第六十五話 不信心

 私の診療所には西洋医学が完全に見放した難病の方々が来られますが、そのなでも最も手ごわいのがALS(筋萎縮性側索硬化症)です。この病気は延髄の側索という運動ニューロンが通る箇所が選択的に侵されていく病気で、徐々に全身の筋肉がやせ細り、最後には呼吸筋が麻痺して死に至ります。意識や痛みを感じる知覚だけは最後まで侵されず、最後には眼球だけしか動かなくなるという非常に残酷な病です。診断されると5年以内に90%以上がお亡くなりになります。そして西洋医学では治す方法が全くありません。

英国物理学者 ホーキング博士 ALS

 ただし、人間の体というものは側索だけが選択的に侵されるはずもなく、いろんな症状と複合しても当然なのですが、複合すると診断基準を満たさなくなるのでALSとは診断されにくくなります。しかしALSのような症状を持つけれどもそう診断されない予備群の方が結構いるものです。

 私たちの医療は命がけです。この病気は治療が成功しなければ命が失われるからです。西洋医学では救えないことがほぼ確定ですから、私たちは全力を尽くすために自然と患者に厳しく接することになります。まずは通院回数です。月に4回は最低でも通院してほしいのです。ならば遠方の方は診療所の近くに引っ越していただかなければなりません。命がかかっているのですから当然です。

 しかし、患者は私たちの治療力を信じていません。だから引っ越しまでして治療を受けに来ることはなかなかありません。この病気には命がかかっているのは患者本人もわかっていますが、私たちにその命をあずけられるかどうかで結局信じないで終わる方が多いようです。

 さて、今日来院した方は地方から飛行機で来られた60代の女性の方です。症状は下肢が思うように動かず、杖でよちよち歩きとなってよろけて倒れてしまいそうです。ですがまだなんとか歩くことができています。ここまで病状がひどくてもALSと診断されていません。先ほど述べたように「偉い先生が作ったALSの定義を完全には満たしていない」からです。

 彼女が診察室に入るやいなや、まずは奥様がご加持を行います。ブロック後では反応が鈍くなるからです。

「私が気の担当をさせていただきます。」と奥様が一言述べて彼女の頭部とうなじに手を当てます。普通に考えればこんな病院があったら患者はびっくりします。ですがここは「西洋医学では治らない」崖っぷちの方が来院されますので、奇天烈な治療法に疑問を抱く方はそうそういません。疑問を抱くくらいならそもそも飛行機で来院しません。

「あたまの中がマグマのよう爆発しそうなくらいに熱いです」とご加持中に奥様はいいます。

「どうですか?頭の中が変な感じをしていませんか?」と彼女に訊ねます。

「はい、いつも頭の中が爆発しそうに苦しいんです。」と答えます。

「えっ、それって問診票には書いていませんよね。」私は彼女につっこみました。なぜなら、病状は全て医師に伝えなければ治るものさえ治せないからです。そういうことを申告していただかないと治療方針が立たないではないですか。

おそらく彼女は「頭の中の爆発」は伝えたところで治してもらえるはずがないと思っていたでしょう。だから申告しなかったのだと思います。

「まずはこの脳の発熱から取り去りますね。これを取らないと治療がうまくいかないと思いますので。」と言い奥様はお唱えします。すると間もなく

「あら?頭の中の爆発がなくなりました!ずっと悩んでいたんです。どうやっても薬を飲んでも全然治らなくて困っていたんです。すっきりしました。」

「それはよかったですね」と奥様も一緒になって大喜びします。

 仕上げに私が上頚神経節ブロックを行いました。すると帰るころには来院時よりもしっかり歩けるようになっていました。

「反応がいいので、しっかり通えばなんとかなると思いますよ。」とそういってめでたしめでたし、と行くはずでした。ところが・・・

 待合室では娘と一緒に大声で笑い声・・・。奥様は治療が成功して喜んでいるから仕方ないと最初は放置していましたが、あまりにも笑い声がやまないものですから注意します。

「ここは重症の方ばかりが来られるところですのでおしゃべりは慎んでください。院長のブロックも命がけでやっていますので、おしゃべりは他の患者様に迷惑がかかりますのでお控えください。」と注意しに行きました。

 そしてお会計の際に彼女たちは

「予約は任せたからそちらですべていいようにやってください」と全て丸投げ。

 私の診療所は予約は1か月先まで予約が埋まっていますので、割り込み予約をするのは簡単なことではないのですが、そこを「難病だから当然でしょう?」というようなそぶりで奥様に予約を丸投げしたものですから、奥様もこれには苛立ちます(奥様が予約受付もご加持も事務も全て一人でやっています)。

 どうやらこの患者は「どこに行っても治らない難病を、なんとかしてもらいに来ている」という意識がありません。「お客様なんだから対応しろ」というような雰囲気を漂わせていました。

 しかし、院長の(私の)前では猫をかぶったようにおとなしくするものですから、その二重人格ぶりに奥様はさらにイラつきます。

これまでどうやってもとれなかった一番危ない脳内の爆発感をご加持でとってさしあげたのに、おそらくそれはブロックのおかげで治ったとでも思っているのでしょう。奥様への敬意は全く見えませんでした。私の見解としてはご加持で改善させたのは明白なのですが、彼女たちはその恩を完全に無視状態です。

 その上奥様とのやりとりのメールには

「患者が何も知らないと思った大間違いです。」というような意味不明な文章が書かれていました。これは私や奥様を心霊商法の詐欺師扱いしているようなものです。患者をだまして私たちが何か犯罪をしているというような極めて失礼な内容です。私には理解不能のモンスター患者です。こんなことを書いた相手の病院に、普通行きますか?

難病に挑もうとしている患者が、私たちにこれほどまでに失礼な態度をとるとなると大きな問題です。奥様は立腹しますが平静を装いました。

 彼女(患者の娘)は元看護士だそうです。だから「医療の裏側を知っているのだから手厚く診ないと承知しないぞ」という脅しなのでしょうか。どちらにしても不快極まりない態度に私たちはあきれてしまいます。

 何にあきれるのかというと、「自分の病気が今崖っぷちにあり、私たちの信用を失ったなら他で治してくれる施設はない」ということを未だに認識していないことにあきれているわけです。大きな態度で出てもよい場合も世の中にはあるでしょう。それは他に選択肢があって駆け引きができる状況にある時に限られます。病識がないとはこのことです。

 さて、彼女は1週間後に再び来院したのですが・・・そこでも問題発生です。

まず診察室に入る様子を見て私は彼女に

「だいぶ歩き方が安定しましたね」というと、返事をしません。

椅子にかけていただき、奥様がご加持をします。すると

「頭頂部に軽い熱感がありますが、あの爆発的な頭全体の熱感はおさまりましたね。よかったですね。」とご加持で爆発感を改善出来ていることを伝えたのですが・・・

「足のふらつきがとれないんです」と、ネガティブな発言。頭の爆発感が1週間経過した今も改善していることへのお礼の言葉はありません。

「足もずっとしびれていて、他人の足のようです。」と訴えるので奥様は患者の足をもちあげてご加持を始めました。

「でも、歩き方はよくなっていますし、少しはよくなっているんでしょう?」

と私が彼女に訊ねると、その質問には答えず、

「階段では足ががくがくして昇ることがなかなかできないんです」と不満を言います。

「あのですね。悪いことばかりを言うのではなく、昇れないにしても、来院前よりはよくなっているのだから、そのことを言わないと話にならないんですよ。階段昇降は来院前を10段階の10とすると、今はどのくらい改善しているか数字で述べてください。」

「今は・・・8です。」

「だったら2割は改善したんですよね。そのことを言わないといけません。2割改善してよかった。誰も治せなかったくらいの難病を2割も治してもらっているんだから感謝するという気持ちが必要なんですよ。今まで、2割でさえ改善させることができた病院は他にはなかったでしょう?」と淡々と彼女に説教します。

「で、頭の爆発感は今はどうなんですか?」

「今はありません。」

「じゃあ、10が0になったということですよね。それをまず報告しないといけません。ネガティブなことばかり言って感謝の気持ちを持たないと治りませんよ。」と言うや否や

「本当に治るんですか?」と一言。

奥様はこの一言にすごくがっかりしてしまいます。私も怒りのメーターが振り切れそうになりましたがぐっと抑えて

「これは私の病気ではなくあなたの病気であり、あなたの難病に対する挑戦なのです。挑戦者は私ではなくあなたなんです。わかりますか? 治せるかどうかは全てあなたにかかっているのであって、私たちはそれを応援しているだけなんです。」

奥様は「私、こんな人を診れません。」と去っていきました。それはそうです。もっともな反応です。命がけの加持を無料でしているのですから。

「あのですね、頭の爆発感が消えたでしょう? あれね、ブロックの力よりもご加持の力の方が大きいと思うんですよ。ご加持は心で治す作業ですから、彼女に嫌われたら治してもらえません。本気でこの病気を治したいのなら、まず彼女に感謝の気持ちを表してあげてください。感謝の気持ちは言葉では伝わりませんよ。きちんとお布施という形にしてあげてください。私もKさん(奥様)もお金には困っていません。お布施なんか頂こうとは思っていません。ですが、感謝の気持ちを本当に表したいのならお金以外で表すことは失礼になります。私は、普段はお布施のことはいわないんですけど、彼女に嫌われたら治療力が激減します。私一人では改善率がよくありません。ご加持をしなければ治りがあまりよくないことを知っていただくために、一旦ご加持は中止します。」

というと

「いやです。ご加持も受けたいです。」と

「受けたいのであれば、ご加持の重要性をまず自分で知らなければ無理です。そのためにも一旦中止します。」

と、やむを得ず中止してしまいました。奥様は患者の感謝の気持ちに呼応してご加持の波動を出します。だから、無礼の人へのご加持は効果が少なくなります。これだから信じない者を救えないのです。

患者が自分の病気がどれほど窮地に立っているのかをどこまで悪化したら理解していただけるのだろう・・・と嘆きます。

ですが、結局、その日は私が知らない間に奥様が足の辛さを見かねて冷たい足だけを一生懸命ご加持をして上げたそうです。後になって知りました。あきらめずにめげずに治療して差し上げるとは、その仏心は立派です。

その3日後、彼女はやってきます。奥様は「ご加持あまりしたくない」とまだ落ち込んでます。私は

「全力で治療しないとあの人は命を落とすんだから、どんなに無礼でもやってあげないと。(この時は奥様が私が知らぬ間に前回足だけを一生懸命ご加持して差し上げたことを知りませんでした)」

「わかってます。」

「でもまあ、当分はご加持の効果を理解してもらうためにもしないでおくか・・・」

「ご加持って1回やっただけでも治るから・・・」

「そうだよね。実際に頭の爆発感は一度で治ったしね。悔しいね。」

私と奥様はご加持の威力を理解しない、感謝しない患者に対し、悲しくなります。

 私は今日は淡々と

「それではブロック治療を行いますね。」と言うと、今度は彼女の方からしゃべりだします。

「あのう、だいぶ楽になりました。足の感覚が戻ってきて膝が曲げられるようになったんです。今までは足が曲がっていることもわからなかったんですが、触った感じもわかるようになりました。」

「そうですか。深部感覚が正常化してきたんですね。」

「それから、いつも夜寝るときに足が必ずつるんですが、ほとんどなくなりました。寝るときはいつも恐怖だったんですが、恐怖感が減りました。」と、滑り出すように教えてくれました。

「それは良かったですね。」とは言うものの、おそらくご加持でよくなっているとは思っておらず、ブロックでのみよくなっているのだと思っているのだろうなあ。

「いつものように、ブロックしておきますね。」どうせ奥様はご加持をしないだろうと推測し、カルテに今の内容を書いて機械的にブロックをしてさしあげました。

お会計の時に奥様は私の書いたカルテを読みます。すると、症状が改善されたことを知ります。そういえば前回のご加持で足まで念入りにやってたよなあと思いつつ足への加持が効いていることを確認できたことで嬉しくなったようです。

ふと見ると奥様が別室に彼女を呼んで自主的にご加持しているではありませんか。患者も観念して奥さまに

「足に丁寧に加持してくれたおかげでによって嘘のようにずいぶん良くなりました。足の位置間隔がわかるようになってきたし、さわった感じも理解できるようになってきたし、夜間のこむら帰りが激減して、いつまたなるかもしれないという恐怖感が減ったんです。ありがとうございます。ご不動さまを信じます」

と素直に言って加持も催促するようになったそうです。

奥様も「あんなに良くなっているのを見ると、ご加持しないわけにはいけないわ。」とますます仏心が芽生えたようです。頑張っています。さすが、奥様です。

 まあ、彼女が奥様に感謝の意を表さないまま、通院していれば、いずれは奥様も愛想をつかすでしょう。私たちが簡単に救える命であれば、無償奉仕もいとわないでしょう。しかし、全力を尽くさなければ治らないほどに難病であれば感謝の気持ちを示さない患者に延々と無料奉仕をし続けることはできません。

 感謝の気持ちを示すことのできない患者は、それが必要なほどの難病にかかってしまった時点で、命をあきらめることになるわけです。感謝は命に関わる重大なことです。これは太古の昔から普遍の定義であると思います。