第七十四話 いい話

 今日は静岡県からほぼ毎月来院されている私の診療所では顔なじみのSさん(男性)が来院しました。来院前にメールで「とても親しくしていた従妹の女性がALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気で数日前にお亡くなりになった」ということを聞いていました。 

 奥様は別室にSさんを呼び、まずはご加持を行うのですが、いつもはお不動様の真言を唱えてしますが、従妹さんの弔いも兼ねて光明真言も唱えました。

光明真言を唱えると
大日如来の力により闇を
照らす光が手のひらから
発すると言われる

 光明真言を唱えると、とたんに奥様の両手にびりびり電気が走り始めます。

「やっぱり来てるんだ」と奥様はつぶやきます。受付のところでは影を潜めていたのですが光明真言を唱えると意識体(霊)の存在を感じます。おそらくALSで亡くなった従妹さんであると思います。

「従妹の方がお亡くなりになったとお伝えしてくれてましたね。(Sさんが献身的に看病をしたり、家族ぐるみで付き合っていたことを奥様にLINEで話していたそうです)本当にお疲れさまでしたね。お悔やみ申し上げます」ご加持が終わり、奥様はそう告げて受付へ戻り私はSさんの元へ行きました。

「ALSという病気は本当に残酷な病気でしてね、筋肉が動かなくなってしゃべることも息もできなくなっても知覚神経だけは侵されないので痛みや苦しみを最後の最後まで感じるんです。感じて苦しくても表情さえ動かせないので誰にもそれを伝えられないんです。ALSという病気はこの世の地獄と言われるほどに苦しい病気なんです。うちにはそういう患者が大勢来るんですが、患者は自分がこの世でもっとも苦しい病気にかかっているということから目を背けて生きているんです。私はその地獄を知っているので「もっと頻繁に通院しなさい」というんですが、患者は楽観的に考えているんですよ。それで手足が動かなくなって最後に通院できなくなるんです。まさか、患者にALSの地獄を教えることもできず・・・」

と言っていると奥様が飛んでやってきます。そして急いでSさんの脇に座ってSさんの両手を握りしめます。そのとたんに奥様がしゃべりだします。

「ごめんね。ありがとうって言えなくてごめんね。言いたくても言えなかったあ~~~」と言って泣き崩れます。ALSでは自分の死期が近づくのが刻一刻とわかります。そして看病している人に「ありがとう」も言えないままに死にゆくのです。

 「苦しかった。つらかった。でも本当にありがとう。お父さんお母さんにも伝えて・・・」と再び泣き崩れます。自分の意志を両親に伝えることもできないまま一人死を迎えることの寂しさがあふれ出たようでした。

 私はこの会話をとなりできいていましたが、私も一緒にもらい泣きしてしまいました。それと同時に、亡くなった従妹の想いをSさんに伝えることができたことで、彼女の霊は成仏できるでしょう。奥様は霊のために素晴らしい働きをしてくれました。

 ありがとう奥様。それは私の声です。無念を残してこの世を去った霊の無念を晴らして差し上げるのですから。

 本当に、こんないい話はありません。

ところで、患者のSさんは奥様が言うには霊感は弱いほうではないのですが、このような現象は初めての体験だったようで、さすがに驚いていました。ですが、すぐに亡くなった従姉妹だということはすぐにわかったそうです。そして、私の治療後、奥様にしきりに「びっくりました。ありがとうございました。すぐに従姉妹だとわかりました」と御礼の言葉を伝えたそうです。亡き後のことを気になっていたから驚くと同時に感動したようです。

奥様が言うには、理解できない人、信じない人にはこのように亡くなった人が生きている人のところに言葉を伝えには来ないそうです。「Sさんは、従姉妹さんが亡くなった後に1人になってしまう子どもを引き取りたいとまでいっていたの。私に相談もしていたの。だから、従姉妹さんはSさんに思いを伝えたい気持ちが強かったのね」と奥様はいいます。

 今は奥様のメインの仕事はご加持ですが、奥様の能力は霊媒として亡くなった方の意志を生きている人々に伝えることができることです。奥様はさらっと診療中にこういう行動を軽々と片手間にこなしてしまうのですが、このように遺恨を残した霊体の遺恨を晴らすという行為は名のある僧侶にもできることではありません。供養を熱心すると亡くなった方の心が晴れるということもありません。

 奥様のような霊能者は人助けではなく、霊助けをして救ってさしあげることができます。その仕事ぶりは人間界と霊界をつなぐ非常に尊いものです。

 声を大にしては言えませんが、霊能者とそうでない一般の僧侶とでは供養力に大差が出ると私は思います。一般の僧侶は先輩たちから習った供養のやり方で全員に同じように供養します。しかし霊能者は霊と会話をし、霊の望みをかなえてあげるようにし、一人一人で異なる供養をしてあげることができます。

 供養という性質の行いは、相手が望むものをかなえてあげることが最も大切であり、形式などどうでもよいことです。霊を本当の意味で供養できるのは霊能者だけであるという当たり前の話なのですが、これを口にすることは宗教界ではタブーとされます。しかし、成仏できていない霊のせいで健康被害が出て窮地にいる家族にとっては、タブーなどどうでもよいことです。皆がそのことに気づけば、霊の世界はもう少し穏やかになるというものです。