第二十四話 東大寺で言葉が出ない

2017年7月中旬、真言密教のO先生の元に弟子入りした形になった奥様に私からのプレゼントとして高野山・金剛峯寺参拝旅行を計画しました。大阪空港でレンタカーを借り、今日はそのまま奈良の東大寺へ向かいました。高野山は明日行きます。
午前10時に奈良県県庁の駐車場に車を入れ、その後和風なお茶屋で軽食とアイス抹茶を飲食し、11時に東大寺に向かいました。それはもう大混雑でした。
東大寺の南大門は通らず、金堂を「コ」の字型に囲った回廊にある中門(桜門)から入りました。奥様は中門をまたいだ瞬間から「うわっ、来てる」と言い出しました。 東大寺中門
波動を強く感じるようです。おもしろいことに波動は中門から奥で感じるといい、回廊は波動の結界になっていると奥様はいうのです。 東大寺の回廊
私と奥様は金堂前でお線香をあげ、そして大仏を前に時計回りに左の方に歩こうとしたときです。 「口からなにか入ってくる。のどにくる。・・・言葉・・・が・・・で・な・い。」と言い出しました。ちょうど大仏の左側にある「虚空菩薩像」の前あたりです。奥様がしかめっつらで苦しそうです。言葉が出ないからです。
それでもぼつぼつ歩き始めると奥様が何かしら反応します。虚空菩薩像と大仏の台座の間には曼荼羅が描かれたブロンズの台座が置かれてあり、奥様はそのブロンズの台座から強い気が発せられていることを私に教えてくれました。
「この台座・・・すごい。」 少し言葉が出るようになったみたいです。
真ん中の大仏、右の如意輪観音菩薩像、後ろにある多目天像、広目天像には奥様は少しは反応するものの強い気の反応はありませんでした。反応する像としない像があることが不思議です。
「何か口の中に入ってきた感じで声が出ないの。こんな感覚はじめて。何か理由があるのかなあ?」 「まあ、今考えても無駄だよ。後で尼僧の先生(奥様の師匠のO先生)か漢方の先生(先日ロイヤルパークで会食会をした僧侶のN先生)に訊いてみるしかないな。」
奥様は口に何かが入って来て言葉を塞がれた感覚の訳を知りたがっていました。尼僧のO先生とはラインでやりとりすることがあるので、この「口の異物感と言葉が出なくなった現象」の意味を質問しましたが回答は得られませんでした。
後で東大寺の歴史について調べると、大仏様をはじめ金堂にある多くの仏像が江戸時代に作られたレプリカなのですが、奥様が強く反応した台座部分だけが奈良時代当時のオリジナルのものであることがわかりました。 「なるほどね、レプリカには反応しないんだ。きっと。」 「そうかもしれない。」 「じゃあ、仏像の真贋を見抜けるね。すごい能力だよ。」 「そうかな。」 と、私は奥様の能力が気まぐれではなく、かなり真実に近いものであることを確信します。なぜなら、この「おそらく、強い気が練りこまれたものに反応する」能力は、善でも悪でもなく、何かに憑かれているわけでもなく、歴然と超能力として備わっている力だからです。「心の隙に邪が入り込む」という言い方をして奥様をけなすことができない能力です。素直にすごい能力だと思います。
さらに後に驚くことがわかったのですが、空海・弘法大師様は東大寺を訪れた時、「虚空菩薩が口の中に入りこみ悟りを開いた」と歴史の書に記されていたことです。
今ある虚空菩薩像は江戸時代に作られたレプリカですから、奥様の反応は少ないですが、もしも本物の像であったとしたら、空海が悟りを開いたときと同様のシーンが奥様に起こっていたかもしれません。と私は密かに空想を膨らませます。そうだとしたら、奥様は本当はすごい人かもしれません。奥様は空海様のように悟りを開くほど人間ができていませんが、悟りはなくとも能力だけは益々拓けてきていると感じます。
この後、東大寺南大門の金剛力士像を見に行きました。観光客でごったがえしていました。
「どう?何か感じる?」 「全然」 「そうか、これは鎌倉時代に運慶と快慶という彫刻家に作られた作品だけど、単なる飾りなんだね」(あくまで個人的な感想です)。 「そう思う。何も感じないもん。」 「やっぱり、中門を入ったあたりからずんと来たから、あの囲いは意味があるんだと思う。だけどこの南大門は全く意味のない飾りみたい・・・」
奥様は真贋を見抜く能力があると言ったのはこのことです。気が練りこまれているものかそうでないかという意味での本物と偽物がわかるようです。
この後、世界遺産に指定されている春日大社に行くのですが・・・奥様はここでも全く何も感じられないと言います。 「世界遺産なのにはりぼてか・・・だったらご利益ないね・・・」と私は少しがっかりしました(あくまで個人的な感想です)。
世の中には真に気が練りこまれた建造物と、そうでない商業目的の建造物があるのでしょう。神社といえども観光客に見せる部分は商業化されているのかもしれません。