第八十一話 資格者

私はK神社でS郎さんの名を確認した後、奥様の家に戻り、お父さんに「S郎さんの名前が刻まれた石柱があった」と話をしました。

「S郎と書いてある柱を見つけました。確かにありました。しかも随分と年季が入ってました。」

するとお父さんはこういいます。

「うちの先祖は景行天皇の武家貴族(征夷大将軍)の源氏の流れの子孫なんです。」とお父さんがいいます。

「ええ~っ、そうなんですか? 天皇の源氏からの流れの家系ということですか?」

景行天皇

私は景行天皇という名をはじめて耳にしたのでピンと来ませんでしたが、天皇家にまつわる流れの血を引くという話に顎が落ちそうなほど驚きました。もちろん奥様も知らなかった話です。

東京に帰ってから調べたのですが景行天皇は日本書記に記されている第十二代天皇(308年即位)で、邪馬台国があったとされる纏向遺跡に都を置き、九州征伐をしたとされる伝説的な天皇です。九州という土地に多くの子孫を残したことも伝えられており大分県とも由縁のある天皇のようです。

奈良県桜井市 纏向遺跡

奥様が師匠に「霊格が高い」と言われたことがここで完全につながりました。だてに奥様が能力遣いになったわけではなく、血筋がめざめたと言ってもよいかもしれません。本文のタイトル「奥様は巫女」というのが、ここでようやくつながってきたわけです。奥様はまさに神仏に仕える身として生を受けた可能性があります。

そして過去に霊能者の先生方に言われたことを振り返ります。名古屋のT先生には「巫女さんがいる」と言われ、師匠のO先生には「霊格が高いところから始まっている」と言われ、H先生にも「仏徳がある」とそれぞれに言われていたことを思い出します。

そしてさらに心に染みたO先生の言葉がありました。それはお不動様の分身をいただくときに

「これは誰もがもらえるものではないんですよ。めったにないことなんです。」との言葉です。お不動様からのお告げがあったからこそ分身をいただけたわけですが、お告げは「その資格」がなければ下りません。それは一生、身を粉にして仏に捧げた信者にさえ下りません。それが「誰もがもらえるわけではない」という意味です。誰もが・・・とは一般人を指すのではなく「信者や行者・阿闍梨でさえも」という意味です。

霊格・仏徳は人が一代で築くものではなく、何十代も前にさかのぼり祖先が神仏に身をささげてきた蓄積・貯金であるのだと思います。一歩進んで考えると、人が転生しながら何百年もかけて築いていくもの。だから一人の信者が一生をかけて修業をして功徳を積んだとしても、その貯金はわずかであり分身を頂く資格にさえならないのでしょう。

そう考えると、お大師様の分身三体をいただいた奥様の先祖はその時点で「資格者」であり蓄積された霊格があったのでしょう。熱心な信者というだけではもらうことができない分身をもらったのですから。

奥様は日本書記時代の天皇家にまつわる流れからの血筋と、霊格の高い信者からの血筋を両方ひきついでいるようです。いうなれば天照大御神の加護と弘法大師様の加護の両方に護られているようです。なんと凄まじい血筋でしょう!

天照大神(※イメージ画像出典:八百万の神大図鑑)

 奥様は邪馬台国の卑弥呼ともゆかりがあるのかもしれませんが、いずれにせよ、分身を頂けるというのは見えない厳密な資格があるのではないかと思わせるお話で、なんと!奥様はもともと「普通ではなかった」のでした。