駄々コネ幼児脳患者はやくざよりも手に負えない その1

幼い子供は自分の意見を通すために親がへこたれて観念するまで駄々をこねるということをするものだ。その駄々コネに親が反発することもあれば親が折れることもある。しかし、常に親が折れていると子供は「親に対して陰険なことをすればするほど自分は楽して儲かる」という人間として最低なマナーが身について離れなくなるので親が屈することは望ましくない。断固子供をしかりつけなければならない時がある。
しかし世の中には親が子どもに屈し続け、人間として最低のまま大人になった人もいる。そういう人間はやくざよりも最低で社会性が全くゼロであるが、医師はそういう患者とも関わらなければならない。
駄々コネ大人は自分の体調が悪くなるとそれを治せない医師に恨みの念を持つ。そして治るまで1か月かかると言ってもその1か月を我慢できない。だから1ヶ月間、医師のもとに来院し「どうして治らないのですか?原因は何ですか?」と質問し続け、外来診療時間をわざと長時間消費させるといういやがらせをする。1か月すれば治りますと説明しても無駄。今痛いことを最後までぶつぶつと念仏のように唱え、治療の効果がないことをずっとクレームを言い続ける。
この手の患者をどう扱うか?はどこの診療所でもマニュアルができている。それは一切かかわらないことだ。おもに看護師がこういう迷惑患者の掃除役を引き受ける。
「はいはい、お薬は出てますからね。さっ、待合室へ行きましょう。」と診察室を追い出し、医師と患者が会話しなくても済むようにする。そうしなければ医師にストレスが向けられて怒りと疲労が蓄積し、他の多くの患者様への集中力が切れてしまうからだ。医師も人間だからクレーム対応に多大な精神を使うとストレスで人間性が壊れて行く。とくに幼児脳系駄々コネクレーマーは、患者に説明しても説教しても全く効果がない。だからこういう患者は実際普通の患者よりもまともに診察してもらえなくなるのが常である。何か特殊な病気が発生していたとしても見逃されてしまうものだ。
さて、私はこういう患者が来ても決して逃げない。真正面から体当たりし患者のクレームと徹底抗戦する。私は患者に嫌われること、自分の評判が落ちること、経営者から接客の悪さを指導されることを一切恐れない。治療に100%専念するためにはそれらすべてを無視する必要がある。ただしそのおかげで私の人間性はつねに傷つく。ストレスも甚大だ。しかしこれも人生の修行だとあきらめている。
今日の患者はこの病院で迷惑患者と認定されている駄々コネ患者(47歳女性)だった。看護師長から 「先生、次の患者さんは問題ありですからね」と報告を受けている。 「どうしたんですか?」 「足がしびれて痛いんです。それと爪の色が変なんです。」 「いつからですか?」 「3年前からです。」
ホラね!この患者は3年前からこの症状を訴えているのに、この患者を診察した歴代の医師は誰一人まともに診察も治療もしていないではないか!そしてクレームばかりを3年間言い続け、3年間病院スタッフに迷惑をかけ続けている。
なぜこの患者のしびれと痛みが放置されるのか?それはひとつに精神的にこの患者がおかしいと思われているからだ。二つ目にしびれは日常生活に影響しないこと、そしてしびれは医師が治せない病気の一つであるからだ。
つまり世の中には受け入れるしかない病気というものがあって(たとえば老化という病気は受け入れるしかない)、騒いでもわめいても無駄!ということを早く知りなさいという意味で放置されることがしばしばある。この患者は駄々コネクレーマーなのでなんとかしてくれるまで騒ぎ続けていたわけだ。そして3年がたち、とうとう誰の手にも負えなくなったから私のところに来た。
当初、私のところにも来なかった理由は、私の外来は超混雑なので彼女にはそれを耐える我慢力がない。看護師に私をかかるように言われたところで聞く耳を持たない。しかし、風のうわさに私は「何でも治す」というのを聞きつけて、とうとう超混雑の私の外来に来たわけだ。迷惑患者に惚れられてしまったわけだが、私は絶対に彼女から逃げない。だからまともに診察する。
まともに診察すると足背の動脈の脈が触れない。つまり動脈閉塞症があることがすぐにわかった(こんなことくらい、まともに診察すれば普通の医師にわかるものなのに…、上記の理由で今までわからずじまい)。
ただし、しびれと痛みはそれほど単純ではない。血液病や末梢神経炎、神経痛などが重なっていることもあり、診断はとても複雑で難しい。ただ、この患者ではそんな複雑な診察をしてもらえる状況ではない。検査さえ面倒くさいものはすぐに拒否するだろう。
「これは恐らく動脈硬化による血液の流れが悪いせいだと思います。静脈注射が必要です。」 「注射はいやです。治してください。」
これでは話にならない。診療を拒否するが治してほしい。つまり楽して治るもの以外は治療を受けないというこの態度。こりゃあ人間性疑われるわな。まあ、それでもめげず
「注射しないで治るほどこの病気は甘くないですよ。今まで治らなかったでしょう? だから治すにはもっとしっかり治療しないと無理です。注射しに来れますか?」 「じゃあ原因は何なんですか?」
でた~。質問されたことには答えず、原因を知りたがる。これは私たちにとって想像以上にむかっとする回答だとういうことをご存知だろうか? 治療法を提示しているのに原因を質問するというのは「診断が間違っている、他にもっといい方法があるだろう?」と指図されているように聞こえるからだ。
「原因は一つとは限らないし今すぐ答えられるほど簡単ではありません。治療をしていくうちに原因がわかっていくというものなんですよ」
しびれに関しては真摯にこたえるとこう言わざるを得ない。彼女が考えているほど簡単にいくものなら3年も治らないなんてことはないだろうに…彼女ははっきりと見通しがついた状態でなければ治療を受けたくないのだろう。その気持ちはわからないでもないが、世の中には簡単に行かないものがあるということを理解できない幼児脳だから困る。幼児脳系クレーマーは理屈では対応できない。ではどうするのか?治療するには強制するしかないのだ。強制すればその責任はすべて医師にかかってくる。だから医師は強制をとても嫌う。だから彼女のようないい大人の幼児脳患者は見捨てられるのが常なのだ(別に命にかかわる問題ではないのだから)。
そして私はどう行動するか?決まっている。話をしてもラチがあかない場合は強制する。何度も言うように強制して何か問題があった場合は裁判沙汰となる。そのトラブルを背負ってまで患者を治療しなければならないときもある。それが全力を尽くす治療。
「いいから、医者の私の言われたとおりにしなさい。今日から静脈注射を毎日しに来なさい。この注射は値段がとても高いけど治りたいなら打つしかないです。」 「毎日は困ります。他に方法はありませんか?」
出た~。またも診療拒否。他に方法がないからここに来てるんだろう!あんたにはそれがまだわからんのか!と頭の中でどなる。
「この注射は毎日連続で打たないと効果が少ないんです。毎日が無理と言うなら2日に1回でもいいから来なさい」 「それで本当に治るんですか?」
「しびれと痛みの原因は腰から来ている場合もあるので、その場合はこの治療とは別に腰へのブロック注射が必要な場合もありますが、まずはこの治療を受けてください。」 「ブロック注射はできないんですか?」
恐らく彼女は毎日来るという点とお金がかかるという点においてこの静脈注射を拒否しているのだろうことはわかる。私もだからこそ遠慮して本当は毎日注射してほしいにもかかわらず2日に1回と遠慮して言ったのだ。
「ブロックは根本治療ではありません。あくまで静脈注射のサポート役としての奥の手です。それに腰のブロックは半身麻酔がかかるというリスクもあります。」 「や、や、やめておきます。」
案の定リスクを言うとすぐに拒否してきた。彼女は自分を治すためにはなにかの犠牲がつきまとうということを認めることができないようだ。わかりきっていたが・・・。
「とにかくまず3回注射してください。それで効果がなかったら次の手を考えます。」 誓って言うがクレーマーに対してここまで良心的に治療をすすめる医者は全国にいない。たいていは14回注射(この注射の限度回数)してからその効果を判定する。そのほうが儲かる。診察も少なくて済むので手を抜ける。それを私は3回と言う。それはこの患者の経済力を考え、そしてできるだけはやく効果判定と確定診断をしてあげようとするからだ。3回やってだめなものは効果などない。しかし、にもかかわらず通常、医師たちは無情にも14回ほどつづけさせてから効果を判定する。効果が出ない場合は多くの時間と金を患者に消費させることになる。しかし、そのことに彼らの良心は痛まない。1本が7000円近くもする注射液だ(3割負担でも2100円近くかかる)。
「治るんですか?…」 「とにかく私の言うことをききなさい。注射しますよ。」 こうして半強制で注射をした。
「私がいないときでも注射しにきてくださいね。週に3回ですよ。3回したらもう一度診察しますからね。」 私はこの診療所に毎日来ているわけではないから「私の来ない日も来て下さい」と念を押しておいた。さて、彼女の治療がうまくいくか…そんな簡単にいくはずがない。