ブロックで難病を治療していく方法

第1章 ブロック注射技術向上には自虐と反省が必要

痛くない注射法

詳細は後述します。まず可能な限り細い針を使用することが原則です。私はリーチが足りない場合を除いて27G 針しか使用しません。通常は30Gです。針が細いことで動脈や神経を直接刺しても合併症が極めて起こりにくくなります。細いほど確実に痛みが小さくなります。
次に左手指の有効利用です。刺入部付近を指圧して圧覚を興奮させ、刺入時の痛覚やわらげること。指圧して皮膚から目的地までの距離をできるだけ短縮させること、さらに指圧で狙った組織以外の血管や神経を押しわけることです
次に、常に局所麻酔をしながら行うこと。皮膚を針が通る痛みは指圧でやわらげ、皮膚から下は局麻剤で痛みをなくします。つまり0.1㏄注射液を入れては3㎜針を勧めるというような感じです。焦りは禁物です。ゆっくり行います。
右手はフリーハンド。多くの医師は右手をどこかに固定し針を進めますが、針先にある組織の抵抗を感じながら目的地を探る操作をするためには、固定していたのでは繊細な針先の操作は不可能です。右手はどこにもよりかからせず、空中にフリーの状態で自在な動きと針先の触覚を作り出します(難しい技術ですが)。これは書道の毛筆と同じです。最初は手が震えるのでどこかに固定しなければ上手い字が書けませんが、達人級になると手をどこにも固定せず、繊細かつ力強い線が描けるようになるのと同じです。固定して字を書いている間は達人級には絶対になれません。同様に手をどこかに固定してブロック注射をしている間は達人にはなれません。

確実に狙った場所に薬を注入する方法

確実に狙った場所に薬を入れる最重要で絶対的な法則があります。それは「ミスすればやり直しすること」です。そのために「ミスしていることを感じ取る」ことです。局麻をしながら注射をしていれば、やり直しの注射は痛くありません。ミスしたことをわかっていないから、ミス注射したまま患者を帰宅させると患者はその注射をトラウマにしてしまいます。そのトラウマのせいで、患者は医者不信になり、本当に必要な注射をしなければならないときに治療を拒否し不幸になります。たかが、ミス注射1本でそうなることを心に打ち込んでください。
ミスを察知する能力は、注射技術の中で最も難しい技能です。ベテランの医師でさえ、自分のミスを察知できないものです。その理由は狙った箇所が癒着していたり、空間があるものの針先に軟部組織がはりついていて注入圧を高めていたり、また、狙った空間ではない場所であるのに、結合組織の結び付きが粗のため、抵抗感もなく注射液が入っていったり…など、個人差が非常に激しいからです。
もしかして「入っていないかもしれない」と勘づくことができるようになるためには指先でシリンダー圧を察知する能力以外に、患者の微細な反応で相手がどれくらい痛がっているのかを察知する能力も必要です。痛がっている場合には入ってない場合が多いと思って間違いありません。
このような能力を高めるためには、患者の痛みを自分の痛みとして感じ取る共感能力を極力高めることが必要です。また、医師のプライドが自分のミスを認めることの大きな障壁となっており、このプライドの障壁を乗り越えるためには度量も必要になります。
ミスを察知できるようにするには種々の例外パターンを分析していきます。「入ってないようで入っている」「入っているようで入っていない」パターンの認識を、種々の患者の反応と対比したり、注射器を少し引いたり押したりして圧を確認したり、組織を通過するときの圧変化などと合わせて何百通りもあることを覚えていくことです。
ミスを察知する具体方法はここには記しません。長くなるので。ですが、重要なことはミスを察知した場合、全くゼロからやり直すことに対してちゅうちょしないことです。やり直すことは医師の技術料と材料費を2倍分かけるのと同じなので精神的にも経済的にも非常に損した気分になります。この損した気分を「修行だと思う」ことでやり直しに対する精神力がついてきます。これを損だと思うようでは注射技術は向上しません。確実にねらったところに薬液を入れる技術は、実際のところ
 
  • 1、入るまでやり直しをする精神力
  • 2、もしかして入っていないかもと思ったら「入っていない」と断定する精神力
  • 3、もしかして…を察知できる極めて繊細なセンス
  • 4、患者の痛みを取り除けなければ恥だと思う精神力
  • 5、患者に「効いてない」と言われたら、その原因は全て自分にあるとする精神力

などの自虐の精神力でしかないのです。これらを鍛えない限り、狙ったところに確実に薬液を入れることは神様でない限り不可能です。よって何千回、何万回とブロックを行ったとしても精神を鍛えない医師は確実に薬液を注入できていないものです。そうは言っても彼らは「自分のブロックの腕は一流」とみながそう思っていますが…

診断技術はブロック技術が上がらなければ向上しない

この意味を理解できている医師はおそらくほとんどいないと思います。診断技術は「症状を完治させることでのみ究極の領域へと高めることができる」ということを理解できない医師がほとんどでしょう。例えば、左の脇腹を痛がる患者が来院しました。この患者が「この痛みが内臓から来ることが心配なのです」と訴えたとしましょう。この患者が内臓疾患ではないことを100%近くの精度で診断するためには何をしますか?何十万円もかけて画像診断など検査を入れますか?
一流の医師であればこういうことができます。その痛みが腰部の神経根由来であるなら、神経根ブロックで一瞬にして痛みが消え去り、しかも完治に近い状態になるでしょう。完治に近い状態になって、再燃もないのであれば、それはほぼ「内臓由来ではなく、腰神経根由来であることが確定」するでしょう。内臓由来なら、神経根ブロックは一時的にしか効きませんから、区別できるわけです。このように、完治に近い状態にブロック注射で誘導できれば、100%に近い「内臓由来ではない」という確定診断を下せます。
しかしながら、まず「わき腹の痛みがどの神経根由来なのか?の同定と、狙った神経根に確実に注射できる高等な技術」がなければ、こうした診断技術は臨床応用できません。逆に言えば、ブロック技術が達人級になれば、これまで医学的に白黒つけることができなかった様々な症状に確定診断を下していけるようになるわけです。こうした「治して診断を付ける技術」は少なくともブロックを毎回100%近い成功率でできる医師にしか不可能です。なぜならば、注射が無効だった場合に、その原因がブロックミスで起こっているのか本当に効いていないかの判断ができないからです。よって、「治して診断する技術」はブロックミスを100回中1回もしないくらいの腕になって初めて可能になる技術です。
そしてミスしない腕を得るにはまず、「ミスを探知出来る能力」が必要となり、ミスを探知するには、「注射が効かないのは自分の手技が未熟な性である」と徹底的に思い込む自虐性(自罰的であること)が必要だというところに帰依します。この自虐ができない医師は「治して診断する」という技術を一生得ることができません。よって文頭の見出し「診断技術はブロック技術が上がらなければ向上しない」となります。治して診断するという技術は、言わば治療の達人にしかできない技術ですから、普通に医師をやっているだけでは身につくことが出来ないでしょう。しかもいくら勉強しても無理です

高齢者の脊椎は理解を超えている

硬膜外腔は陰圧と医学書にはかいてありますが、高齢者の脊椎ではしばしば陽圧になり、しかも癒着のために薬液の注入圧が高い場合もあります。高齢者の脊椎は予想外の連続であり、医学書通りに行かないことが常です。よって、針の深さは十分であっても、硬膜外腔に入っていなかったり、圧が高くても硬膜外腔に入っている場合もあり、例外を学ぶには骨が折れます。実際に薬液が正しいところに入っているかどうかは患者の治療効果で判断します。効果が出ていないなら入っていません。
私は非常に自罰的であり、効果が少ない場合は「自分のミス」とする精神で常に臨んでいますが、そんな私でさえ、30回ブロックを行って実際は1度も成功していなかったという例を経験したことがあります。それはある日、一度だけすんなり薬液が入ったことがあり、その時、患者の痛みが著しく長期間改善していたからでした。つまり、それまで行っていた注射は全てミスだったと考えます。
このように、極めて変形の激しい脊椎を持つ患者の場合、ベテランのペイン科の医師に何度ブロックをトライしてもらっても一度も成功しないことがあるという認識を持つことです。それほど究極に変形した脊椎に硬膜外ブロックをすることが難しいということです。
この難しさが理解できるようになるには数年から十数年かかるでしょう。自罰的に反省しない医師であれば一生理解不能です。その理由はブロックが失敗していても常に成功していると思い込んでしまうからです。権威ある医師ほどミスを認めませんから、有名で地位がある医師ほどミス注射であることを理解不能になります。
この事実は残酷なことを言い表しています。それはつまり医師はそのブロックの技術力により、治せる患者と治せない患者が存在するということです。ブロック技術が卓越した医師には治せる病気も、普通の医師が行うブロックでは絶対に治らないということが、変形の激しい高齢患者では起こるということです。関節の変形や黄色靭帯の著しい肥厚、脊椎のねじれ等のおかげです。よって高齢者が脊椎由来の症状を本気で保存的に治してもらいたいと思うのでしたら、自罰的に修行してきたサムライ医師を探すしか手がないということも判明します。そういう医師が全国に、全世界に何人いるのか私にはわかりません。
医学は統計学ですから、10人の医師がいて、9人の医師がブロックで治せない患者がいると、「この病気はブロックが無効」という内容で医学書に掲載されることになります。たとえそれが技術的なミスに由来していたとしても、統計学ではそのようにはじき出されてしまいます。しかしそれは真実ではありません。10人中1人の医師は保存的に難病を治せるのですから。

第2章 痛くない注射が一流の医師を作る

はじめに

ここでは痛くない注射ができることがホームドクターにおいて最高に重要であり、痛くない注射ができるようになると医学書的には治せないとされる種々の疾患を治せる稀少で特別な名医になれることを解説していきます。注射を痛くなくできる腕は医師が想像している以上の効果を様々な分野に発揮します。

高齢化社会を救えるのはホームドクター

大学病院の高額医療や最先端医療技術は高齢には無力です。しかし、日本は超高齢化社会に突入しました。つまり最先端の医療が無力化される患者の割合が莫大となっているという意味になります。彼らを救えるのはホームドクターだけです。つまり無情で残酷な高齢という絶望と日々戦うホームドクターのみが国を救える存在となる時代が来ました。
高齢と戦う方法は医学書には載っていません。そして前人未到の難題です。教授の知識も専門家の腕も全く無力な混沌とした領域です。そこに踏み込めるのは高齢者を本気で治療しようと必死にいろんな小技をあみだせるホームドクターです。

治療技術が向上すると患者側に壁があることを知る

私はこれまで「他の医者が治療をあきらめた患者」ばかりを専門に治療してきました。もちろん疾患は整形外科領域のものが主体ですが、皮膚科・婦人科・泌尿器科、耳鼻科、脳外科、精神科にまで広範囲に治療することができます。とにかく私は医学書的には打つ手なしと言われるものをどう治療するかに常に研究し真剣に取り組んできました。そして一歩ずつ創意工夫をしているうちに数多くの難病を治療できるようになりました。
私の言う難病とは命を落とすような病気ではありません。例えば「手足のしびれ」「長年続く頭痛や肩こり」「耳鳴り・難聴・めまい」「睡眠不足」「不安定な血圧」などです。現医学ではこれらを根本的に治せる医者は世界を探してもそうはいないでしょう。私は様々な「生活習慣の上での難病、高齢と共に出現する難病」を実際に治療できる腕を身に付けましたが、それを患者も医師もほとんど信じません。別に信じさせようとは思いませんが、患者が信じなければ治療を受けてくれませんし、万一ミスをすれば訴えられるというリスクが付きまといます。
私たち医者は「くすりでは治らない患者」を目の前にすると多大なストレスを感じます。それは患者が治らないことに対して怒りを医者に向けるからです。例えば肩こり、頭痛、腰痛、しびれなどは薬を処方しても理学療法を行ってもすっきり治ることは少ないものです。これは現医学の限界点で打つ手がないのですがそれを患者に説明しても納得してもらえませんから患者の怒りをまともに受けることになります。
目の前の患者から侮辱され不信の目で見られ、怒鳴られる医者というものは哀れなものです。しかし、それらをブロック注射でほとんどを治せるのなら話は変わります。治すか治さないか?の選択肢を患者に突きつけ、「受けるか、受けないかの勇気があるかないか」の2択に変えることができるからです。
他の医師にかかったけれど治らなかった患者は診察室に入ると同時に怒りに満ちています。痛みを治せない医者に対して「どう責任をとってくれるんですか?」という態度でやってきます。私は笑顔で「治せますよ、ただしあなたの勇気と根性次第ですね」と、その怒りを交わすことができるのですからストレスになりません。
そこで注射による治療法を説明し、初回治療で完治する確率や合併症、副作用、成功確率などを説明する。そして選択権を完全に患者に渡してしまいます。ただし、患者は私を信用していません。治せるという言葉を信じていません。よって私は最後にこう言います「最後にはあなたが私を信じるか信じないか?それだけです」と。
私のこのセリフは医師としては「絶対に言ってはならないセリフ」の一つです。なぜならば、「私を信じなさい」と言っておいて注射で何か障害が起これば、訴えられて敗訴するリスクが高まるからです。ですから「信じなさい」という言葉は医師は言いません。私がこのセリフを用いるようになったのは最近です。それは何万回とブロックをしても合併症を起こさなくなったからです。
そのうえ非常識な患者はどんなささいな不具合にも訴えを起こす構えでいます。例えば注射が痛い、注射の跡に貼ったテープでかぶれた、注射後めまいがした、注射後手がしびれた…などなど。これらに対して「いつでも訴えてやる」という構えを見せつつ高飛車に迫ることが、医師を意のままに操作する方法であると勘違いしている患者がいるわけです。
普通ならこういう患者には関わらないのが医者の常識です…が、私はそういう患者にこそ進んで関わってきました。自分を崖っぷちにおいやって治療技術を上げる修行の一環とするためです。常識はずれなパーソナリティ(ヒステリー性人格障害者)に治療をするにはどんな些細な不具合も許されない。注射でわずかな痛みを与えると、その痛みがトリガーとなって慢性的な疼痛障害を引き起こす可能性もあるからです。
こういう患者に注射で治療し実際に訴えられた医者は数多く存在します。それを知りつつ治療をするのは火の中にガソリンをかかえて突入するようなものです。
さて、こんな緊張感に満ち溢れた診察室というものを想像してみてください。そういう空気の中で「痛くない注射」を精神を集中させて行います。痛くない注射だからこそ、態度の悪い患者にもブロックを行うことができるのです。治せる医者にとってその治療の壁は患者側にあります。「訴える構え」の患者でさえ肩こりや頭痛で苦しんでいます。それを取り除けるのであれば治療をしても恨まれることありません。
ただし、そういう好訴性の患者の治療に際してはどんなささいな不具合も起こしてはなりません。したがって注射の痛さを極力少なくすることが結局自分の身を守る最大の手段となるのです。患者を本気で治そうとするならば、まず目の前の患者の性格がもっとも邪魔になるということを認識しなければならないということです。本気で治さないのであれば適当な診療で波風も立ちません。特に私は専門外来をわざと持つことを避け、信じない患者に本気で向かっていくことを自分の修行としてきました。

痛くない注射は不治の壁を越えられる

私は数多くの治りにくい手足のしびれ、筋力低下(麻痺)の症状を完治させた実績を持っています。実績は症例数も少ないので、まだまだデータ調査の途中ですが、かなり良好な治療成績を挙げています。今の医学では解決策なしに等しい疾患を軽快させました。
例えば、医学書を見ると「しびれ症状」はどんなブロック治療しても治りにくいとあります。ブロックを数回やっても効果がない場合は「治るとは限らないが」外科的な治療を考慮するとも書かれています。しかし、数回行っても効果が少ないブロック治療を数十回、数百回行えば効率で治るということをほとんどの医者は知らないと思います。そこまで「のれんに腕押し的な治療」に熱心になれる医師がいないからです。
常識を超えた多数回、多数箇所のブロックが不治の病を治すことができるという事実は、情熱のある医師にしか体験できません。そして小さな治療実績を積み重ねて大きな実績を作り、そのデータを公開して自信につなげていきます。
さて、このようなしらみつぶし的な注射を患者が受けてくれるか?といえばいいえです。注射は痛い!これが最大の理由です。注射が痛いのなら、患者が治療を途中で拒否するので、不治の壁も越えられません。患者に多数回の注射を受けさせるためには痛くない注射の腕が必須なのです。

痛くない注射は手術という選択肢を消し去る

世の中には私の注射を2週間に1回、定期的に受けられるのなら、手術を受けなくとも天寿をまっとうできる変形性関節症の患者が五万と存在します。まあ、「私の注射」という限定ではありますが…(変形性膝関節症の経年変化」を参)。
確かに腕の立つ関節外科医の手にかかれば、人工関節置換手術で痛みをほとんど消失させることができますが…手術合併症は軽視できませんし、術後に可動域が低下することも無視できません。自分が患者の立場であったなら、手術を受けるよりも注射で治したいと思いませんか?ですが、毎回受ける注射が痛いのなら話は別です。痛い目に定期的にあうのなら手術という大きな苦痛を1回受けた方がましという考えが生まれます。
しかし、私は膝関節も股関節も自分が治療している患者で手術に踏み切った例は10年間で1例くらいしかいません。特に股関節注射は効果絶大であり、手術をすすめられている患者でさえ、痛みがほとんど消失してしまいます。注射が痛ければ患者は通院を苦痛に思い始めるが、痛くない注射のおかげで患者は苦痛を感じず、手術を経験しないで済んでいます。
しかし、残酷なことに、股関節注射を行える医師がいないため「股関節内注射をすれば股関節痛が激減する」というエビデンスを証明する医師がいません(私は証明できます)。よって股関節内注射という選択肢が最初からないので股関節痛→手術となっています。
高齢者はもともと運動量が多くないため、人工関節にしなくても注射治療で十分日常生活を送ることができます。ホームドクターに腕があれば手術という選択肢はほとんど消去できるでしょう。外科医の仕事を干してしまえるのです。ちなみに、私が関節内注射を行えば、膝関節に経年変化がほとんど起こらず、今以上に劣化させないという芸当ができます。これは医療というより芸当です。なぜならば、エビデンスがないからです(私はこのHP上でエビデンスを公開していますが、おそらく信じてもらえないでしょう)。

痛くない注射は治療成功率を格段に上げる

注射が痛くないとなぜ成功率が格段に上がるか?不思議な話です。ですが答えは簡単です。他の医師は各種関節内注射やブロック注射は的確な場所に薬液が入っていないことが非常に多いという種明かしがあります。つまり注射失敗例は想像以上に多いようです。医者も失敗に気付いていませんが。
ブロック失敗の確率はほとんど患者に依存します。肥満体質、高度な変形、特殊な骨格、炎症性の組織の肥厚などなど、入りにくい患者には何度繰り返しても入りにくいのです。そのえ注射手技に多くの時間がかかります。さて、あなたは注射が失敗したか成功したか?その真実を極限まで追求する勇気があるでしょうか?
勇気は行動と責任を伴います。注射が失敗していることを徹底調査すれば、患者に謝罪する義務、再度注射を行う責任、失敗をフォローする責任が発生します。これを発生させる勇気がある医者を私はかつて一度も見たことがありません。腕の立つ医者も、教授も、専門家も、こういう勇気を持って仕事をしている医者に今まで出会っていません(これから出会うかもしれません)。注射が適所に入っていないかもしれないという疑問を持ったとしても「いや、大丈夫だ」と自分にいいきかせて知らん顔をするのが普通だからです。
もちろん、スーパーな医者になりたいのならここを避けてはいけません。失敗したら何度でも成功するまでやり直し、そのためになら土下座でもして患者に再度の注射の許しを乞う勇気を出してほしいのです。
これをするには注射の腕だけではなく注射が痛くない必要があります。…注射が痛いなら患者が再度の注射を拒否するからです。だからせっかく勇気を出して自分の注射ミスを告白したとしても、患者に不信感だけ持たれてさよならされます。頭を下げるだけでなく評判も落とされる可能性があります。
逆に言うと、痛くない注射が出来るからこそ、注射がミスしたらリトライができるわけであり、そのような注射の腕がないのに注射ミスは認められないのです。注射の腕が達人級に上手になっているからこそミスに対して責任をとれるのです。さらに言えば、ミスがめったにないからミスした患者のフォローができるのです。
私は初めて先輩から腰部硬膜外ブロックの手技を習った時点から、現在までの失敗率を記憶に残しています。習った当初、5人に1人は必ずタップしました。医者5年目でさえ10人に1人はタップしました。現在1000人に注射しても1人もタップしません。しかも難易度の高い変形脊椎にばかり注射しているのにミスしないのです。
そんな私でさえ1年前は膝関節内注射では20人に1人くらいの割合で注射ミスをしていました。今はそれが100人に1人です。今でも年々、ミスの確率が減少しています。普通はミスしたことにも気付かないものです。というのも私はミス注射を調べる手法も開発したから自分のミスを認知できます。そういう手技を身に着けていなければミスしたこともわからないのです。
ミスとわかれば再度行う。注射の腕がかなり上がっているのに、ミス注射を患者に謝罪する姿は滑稽でもあります。まさか患者に「あなたの膝が入りにくいのが悪いんですよ」ともいえません(事実がそうであっても)。こうした勇気が治療成績を格段に上げることにつながっています。だから私の治療は他の医者と手技は変わりませんがその治療実績に大差がつくのです。もちろん痛くない注射が根本にあることは言うまでもありません。

各種ブロック注射のハードル

肩こりを治せる医者はほとんどいません。ですが真実は違います。頚部硬膜外ブロック、または頚部神経根ブロックを行えばがんこな肩こりも完治させることができることをペイン科の医者なら誰もが知っていますし、実際に治療は行われています。
ですが一歩間違えば意識が消失し呼吸もしなくなるようなリスクの高いブロックを、いかに安全にできようが肩こりの症状のみの患者に安易にすすめられません。それは医の倫理的に無理です。
頚部硬膜外ブロックは、やってみると案外手技がたやすく、保険点数も高いのでリスクを説明せずに患者に軽い気持ちでやってしまえば、肩のコリも即座に完治させてしまえます。患者も医者も大喜びです。しかし、それは倫理的にやってはならないことです。注射治療には失敗というリスクがつきまとうわけで、そのリスク、痛み、恐怖、責任というマイナス面と症状が治癒する価値の高さというプラス面のシーソーにより、注射を行うか行わないかが決まります。
頚部硬膜外ブロックのリスクというマイナス面は、肩こりを治すというプラス面よりもはるかに大きいためこの治療が肩こり症状のみに対して行われることはまずあり得ません。だからこそ肩こりを治せる医者が世界にいない…となるわけです。技術的には肩こりは治せますが倫理的に治せないのです。
この原理は全てに言えます。腰痛も膝の痛みも効果が絶大な治療は存在しますが、その治療のマイナス面を縮小させることができないから治療ができないものが数多くあります。 逆に言えば、注射のマイナス面を縮小できれば様々な不治の病を魔法のように治していくことが可能となります。例えば私は過活動性膀胱を完治させることができます。過活動性膀胱は痛みもなく、それほど苦痛もなく日常を送れる疾患です。
腰部または仙骨部硬膜外ブロックを何度か行えばほとんどの過活動性膀胱患者が症状軽快または完治しますが、それは医学書的には知られていませんし保険適応もありません。よって実行は難しいのです。なぜなら硬膜外ブロックのリスクや注射への恐怖が症状を治癒させるメリットよりも大きいからです。保険適応がない治療法を患者に施して何かあれば責任を追及されますし、治る保証がないものを勧めるわけにもいきません。だから多くの治療実績が必要です。治療実績を得るためには痛くないブロック技術が必須となります。
患者にとってもっとも大きなマイナス面は注射が痛いという恐怖だからです。医者が考えればタップや血腫、感染などの方が恐ろしいリスクですが、患者にとっては「ブロックが痛いか痛くないか?」治療を受ける鍵となります。特に「痛くない症状」を注射で治すのなら「痛くない注射」が必要です。「痛くない注射」ができれば医者としてもかなり自信を持って患者に注射をすすめることができます。そして医学書に掲載されていない治療の実績を重ねることがようやくできるようになるわけです。

若いうちは専門外来を名乗らない

専門外来を名乗れば偉くなったような気分になれるでしょう。患者は少なくとも医師を信じて来院するため、患者に不信に思われるリスクを背負うことがありません。これが医師を天狗にさせ、油断を生みます。私は患者から信じられないことを武器にしています。患者と初対面から注射をすすめています。注射ミスが許されない崖っぷちに自分を立たせるためです。
崖っぷちはいい眺めです。緊張感に満ち溢れ、自分の腕が毎日上がっているのを実感できます。逆に言うと、崖っぷちが欲しいために「専門外来」を名乗りませんし予約患者もとりません。腕を上げたいのなら楽な道を選んではいけません。名もなく信じられていない医者ほど成長の機会が増えるのですから。

おわりに

痛くない注射は訓練すれば一般内科、一般外科の医者にも十分にできるようになります。患者に「痛いという苦痛」を与えないですむことがわかれば、注射のミスも恐れずにすみます。すると注射をすることへの自分の心の中のハードルが低下していくことを実感できるようになるでしょう。
私は常に難易度が最高レベルの注射ばかりに挑んでいます。へバーデン結節も注射で治し、顎関節症も股関節症もTFCCも椎間関節も全て注射で治します。自分を磨くためにです。難しい注射の保険点数は低い傾向があります。医者が誰も実行しないのでエビデンスがなく、そのためメニューが保険になく、代用の保険病名で行うと点数が下がるからです。よって対労力を考えると難しい注射ほどコストパフォーマンスが悪く理不尽な思いを抱きます。
ですが私はこう考えています。理不尽でコストパフォーマンスが悪い注射ほど、他の医者はやらないしできない。ならばそこを追究すれば一流になれるのだと。そして多くの不治の患者を救えると。痛くない注射はそういった全ての治療の最初の第一歩なのです。

ブロックで難病を治療していく方法」への4件のフィードバック

  1. はじめまして。
    慢性化してる痛みを採るべく、頸椎の手術を検討しているものです。
    自宅近くにてペインクリニック経験はあるのですが、とても痛く、効いた感じがしなかったので、そういうものかと思っていました。しかしこちらの記事を読んで、先生の元で一度診察を受けたいとおもい、書き込みます。

    1998年頃よりアトピー治療のステロイド治療(17年塗り薬のみ、飲み薬は化膿するので使わず)が効かなくなる。同時期に、髪を洗ってるだけで首を寝違えたようになり、温めたりする保存療法を受ける。また、普通に行っていた仕事や家事が倦怠感が酷く、続けては15分が限界となるような状態になり困ってはいたが、当時診てもらっていた医師に相談するも回答が得られずその症状は放置した。
    そしてステロイド薬が効かないので、民間療法でステロイド経ちし、ほぼ寝たきりになる。

    その頃から現在まで続いてる慢性の痛みです。
    当時は症状が生き地獄のようにとても苦しかったので、カイロ、整体、鍼など随分お金をかけましたが、長い年月の間に軽快したかと思います。

    現在はアトピーも首から下はよくなり、週4ほどの仕事もしているのですが、喉から棒が刺さっているような感覚があり、同時に様々な鈍痛があります。また鬱病があり、自律神経も不安定です。
    場所が不明なので通えるかどうかわかりませんが、
    一度診察をお願いできないでしょうか?

    • 慢性化する痛みを手術で治そうとするとさらなる地獄がまちかまえる可能性が高まります。投稿内容から推測すると倦怠感、うつ、自律神経失調、中枢感作などは頚髄よりも頭側(延髄)で起こっている事件のように思います。それなのに頚椎を手術する事は的はずれになるばかりか、固定などされてしまったときには、自分の力では治せない強烈な延髄の病変を起こすことがあります。私の元へは、同様な症状で手術をし、そして、現在、上下肢の筋萎縮でALSを疑われている人も来院されています。手術をしたおかげで、代替療法も無駄に終わり、頚部硬膜外ブロックもできなくなり、八方塞になります。

      どうかどうか安易に手術に逃げる事は考え直していただきたいと、私は頭を地面にこすりつけてでもお願いしたいくらいです。私の勤務していた病院で、他の医師に頚椎の手術をしてもらった後に、体調を崩し、その後私のブロックでなんとか体調を整えていた人が、昨年お亡くなりになりました。私がそこの病院をやめて2年後のことです。私のブロックを受けられなくなってから急激に症状が悪化したそうです。

      そうした患者以外にも、頚椎手術後のどうにもならない患者を現在も何人か抱えています。どうかどうか、現代医学の頚椎手術を信用しないでください。現代医学の診断学をうのみにしないでください。全く効果がないというのではなく、あなたには効果がないと思います。理由は再度もうしあげますが、頚髄ではなく延髄に原因がありそうだからです。延髄の病変は現代医学では治せません。私のようなバカ医者のブロックや、超一流の施術師しか改善させることができません。超一流の施術師は1回の治療が10万円もする場合があります。が、私の治療は保険が効きます。

      ただし、私のブロックでも治せないことは多々あります。延髄にブロックを効かすことは極めて難しいこと。そして中枢感作はちょっとの治療では解除されないことなどが理由です。たとえ私が治せないとしても、安易に手術に逃げず、よく考えてほしいと願っています。手術に逃げることがさらなる地獄に追い込まれることになることがあるからです。

  2. 78歳母の事です。
    昨年末、腰椎圧迫骨折と診断されコルセットと痛み止めで治療していました。
    しばらくして激しい痛みはなくなったものの、むくみ、しびれ、足の重い感じがして悩んでおりました。
    6月から通所リハビリにて運動を始めましたが、また痛くなってきてしまい、先日ペインクリニックにてMRIを撮ったところ、偽関節ではないかとのことでした。
    画像を見ると圧迫骨折した骨がつぶれて飛び出し、脊髄に触れていてそれが痛みやしびれの原因になっているようです。
    ペインクリニックでは手に負えないとのことで、別の総合病院で手術した方がよいと言われました。
    偽関節についてインターネットで調べたところ、大変難しい手術になりそうで、途方にくれております。
    手術の前に、ぜひ先生にご相談させていただけないでしょうか。
    母は千葉県在住ですので、通院は可能です。
    お忙しいところ恐れ入りますが、どうぞよろしくお願いいたします。

    •  まずはメールで相談ください。アクセスのところにメールアドレスが掲載されています(アドレスは全角なので半角に変換してからでなければ送信できません)。奇蹟を起こしたいのなら、それなりの信じる心が必要になります。そこをクリアできるかどうかがあなたがたの人生の分かれ道になるかもしれません。

kimura へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です