第八十二話 はじめての高熱&格闘

 2017年12月28日のN寺のお不動様の縁日の日、私と奥様は珍しく東京駅から電車で行きました。車のワックスコーティングのため手元になかったからです。グリーン車に乗ったのですが運悪く前の席の人が四六時中咳をしていました。

「インフルエンザだろうね。うつされるかも知れないね。」と話していましたがやはりその日から互いに体調が悪くなります。奥様はうっすらと咳をしはじめます。

 体調を崩しながらも1月7日には実家に行き、奥様は親孝行のため極めて念入りにご両親にご加持をしてあげます。が、このご加持にパワーを使いすぎたためにその晩から咳がさらに出るようになります。

 ご加持は一生懸命にやりすぎると体力ばかりか命をも消耗するのだと私ははじめて知ります。それだけでなく、因縁が強い人をご加持すると著しく体力を消耗するとも奥様は言っていました。

奥様曰く、因縁がない家系はないのですが、実家のご両親はそれなりに因縁が深いということだそうです。奥様はご加持した晩は一晩中咳こんでいたので私が薬局に行って市販の風邪薬を買って飲ませました。不慣れな看病もさせていただきました。

風邪は治りきらないまま東京に帰ります。翌日、奥様は微熱がありましたが朝には回復し、「まだまだ大丈夫」のようでしたので診療所を休むことなくその日も診察しました。

 我が診療所にはとても重症な方ばかりが来られますが、今日は下肢に力が入らなくなり歩くバランスがとれないという病名さえつかない奇病の女性患者Kさんが来ました。

以前ここで紹介した方です。ご加持に対して感謝の態度も表さず、あまりにもネガティブなことばかりいうので私たちが機嫌をそこねた患者さんです。

それでも、ご加持をすると患者が元気になるので、奥様はさらにKさんに献身的にご加持をします。それとともに、このKさんは徐々に奥様のご加持を信じるようになりました。

 Kさんは待合室にいる間も咳をずっとしていたのですが、奥様はこれを気の毒に思い気管支炎を治してあげようと、いつもよりも無理をして胸の方まで念入りにご加持します。

ところが奥様の気管支も弱っていたのが問題でした。ご加持では相手の症状を自分の体にコピーしてしまいますので、少し回復しかかっていたのに奥様の気管支の炎症がさらにぶり返し悪化します。

しかも、この患者は大学病院で「膵臓に影がある」と言われ癌の可能性もあると言われたそうです。奥様は癌治療もしてさしあげようとしてお腹と背中にも念入りにご加持します。これが奥様の体力をかなり消耗させたと見え、その夜、奥様は再びひんぱんに咳をし始めます。熱も出始めます。

 次の日は休診日だったのでよかったのですが、休み明けの日、これまでにない重症の新しい患者がきました。それはかつてないほどの重症なうなだれ首、そして認知症。診察室で子供のように騒ぎ、さらに全身疼痛で体のどこをさわっても「痛い痛い」とさわぎ、「とても手も付けられない」患者だったのです。

 この状況は現代医学であろうと、未来の医学であろうと、お手上げです。治療にならないからです。どこの病院に行ったところで同じです。これでは何の処置もできません。

 私は難病治療のスペシャリストですが、さすがに車椅子でやってきて、これ以上曲げることができないというほど全身が丸まって、かつ認知症で暴れている患者を見て「絶望」を感じて身動きができませんでした。一般的な医者なら「こんな患者をつれてきて、何をどうしろというんだ」と激怒するレベルです。なにせさわっただけでも痛がって怒るのですから。

来院時はこれより更に首が曲がっている状態だった

 注射をしようにも首が曲がっていてできませんし、うなだれ首とはいうもののうなだれているのではなく、屈曲位でガチガチに拘縮しており、本当の意味で「うなだれ」ではありません。あまりにも痛がるのと認知症で騒ぐのとが加わり、誰にも治療できない患者と化していました。

 しかし、何を血迷ったか? 奥様は車イスで丸まっているこの年老いた患者に近寄ってご加持を始めます。

私は隣で別の患者の治療をしていましたが隣からは「痛い痛い、やめて、おとうさん、おとうさん、やめて、痛い、痛い、おとうさん、おとうさん、やめて」という大きなわめき声が聞こえます。これはほんとうに痛いのではなく、認知症からくる口癖のようなものです。なんでも痛い、おとうさん、を繰り返しているそうです。付き添いの家族もそれを承知しているので、奥様と一緒に「母さん、母さんを良くしてもらってるんだよ。大丈夫だから。私もここにいるからね」と繰り返し母親に話しかけます。

奥様は医師免許を持っていません(看護助手はあり)からこのような患者にさわって何事かがあれば大変ですが、認知症の患者には付き添いが必須です。その付き添いの娘さん2人が承知して同席し、治療をお願いし、一緒に治療できるレベルまでになることを願い、治療を見守っていますからまずは大丈夫。私は冷や冷やしながらも傍で見守ります。それでも「私がそばにいて、私が施術して痛がらせているという形でやらなければまずい」と思い、ご加持中の奥様に近寄ります。隣で別の患者を治療している場合ではありません。

それでも私がうなだれたままの状態では治療は無理だという決断をしようとすると奥様は私をにらみつけ「あっち行ってて!」と鬼の形相で私に言います。奥様には仏様の慈悲と闘神がやどっています。私は何を言っても無駄だと理解し、そのままやらせることにします。

ちなみに、これほどのうなだれ首であれば、間もなく呼吸ができなくなり、本当に予後が悪く数か月もたないものです。それほど重篤です。

 さて、今、奥様には仏様の慈悲と闘神が宿っています。「痛い、やめて、おとうさん」とボケた言葉を繰り返す患者の頭を優しく抱えながらお経を唱え、拘縮した筋肉を柔らかくしていきます。その闘気のオーラはすさまじい勢いです。横でただボーっと見ている私は間抜けな観衆ですが「奥様格好いいなあ」と見惚れます。本当に医者の私にさえ何もできません。

これだけ治療に非協力的で、かつ騒ぐわけですからご加持の集中力を保つのも難しいでしょう。それを奥様は、もつれた糸を少しずつほどくように、お唱えしながら筋肉の一つ一つを緩めていきます。まさに神技です。

もう20分以上ご加持しています。すると少しずつ屈曲拘縮した首が持ち上がってきました。それは無理やりでなく、患者も痛みを感じることなく自然に上がっているのです。すごいです。筋肉が緩んできました。「すごいすごい、首が持ち上がっている!」と私は叫んでしまいました。付き添いの娘さんたちもあまりにもすさまじい神々しい迫力に「すごい」と涙ぐんでます。

そういえば「痛い、やめて」を発する回数がかなり減っていました。奥様と一緒に患者に付き添っていた娘さんから「母さん、すごいね!楽になってきたでしょ。もう大丈夫だよ」という言葉かけにも「うん、大丈夫。良くなるね」という返事までするようになったのです!これも驚きです。そして体の拘縮がほぐれたおかげで、ようやく車椅子から診察台に患者を移すことができました。奥様はその後も全身をご加持します。すでに30分以上かけています。


ご加持で見事に首をまっすぐにした状態

ようやく首がまっすぐになったのでここではじめて私の出番です。首に上頚神経節ブロックを注射します。ですが、注射は1ミリ以下の精度で行うものですから認知症で暴れる患者にはできません。

「注射はリスクが高く、非協力的ですとできません。一応やってみますがダメなら途中でやめるしかありませんね。」と断りを入れます。ですが、奥様がここまで命を張って治療しているのに私がおじけづくわけにはいきません。気分を奮い立たせて私もなんとかやっとのことでブロックを行いました。

 今後、この患者がどうなったかはこれからご報告するとして、それにしても奥様はこのご加持でダメ押しのように体力を消耗し熱を出すようになります。38度代を出してしまいました。

 翌日は熱が少し下がりましたが奥様の体調は崩れていて「ご加持をあまりやりたくない」と言います。奥様が弱音を吐くのはよほどのことです。かなり全身が衰弱しているようでした。

こうして奥様は体調不良をひきずりながら医療業務をすることになります。朝起きると体調は少し回復しているのですが、それでも無理をするので夕方は熱が出て微熱は続くという毎日です。

 さらに悪いことに、この認知症の騒がしい重症患者が、次の予約を4日後にも入れてしまったことです。微熱が続くからだを引きずったまま、この患者にだけは全力で長い時間をかけて奥様は献身的にご加持をしなければなりません。

 そしてうれしい報告です。この患者は帰宅後も効果が持続し、首がうなだれずにテレビを見ている姿の写真を家族がメールで送られてきました。驚愕の事実です。何度もいいますが、すさまじい威力です。

たった1回のご加持で驚異的な効果を発揮していたことがわかったので、私も奥様も大喜びです。ブロックだけではなかなか持続効果に乏しく、しかもこれだけ重症ですから「改善は無理かもしれない」と思っていた矢先に、この写真ですから、前回から4日後の今回も奥様は微熱のある体をひきずりながら全力ご加持をしたわけです。

改善した様子

 次の日、熱が39度代になりました(休診日なので不幸中の幸いです)。奥様にとって生まれてはじめての高熱です。今まで一度もこんなことがなかっただけに今回はご加持が原因だと私は確信します。限界を超えてご加持したせいです。

 奥様は家に帰るとN寺でいただいた御札を抱いて寝ました。お札は湯たんぽ以上に温かいと奥様は言います。もちろん、そう感じるのは奥様だけですが・・・。

 不思議なことに御札の成果かわかりませんが、翌々日の朝には再び熱が下がり37度代になりました。すさまじい回復力だなあと感心します。「今日も休診にしよう」と考えていたのですが奥様の熱が下がったので開くことにしました。

 しかし、こんなことしていたら風邪が治る暇がありません。この日から「ご加持は控えよう」と奥様も私も思うのですが・・・全国から何時間も何万円もかけて来院される患者たちに、少しでも応えてしまうのが私たちの性分。

奥様にご加持を依頼してはいけないと思いつつも私は「ご加持できるかなあ」と奥様に頼んでしまうのです。奥様も自分の命が削られるとわかっていても目の前に困った患者がいると加持をせずにはいられない性分なのです。奥様も控えなくてはいけないと思いつつも、いやとは言わずにどんどんご加持をしてしまいます。

これじゃあ治るものも治りません。そしてようやく体調がもとに戻ってきたのが月末です。奥様はなんとご加持のせいで3週間以上も体調を崩してしまいました。  私たちは奥様の肉体にご加持がどのような悪影響を及ぼすのか、もっと勉強しなければならないと思いました。