第五十九話 能力は隠しなさい

 今日は午後の診療を早めに切り上げ奥様の師のN寺に護摩の火を浴びに行くことにしました。月に一度の十一面観音様をお唱えする特別な日だからです。私たちは奥様の能力が上がるとともに、N寺へ訪問する回数も増えて行きました。

 午後6時30分前に到着した私たちですが、僧侶O先生に呼ばれ私たちは別室に行きます。分身の話かなあと思いきや、違いました。

 「私たちは欲や煩悩を持っていてそれを一枚ずつ少しずつ薄皮をはぐように剥がしていくのですが、よろいのように煩悩だらけの私たちはいくら修行を積んでもなかなか剥がせないものなのです。」と、煩悩をはがしていくことの大変さを教えてくれました。修行を積んでもいない奥様は、当然ながら煩悩にまみれているということを間接的に言っているのでしょう。 

O先生は「お不動様はこの子(奥様)に分身を与えよと言っているけれど、加持はしすぎると体を崩すので心配だわ」と案じていると奥様から聞いたことがあります。お不動様を分け与え、ご加持の道に奥様を誘い込むという重責です。

おそらく、奥様に起きているこれまでの環境変化の速度は、O先生から見ても「速すぎる」はずであり、とまどっているように感じます。

さらにO先生はこう話しました。

「能力は恥ずかしいものとして隠しておくべきものです。」とO先生はおっしゃるのです。「えっ? どうして能力が恥ずかしいの?」「どうして隠すの?」と私は思ったのですが・・・複雑なようです。

今日のヤフーのニュースにこんな記事がありました。

パプアニューギニアで6歳の少女が「魔女狩り」に遭って拷問されているというニュースです。魔女狩りとは「霊能者が霊能力を使って人を呪ったことに対する罰として処刑する」というもので、中世のヨーロッパでは民間人の間で私刑として行われていたそうです。

奥様のような霊能者は世界中にいるのですが、どこの国でも霊能者は恐れられ、不信死などがあると霊能者が疑いをかけられ処刑されることがありました。たしかに、密教の奥義にはダークなものも存在するということをO先生から聞いたことがあります。

霊能力があることが周りにばれると、恐れられ、迫害を受ける可能性があるようです。これが能力を隠しておかなければならない理由の一つだと思われます。

さて、奥様の目まぐるしい変化に対応しきれていないのは実は私でした。奥様の主張が日々強くなっていることに自分をどう合わせていけば良いのか毎日戸惑っていました。私は科学的に、常識的に、物事を考えるのですが、奥様は霊能者的感覚で物事を考えるので意見の衝突が絶えませんでした。

私はそんなとき、O先生が言っていた「増長するな」という言葉がとても気になりました。私は奥様の「我を通す態度」が霊能力者として天狗になり、増長していることが一つの原因であると思ったからです。

奥様に力を与えている大いなる意志は増長を望まず、多くの人にその力で救済してあげてほしいと願っているはずです。増長すれば大いなる意志から罰が下るでしょう。私はそれを絶対に防がなければならない。奥様が増長しないようにすることは「私の命を懸けた仕事だ」と思うようになります。

ところが結局、私が奥様の増長を抑え込もうとするたびに二人は大喧嘩するようになりました。喧嘩のたびに、私は奥様を許すべきか断罪すべきか悩みました。悩んだ末にいつも許しました。そして私の心は傷ついていきます。

後からわかったことですが、私と奥様は対であり、奥様だけが能力者として成長すればよいのではなく、私自身も成長しなければならなかったということです。私が傷つくことは、巫女を支える者としての役割を果たすために私に与えられた試練でした。

結局、奥様に霊能力が芽生えたせいで、二人とも心が傷つきました。ですが、今ならわかります。傷ついてそれを乗り越えるたびに煩悩が一つずつはがれていくことを。ですが、この頃はそれを理解できなかったために苦しみました。

この頃は奥様が増長しているから私と衝突しているんだと思っていましたが、実はそうではなく、私を救うために奥様が主張を通していたようです。それがわかるようになるにはさらに(2017年から)1年以上先の話になります。

O先生が「能力は隠しなさい」と言っていることで、私はこの「奥様は巫女」を表に出してよいかどうか迷いました。奥様に質問してみたところ

「本来ならば、僧侶が伝えるべき『説法』は、僧侶でないとしてはいけない話です。一般の人が研究範囲で書くことは大丈夫だけど、あまり踏み込みすぎたことを書くことは「机上の空論」といってやってはいけないことなの。それは師匠からも釘をさされています。だから、私のことも伝えられることと伝えられないことがあります。私が目を通してOKなら大丈夫だと思う」とのことでした。

私は奥様が目を通すうちは大丈夫かとひとまず胸をなでおろします。私たちは神仏の世界に足を踏み入れ、そして煩悩を落としていくために、次々と試練を受けます。その試練は奥様よりも私の方に重くのしかかります。なぜなら、奥様はすでに霊格が出来上がっていて、私は未熟だからです。おいつくことは無理ですが、できるだけ近づかなければなりません。