ブロック注射と因縁

今日はちょっと息抜きコラムを書きました。


昨日の早朝、私の診療所のHPに 「なめんじゃね~」という名乗る方から

「うその事かいてんじゃねーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!ヤブ医者でも感謝しなきゃいけねーのーか!!!!!!!おれはブロック注射のせいで歩けなくなったんだぞーーーーー!」という投稿がありました。


そして翌日の本日の朝、当院におそらく偽名を使って確信犯的に「診療の問い合わせ」をした若い男性がいました。攻撃的、懐疑的、かつ不信感を表しながら質疑をするので、対応者が「そういう姿勢の方はお受けできません。」と答えたところ、お門違いな発言をして電話を自分からブチ切りしました。


 

その男は、診療所HPの

「ブロックを行う医師に敬意を

ブロック注射ができる医師の数は多くありません。加えて難易度の高いブロック注射ができる医師の数はもっと少なくなります。その理由はブロック注射をすることに重い責任があるからと言えます。それはミスをしたときの責任が極めて重く医師一人にのしかかるからです。手術ミスは病院が責任を負いますが、ブロックミスはほぼ医師個人に全責任がかかります。よって医師にとっては手術を行うよりもブロックを行う方がリスクが高いといえます。リスクが高いにもかかわらず、ブロックをどれほど行っても医師の給料は同じですから見合わないのです。見合わないのに医師がブロックを続ける理由は「他のどんな治療よりもブロックは患者を幸せにすることができる」ことを知っているからです。つまり、ブロックは「ハイリスク、ハイリターン」です。そのリスクの部分を全て医師が責任を負い、ハイリターンだけを患者に捧げる。そうやって患者を幸せにすることを第一に考えてきた医師は「高い技術のブロック」を身につけられるようになります。よって、医師がブロックを患者に勧めるとき、それはお金儲けの商売根性ではなく、「目の前の患者を幸せにして差し上げよう」という心意気で勧めているわけです。真実を言うと、ブロックせずに患者を何度も通院させたほうが医者は楽してお金を儲けることができます。それでも患者の幸せを考える医師はブロックを患者に勧めるわけですから、ブロックを行う医師に敬意を払いましょう。もちろん、そうだとしても医師からブロックを勧められた際に断ってもかまいません。断る自由は保証されています。」

 

という内容に対しての抗議でした。


このなめんじゃねえさんの気持ちは理解できます。坐骨神経痛をわずらって医者にブロック注射を受けて悪化したので医学・医者に対して不信感を強烈に持ってしまったのでしょう。しかし、因縁というものを知らなければなりません。


もしなめんじゃねえさんが「変形もなく、奇形もなく、癒着も靭帯肥厚も椎間孔狭窄も何もない」状態であれば、ブロック注射がたとえ失敗しても「症状が悪化」することはまずありません。神経が窮地に追い込まれていて「何か一触即発」の状態だったからこそ「ブロックで悪化する」ということが起こります。


この一触即発という状況を作ったのは本人であり因縁です。そして、ここからが重要です。「どんな一流の医師がブロックを行ったとしても、悪化する状態」であったなら、この患者にブロックを行う医師はだれでも逆恨みされるという状況下にありました。これを法制上、不可抗力と言います。もちろん罪に問われることはありません。


ただし、必ず逆恨みされるというタイミングでこの患者に手を出してしまった医師にも「何かの因縁があった」と言えます。担当医にすれば「運が悪い」というだけのことですが、悪運を引く原因が担当医の日ごろの行いの中のどこかにあったと考えるべきです。


ところがなめんじゃねえよさんは「もともとの原因が自分にある」ことを棚に上げてしまい、平気で悪化の原因を全て他人のせいにするという「行儀悪さ」を持っています。もし、本当に「注射のせいで歩けなくなった」のが事実であるなら、それはニュースになるような大事件です。


行儀の悪い患者の場合、ブロックをすると訴訟問題に発展するおそれがあるので経験を積んだ腕のいい医師は「行儀の悪さ」を見抜き、そういう患者とは縁を結びません。


逆に言うと「行儀の悪い患者」は「経験や思慮の浅い医師」としか縁を結ぶことができません。つまり、行儀が悪いという原因が無謀な医師との結びつきという結果を生み、自業自得で悪化となることがあります。


しかし、どの医師がブロックしても悪化するという状態であった場合は、結局どの医師を選んでいても同じ結果になっていました。


ところが、中にはこうした因縁を絶ち切ることができる特別な者が存在します。特殊な修業をしている医師や治療師です。霊能者もその一人です。彼らをここでは「神の治療師」と名付けることにしましょう。


神の治療師は当然ながら因縁を知っています。現医学で治せない難治の病気には因縁が深く関係していることを知っています。因縁を知っているということ=小手先の治療では治らない、ことも知っており、これを治すには患者本人が生活習慣から性格や考え方まで改心しなければならないことを知っています。なぜなら、もともと改心させることが目的で、普通では治らない病気にさせられている、または自ら運命的にその病気になっている、ことがしばしばあるからです。それを因縁と言います。


そして神の治療師は因縁深い病気に手を出すととばっちりを食らうことも知っています。ですから、患者を治療する前に「改心する余地があるのかないのか?」を判断するのです。


もし、改心する余地があるなら患者に手を出しますが、その判断が誤っていた場合、患者があまり良くならず、逆恨みするかもしれません。が、逆恨みは「もっとも改心から遠い」ものなので、さらなる因縁が降り注ぎ、今以上に悪化する可能性があります。


このように、改心の余地があるかないかの判断を見誤ると、患者をさらに窮地に追い込み治療者側、患者側の両者が不幸になります。また、神の治療師たちは強力な守護霊を持つことが多いため、その治療師にいやな思いをさせると、守護霊たちが治療師を守ろうとして患者に攻撃をしかけることがあります。治療師の力が強大であればあるほど攻撃の力も強力ですから、結果死を招くこともあり得ます。


と、いうように、どう転んでも行儀の悪い患者は神の治療師と縁を結ばないほうが幸せなのです。たとえ、一時的に出会ったとしても、患者自ら治療師を嫌って離れて行くのが落ちです。離れなければ互いに悲劇です。


私は以前、このような行儀の悪い患者に対し、「こういう患者こそ自分の修業になる」と考えて、敢えてリスクに飛び込みました。ですから今の私があるのですが、さすがに今となっては確立した医療技術があり、身を危険に置いてまで修業する時代ではなくなってしまいました。


そして今回、なめんじゃねえさんは攻撃的、懐疑的、かつ不信感を表しながら質疑をしたものですから、医療秘書Aのふるいにかかってしまい門前払いされてしまったわけです。逆になめんじゃねえさんを門前払いできない医師がいたとしたら、それこそが二流以下の治療師である証です。


このように、「治せる医師は手を出さない。」「治せない医師は手を出す。」という因果のため、どう転んでも行儀の悪い患者の場合は悪化の道しか準備されていません。それを因果というのです。因果の発端は「自分自身の行儀の悪さ」にあるということなので、この患者が真に治すべき部位は「痛み」ではなく、「行儀」なのです。逆に言えば、行儀さえよろしいなら、どんな難治性の病気でも奇蹟の治療師と出会う縁が結ばれ、九死に一生を得ることがあります。


医療秘書かつ僧侶のAはいつでも因縁を背負う覚悟を持っています。Aは私の診療所のHPの内容に対してお門違いの「なめんじゃねえ」発言を残し、確信犯的に翌日電話をかけてきた男に対しても冷静に判断し答えましたが、その男のなめんじゃねえさんは自分で腐って自分で離れていきました。


その経緯はこうです。開口一番「ブロックで治りますか?」という今の症状を何も伝えないたった一言の投げかけから始まった質問に対し、「え?すみませが、お名前をお聞かせいただけますか?当院には鈴木さまはたくさんおられていますので、再診の方か初診の方かをお聞きしたいので」「鈴木・・・(ごにょごにょ)言葉を濁す」「(あら?話したくないのかしら??・・・えっと)初診方ですね。どのような症状でお困りでしょうか?」「腰が痛くて立ってられないんです」「たいへんですね。何歳でしょうか?」「28歳です。」「他医でヘルニアか狭窄症の診断名はついていますか?」「ついてません」「電話では治る治らないをお答えできないのですが、ご来院されて治療できますよ」などの旨を丁寧に答えていたそうですが、次第に「しびれるのか?!」「(え??)背骨に沿ったブロック注射と呼ばれるものはいろいろ種類がありまして、問診後に決めた注射を施してみないと・・・当院の院長のブロックは・・・」「ブロックで激痛が走ったんだよ!」「?!(すでにブロック注射を受けているのか・・・)」「あなたさまは心にトラウマがあられるようですね。医師の技術的な差があることは確かですが・・・」「いいか、答えになってない!俺からの質問3つに答えろ!!しびれるのか?!」など次第に挙動不審で攻撃的な発言をし出したのでさすがにおかしい、怖いと判断したのです。「申し訳ありませんが、そのような攻撃的な方にお答えすることはできません」「攻撃的じゃないぞ!◎×□!?」と、声を荒げた後、最後に彼はまたもやお門違いの発言をしてブチ!と自ら電話を切りました。


Aはびっくり驚いていた後、偶然にも朝の日課としてチェックしていた診療所のHPの問い合わせコメント欄にその電話の主らしい異色に激昂している投稿を見つけ、「あぁ、この方かも・・・。なるほど。大変なめにあったのね。治せるかも、、救えるかもしれないに。残念だわ・・・」と納得し、私に報告してきたといういきさつだったのです。


なめんじゃねえさんはそのネーミングからも、極めて強いコンプレックスをお持ちであることがわかります。


この患者は今後も「自分の下手に出て頭を下げて治療させてください」という商売人医師を探そうとするでしょう。だからこそ、再びジョーカーを引くことが運命づけられてしまいます。悪運のスパイラルです。


ブロック注射はこのような「悪運のスパイラル」を呼び込むリスクが高い治療であることを理解しておきましょう。そして神の治療師と出会うために、もっとも必要なことは「行儀のよさ」です。治療してくれる者を敬う気持ちがない場合、神の治療師との縁は結ぶことができません。良縁は男女の縁と同じです。相手を敬う気持ちを見せなければ魅力ある人とつきあえるわけがないじゃないですか。難治性の疾患を治せる治療師は間違いなく神の息がかかった治療師です。敬うことはあまりにも当たり前の事。にもかかわらず、以前に酷い目にあわされたという理由で、治療師を敬う気はないという患者は、誰が救えるというのでしょうか。


最近私たちは難治性疾患に因縁が深いことを知るようになりました。そして今はその因縁さえも浄化させようと動き出しています。