第六十八話 密教が密である理由

伊予の国に衛門三郎の話が言い伝えられています。彼は伝説では托鉢に訪れた僧侶の鉢を八つに叩き割ったためその後8人の子供が次々と亡くなたそうです。その僧侶は 実は弘法大師様だったのです。ですが、弘法大師がそんなひどい祟りを一般人が鉢を割ったからといって課すはずがありません。

衛門三郎像

 こうした伝説には多少の誤解があります。衛門三郎は豪農でしたが強欲で人望がないと伝えられています。それはこれまで多くの人々から搾取し、悪事を働いたからでしょう。おそらく彼の祖先も多くの人々から恨みを買っていたでしょう。弘法大師様と会っていなくても、衛門三郎は自分と先祖の因縁・怨念で8人の子供を亡くす運命にあったのかもしれません。

衛門三郎は8人の子供が亡くなった後に猛反省して大師様に会うために巡礼したそうです。それが四国遍路のルーツとされています。その後の逸話もいろいろとあるようですが、ここでは省略します。

密教に偉大な力があることはそれなりに日本国民や世界に知られています。弘法大師様には偉大な霊能力があったことが、こういう伝説に込められています。それと共にこの摩訶不思議な能力は恐れの対象にもなります。

ですが、その恐れは真言密教に対して持つことや、弘法大師様に対して持つことは筋違いでしょう。真理はその逆です。恐ろしいのは人間の怨念や、高等な意識体(神々)による祟りの存在です。それらから人々を守ろうとしているのが弘法大師様(真言密教)です。人々を守ろうとしている存在を恐れることほど愚かなことはありません。

 今日、私の診療所に例の日蓮宗の上人が来院しました。私の母の遺骨を預かっていただいているお寺の僧侶です。

「最近、Kさん(奥様)が大きな力を持つようになり、患者さんを難病から救えるようになったんです。」と私は言いました。

私はこの僧侶の神経痛を完治させてあげたいという気持ちが強く、そのため奥様のご加持を受けてもらいたかったわけです。私は彼が真言密教を嫌っていることを知っていましたが、神経痛が本当に気の毒だったので奥様のご加持を勧めてしまいました。

「もしよろしければ気を送る治療を受けていただきたいのですが」と打診してみました。すると

「因縁を引くからね」と断ってきました。まあ彼の立場からすれば無理もありませんが、もしかして救いの手を差し伸べることができるかもしれないという万一の可能性に賭けて進言しました。が、撃沈です。いわなきゃよかった・・・。

 霊能者のT先生は日蓮宗ですが快く治療を受けてくれましたので淡い期待をしました。が、無理でした。

「ここ(診療所)の気が変わったね」と上人。

「わかりますか?」

「わかるよ」と言います。

「お母さんがね、様子を見てやってくれって言ってたんで今日来たんだよ。お母さんが心配しているよ」と。

これは結構卑怯なセリフです。霊能者でもない上人が私の母と会話ができるはずもなく、私は実際に奥様を通して母と会話しているというのに、その母が「私と奥様が真言宗に入信することを心配している」と事実ではないことを彼の空想で言うのですからよくないでしょう。彼は奥様の能力を知らないようです。知っていればこういう話がすぐにばれることがわかりますから。

 彼は以前私に「真言宗の方に行くと命をとられることもある。その覚悟はあるのですか?」と言ったことがあったので、そのセリフを再度彼の口から言わせないようにするために、私はこう言いました。

「いやあ、私の命は奥様がいなければとっくになかった命だと思っているので、私の命がどうなってもかまわないんです。」と私は上人に覚悟を示しました。

「それはお母さんが望んでないよ」と彼は言いました。

「霊能力もないくせにいい加減なことを言うな!」と言いたかったのですが、私の母の遺骨を人質にとられていると強く出られません。それでも私は

「私には難病の人を救うという使命がありますのでK(奥様)さんと一緒にがんばっていくつもりです。そしてそれは私にしかできないことなんです。私がその道を歩まなければ、困る人が大勢出るんです。」と反論します。

「俺がなおしてやってるんだ。という傲慢な考え持つとよくないよ。」

とさらに否定してきます。

傲慢な医者のイメージ

私は確かに以前はそういう傲慢な考えをしていた時期がありましたが、最近はそういう考えを捨て医に命を捧げようとしています。しかし、そんな大志は彼には理解していただけず、一般的な傲慢な医師と私は同じ範疇で見られているようでした。私は進んでいばらの道を歩んでいるだけであって、傲慢だからいばらの道をあるいているわけではありません。私は話題を変えました。

「いやあ、最近はね、私も人の気を感じるようになったんですけどね。」

「老人になって体が弱ってくると、気に対抗できなくなって感じるようになってくるんだよ。」

さすがにここまで否定されると少々私も腹が立ってきます。この話ぶりなら、人は高齢になればなるほど気が読めるようになってくる。病人であればあるほど気が読めるようになるという意味になります。気を読める=病人という彼の考えがわかります。そして私は老人なのか・・・

老人の医者のイメージ ハリーポッターより

こんな考え方をしているから、奥様の霊能力=病気、と扱うのでしょう。私はいたって元気であり、体が弱っているから気が読めるようになったわけではないのに、奥様だけでなく、わたしまで病人扱いです。この上人はにこにこしながらどこまで人をバカにし続ける気なのでしょうか。 

 となりで奥様は憤慨しているのがわかりました。これでは話が収まらないと思った私は

「また、ご相談に伺います。年明けにでも伺います。」

「そうだね飲みながら話そう」と

一旦話を終わらせました。

奥様の偉業にも私の医業にも否定、否定、否定・・・このように否定をする理由はわかります。おまえたちのような普通の者が見よう見まねで勝手に法力を使うものではない。生兵法怪我の元だと言いたいのでしょう。ここまで必死に否定しなくても・・・。

しかし、私と奥様は上人が考えているような普通の者ではないと思います。普通の者のように振る舞っていますが、それは周囲へのおもいやりです。それに私は霊力はありませんが、医師の腕としてはすでに普通ではありません。他の医師が治せない病気を治す専門の医師ですから。これのどこが普通ですか?

彼は考えないのでしょうか? 万一、奥様が普通の人ではなく「神仏に選ばれし人間」であった場合、行く手を阻害しようとしている彼に災いが振りかぶる可能性があることを。いやあ、考えないと思います。神仏を心底信じていないのですから。

私は日蓮の上人が言うように「密教はヤクザ」という発言が最後までひっかかります。空海・弘法大師は真言宗以外の全ての宗派も認め、密教はそれらを超越したものであると教えていましたが、ここまで否定されるとは・・・

 奥様の師匠であるO先生は奥様のご加持や除霊の行為を

「体はきついと思いますけど、それが功徳となっていますのでがんばりなさい」と肯定します。彼はなにがなんでも否定し続けます。

上人が帰った後、奥様は激怒して私に話します。

「O先生が言ってたけど、密教は本当に目の仇にされるって、人々の救済のために命を張っているのに、そういう姿を認めることもなく商売坊主が邪魔しに来るって。密教が怖いんじゃない。ご不動様は本当に慈悲深くて人を陥れたりしない。世の中を救おうとしてがんばっている人を邪魔するから邪魔した人に罰が当たるだけなの。私たちはご不動様に認められて力を貸してもらっているわけで、すでに高い次元にいて人々を救済する役割があるんです。それを邪魔しようとするから報いを受けるだけなのよ。」

まさに奥様の言っていることがその通りであると思います。彼が私たちを邪魔する存在になれば、彼に災難が降り注ぐと思います。真言密教が恐いのではなく、真言密教を行っている者の中に神々と通じている霊能者が多く、そう人たち陥れようとすると恐いことになるだけの話です。真言密教でなくても、どの宗派の人であろうと神々と親しい人々を陥れようとすれば災いが起こると思います。「人々を救おうとする人々を陥れる」という愚行に対する警告です。

文頭の話に戻りますが、弘法大師様はむしろ衛門三郎を救ってあげようと思っていたと考えます。大師様は衛門三郎と初対面の時にすでに彼の背負っている因縁・怨念を見抜いていたと思います。彼を救うために大師様は托鉢を勧めたのですが、その救いの手を払いのけ、鉢を割ってしまった。その結果、救うことができなくなり、元々彼が背負っていた怨念をまともに食らってしまったというそれだけの話だと思います。しかし、伝説では弘法大師様の鉢を割ったせいで災いが起こったというように誤解される可能性があると私は考えます。

奥様はこう続けました。

「そうよ。私たちはすでに高い次元にいるわけで、お不動様に守られているんだから、ちょっかいだすから出した人に災いが起こるんです。密教自体が怖いわけじゃないの。」

「そうだよな。だから密教なんだ。ちょっかいを出す人間をできるだけ減らすために密かにする必要があるんだ。」

私たちの活動が今後の人類に貢献できるとなれば、私たちは大いなる意志に守られていても不思議ではありません。ですが、そのことを表に出すと、「何をバカなことを言ってるんだ。そういう傲慢な考えをしていると危ないよ。」とちょっかいを出して妨害する方が増えるでしょう。私たちはそうした「ちょっかいを出す者」に災いが振りかぶらないよう、「密か」にする義務があるのだと理解します。 ここで紹介した奥様の発言は、限りなく真実に近いと私は断言します