第八十話 ルーツ その2

ひとまず強い波動を放つ石を持ち帰ることはあきらめます。そして部屋に戻りお父さんにもう少しお地蔵さんの話を聞くことにします。

「お遍路さんが年に二回来られるとのことですが・・・」と私は話のきっかけを作ります。

「そうなんです。最初は家の中にお大師様を置いとったんでお遍路さんたちに家に入ってもらってお参りしてもらとったんです。でも家の中に置かないほうがいいと言われたんで平成元年に今のガレージのところに置くようにしたんです。」

「お地蔵さんのことをお大師様と呼ぶんですか?」と私は聞き返しました。

「お大師様って昔から言っとりました。Cばあさんの頃からずっとです。」

「でもお大師様って弘法大師様のことですよ。つまり、そのお地蔵様は弘法大師様ゆかりということですかね。」

「そうだと思います」とお母様は軽くうなずきます。まあ、お遍路さんが来られるということは弘法大師様ゆかりであることは間違いないでしょうが、でもお地蔵様が弘法大師の分身であるとなるとそれは素晴らしいことです。

 そんな素晴らしい分身を譲ってもらえたCばあちゃんのご両親はもしかすると奥様のように霊能力者だったのかもしれないと想像します。なぜなら、奥様もまた強い能力者であるため、お不動様の分身を頂いているからです。そうでなければ僧侶でもない一般の人が分身を譲り受ける理由が見当たりません。

 前に述べたように、能力者はその能力に応じて強力で邪悪な意識体も寄ってきます。それを払う力がなければ命まで奪われる可能性があります。よって能力者を応援するためには分身を授けて払う力を授けなければなりません。奥様がそうしてお不動様の分身をいただいたように、Cばあちゃんのご両親も、そうだったのかもしれません。しかもあの黒い石は「女性にしか使えない。」ものとなれば、それを使っていたのは妻の方です。よって私の推測ではCばあちゃんのお母様がもしかして能力者? などと私は空想を膨らませます(あくまで空想です)。

「あのう、家の中に置いていたということですが、どこに置いてあったのか見せてもらっていいですか?」と私は訊ねます。

「いいですよ。こちらです。」といって床の間を指さします。私も「ここですか?」と指さします。

床の間の右端には仏壇があるのですが、よくみると仏壇のろうそく立てが鶴と亀でした。鶴亀ののろうそく立ては奥様がいうには浄土真宗の大谷派だそうです。

「この仏壇は・・・浄土真宗の大谷派だけど、、、そうか、真言宗はCばあちゃんからの流れなのか。」と奥様がつぶやきます。

「あらそうなの?」とお母さん。

「ばあちゃんはやっばり違う信念をもってたんだよ、、、」

つまり、Cおばあさんからの流れが浄土真宗とは違う真言宗由来であることをお母さんは知らなかったということです。どちらかというとその事実に私がびっくりです。普段はお母さんは宗派など気にも留めずにお経をあげていたということでしょうか。

そのことを奥様に訊ねると、お母さんは毎日毎日お仏前の手入れは怠らず、健気に尽くしていたそうで、「私は何もわかりないんですけどね。ただ毎日欠かさず綺麗にして差し上げることが大切だと思い、何年もそのお勤めをさせていただきましたよ。それが私のお役目だったんでしょうね(笑)」

一方、お父さんは毎日の般若心経のお唱えは毎朝欠かさず行い、何かあるときも必ずお唱えは欠かさなかったそうです。Cおばあさんと一緒です。

奥様はお花や仏飯やお供え物などの手伝いはしていても学生時代など仏間にはあま出入りしなかったらしいです。

「Cおばあさんからの真言宗の流れか・・・すごい力だなあ・・・」と私はつぶやきます。

というのも、ここで奥様が真言宗に導かれた理由がCおばあさんからの流れからだということがはっきりと明らかになったからです。奥様が真言宗に目覚めたのではなく、真言宗が奥様の血筋を動かしていたと感じるからです。

 そしてすごいのが・・・仏壇です。仏壇は非常に歴史があるように見え、かつ装飾が極めて精巧かつ豪華。これを現代で作らせれば高級外車が買えるというレベルです。

仏壇を一通り拝んだ後、再びお父さんのところへ戻ります。

「あの仏壇はどなたが購入されたんですか?」とお父さんに訊ねたところ

「あれはNじいさん(奥様の父親の父、つまり祖父)の前の代の曾祖父からNじいさんが受け継いだんですよ。」と言います。

ということは、おじいさんは仏様を敬う家系であり、かつおばあさんがお大師様の念の入った地蔵を持って嫁入りして、そもそもこのカップルが信心深い者同士だったということです。そこからの直系の奥様はサラブレッドだったことがわかったのです。まさに奥様が現在、真言宗で開花している根源がここにあったわけです。大師様の分身を大切にしてきたCばあちゃんからの流れを奥様がくんでいるということになります。

O先生が奥様に「あなたは霊格が高いんですよ」と言っていたのを思い出します。霊格って何? この時点の私には全く理解できませんでした。しかしながら、奥様の血筋を見ると、先祖から受け継がれているものと霊格が関係するのだろうなあと思います。

この後居間に戻ってさらにお父さんに話を訊きます。

「この子(奥様)ができたときは未熟児(低出生体重児)で2000gしかなかったんです。いつ死んでもおかしくない健康に育つかも保証できない、大病するかもしれないとお医者さんに言われとったもんですから、その時にお大師様のあった部屋にずっと寝かせて願掛けしとったんですな。」とお父さんがいうと

※イメージ画像です

「それがね、お父さんは部屋に誰も出入りさせないんです。それこそ部屋を無菌室みたいに扱ってマスクをしないと入らせないようにもしてたんです。一般には出回っていない特別な高価なミルクしか飲ませられなかったりとそれはそれは大変だったんです。でもそれ以来病気一つせん子に育ったんです。仏様のご加護だったんでしょうかね。ありがたいことです」とお母さんが口を挟みます。

ちょっと待てよ。このシチュエーションはまさにO先生がおっしゃってた「生まれた時に誰かが願掛けをされたのだと思います」という、まさにそのことではないか!と私はピンと来ます。

 奥様は未熟児の保育器で生死をさまよっていたとき、まさに両親が「お大師様」と呼んでいる石像に願掛けをされ、退院してからも24時間来る日も来る日も一緒の部屋で過ごし、そしてご両親が「健康に育つように」と必死に毎日お祈りを捧げていたわけです。O先生の言っていたことがここで完全に一つにつながりました。お大師様は奥様の守護だったのです。

1年前はそのこともわからずにK神社にお参りに行って、石像とゆっくり向き合うこともなく東京に帰ってしまいましたが、1年後の今日、願掛けのことがやっとわかりました。

 でも気になるのはお父さんの父方です。霊格が高いと言われている奥様ですから、父方にも霊格を上げる何かがあるのかもしれません。

「お父様のお父様は何をされていた方なんですか?」と私は質問しました。

「Nじいさんですね。Nじいさんは風呂釜制作のエンジニアです。まあ職人ですね。私は一級建築士の資格を持っとりますから職人気質はじいさんからですな」

「母方の祖父は八幡製鉄所のエンジニアですわ。北九州出身です」

「あの有名な八幡製鉄所ですか・・・。(両親の祖父はそろってクリエイティブな職業なんだな)」

「ではNおじいさんのお父様のひいおじいさんはどういう方だったんですか?」

「S郎といいまして、K神社(京都の世界遺産の神社の分社)の高額なご寄進者でお世話しとったそうです。近くの代々の墓があるお寺(浄土真宗大谷派)の総代もしとりました。」

「へえ~それはすごいですね。」と私は感心します。総代とはお寺の信者のまとめ役をする者のことを言います。母方はお大師様で父方は神様へのご寄進と総代ですから、それは格が高いでしょう。あの仏壇はそのS郎さんのものでしょうから、とても信仰心の高い方です。

そしてCばあちゃんは熱心な真言宗(お大師様)の信者。奥様が偶然に真言宗の師匠を持ったのではないとすると人間の運命はある程度線路が敷かれている、または人間は見えない大きな力に動かされ、自由に生きているようで自由ではないということになるでしょうか。

とにかく、奥様がたったの1年で真言宗の師匠を持つようになったことは偶然ではなさそうです。

「今でもS郎ひいじいちゃんの名前がK神社に刻まれていますよ」とお母さんが言うので

「ちょっと見に行きたいんですけどどの辺ですか?」と尋ねますと

「私が案内しますよ。」とお母さん。

その後私と奥さんとお母さんと3人でS郎の名の書いてある石柱を発見しました。

この石柱も相当年季が入っています。100年以上経っているような雰囲気です。S郎さんが百年以上前にK神社にいろいろと奉納されていたことを示すものです。奉納は信心深さだけでなく人生の成功者でなければできることではありませんので、おそらく奥様のご先祖は相当立派な方、立派な家だったのだと推測します。

それから家に戻りさらに驚きの事実が判明するのでした。