第六十話 一蹴

 先日、私たちはT先生の霊視により、奥様がご加持をしている時にお不動様がそばに立っていたということを聞かされました。それはそれは光栄なことであり、「私たちが着実に成長していることをお伝えせねば」と思い、O先生にそのことを奥様が話しました。

「今日、以前お話した霊能者のT先生が来院されて、私がお唱えをしている時にお不動様がそばに立っているって言われたんですけど・・・」

「そんな嘘の話を信じてはいけません」と一蹴。

あまりにも素早い返答に、思わず笑いがでてしまうほどでした。

「嘘」と言い切ってしまうことが何を意味しているのか? またまたここでも私は悩んでしまいます。奥様が増長しないように釘を刺すためなのか、それともT先生をペテン師だと本気で思っているのか、あなたの今の霊格レベルではそんなことあり得ないと思っているのかがわかりません。

 ただ、そんな話は「聞きたくもない」というネガティブな感情がO先生から沸き起こっていたことだけは私にもわかりました。

 T先生をペテン師と言い切ることは「T先生の能力を理解するつもりはない」ことを意味します。O先生レベルの霊格の持ち主が、同じ霊能者にライバル心を持つのだろうか?と不思議に思ってしまいました。

 こうして「お不動様がそばに立っていた可能性」のことを伝えたとたんにO先生がT先生のことを「ペテン師」扱いする様は、以前に日蓮宗の上人が「日蓮上人と話ができる人がいる(T先生のこと)」と私が彼に伝えたとたんに激怒された件と酷似しています。

このような怒りの感情は信者全員に共通しているのではないかと私は考えます。O先生はお不動様の信者であり、日蓮宗の僧侶は日蓮上人の信者です。熱心な信者ほど、教祖を讃え、教祖様が軽々しく他者のところに降り立つことはないと考える「独占欲」です。しかも厳しい修行を積んだ者ほど自分を特別だと考え、「修行を積まない者には神(教祖)が降りて来ない」と考えたい心理です。

最愛の人が「自分だけに優しくしてくれる」ことを望むのは誰もが持つ欲求です。最愛の人が他人にも優しくしていることを知った時、私たちはどんな反応をするでしょう。

こうした独占欲は煩悩の一つです。しかも、皮肉なことに熱心な信者ほど、この煩悩をそぎ落とすことが困難でしょう。

この独占欲を制御することが霊能者にとって最大の修練であると私は思います。神々に好かれ、愛される存在である霊能者が、「自分を特別であると思うこと」「神々が自分よりも他の霊能者を愛した時の嫉妬」をどう制御できるかです。嫉妬すればするほど神々は離れていくでしょう。それは偉大な存在であるO先生、そして奥様とて同じです。誰一人例外なく乗り越えなければならない修練です。

 ただし、今回のような「一蹴」の理由としてもう一つの事情があります。霊能者であろうと一般人であろうと神々を信仰する者の陥りやすい罠です。それは口利き者の存在を飛び越えて直接神々と交渉しようとすることです。

 小売店が問屋を飛び越えて生産者から品物を仕入れようとするようなものです。確かに生産者は少しなら品物を分けてくれますが、大量には品物を小売店に卸しません。同様に一般の方が神々に祈ってもご利益はわずかであり、大量にご利益を得たい場合は、霊能者に仲介してもらうしかありません。

 奥様がお不動様の力を借りる上で、O先生は仲介者になっていて、それを飛び越えて自分勝手にお不動様を拝んでも大きく成長しないですよ。という事情があります。

具体的に言うと、「お不動様が降りて来たからといって師匠の私を飛び越えてお不動様信仰をすると成長しないですよ。」という意味をこめてO先生が一蹴したのかもしれません。この場合は独占欲からの言動ではなく、奥様をおもいやる言動となります。しかし、言動が利他的なのか利己的なのか? 私はいつもその境界線に悩むことになります。

 私は理由はどうであれ、霊能者のO先生が、霊格が違うにしても同じ霊能者であるT先生をペテン師扱いしたことがショックでした。

 奥様と帰りの車の中で魔女狩りの話をしました。魔女狩りで拷問されて殺された母親は当然ながら霊力があります。霊力とは人を呪い殺すこともできる力です。母親の憎悪の念は果てしなく、死後に極めて強い怨霊と化すことは間違いないでしょう。

魔女の存在を信じているから魔女狩りをするのだろうけれど、魔女を殺せばその後に莫大な怨霊が自分や自分の子孫にふりかかることを、なぜ理解できないのか? 不思議でたまりません。密教の世界では怨念は十代祟ると言われています。

人は生きている時よりも死んでからの方が強い意識体となり得ます。魔女狩りで殺せばそれで呪いが解けるのではなく、さらに強い呪いが始まるのだということになぜ民衆は気づかないのだろう? そして呪いのせいで災害が起こり、その腹いせに娘を拷問すれば母親の守護霊がさらに巨大な怨霊になることがなぜ理解できないのか? 「死んでからが始まりである」ことを彼らはなぜ理解できないのか? 愚かすぎる・・・と奥様と二人で話していました。

霊能者は民衆には理解されませんが、同じ霊能者同士にも理解されないというのであれば、どれほど孤独なのだろうと私は考えてしまいました。