孤独死しますか?

私の外来には外を1分も歩けないような歩行能力が低下した高齢者が誰の力も借りずに一人でやってくる。家の前からタクシーで病院前までつれてきてもらって通ってくる。


病名はというと頚椎症、両肩関節周囲炎、両変形性膝関節症、腰部脊柱管狭窄症、小脳変性疾患?による平衡感覚障害などである。歩けるのが不思議なくらいの89歳のおばあさんだ。


彼女は一人暮らしなのだが、特に足腰が悪いために台所に1分も立っていられない。しかも平衡感覚が障害されているのでまっすぐ歩けず10秒も歩けば倒れてしまう。よってスーパーに買い物すら行けない。だから病院に来たついでにシルバーカーを用いてわずかな買い物をし、それで一週間の食料として家にとじこもる。それ以外は外にも出ない出られない。最近は痴呆も入ってきて若干の記憶力障害も出てきている。


そんな彼女が介護を受けずに誰の手も借りずに生きているのは不思議なくらいだ。介護保険を申請して身の回りの世話をしてもらえばいいだろうに彼女は身の回りを他人にいじられるのがとてもとてもイヤらしい。だから意地でもたった一人で暮らしている。介護の申請のために調査員が彼女の自宅に来た時も、彼女はそれを断っている。


彼女が外来に来ると、頚神経根ブロック、肩関節内注射、腰部硬膜外ブロック、両膝関節内注射を行う。これだけたくさんの注射を一度に行い、かつ体の動きがたいへん鈍いものだから、注射をするのにはかなり苦労する。彼女の治療には時間も手間も普通の患者の3倍かかる。


私はそれでも彼女への治療の手を決してゆるめない。可能な限りの最高の治療を全力で行っている。こんな患者にブロックを毎週行うのは私だけであろう。そのおかげで彼女は今もなんとか一人暮らしができているし命をつないでいられる。彼女への治療がどんなに面倒くさいものであろうとも、私は彼女に「必ず毎週来るように」と言い続けている。来れなくなった時は死を迎えるときだろうと想像がつくからだ。ここへ来させることが生きる励みになっている。そして希望になっている。


これだけ再起不能の病気に侵されている高齢者に全力で治療をすることは無駄なことのようにも医療費の無駄遣いのようにも思われる。しかし、私は彼女を高齢者救済のモデルとしている。外来で治療することでどこまで高齢者の独り暮らしをサポートできるのか?の手本とするためだ。彼女は多くの高齢者の希望であり、彼女を救えるなら、私のような治療を施せば、全国ほとんどの高齢者の独り暮らしを支援できることになる。


私のような異端児医師を除いて、彼女のような末期の患者にブロックを毎週連続でずっと行う医師はいないが、それでもそうした医師たちの姿勢を変えていける一つの布石になるだろうと信じている。


そして今のところ、私の治療は希望に満ちている。もう20年前から続いているだろう彼女の両足のしびれが、少しずつ軽快してきているのだから。それは奇蹟に近い。彼女もたいへん感謝してくれている。だから何があっても週1回の通院をしてくれる。それはまるで這ってまで病院に来ているという表現がぴったり。彼女にとってはここに来ることは私が富士山の山頂に登山するかのごとく面倒なことに違いない。それでも2時間以上待ち時間のある私の外来に毎週来てくれる。


しかし、それにしても彼女の歩行困難は痛々しい。帰りのタクシーを呼ぶために立って外に出て行くこともできないレベルなのだから。痛みやしびれは軽快しているが平衡感覚の悪化は止められない。


「山田さん、孤独死って知ってますか?」

私は積極的に真実を話す。彼女に死が迫っていることも隠す必要などない。ざっくばらんに真実を見なければ人はきれいに死ねないだろう。


「今は誰も山田さんの家に身の回りの世話に来てくれていませんよね。こういう状態だと死んでも誰にもわからないでしょう? すると死んだ後に体が腐敗してウジ虫がわいて、アパートが悪臭でたいへんになって大家さんや周りの人にえらい迷惑をかけるんですよ。山田さんの親戚の人に賠償責任もありますから、親戚にも迷惑かけるんです。そろそろ介護士さんを派遣してもらうよう手続きとった方がいいですよ。」


横から看護師長も口出しする。

「山田さん、家に帰ったらすぐに生活保護の担当者の人に電話するんですよ。」

「でも誰に電話するのか忘れちゃった。何ていう人だったかなあ。武本さんだったかなあ。」


ようやく彼女は介護の派遣を受け入れてくれる気になったみたいだが、どうやって誰に連絡したらいいのかわからないらしい。


看護師長が全てのおぜん立てをしてくれるのかといえばそうでもない。師長にそんな義務はないだろう。じゃあ、彼女に連絡をとることを促せば彼女がやってくれるのか?それはもっと無理のように思える。なにせ痴呆も入ってきているのだから。だが誰かが彼女の世話を買って出なければ、彼女が孤独死に至ることはたやすく想像がつく。


「師長、ぼくが区役所に電話する。彼女の介護担当が決まるまで、外来は閉鎖します。」

私の外来は普通に2時間待ち、長いと3時間以上の待ちだ。その超混雑の外来で彼女のために外来を閉鎖することは患者を人質にとったストライキと同じ意味を持つ。つまり私は彼女の介護申請を軌道に乗せることを必ずたった今行うということを強い意志で宣言したことになる。師長は私の指示に従い、彼女の介護申請がスムーズに行くようにサポートするしかないという袋小路に追い込んでやったのだ。


まあ、師長はそのへんの私の気質を知っているので快い顔で区役所への連絡係を引き受けてくれた。私が決心したらテコでも動かないことを知っているだろう。おかげで30分後には介護担当者が決まり来月から彼女の家の身の回りの世話をすることが決まった。私が動けば恐ろしい速さで決まる。これが医師の圧力だ。


しかし通常、医師はこんな風には動かない。一般市民の一老人の介護のことなどに興味さえ持っていない。それどころか高齢者の治療にはおもいっきり消極的だ。


先進国は高齢者であふれ2055年には若者1.2人で高齢者1人を支えなければならない時代がやってくる。高齢者を無視しているとそのつけは私たちの子供の世代に十字架のように重くのしかかる。それを見て見ぬふりなどできるはずがなかろう。