第五十四話 霊能力者の屈辱

 霊能力者は世界では様々な呼び方をされます。神・救世主・教祖・霊能者・超能力者・魔女・巫女・シャーマン・祈祷師・呪術師・宇宙人・イタコ・気功師・感応者・精神異常者などなど。呼び名は能力を何に使うか、その強さにより変わります。が、全員が「特殊な波動を送受信できる」ことに変わりはありません。

霊能者が世界にどのくらいの数で存在するかはわかりません。そして、霊能力の高い者は少なく、霊能力の低い者は数多く存在します。それはピラミッド状の人口分布です。つまり、先ほど述べた呼び名の底辺部分の人が圧倒的に多いと言えます。底辺部とは精神異常者です。おそらく、能力者の9割以上が精神異常者と言われ、実用レベルまでに能力を高めることができた者はその1割にも満たないでしょう。

人間の世界は多数決で判断する世界ですので「霊能者」はほとんど精神異常者扱いされてしまいます。霊に感応する体質を持っている方はそううつ、感情失禁、多重人格になりやすく、精神異常と診断されている方がいると思われます。これが底辺にいる霊能力者の屈辱であり苦悩です。

奥様の師のO先生も、以前は精神病院に入院させられていたことがあること述べましたが、この能力は精神病者扱いされやすいことを知ります。

しかしながら、「霊能力者」の能力は超人的であり運までも左右できることから国家の上層部は霊能力者をこっそり庇護します。例えば、皇族がそうですし、松下幸之助もそうです。そして能力者は修行僧がどれほど修行をしても到達できない境地に一足飛びに到達してしまいますので、「迫害される」という宿命があります。

特に、一般大衆向けの宗教(日蓮宗や浄土宗、浄土真宗など)と、上層部向けの宗教(真言宗など)との間に霊能力者を介した敵対が生まれることは避けられず、日本でも醜い宗教対立が飛鳥時代から存在し、霊能力者はその板挟みに合い悩まされることになります。霊能者はどの宗派にもいますから、「霊を認める宗派、認めない宗派」に影響され、彼らは人生を狂わされます。

 その反面、高い霊能力者は宗教団体から引っ張りダコなのです。信者集めには霊能力ほど役立つものがないからです。しかし、引っ張られた先では「霊能力の高さがゆえに地位を脅かす存在」となりうるので、能力を過小評価されるという屈辱を浴びます。過小評価されつつもその霊能力を信者集めの手段としておおいに利用され、結局いやけがさして宗教団体から抜けるのです。奥様が巫女であることを予言したT先生はまさにその被害にあわれ、R会を抜け出しました。世界中で霊能力者がこのような屈辱を受けるのは、人間界では当然と言えば当然のなりゆきです。。

宗教団体を牛耳っている人は初代の教祖を除いて二代目以降、たいていが霊能力者ではない(霊能力があっても弱い)ため、最後には地位の高いリーダー格の者とその教団内の霊能力の高い者は対立する運命にあります。必ずそうなると断言します。

 地位のない霊能者の方がリーダーよりも強い神通力を使えることが明らかになると、信者がリーダーについていかなくなり、事実上、信者を全て霊能者に奪われ、教団を乗っ取られるからです。もし、あなたが信者だったとしたら、ご利益を与えてくれないリーダーと、ご利益を与えてくれる霊能者のどちらを信じてついていきますか? 明らかでしょう。

こうした苦悩を避けるには霊能力者自体が教団を作るしかなく、新興宗教はこうして世界に次々と生まれていきます。が、新興宗教は二代目になると霊能力がありませんので組織力だけが商業利用されるはめになり、これが世間に受け入れられない土壌(拝金主義)を作り、結局孤立して崩壊します。こんなことを世界が太古の昔から繰り返しているわけです。こうした仕組みを私は知りたくもありませんでしたが、奥様が霊能力を持つことで、その汚れた世界に引きずり込まれることになりました。まさに、国家・宗教・支配・お金・権力の裏の縮図が私の目の前に横たわっていたのでした。

私は日蓮宗の僧侶の方に母の供養をお願いしています(2017年3月より)が、彼はとても立派な修行僧でしたが霊能力がありません。その彼に奥様の能力は「病人(精神異常者)扱い」されてしまい私は苦悩します。

 奥様の師匠は真言密教のO先生です。私は日蓮宗と真言密教が対立関係にあることを最近になってようやく知りました。

日蓮上人は歴史的に、当時、法華経以外を認めないと宣言していたことを知ります。これが日本では後世に宗派の対立を生み、今日でも日蓮宗は排他的です。そして母を供養しているお寺(日蓮宗)と、奥様が入信したお寺(真言宗)が宗派的に対立しているなんて・・・全く知りませんでした。(正確には対立とは言えないほど次元が違うらしいですが)

対立は同じ宗派内でも起こるということを私は最近知りました。師匠のO先生が「うちは真言宗ではなくて真言密教よ。」と言っていたのを思い出します。

あくまで私個人の推測ですがと断っておきます。密教を伝承できるのは基本的に霊能者だけですから、真言宗といえども霊能力のない者が受け継ぐと、そこで密教の流れは止まります。すなわち、霊力のない形骸化した真言宗となります。霊力のある者はそこから追い出され、宗派が別れざるを得ません。別れて小さくなった霊能者率いる真言宗が、真言密教と自らを名乗り、受け継いでいくしかないのだろうと推測します。O先生の「真言密教」という言葉には、きっとそんな想いが刻み込まれているのではないでしょうか。

 さて、日蓮宗の僧侶の奥様が、お母様と一緒に私の元へ治療に来ました。お母様は以前よりも腰の痛みが強くなっていました。そして両足に難治性のしびれがありました。私は難治性の症状を治して差し上げたいという善意で、奥様のご加持のことを彼女に説明したのですが・・・

「患者様の悪い気を受けますから、それを払った方がいいですのでうち(寺)に来てくださいね」

「はい、ですが、妻はすでに真言宗のお寺にご祈祷に通っておりますので。大丈夫です。」

というと機嫌悪くした様子でした。

私はようやく、彼女が機嫌を悪くした理由が理解できました。彼女のお寺では祈祷を行い、原因不明の災いを祓うというようなことを既にやっているからだったのでした。なんと私たちは商売敵だったのです。これには笑ってしまいました。

「私たちは修行をして戒律を守って正式に受けついできた祈祷をするというのに、しろうとがマネごとでご加持をすんじゃないわよ。」という嫉妬です。

私は商売など考えていません。ただ、目の前の治らない患者をどうにかして改善してさしあげたい。それ以外、メンツとかどうでもいいのです。修行を積んでいない新参者であっても、治せるならそれでいいじゃないですか。特に奥様の「患者様を治したい!」という気持ちは半端ないです。ですが、それを認めないという強烈な嫉妬が働くのが人間です。

 メンツを生活の糧にして生きている彼らにとって、メンツはどうでもいいことではなく、命を懸けてでも死守しなければならないものだと、後に私は理解するようになります。

これが先ほど述べた霊能者(奥様)と僧侶の対立の縮図です。にわかに霊能力をつけた奥様に、生まれた時からお寺の後継者として修行僧をしてきた僧侶が「祈祷力で私の奥様に負ける」ことを認めるわけにはいかないのでしょう。しかし、実際はどんなに修行を積んだところで、「本物の霊能者に法力・祈祷力で勝てるわけがない」と私は思います。

住職の奥様はこういいました。

「私どもの祈祷を受けた直後から、気を受ける(感応)体質が芽生えてしまう方が結構おられるんです。私たちはそういうのを祓って差し上げているんですよ。だから、あまりご加持なんてされないほうがよいですよ。」と。

私はこのセリフに鳥肌がたちました。奥様に感応という悪しき体質が芽生えているので、私たちが祈祷により、その邪悪さを祓ってさしあげましょうというのです。

 私は霊能力を持たない者がどのように霊能者を蹴落とすのかの現場に遭遇してしまいました。衝撃的です。

「いえいえ、私どもはご加持をし、患者様の悪い波動を浴びることが功徳を積むことだと考えておりますので。」と私が答えると、

「でも、悪い気を受けると大変ですからね。私どものところに来てご祈祷されたほうがいいですよ。」の一点張りです。

 私がこれらの発言が、奥様の能力を侮辱しているということをよく理解していますので私はいっきに落ち込み、暗くなります。奥様の霊能力に敵意や嫉妬の念を持ち、邪悪な生霊を発しているのはまさに「あなた」であり、私はあなたの邪気によって落ち込んでしまったのです。

 私たちが「絶体絶命の患者を救うためにやむを得ず霊能力を使っている」と主張しようとも、どうせ受け入れないのだろうなあと落ち込みます。

霊能者のT先生に「霊能力者は感応者と言われ、侮辱を受ける」ことを前もって知らされていましたので私たちは彼らの嫉妬の言葉に惑わされることはありませんでした。しかし、世間一般の霊能力者は彼らに言われるがまま、「自分の感応体質は悪しきものである」と思いこませられるのだろうと理解しました。

 私は奥様に言いました。

「あの奥さん。自分が邪気を背負っていることに気づいてないのだから参ってしまうよ。悪しき波動をここに持ち込んでいるのは自分自身なのにね。おかげで俺の眉にしわが寄ってしまったよ。いやだいやだ」

「言ってもわかってもらえないと思うよ」

「ああ~、もうあそこのお寺には行きたくないなあ。でも母親を人質にとられてるからなあ。」

「私がなんとかするからね。」

霊能力者は病人扱いされ、その能力を使わないように抑制しなさいと大抵の僧侶がそう指導します。ただし、不思議なことにそれは霊能力のない僧侶の発言のようです。霊能力のあるO先生やT先生は決してそんなことを言いません。

しかし大衆を味方につけている宗教家たちは、霊能力のある僧侶を迫害します。だから霊能者は山奥にこもって密かに修行をしなければなりません。これが密教が密である理由です。迫害にもめげず修行をつらぬいた霊能力者は、やがて国家の上層部に庇護されるまでになります。

私たちはまさに今、そうしたプチ宗教戦争に巻き込まれているのだと気づきました。それでも難治性の患者を救うために、信念を貫くしかありません。