辞表提出という屁の突っ張り

私はとうとう辞表を提出した。医師を「お金を出せば言われたとおりに患者からお金を巻き上げるビジネスマン」としか考えていないオーナーに対して、いわばお灸をすえるために辞表を提出したわけだが、彼ら経営者側にその意志が届いたかどうかはわからない。


ただし、お灸をすえると言っても私は自分のプライドを傷つけられた腹いせに辞表を出したわけではない。私は100%患者の幸せを願う医療を目指すために支障となる壁をぶっ壊すために自分の首をかけているだけのこと。


非常勤(パート)の私の首などとてもちんけで安く、経営者に対して圧力になどならないかもしれない。が、それでもこの町でもはや救世主的な医師として知らない人はいないほどになった私の人気は経営者に対して多少の圧力となる。しかしそれは多少でしかない。


日ごろから言っているのだが、医療界は一般のビジネスの常識から大きく逸脱している。というのも、医療費の大部分は公的な組織が支払ってくれるので患者へのサービスを全く無視してももうけが出るというところだ。


特に高齢者はかかった医療費の1割しか支払わない。生活保護を受けている者にしてみれば0割。だからどんなにサービスが悪くても患者は通院してくる。なにせただ同然の診療費だからだ。だから病院側があきらかに儲け主義のために患者の治療をわざと手を抜いたところでその病院が赤字になることはまずない。


そんな医療界で患者から救世主と呼ばれるほどの人気を集めたところで、経営者の命令に背く医師は簡単に首を切られる。特に都会には医師があふれているので首を切ってもすぐに次の医師がみつかる。非常勤(パート)ならなおさらみつかりやすい。だからこそパートの医者は経営者の命令に服従することは当たり前。服従しない=首なのだから。


パートの医者は即刻首にされる医療界。その中で経営者に圧力をかけながら仕事を続けることは、実は不可能に近い。圧力をかけること=職を不安定にさせる=自分の生活基盤を不安定にさせること。そんなマゾ的な経済不安定に自ら足をつっこみながら自分の信じた医療をし続けることはキ○ガイ沙汰なのだ。


医療界とはこうも常識外れな世界。患者の人気を集め、その病院の看板以上の存在になったとしても、その医者がなまいきであればあっさり首を切ってしまえる。これは他の一般企業とは明らかに違う。一般企業でそれをすれば会社が倒産する。まあ、倒産する会社もあるが・・・。


医療界はサービスを追求しなくても十分に利潤が出る。通常の企業は顧客サービスを向上させることに全力を尽くすが、医療界では顧客サービスに尽力をしても儲けがあまり変わらない。ならば治療の手を抜き、何度も病院に通院させたほうがもうかる。


こうして医者は患者に治療の最善を尽くすよりも、患者の治療に手を抜いて通院を命令してもうけるほうへと流れる。パートの医者が長く続けられる条件は、そうやって患者をうまく口車にのせて何度も通院させることができる話術を持つことだ。まるでエステ業界のように。それが今の日本の外来医療体制だ。


私はその医療体制を崩すことに常に全力を尽くした。その結果首にされるのは当然のことと言えよう。治療に全力を尽くすには首をかけなければならないなんておかしな世界だ。


首にされたら一から就職先を探さなければならない。それは大変面倒な作業だが私は再就職先を探すことを苦としないよう心がけている。給与も下がる。条件も悪くなる。それらを苦にしないことで最善の医療をすることを守ってきた。今後もその方針は変わらない。


患者を即行で治療すれば、もうけは減る。患者を治療できない無能な医者ほど患者を多く通院させることができてもうけが出る。これが医療界の常識で世間の非常識なところ。


即行で治療してしまえる技術を磨くことはおかねもうけと逆を行く。だからこそ私のような医師は全国を探しても数少ない。


一部の医師は自分の生活を患者にささげて生きるというような美しい生き方をする。しかしそういう医師は本当に少ない。そういう医師たちの強い志を活かしてやろうとする器を持つ経営者がいない。だから医師は育たない。現状のように「患者を治さないほうがもうかる」医療体制があるうちは有能な医者がむくわれない。


そしてむくわれないことを逆に生き甲斐とするようなマゾ的な医師は少ないが存在する。しかしそういう医師は経営者の器が小さいところでは働けないため職場を転々とする運命にある。だから患者にしてはそういう医師にであったとしても、その医師に長期間診てもらうことは不可能に近い。


私と出会った患者は私との決別を涙を流して惜しむが、それは私の診療スタイルを貫き通せば避けられないこと。私はまた新たな職場に移り、そこで出会った患者に全力を尽くす。ただ私はそれだけで終わる気は毛頭ない。