第四十四話 魔女狩り

 腱引き師範のO先生は全国に弟子を五百人以上お持ちです。お弟子さんの中には医師もいるというほどO先生の治療技術は高く、各方面の方々から幅広く認められています。O先生には霊能者のT先生を先日紹介していただいたばかりですが、今度は「私の弟子で波動医学で癌治療をしている整形外科医のF先生を紹介しますよ」と、またまた気前よくF先生に連絡をとっていただきました。「余命宣告からの希望の「がん治療」幻冬舎」の著者です。

藤田博茂著

 O先生はこれまで、私たちにいろんな能力の高い治療師の方々を紹介してくれました。それは言葉では言い表せないほど私は感謝しています。O先生のおかげで私と奥様の能力が急速に開発されていっていると言っても過言ではないほどです。

 私たちは診療所が終わった後、急いで羽田空港に移動し、夜9時に高松入りします。そこには一足先にO先生が到着しており、夜は(10時半を回っていました)一緒に食事をしました。

 そこで私たちは、ここ最近、奥様の波動の力が日増しに上がっていることで話が盛り上がりましたが、奥様の能力を正当に評価しない人たちが僧侶に多いことをO先生に愚痴ってしまいました。彼らは霊能のことを感応と呼び、霊能者を侮辱しているからです。霊能と感応の違いは一言で言うと「医者と病人の違い」です。医者は病気の存在を調べて治す存在。病人は病気をただ感じている存在。医者と病人は同じではありません。こともあろうに病気を治そうとしている医者を「病人」と呼ぶことは侮辱です。

 同様に、霊に寄る障害を調べて治そうとする霊能者を、霊に犯されて感じている感応者と呼ぶことは大きな侮辱です。両者共に霊を感じることができますが、医者を病人と呼ぶのと同様、霊能者を感応者と呼ぶことは冒涜しています。

私はあることに気づきました。それは前にお話した「家に電気がビリビリ漏電していて白い物体が部屋に見える」ようになった男性患者のことです。彼は白い物体を感じるようになり、ビリビリすることを感じるようになり、感応者になってしまったわけです。しかし彼を霊能者とは呼びません。病人を医者と呼ばないのと同じです。

人間は自律神経が働き、温度変化、気圧変化など環境の変化に全て自動的に対応します。当然ながら自律神経は波動の変化(霊障)にも対応します。体の調子が悪くない時は、霊障があっても、体には何の変化も起こらないので、霊の存在を察知することはできません。

ところが、自律神経の機能が低下すると、温度変化や気圧変化に対応できなくなり、天候の変化で頭が重い、関節が痛いなどの症状が現れます。つまり自律神経失調症になると症状が出るものだから、温度変化や気圧変化を人一倍感じることができるようになります。

 同様に、普段は霊障を感じない人でも、自律神経が異常を起こすと、霊の動きによって症状が出てしまうため、普段は感じない霊の存在がわかるようになります。これを感応と呼びます。つまり、病弱になり、自律神経が壊れると、波動(霊体)の変化がそのまま症状を引き起こすので普通の人でも波動(霊)を感知できる体になってしまいます。ですがそれを霊能力とは呼びません。

僧侶たちは波動を感じる能力を「身に着けなくてもよい悪しき能力」と思っている人が多いことを知り私は愕然とします。奥様は霊を感じるその力を用いて人々の病気を救おうと努力しているのであって、感応者ではありません。霊に感染している病人でもありません。しかし私はすでに、日蓮宗の上人と真言宗の上人から、私の奥様を「感応者呼ばわり」されました。

 奥様のこんなすごい超能力を彼らはなぜ「病人のように言うのだろう?」と不思議に思うと同時に、言われた当時は「この能力は悪いものなのか・・・」と悩んだ時期もありました。

 私の奥様を「感応者よばわり」した僧侶たちは、奥様をお祓いの対象と考え、悪しきものに感染している病人というイメージで見ていたわけです。しかし彼らはわかっていません。霊能者と感応者の違いを。

感応者は自律神経能の低下の際に症状として霊の存在を感じる、パワースポットなどの極めて強い波動(霊)を感じる、霊能者の横にいると霊を感じる、のであって、どれも受動的なものです。霊能者は体が健常で調子のよい時に、霊の存在を感じ、弱い霊をも感じ取り、憑いた霊を祓い、自在に霊を操れる能力があり、全て能動的です。この差は月とスッポンです。医者と病人です。そうした偉大な能力を持つ者を感応者と呼ぶことは失礼です。

 私は食事の席で、O先生の前で「K(奥様)の能力を正当に評価しない者が僧侶たちの中にいて、Kのことを感応者と呼ぶ」ことをお話したのです。するとO先生は

「ちょっと驚いたことがあるんだけど・・・。一昨日ね、T先生に言われたんですよ。「もしも、Kさんに対して感応者と呼ぶ人が現れたら、それは嫉妬ですから気にしてはいけませんよと伝えてあげてくださいね」と言われたんですよ。その時は意味がよくわからなかったんだけど、今先生から感応者という言葉が出てびっくりしたよ。まさに一昨日の話だから。T先生は予言していたんだね。感応者という言葉で傷つけられることがあるから、気にしてはいけないって言ってたよ。」

 奥様は僧侶たちから「自分が感応者と呼ばれて見下されていること」を知りませんでした。僧侶たちは奥様のいないところで私にこそっと耳打ちして「あの能力をどう思いますか?」と私に問うのです。「どう思うって・・・悪いことなんですか?」と問い返しましたが、どうやら彼らはそう考えているということが理解できたのでした。それが彼らの嫉妬であるという話は、この時点では私にはわかりませんでした。

 私は信貴山の空鉢堂で奥様がトランス状態になり武将の霊を降ろした時に、そうじのおじさんが「悪いものが憑いてはるで」と言った屈辱的なセリフを思い出します。奥様に憑いているのではなく、奥様は自分の力で憑かせることも祓うこともできる能力を持っているというのに、それを悪霊にとり憑かれた悪しき人間として誤解されたのです。実際はその逆です。悪霊を祓う力があるのですから、ゴーストバスターです。泥棒を捕まえている警察に向かって泥棒と言っているようなものです。

中世ヨーロッパの魔女狩り

 T先生はそれを嫉妬と言い放ちましたが、まさにその二文字に全てが集約されているように思いました。 注意しなければならないことは、そうした嫉妬の勢力は高僧と言われる人々から発せられるものであるということ。この勢力はかなり強く、太刀打ちできないかもしれません。つまり、霊能者は宗教界で敵に回される可能性が高いと思います。前途多難ですが前向きに奥様を守りながら進むしかありません。現代版魔女狩りに遭わないように奥様を守っていかなければなりません。