよく知られています。90度以上に曲げることは普通にありますが、それを固定した状態で数十分放置すれば健常な人でさえ手がしびれてきます。 例えばベッドの上で寝ているだけでも、寝返りを打たないでいると1箇所に重力が集中し、関節軟骨が破壊されたり、靭帯炎が生じたり、神経根も血行不良になる箇所が出現して神経炎が起こるでしょう。これが数時間単位でおこる病気の概念です。椅子に座っているだけでも同様なことが言えるわけですが、これまでの医学概念からすれば「原因不明」でかたづけられてしまうものです。
このようにして生じた損傷は全て「器質的な異常がない」そして「日常動作」で発症しており、だからこそ「原因なし」「不可解」とされます。すなわち、これまでの病気の概念である外傷・炎症・腫瘍・感染・遺伝病などのどのカテゴリーにもあてはまりません。強いて言えば炎症に分類されるかもしれませんが、炎症は病的状態の全てに関わるものであり、正確に言えば分類ではありません。
例えば姿勢が前傾であることで脊髄が引き伸ばされて血行不良が起こり、神経痛が出る場合、これは外傷ではありません。炎症の証拠はどこにも出ません。腫瘍でもなく、感染でもなく、遺伝病でもありません。MRIを撮影しても器質的な異常は認められません。このような状況に遭遇した医師は「異常がありません。なんともないですよ」と言って患者に鎮痛薬を出すのみで終わらせるものです。
これまでの医学は「器質的な異常がない」症状は「ありえない」「詐病」「精神的な異常」としてきました。よってこれまでの医師たちにとって日常損傷病は異次元かもしれません。が、真実なのです。
例えば、整形外科的疾患で言うと、ヘルニアが存在しない坐骨神経痛、頸椎XPに異常のない患者の上肢のしびれなどは全て病気として扱ってこなかった前歴があります。それらをきっちり病気として扱っていくのが日常損傷病学です。これまで病気として認めてこなかった症状を病気として研究することには医師たちのプライドがなかなか許さないでしょう。 「器質的な異常がない」場合でも数時間慣れないベッドで寝ただけで坐骨神経痛が発症することはよくありますが、このようにして生じた症状を説明できず、積極的な治療をしないのが今までの医学なのです。説明するのが日常損傷病学です。達観点に立たなければ見えてこないと最初に述べたのは、このように日常損傷病は「器質的に異常がない」「日常で起こり得る」症状を考察する医学だからです。

偏りと時間の概念その2、数時間単位」への3件のフィードバック

  1. 日常損傷病のとらえ方に納得いたしました。
    ド素人ながらも、細菌やウイルスがない、打撲や骨折でない、日常の姿勢や食生活、日常のストレスからくる様々な身体の声を聞いて、それに向き合うことは、この現代の医療の限界や超高齢社会において、大切になってくると想像します。(癌などの内臓疾患も、日常損傷の延長にあると思います)

    というと、例えば薬はNO!とか糖質は悪だ!とか、へんに偏ってしまう場合もあるかと思います。この高水準の現代医療も、分類が分からないので言葉がおかしいかもしれませんが、オステオパシー的な考え、アロマや波動的なもの、言い伝えられているお手当てのような療法、すべてをうまく、要領よく最大限に利用して、現代を心地よく生きていけたらと思います。

    情報が溢れ、またどの世界においても強力に利権がからみ、個々においての取捨選択が困難な時代ですが、、、。

    とりとめのない感想でした。

    • 人を助けたい救いたいと思っている人は世界中にたくさんいます。そこで人の救い合いにも競争が起こり、真に人を救える人が蹴落とされるということが起こります。蹴落とす方法の最たるものは、情報操作です。真に救える人の治療法を世に出させない、けなす、ミスを誇大に広めるなどを行います。よっていつの世もまことに素晴らしい治療法は必ず隠されるという法則があります。「必ず隠される」法則により、真に治せる治療法は世に出ません。そして、現在注目を浴びている再生医療などの最先端治療は「真に治せる治療法の最高峰ではない」ことが確定します。最高のものは必ず隠されますので最先端医学でさえ、実は2番手の治療法となります。1番手が何なのか? それに気づく、悟ることができれば人生はかなり楽に生きることができるようになります。

      • なるほど。
        救い合うことですら競争が起こるのですね。競争がより良い方向に向かうためのものではなくなるなんて世の中屈折しています。公共の電波や新聞も情報操作だらけの今、気づくためには、偶然や運やラッキーや因果応報や、、、とにかく自身でアンテナを立てることも忘れてないようにしたいと思います。

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