第三十四話 怨霊の結界

今日(2017年8月上旬)は大阪旅行の最終日。特に予定は入れていません。帰りの飛行機は夜7時なので時間はたっぷりあります。そこで私はどうしても気になっていることを奥様にお願いします。

「もう一度実家に行って波動を調べてもらえないかなあ。母を追い詰めた波動の正体を知りたいんだ」とわがままを言います。 前回の訪問ですでに邪悪な波動があることはわかっていたので、波動の影響を受けやすい奥様にとっては自分の健康を害すとわかっているところに行くことなのでとても嫌なはずです。ですが「わかりました。行きます。」と言ってくれました。ありがとう奥様!

大阪側から見た生駒山

私の実家は生駒山の麓にあり、私は中学生のころ卓球部の部活でOR寺の石の階段をよくうさぎ跳びをさせられたことを思い出します。

ここの石段でうさぎとびをさせられた

そのOR寺にはKMという南北朝時代の武将の墓があり、ここを本陣として戦死したことも中学校の歴史の授業で学びました。この辺一帯の広域に存在する邪悪な波動の根源はKMの怨念からではないかと私は推測し、私はOR寺を目指すことにしたのです。

 奥様を助手席に乗せ、私はOR寺を目指し東に向かい、東高野街道を横切りました。するとその地点から奥様が苦痛を訴えだしました。

「何か来てる。やばい。ここから急に強くなった。」と東高野街道を横切ってからいきなり邪悪な波動が強くなったと言います。目をあけてまともに前を見ていられないような圧迫感を顔面から受けると言います。そして顔面の筋肉が左右両側ともに、不規則に勝手に動き出します。奥様の体を霊体が乗っ取ろうとしているサインです。普通の方ならこの時点で恐怖におののくでしょう。しかし、奥様はとても勇敢です。私の前では平静を装ってくれました。

そして寺へと続く細く一直線の上り坂を登ります。

一本道が山へと直線的に続く

すると奥様のからだが前後に揺れ始めました。強い力で霊体(意識体)が奥様に侵入を試みているようです。しかも、寺へ近づくほどにその揺れが大きくなってきました。私は奥様の様子を介して波動の根源へと近づいていると確信します。

 奥様は弱い意識体であれば、それを払いのけるくらいにまで能力が高まっています。しかし、強い意識体であると相手に押し切られてしまい肉体が乗っ取られます。

 寺まで残り300メートルという地点で奥様の肉体はとうとう強い意識体に乗っ取られてしまいます。当然ながら奥様はその意識体の言葉を発します。意識体の意志で体を動かします。信貴山で私を振り払って石段を登った時と同じ現象です。

結構急な坂です

 意識体は奥様の肉体の乗っ取りが成功すると、ほぼ必ず高笑いします。

「ははははは」と男性の声色で笑い出したので、私は「これはまずい。かなり強い意識体だ」と思い車を即座にUターンさせ道を下ろうとしました。

 しかし、この意識体の正体が知りたいという衝動にかられ、私は奥様に向かって「あなたはKM公ですか?」と尋ねました。すると、怒った口調で

「貴様、何者じゃ!!」とドスのきいたこえで私を脅してきました。私も武士の出ですから、母の出身地の武将のフリをし「〇〇藩、〇〇家の子孫、〇〇〇〇と申す」と大声で勢いよく名乗りました。

「・・・・」

奥様に降りた武将はあっけにとられた様子でした。

私はその隙にさっさと車を走らせ、OR寺からできるだけ離れました。しかし、まだ奥様はトランスから戻っていません。

この時、奥様の意識は半分。もうろう状態です。意識体の力が弱まれば、奥様の意志で追い出すこともできます。しかし敵の意識体の勢力はOR寺から500m、600mと離れてもなかなか弱まりません。700mくらいの地点で奥様のトランス状態は解除されました。しかし奥様のあたまが重く、敵を完全には追い出せていない様子でした。

 偶然に東高野街道の手前でお坊さんがスクターに乗って私たちとすれ違います。その瞬間だけ奥様の頭が軽くなります。「お坊さんの横を通った時に、一瞬頭が軽くなった。でもまだ離れない。」と。

写真はイメージです

どうやら奥様にとりついている意識体は僧侶が着ている袈裟が嫌いなようで、僧侶が近づくと逃げ腰になるようです。結界の中に住んでいる僧侶。意識体を払う能力はないにしても、「嫌われる」くらいの力はあるのだと感心しました。

そして東高野街道を渡った瞬間、ふっと奥様の体が軽くなりました。「今やっと抜けた」と奥様が言ったので私は安心します。

「そうか、東高野街道は結界だったんだ。結界の内側でのみやつらの気が強いんだ。そして俺の実家は結界の真っただ中にあったというわけか。」

 私と奥様は無事に結界を抜け出しましたが、成仏できていない邪悪な意識体が東高野街道から東の地に根を張り、OR寺あたりをねぐらとしていると私は理解しました。邪悪な意識体の正体はKMであるとは限りませんが、KM公が学び、育ち、鎮魂し、本陣を置いたOR寺に近づくにつれて邪気が高まったことを考えると、私の推理はそれほど外れていないのだと思います。

 それにしても、奥様は怨霊たちに狙われやすいということがわかりました。信貴山に行っても、ここでも、すぐに霊体が近寄ってくるからです。奥様のような能力者はこういう土地には住めません。言い方が悪いかもしれませんが、ここは波動に汚染された地帯です。しかも、汚染地帯がかなり広大で全体に1.5キロ四方はあると思われます。

 こうした邪悪な波動による結界地帯はおそらく全国各地にあるでしょう。東京の山手線内も平将門の怨霊が潜むと言われており、千代田区には将門の首塚があります。そして土地開発でも首塚周辺の開発が避けられているという事実が存在します。邪悪な波動を信じない人もいますが、実際の社会では、公表はされていないものの、上層部の人間にはしっかり信じられていることがわかります。山手線は将門の波動を封じるための鉄の結界であるという都市伝説はとても有名です。

加門七海(1996)『平将門魔方陣』河出書房 ★は神社の位置(北斗七星)

 怨霊の話は全国各地にいくらでもあり、逆に言うと「血に染まっていない土地」などどこにもないほどです。かの有名な法隆寺でさえ、聖徳太子の怨霊を寺内に封じるために作られたという説もあるくらいです。

 今回の帰省でこのあたり一帯に怨霊の結界があることを私は理解しました。その怨霊が母の病気の原因になったかどうかは全く不明です。しかし、さすがに怨霊が人々に良い影響をもたらすとは考えられませんから、五七歳で亡くなった母に何らかの影響をもたらした可能性があると私は思います。

 残念ながら南北朝時代から現在に至るまで、戦で敗れた武将たちの霊を成仏させることができた僧侶はいないようです。

私は考えます。人は死んだからと言って全てが無になるわけではないということです。死んでからも意識体は数千年も残り、そしてそこに住む人々に影響を及ぼす。ならば「死に逃げ」はできない。現世で遺恨を残せば、怨念や恨みは死んでからも消えずに残ることがある。生きている人間は排除することもできますが、怨霊化してしまうと誰にも殺せません。

そして、私の予想ですが、一度怨霊化すると、その力は人々の憎しみを吸収し、ますます大きくなる可能性があります。その理由は、怨霊によって殺された人々もまた遺恨を残し、その波動を吸収し、怨霊のサークルができるからです。

戦い合い、憎しみ合うのはやめて、現世をもう少し人道的に生きようという考え方がそこから浮かび上がります。

 私と奥様は空港に向かいますが、奥様は気分がすぐれません。悪寒がずっと続いています。まだしつこく奥様に武将の霊体がついていることは私から見てもわかります。

 飛行機に乗って東京まで帰れば、波動は振り払えるでしょうか? 私は心配になりました。私は奥様に「悪いことをした。ごめん。」と謝りました。でも、もしも払いきれなければ、ごめんではすまされません。帰ったらさっそく師匠のいるN寺に行かなければ・・・

 後日、師のO先生のN寺に行き、奥様をご祈祷してもらいました。

O先生は奥様がお堂に入るなり「あらあら、何か連れてきたね。」と一言。しかし、その意識体はなかなか正体をあらわさず、奥様から出て行きません。かなりしつこいようです。

お寺では護摩焚きをし、奥様はその火にあたります。すると最後の方でやっとのことで奥様に憑いていた意識体がいたたまれなくなって出てきました。奥様は「うわうわうわあ、あ~」と声にならない雄たけびを上げます。すると僧侶先生が「うるさい、黙れ。喝!」と一喝。すると意識体はやっと出て行ったそうです。

O先生は奥様が憑依されることを常に予測しており、こういう時は何も言わずに祈祷してくださいます。ありがたやありがたや。奥様、私のわがままにつきあわせ、危ない目にあわせてすいませんでした。