第十九話 空海の書からの波動

4月初旬の日曜日。午後3時に日蓮宗の上人にお寺に来るように言われていました。おそらく分骨してあった遺骨を一つにまとめてくださったのでしょう。そのご報告かと。
お寺に行くにはまだまだ時間がありますので私は奥様に書店に行くことを提案しました。空海の書を見せたかったからです。空海・弘法大師は「弘法も筆の誤り」と言われる程に達筆な書道家として知られています。私も幼いころから高校生まで書道教室に通っていたこともあり、書に興味を持っていましたから奥様に勧めたかったのです。書を見れば少し弘法大師の霊力にあやかれるかもしれません。
私は書店で最澄と空海の書が書いてある本を購入し、さっそく奥様に見せました。最初はパラパラとページをめくっていたのですが、何の反応もありません。しかしあるページにさしかかったとき「うわっ、すごい。何か来る。」と言って奥様は字から圧力を受けます。
 
その字と同じ字体が数ページに渡り掲載されており、その数ページを見た時だけ、目の奥にぐんと来ると言います。眉間と頭頂部に圧力を感じると。奥様いわくチャクラに響いているようです。そのまま字を凝視していると「めがくらくらする」らしく、長時間見ていることはできません。
 
その文字は、崔子玉座右銘 【人の短を言う事なかれ、おのれの長を説くことなかれ】と書かれている「無道人之短無説己之長」の文字でした。そこだけに反応しました。それ以外のページには奥様は全く反応しません。 でもなぜ本に書かれていた数ページの文字だけに反応したのでしょう。
なぜそこだけなのでしょう? その答えに驚きです。この文字だけは空海直筆であることが歴史研究者たちによって証明されているらしいのです。つまり奥様は【「空海本人が書いた書」】にしか反応しないわけです。模写には反応しません。
逆に言うと古美術品の真贋(気が練りこまれているものかそうでないか)を見抜く能力があるということになります。真贋と言っても、それが写真でもビデオでも本物が写っていれば反応するわけですから、美術品鑑定には不向きだと思います。
後日、奥様はこの体験を尼僧の先生に質問しました。「弘法大師さまが書いた文字が掲載してある本を買ってその文字を見ていると、直筆と言われる文字の部分に反応してクラクラ来るのですが、なにか意味があるのでしょうか?」と。ですが、どうやらその答えは見つからなかったようです。
書物や理論で何かがわかるはずがないという考え方のほうが一般的ですよね。霊能力のある先生にさえ奥様に起こっている現象はわからない。そして奥様の書物が写っている絵から気を感じ取る能力が霊能者全員に備わっている能力でもないことを奥様は理解し、少し落胆したようです。
おそらくこの見えざる世界は人の叡智を超えており、それは理解しがたいものでしょう。だからこれから起こる怪奇現象は奥様にしか理解できず、何の意味があるかもわからないということです。
能力は人それぞれあるものとないものがあり、修行をすれば皆が同じ能力を持つようになるわけではないと思われます。そして「ない能力」についてはたとえ能力者であっても理解を超えていることもわかりました。道は自分で探すしかないのかもしれません。