第二十六話 高野山はお墓の高級マンション

高野山の元阿闍梨であった漢方のN先生にメールをしたところ、高野山の参拝は奥の院にいくことを勧められ、奥の院入り口前の有料駐車場に車を止めてさっそく奥様と二人で歩き出します。

 入り口付近に炎をモチーフにした高さ10メートルくらいの巨大なコンクリートの像がありましたが、奥様はそれには良い気を感じることができず、「目に突き刺さる」といい直視しませんでした。目に突き刺さるということが何を意味するのかはまだ私たちにはわかりません。ですが、奥様の感性からすればあまりよい意味ではないのだと思います。しかし、神聖なモチーフに対して「あまりよくない」という感情を持つことは神仏に対しての冒涜かもしれません。だから霊能者は不安に襲われると思います。それが何であるか誰も教えてくれないからです。


 歩いていると道の両側に名だたる戦国武将の墓があり、おもしろいことに生前は敵であり互いの首を取り合った者たちが隣同士仲良くお墓になっていることに莫大な違和感を覚えました。しかも、戦国武将たちが全て真言宗であったはずもないのに、真言宗のお墓が立ち並んでいることに頭が疑問符でいっぱいになりました。

「おかしいよね。戦国武将が敵同士、お墓になると隣同士だし、この名だたる武将たちが全員真言宗だったっておかしな感じ・・・さらに言うと、お墓は明らかに男尊女卑になっているし・・・ここにお墓を立てることで一族が繁栄するというような願掛けがあからさますぎるよね。」と私は奥様に力説してしまいました。この頃の私は神仏の意味や先祖供養の意味をほとんど知りませんでした。今から考えると無礼な発言でしたが、私がいかに神仏に対して無知だったかをさらしてしまいました。


 もちろん、こんな立派なお墓など、自分には立てることができないという妬みもあります。しかしそれにしても豪華すぎるお墓にため息が起こります。こんな超高級お墓にどういう意味があるのだろうか? と。


 奥の院へ続く道を4分の1ほど歩いたところで明智光秀の墓が右手に見えました。

奥様は「ここすごい。」と強い気を感じたようで、その10秒後にはトランスに入り、急に笑い出します。私の母を降ろしたようでした。


「ははははは・・・」

やはり、母が降りるときは必ず笑います。この笑いにも意味があるのでしょうけれど、その意味が今はわかりません。

「これはええわ。」と関西弁でうれしがります。

「そうか。そうか。」と私はあいづちをうちます。もう、母が降りてきても驚きません。

私は奥様と腕組して歩きますが、奥さまと腕を組んでいるのか母と腕を組んでいるのかわからない感触にとまどいます。おそらく今は母と腕組みなのでしょう。

 不思議なことにこの日は奥様に母が憑きっきりではなく、奥様から出たり入ったりをくり返していました。


やがて弘法大師が腰掛に使ったと言われるところに来ると、母はそこに興味を示したらしく、私を引きとめ腰掛けのところで「ありがたいわ」と言います。

 母は満足したのか、これ以降出てこなくなりました。


 まあ、私が思うに、奥様のチャンネルは周囲の強い波動によって開きっぱなしになり、そこに私の母の波動が入り込むということを繰り返したのではないかと。なぜなら、母が降りてくる場所がこのようなパワースポットに限られているからです。奥様は今のところ、パワースポットのパワーを借りることでチャクラが開くのではないかと推測します。

 奥様は奥の院をぐるっと参拝しましたが、特に強い気は感じられなかったといいます。

表の方の金剛峰寺周辺も参拝したかったのですが、混雑で駐車場が満杯で停められず、人ごみも嫌だったのでそのまま帰ることにしました。「人混みがない時にまた来よう」といってあきらめました。(これは、2017年7月中旬の出来事です)