第三十二話 伏見稲荷の霊力スポット

2017年8月上旬、ホテルの朝食が6:45から始まるのでその5分前にレストランの前に並び、そして1番乗りで朝食を済ませ、車で大阪の難波から伏見稲荷まで車を走らせます。

伏見稲荷は師の僧侶がお勧めする参拝スポットです。「一度はお稲荷さんにきちんと挨拶しておきなさいよ」と師のO先生はいいます。私はあまり乗り気ではありませんでしたが、「一度はあいさつに」という言葉をいただいているだけに「行くしかないなあ」という感じでした。

 到着すると人が多いこと多いこと。しかも半分以上外国人の観光客です。霊力スポットに参拝したいという欲求は世界共通なのだなあと改めて感じました。日本の霊力スポットはそれなりに世界で評価されているのだろうなと感じました。

ごった返しています。

 ですが、こんなお祭り騒ぎの場所に霊力スポットがあるのか?と疑問に思う次第です。

 こういう場所では奥様に前を歩いてもらい、私は後ろをついていくだけにします。なぜなら、奥様は霊力の強いスポットが手に取るようにわかるからです。奥様が参拝するところだけを参拝していけば間違いはありません。

 伏見稲荷は鳥居が何キロにも渡って山頂まで続いており、そのところどころに様々な神を祀った祠があります。祠の数も百近くあるのではないでしょうか、あまりにも多く、全てお参りしたのでは日が暮れてしまうほどです。この鳥居の数は歴代の「神仏を信じた人々の数」であり、神社に大金を御寄進した人々の数です。つまりこの神社にはそれだけ多くの人々にご利益を与えた実績があるということなのでしょう。

 奥様はその中でも霊力の強いスポットに近づくと右手がしびれて反応しますので、その強さと発生源が確実にわかります。よって百近くある祠の全てに参拝するのではなく、霊力の高い祠にだけお参りするという形で、効率よくしかも確実にお参りします。ありがたや、ありがたや。

奥様が撮影するとなぜか白いもやがかかります。山頂付近。

奥様は歩いていると祠の方から「声をかけられる」ような気がするそうです。ある時は引っ張られて「ここに来なさい」と合図を送られるそうです。その時奥様は「わかりました。はい。今行きます。」と独り言を言って祠に向かって行きます。それを横で見ている私は「奥様はすごいなあ」と感心します。そして奥様は参った記録を残すために写真をとるのです。お賽銭は全て100円硬貨。「10円玉は失礼に当たる」と奥様は感じているようでした。巡るところが多いので売店でジュースを買ってくお札をずします。

ここでも白いもやがかります。

 波動を感知できる人は全国に少なからずおられますので、ご利益のある真の参拝を希望されるのでしたら、そういう人を一緒に連れていかれることをお勧めします。

 波動が強く出ているスポットを次々と回りますが、さすがに高野山の霊宝館の展示品ほどに強い波動はなかったというのが奥様の正直な感想でした。

 奥様は強い波動を感じると、自動的にチャクラが開き、霊が奥様に乗り移りやすくなるという「イタコ」のような体質を持ちます。だからご霊体が奥様に侵入しようとします。侵入されると脳神経を乗っ取られてしまうので危険を伴います。だから必要な時以外は侵入させない方がよいのです。

ところが、パワースポットにはそれなりに力の強い霊がいるので無理矢理入ってくることがあります。最近の奥様はようやく自分の意志で霊の侵入を阻止できるまでに成長しました。

 奥様は強い霊力を感じた場所で写真を撮影していきましたが、そのほとんどに白いモヤがかかっていました。逆光にしては柔らかな曲線のもやが多く不自然です。信貴山の写真を見ても、やはりもやがかかっており、ここまで偶然が重なると白いモヤは偶然ではない気がします。

中心部やや上方に斜めに白いもやがかかっています。

 伏見稲荷の敷地は広大で、歩くだけでも3~4時間かかりました。下山するともう午後の二時でした。

私と奥様はそこから奈良の海龍王寺に向かいます。その理由は昨日の高野山の霊宝館で奥様が般若心経に強く反応したからです。弘法大師・空海は海龍王寺で般若心経を写経していたと言われるため、このお寺に行けば何かを得られるかもしれないと考えたわけです。

 師のO先生はお告げを頼りにパワースポットを巡りましたが、この頃の奥様にはまだお告げを聞ける能力がありませんでした。だから自ら、波動を頼りに縁を探り、パワースポットを巡って神仏との縁を深めていくしかありませんでした。

 霊能者がなぜパワースポットを訪れることが必要なのか? この頃はその意味もわかりませんでした。しかし、修験者やO先生がパワースポットで修行をすることには大きな意味があるはずです。私たちはその意味もわからず、パワースポットが危険に満ちていることも知らず、ただ奥様の直感のみを信じて思い付きで旅をしました。

海龍王寺に着くと、そこには十一面観音菩薩像が本尊として祀られていました。

が、そこからは何の波動も感じられないと奥様は言います。その横に小さな五重の塔がありましたが、奥様はそこからは波動を感じると言います。解説を読むと五重の塔は奈良時代に作られたとあります。

そうなんです、奥様は奈良時代に作られたものには反応します。しかし、それ以降に複製された仏像にはあまり反応しません。おそらく、ここにある十一面観音菩薩像は奈良時代から存在するものではなく、レプリカだろうと奥様は推測します。

 「あんまり強い波動を感じなかった」と奥様はがっかりした表情でした。このお寺からのご啓示は何も得られませんでした。無駄足でした。

「仕方ないねえ。帰ろうか。」と、ホテルへ向かうことにしました。明日は念願の醍醐寺です。今日はゆっくり休むことにします。

 こんな風に無駄足もあれば、昨日行った私の実家付近のように「行くべきではない場所」もあります。どこにどう行けば奥様の霊力が正しく成長していくのか? 何もしらないままパワースポットを巡りました。ただ、不思議なことに、奥様が直感で「行きたい」と強く感じた場所では、何か霊的な現象が起こるという印象がありました。

 ちなみに、「なぜ東大寺の仏像がレプリカばかりなのか? 仏像にレプリカがなぜ多いのか?」私は疑問を持ちました。みんな焼け落ちてしまうそうです。その理由を調べるためにネット検索をすると、意外な事実が判明しました。ほとんど全てが戦乱の時に焼き討ちされるからでした。

 戦乱が起こるとなぜ寺が焼き討ちされるのでしょう。それは戦で殺されそうになった武将が寺に逃げ込むからでした。寺に逃げれば「いくらなんでも神仏の力を無視してお寺に踏み込んで来るはずはない」と武将たちが考えるからだということがわかりました。

 それほど神仏の力は恐れられていたわけです。しかし実際はお寺ごと焼かれてしまい、武将をかくまった僧侶たちも惨殺されたようです。そうした血塗られた歴史のために貴重な仏像が失われていくということを私は知りました。

 焼き討ちに合わないのは政治とかかわりを持たない密教のお寺です。だから高野山には奈良時代の建造物がしっかり保存されているわけです。

 一方、神仏を無視して焼き討ちをし、僧侶ともども惨殺した側の武将には罰があたらないのでしょうか? それを今ここで述べることはまだ時期が早いようです。もう少し読み進めていただければ幸いです。