医師という社会貢献事業

自分でいうのもなんだが私は1週間に3~4日しか働かない怠け者だ。しかし怠け者だからこそ、医業に関しては自分におもいっきり厳しくしている。それは患者から逃げない医療、患者へと立ち向かっていく医療を心がけるということ。


患者のどんなささいな訴えも、患者のどんな無理難題の訴えからも、決して逃げずに全てを解決する姿勢を示すことが逃げない医療。そして患者の訴えだけでなく、患者が気づいていない隠れた病気までをも発見し、未来に起こりうる病気に対してしっかり先手を打って治療していくのが立ち向かう医療。これらを実践してきた。


まあ、週に3~4日しか働かないのだから、働くときくらいは120%の力で突っ走ってもバチは当たらないだろう。そういう意味で患者一人一人に毎回自分の実力を上回る診察や診療手技を施そうと考えながら働いた1年だった。だから今年は知識も技術も例年より格段に進歩した。


さて、私は診療所のパートをやりながらも、このいびつな高齢化社会をなんとかしようと本気で考えている。高齢者が死ぬまで誰の世話にもならなくてすむように医者が足腰の管理をし、可能な限り高齢になるまで現役で働ける状態を医療の力で持続させようと思っている。そのために全力以上を尽くす。


全力以上とは患者一人一人を毎回脳みそを振り絞り、何かの工夫をしながら前回よりも改良を加えた診療を行い、治療を進歩させることを言う。


私は実際に寝たきりに近い状態の高齢者を全力以上で支えた。そして彼らをなんとか「自分で生活できる状態」へと導いた。そのため毎回治療を工夫した。


今後もそのような医療努力を続けるつもりだが、私一人がどれほど努力しても、せいぜい私の周りの2000人を救えるだけだろう。だから私の身につけた診療技術を全国の医師たちに普及させる活動を始めた。その一つが医療サイト作りだ。


私は半年前から高齢者たちの治療データをとっている。最近ではようやくその結果が集計されつつある。しっかりしたデータを示しさえすれば、私の治療法は世間に少しは広まるだろう。そして多くの高齢者を救える医療が可能となる。今年はそういった勢いと信念に燃えながら診療をした。


私は教科書には掲載されていないようなブロック注射をいろいろと開発し、痛くない注射、より安全で確実な注射を編み出した。当然ながらその手技を写真撮影し、一刻も早く多くの医師たちに伝えなければならない。そこで私は秘書に「今日は私がブロック注射をしているところを撮影しに診療所に来てほしい」と頼んだ。


撮影は私の手元をアップするものだから患者の顔やスタイルは見えない。もちろん撮影の際は患者に承諾を得る。患者が承諾してくれなければ撮影することはない。そんなことは撮影側の常識であるし、患者に了承を得ればトラブルになることはない。


朝、診療所に着くと私は師長に「今日、私が注射しているところを何枚か写真を撮るのでよろしくお願いします」と断りを入れた。

すると師長は不機嫌な顔をして「はい」と返事をしなかった。


私はどうして受け入れてくれないのだろうと不思議に思いつつ

「当然だけど患者には了承をとって、OKしてくれた場合にのみ撮影するので問題はないよ」と念を押した。

すると師長は

「ここで撮影するものは理事長や課長に承諾を得ないといけません」という。


「いやあ、別にここの施設が映るわけではないし、患者と了承が得られれば問題ないんじゃないの?」

「先生はそれを掲載されるんでしょう? 理事長に相談しないと…」


まあ、別に相談するくらいは構わないし、まさかダメだとは言わないだろうと思てったので

「じゃあ、撮影のこと伝えておいてもらえますか」

とそのように言ってその場は終わった。


 

そして昼休み…

「先生、私がモデルになりますから私を撮影してください」

と師長が申し出てきた。

「えっ?撮影がダメだって言われたの?」

「患者がクレーム付けてトラブルになったら困るので…」


「ちょっと待ってよ。きちんと了承をとるし無理強いさせるわけでもないし、ダメなら撮影しないし、それに信頼関係ができている人にしか頼まないよ」

「一応、理事長は患者と了承が得られているならいいと言ってますけど、私でお願いします」


「でも、注射は1か所じゃなく何か所もするよ。患者さんに了承をとって何か問題になることでもある?」

「何回刺してもらってもかまいませんから…」


「ちょっと待ってよ。俺が注射しているところの手元の写真をとることがそんなに迷惑なわけ? 俺は患者のために治療費以上の治療を献身的にやっているし、患者だって喜んで協力してくれると思うよ。もちろん、ダメなら撮らないし。」


私はいっきに怒りが駆け上がった。私の行おうとする撮影行為が明らかに邪魔で迷惑だとする雰囲気をただよわせたからだ。


「あんたらいい加減にしろよ。俺がこうしてあんたらに3倍の利益をもたらし、あんたらの外来を満員にして、超過勤務を無料奉仕でやってるのを俺の趣味だと勘違いしてないか? 俺が自分の医療技術を向上させ、社会に貢献しようとしている恩恵であんたらが潤ってるんだぞ。少しくらい俺のやろうとする社会貢献に協力してやろうという気が起こらないのか?」


一般の人にはなじみがないかもしれないが、医師は一人一人が科学者であり、たとえクリニックで医療の商売をしていようとも、各自が研究し医療の発展に貢献する義務があるとされている。医師は最後まで商売人になり下がってはいけない。社会に貢献しなさいというのが信条でもある。そのため医療施設で撮影する写真は患者に承諾を得れば著作権などは発生せずに使えることになっている。そうしなければ医学が発展しない。


少なくとも医師が医学の発展、社会貢献のために撮影しようとするものを厄介払いしてもらいたくはなかった。

ここの診療所にとっては私のやろうとしている社会貢献は、善か悪か?といえば悪になるらしい。


確かに純粋にビジネスと考えるなら、私のやろうとしていることはマイナスにしかならない。厄介なものだろう。しかし、医療施設は一般的にどこも医学への貢献に協力することを当然のこととされている。そういった医学の世界で育った私にとって、これは許し難い厄介払いだった。


のほほんと診療しているのならともかく、毎回毎回必死になって全力で診療し、地域貢献、社会貢献に全力を果たしている私に対して「トラブルのもとになるものはささいなことでもやめてくれ」というような態度は医師をなめているとしか思えなかった。


「社会貢献のために撮影することがそれほど迷惑というのか!おまえらどこまでがめつくもうければ気がすむんだ。協力しますからどうぞ撮影してください。というのが本当じゃないのか?」


私がここに昨日今日赴任してわがままを言っている身勝手な医者だったら話はわかる。しかし、4年以上も勤務し、しかも多大な恩恵を与え、地域にも大きく貢献し、毎回無償で超過勤務をしている。そんな医師に対して、撮影させるくらいの融通がきかせられないとは…医療というものをビジネスとしか考えられないかわいそうな人たち。医療貢献というものを一度も考えたことのない人たち。ここまで志の低い人たちとは同じ職場で楽しく仕事などできない。だからとうとうこの施設をやめることを決心した。


なぜ私がこれほど怒るのか?みなさんにはわからないかもしれない。私は高齢化社会を救うというビジョンを持って給料以上の仕事をしている。これまで120%の努力をしてきたのは、ある程度自由に研究をさせてもらえるという土台を築くためでもあったわけだ。ところが、この診療所は、私からの恩恵を受けるだけ受けて、いざ私が自由に研究をさせてもらおうとしたら邪魔者扱いする。私は自分に対する見返りを期待しているのではなく、社会へとギブすることに協力してもらいたかっただけなのに…。


ここの経営者は医師ではない。だから医師が自分たちの研究をするということに対して理解できないようだ。医師から研究を取り去れば、残るのは金儲けだけ…。そういう医師を望んでいるこの施設に私は似合わない。


すでにこの診療所は院長が5~6回変わっている。1~2年で1人院長が変わる。その理由はわかる気がする。医師を単なるサラリーマンとしか見ていないからだ。しかしサラリーマン医師が地元で人気になることも名士になることもない。だから医師が自分のサラリーを超えた働きをしなくなる。その結果ストレスばかりが溜まり医師がやめて行く。そして高給を出して医師を応募してまたやめられる。いつまでこんな過ちを繰り返せば、ここの経営者は医師の気質を理解できるようになるのだろうか?まあ無理な話だろう。