孤独を愛する診療

私はよくよく考えると嫌われ者だなあと思う。以前勤務した病院に私が認める“侍”と呼ぶにふさわしいすばらしい整形外科医がいたが、その医師は病院中の職員から尊敬はされていたが嫌われていた。なぜか?


その侍医師は1年間に股関節の手術を200例以上こなし、手術予約が1年先までうまっているスーパードクターであったが、その彼の働き振りが常人の域を超えているため、周囲の者は振り回されてしまうからだ。


その医師の昼休み時間はゼロに近く、食事もまともにとれないほどだ。手術は夜の8時を越えることもある。だから回りの職員はその彼にあわせて残業を余儀なくされたりする。周囲にとっては彼の功績は迷惑の産物。侍とはげに孤独なものだ。


彼は病院に多大な経済的な利益を落とす。かといって彼が高額な給与を要求するわけでもないから、病院にとってこういう医師はヒーロー?のはず。だが現実はそうではない。


病院に多大な利益をもたらす=その医師がやめると病院経営は傾く、となるから経営者は彼の人気が高まるにつれて彼に経営権の人質をとられているかのような恐怖心を徐々に持ち始める。


また、彼は自分の仕事場の環境を整えるように施設を改築するように経営者側に要求もできる。そして実際に年間200例も手術を行うためには、改築や改善を要求しているはずだ。つまり経営者にとっては彼の要求をいやいや飲む以外になく、そういう意味で彼は経営者の上を行く目の上のたんこぶとなる。


手術による売り上げは莫大であり、経営者の腹はふくらむが、その経営者からうっとうしいと思われる存在となり、そして周囲の職員からも嫌われ、彼は孤独な存在となる。


私にはそれが痛いほどわかった。ただただ患者のために手術をし、己の技術を磨いていく。給与アップも要求しないで他の医師の2倍働く。そんなスーパーな侍医師は患者にとって神様だが彼と一緒に働く者にとっては単なるうっとうしい存在となる。そして五万と設けさせている経営者からも大事にされなくなるという全く理不尽な状態になる。理不尽さが強くなると彼はまた自分の力量を発揮できる場所を探して移動する。彼ほどの医師がジプシーとなる。日本では有能すぎる医師はジプシーとならざるを得ない。


私の場合もこれと似たような環境になりやすい。

私の外来は患者一人一人の診察に平均して8分はかかる。患者をしっかり診察するにはこのくらいの時間が絶対に不可欠となる。だがそのため昼の休み時間がなくなってしまうこともしばしばある。夜も6時半に締め切りなのに診療が8時を過ぎることもしばしばある。これだけ働いても経営者は私に一切時間外給与を与えることをしない。私も要求しない。だから私に得することは全くない。


私だって時間外労働はたいへんストレスが多い。私でさえそう思うのだから周囲の職員はもっとそう思っている。私のせいで仕事がハードになり、私のせいでストレスがたまる…と。患者には多大な感謝をされても一緒に働く職員からは感謝などされるはずもない。いくら収益が上がっても職員の給与が上がらないのだから。


経営者は私のような医師がいると左ウチワでもうかる。だから経営者には感謝されるか?といえばそうでもない。まず、院長よりも人気が出てしまうのだから院長には妬まれる。なぜなら私の人気が出すぎると、それが原因でやとわれ院長の首を切ってしまいかねないからだ。実際私に「院長になってほしい」と経営者側からお願いされたこともある。まさに私の存在は院長にとって危険な存在になっている。


さらに、「患者のためにベストを尽くす」私の診療は経営者の忠告を無視する暴れ社員の傾向を生み、これが経営者を怒らせている。


経営者はビジネスマンなので患者の幸せよりも、患者を病院に多く通院させてもうけようと考える。これは私の考え方と正反対なので衝突する。しかし、それでも私の患者人気が高まり、やがて私の存在は大きくなるものだから経営者は危機感を覚える。経営者と正反対の考えを持つ者の存在が大きくなれば経営者は安心していられないという寸法だ。


まことにバカバカしいが、患者の治療に全力を尽くすことは一般の常識から大きく外れる。病院とて事業なのだからもうける方向に動きなさいというのが常識となっている。


さらに悪いことに私は常勤医師ではない。つまりいつでもクビを切られる代わりに、私もいつでも気分一つで「やめる」と宣言できる。私はこの退職権という圧力を経営者にかけることで自由に患者を治療する権利を得ている。このことは経営者のプライドを著しく傷つける。お金を払って雇っているのに命令をきかないからだ。


私がなぜ常勤にならずに常にパート(非常勤)で仕事をするかというと、この退職権で経営者に圧力をかけ、そして自分にも圧力をかけ背水の陣で医業を行うためだ。


パートはいつでもクビを切られてしまう不安定な職業。その不安定に自ら飛び込み、油断することなく患者治療に全力をかけるように自分に圧力をかけている。私はそうやって自分の診療技術を磨いてきた。


私の診療スタイルは一部の向上心ある者の心を打つ。しかし多くの職員、経営者に嫌われる。だから孤独ではあるが私の生き方自体が孤独を愛するものだ。理解してもらおうとも思わない。後悔もない。孤独は自分の意志を貫くための手段として自由を得るために好んでとびこむもの。