脅迫には屈しません


忙しい診療のさなか事務の女の子の一人が「先生にどうしてもとりついでほしいという患者から電話が入っています」と言われた。


何かのトラブルのにおいがしたが、私はトラブルシューティングこそが自分磨きの修行になると信じているのでトラブルには自ら首を突っ込んでいく。

「いいよ、こっちに回して」


と言って電話をうけとった。同時に電話の相手のカルテが目の前に置かれる。超混雑の外来は現在待ち時間が2時間という状態。そんな患者をさらに待たせることになるがこういう場合ややむを得ない。


「もしもし、整形外科医のFですが…」

「あんたか!私をひどい目にあわせたのは」

「私はFですけど、どなたかと間違っておられませんか?」

「あんただろう?私に何度も注射したのは…私のことを覚えてないのか?」


私は目の前のカルテをパラパラとめくった。この脅迫電話の主は62歳の生活保護受給者、女性。治療歴と名前を見てどんな患者か顔が浮かんで来た。


私が人間として軽蔑するタイプの女性であることを思い出した。この患者は初診時からとても人を小馬鹿にした行動をとっていた。

「あんた医者だろ?医者だったらこの痛みをどうして取り除けないんだ?」と因縁をつけてくるような人だったからだ。


痛くするのは自分が乱雑に自分の体を使うからであり、医者である私のせいではない。自分が自分の体を乱暴に使い自分で傷めつけて痛みが出るにもかかわらず、それを「医者が痛みを取り除けない」と言ってののしるのだから始末におえない。


こういうタイプの人間は多少の人格障害を持っている。反社会性人格障害という。しかし、障害者だからといって許せるわけでもない。彼女は生活保護という周囲からの恵みを受けて生きているにもかかわらず(医療費も無料)、それらには一切感謝せず、逆にいなおって自分に関わる者にサービスが悪いと言ってののしるタイプの人間は私がもっとも許せない。そんな彼女だったから私も顔をしっかり覚えていた。


だが私はそういう人格障害者をていねいに診療・治療することこそが自分を成長させると信じている。だから彼女にこそ手厚く手をかけるのだ。


おそらくこのタイプの患者は他の病院でも同じ態度なので即行で追い出されブラックリストに載せられている。この患者が来たら「まともに診療はしない」という方針になっているはずだ。何せ人間とのコミュニケーションがとれないばかりか、医者を脅すのだから。


しかし、私は逆。こういう患者は他の病院で相手にされないだろうから、私しか本気で診てあげられないだろうと思うからしっかり診療する。しかし、その恩義、親切はやはりあだで返されたようだ。このタイプの人間につける薬はない。


「私は何人も患者様を診ているので全員のことを覚えているわけではありません」

「私のことを傷めつけて動けなくしただろう? それでも覚えていないのか?」

「はい覚えていません、いつの出来事ですか?」

「いつって、この前だよ」

「この前っていつ頃のことですか?」

「そんなこともわからないのか?私はずっと痛くて寝たきりになってるんだよ」


彼女は激怒している。とにかく私に恨みを持っていることだけはわかった。彼女はなんとかして私を脅迫したいようだ。しかし、彼女が私の治療のうち、いつの治療について怒っているのか?について全く不明だった。これがわからなければ会話さえできない。


カルテを見ると彼女はこの2ヶ月間に2回しか通院していない。私が最後に診察してから2か月半経っているが、その間別の医師に2回かかっていて、現在動けなくなるほどの痛みがあることなどカルテに記載はなかった。不思議だ。


そして私が最後に診察したのは、彼女が階段から落ちて転倒した時だった。

「あんたが背中を叩いたから私はそこから動けなくなって寝たきりになったんだよ」


なるほど!彼女は2か月半前に私が診察の時に背中をノックしたことを言っているのだということがやっとわかった。

「わかりました。12月15日の診察のことですね。」


「いつかはわかんねえよ。とにかくあんたは患者にあんな暴力をふるうのか?」

彼女かなりひどい因縁をふっかけてきた。診察を暴力とまで言ってきたのだから。


私はこういった脅しには怒る。因縁をついけて脅迫して自分を有利に運ぼうとする人間を根源から憎んでいる。許せないのだ。私は完全に切れた。

「ああ、あれが俺の診察だよ。何が言いたいんだ! 俺に文句あるならさっさと出るところへ出て来いよ」


「あんたなあ、今の話録音して訴えるよ」

「ああ、録音でも何でもして訴えて、とにかく出るところへ出てこいよ。いいか逃げるんじゃないぞ!」


私はこう言って電話を切った。彼女に説明しても無駄だとわかっているからだ。

まるでチンピラ同士の会話だが、話が通じない人間には会話というものが成立しない。ひどいいいがかりと被害妄想、それに脅迫だ。


整形外科医は高齢者が転倒すれば全身を手で触って押して叩いて骨折部分がないかどうかを細かくチェックする。叩打痛チェックという。こうするとレントゲンで映りにくいような骨折も発見することができるからだ。


高齢者に対してはもちろんていねいに押したり叩いたりする。診察自体が傷めつけることもあるからだ。彼女にもそれなりの配慮のもとに診察している。私は決して乱暴にたたいたりしない。


今回の件は明らかに彼女が階段から転倒したことが痛みの原因であり、私が診察のために背中をノックしたことで動けなくなったわけではない。レントゲン写真では明らかな骨折はなかった。だがノックして背中を痛がったので、レントゲンには映らない程度のひびが入っているだろうという診断をした。そして彼女には診察の時にこう言っている。


「胸椎に骨折があるかもしれません。これはベッドの上で安静にしていないと治りませんよ。骨が固まるまで痛みはとれません。」と。

おそらく彼女は安静を守っているはずがない。なぜなら守っていればこの時期、もう痛みはとれているはずだからだ。今でも痛いというのが安静を守らなかった証拠になっている。


医師の忠告は守らない。診察の手技に対して「暴力」と言い放ち、因縁をつけて脅迫してくる。こういう無法な人間を私は嫌う。冗談じゃないがこういう人間には徹底的にお灸をすえてやらねばならない。


生活保護受給者にはその筋の人間も多く存在する。やくざまがいにこのような脅しをかけてくるわけだから彼女の親戚筋にはそういう人間がいるのかもしれない。逆恨みとはいえ恨みに違いないのでこういう人間は後になにをしでかすかわからない。場合によっては家族に対して命の保証はないと脅迫してくることもある。


しかし、だからこそこういう脅しを、こういう人間を許せない。

生活保護受給者は周囲の温かい恩恵によって命を守ってもらっている立場の人間だ。そういう人間が周囲に感謝もせず、逆に居直って生きる姿はまことに醜い。受給者全員がそうではないが、受給者にはこういう人間が多いように思える。


生活保護のあるべき姿自体も変えなければならない時期になっている。

私は看護師長にこう一言付け加えた。

「彼女が診察に来たら門前払いをしなさい。もし、それをしないなら私がここをやめる。彼女を大事にするか、私を首にするか、どちらかを選びなさい。」


このセリフをおとなげないと言われてもかまわない。私は彼女のような人間を基本的に許さない。そういう信念で生きている。この信念は自分の首をかけてでも貫き通す。善悪で物事を判断すれば私の言動は悪だろう。それでも信念は信念。


ただし、彼女は運がいい。私はその後この診療所に辞表を提出したのだから。これで彼女は門前払いをされずにすむ(笑)。