第六十一話 現地調査

 以前、私の診療所近くで邪悪な波動により病気が進行し、命を奪われそうになった患者の話をしたと思います。現代医学では解明できない病気の原因として「波動」というものが存在することは事実です。

 私の診療所には「原因不明の難治性疾患の患者」ばかりが来院されますのでやむを得ず「波動が原因となっている疾患」を研究せざるを得ない状況になっています。必死になって治療しているのに、繰り返し病気が再燃してしまう場合、「病気になりやすい環境」にあるのではないかと考え、その一つに「住んでいる場所の波動が悪い」というものを考えざるを得ません。そうした難病奇病を根本的に治すには、住んでいるところの環境を変えなければならないので現地調査が必要になります。

 私と奥様は休診日に三人の患者の現地調査を計画します。午前11時に日本橋を出発しましたが、カーナビに1人目の患者住所を入れたとたんに奥様の右手が重くなりゴムボールで手のひらを押されているような感覚を覚えます。

首都高に乗り中央高速の方面に車を走らせていると奥様が軽くトランスに入りかかります。私は奥様に憑いているものの正体を探るために「お前は誰だ」と問いますが、奥様は「やめてほしい」というのでやめました。でも狡猾に奥様の中に潜んでいるようです。

 それよりも右腕の痛みが強く、これを払うために奥様は必死にお唱えをするのですが良くなりません。

 とうとう奥様はたまりかねて「現地に行くのはやめにしたい」と言います。奥様の体が第一です。

 私は「わかった。じゃあ次のインターチェンジで降りるから。高幡不動に行こう。」と提案します。

現地と高幡不動は10キロくらいしか離れておらず、もともと寄り道するつもりでした。調布インターチェンジで降りてランチができるところに入り「とりあえず高幡不動に行こうね。」と言うと、奥様の右腕の痛みが軽くなりはじめました。

 高幡不動と波動のチャンネルが合い始めたため、奥様に憑いている波動がそれを嫌がって奥様から離れようとしているのではないかと推測します。

 高幡不動に到着すると、駐車場への車の列が並んでいました。今日は七五三の日で大変にぎわっていました。しばらくしてようやく駐車することができましたが、奥様は少し元気が出たようです。しかしまだ右手の痛みは残っていました。

お寺の案内所でお不動様の像(不動三尊像)がある場所を訊きます。2か所あることがわかったのでまずは最寄りの不動堂の階段を登ります。

七五三で混み合っていて不動堂の中に入ることもままなりません。せめてご不動様を一目見ようと覗き込みますが外からでは見えません。奥様は「ここの不動様からはあまり強い波動を感じない」というのであきらめてもう一つのお不動様へと向かいます。奥殿です。

「うわあ、すごい」と言って奥様は顔をしかめます。奥殿への階段を登る最中にかなり強力な波動を感じたからです。ガラスの格子扉越しにご不動様が見えます。3メール近くある大きなご不動様です。

「もっと近づいてみた方がいいよ。」私は奥様を格子扉に近づくように言います。

奥様は気分が高揚しています。さっきまでの不機嫌が嘘のようです。

「中に入れないのかなあ?」奥様はもっと間近で見たいようです。

「左の脇から入れるみたいだよ」脇に入り口があり、そこでは入館料を払って入館できるようです。さっそく中に入ると重要文化財級の仏像や掛け軸が展示されていて、最後にご不動様にたどりつきました。

ご不動様の前に奥様が立つと「さっきまでの腕の痛みが嘘のように消えた」と奥様は感激します。そして思わず泣いてしまいました。

「ご不動様のご加護で痛みが消えたみたい。見守ってくださっているのかな。消えたということは、応援してくれていることだよね」と奥様は感謝とうれしさにいっぱいになりました。苦しかった右腕が完全に回復です。

混雑している境内ですが、たまたまその時だけは周りに人がいませんでした。

 奥様はご不動様の前で正座をし、深々と額を床に着けてお辞儀を3回しました。人がいるとさすがにそれはできませんので本当にタイミングがよかったと思います。奥様はすっかり元気になりました。

「ねえ、これからどうする? 目的地まで行く?」とたずねると

「行きます。」というので、夕陽の中をここから8キロほど離れた患者の自宅まで車を走らせることにしました。

自宅周辺に悪い気があると、奥様はすぐに察知しますが、100mほどに近づいても特に何も感じません。50m、20m、10mと目的地に近づけましたが何も感じません。そこで車を降りて玄関先に移動しますが何も感じません。

「何も感じませんね。」と奥様。

「そうか、よかったね。じゃあそのことを患者に報告しよう。」

「待って! 電話してみる」と患者が自宅にいるかどうかを確かめます。

「留守のようね。」

「じゃあ帰ろう。」

こうして私たちは帰路につきます。ちなみに帰りは渋滞に巻き込まれ、家に着いたのは夜でした。本当は2~3軒の患者宅を周ろうと思ったのですが、さすがに患者宅はそれぞれ遠方なので、はしごができませんでした。私は渋滞で疲れまくりですし、奥様は右手の不調で疲れ大変な一日でした。休日のゴーストバスターお疲れさまでした。しかしこの話の半年後、思わぬ急展開をすることなど、この頃の私たちには知る由もありませんでした。