散歩して鍛えるのは吉か凶か?

「先生、ちょっと無理してでも歩いたほうがいいですかねえ?」
こう質問してくる高齢者は後を絶たない。しかし、この質問への返答はとても厄介なのだ。どこが厄介か?そりゃあ普通の医者なら100人中100人が 「そりゃあ、歩いて運動しないと動けなくなりますよ。どんどん歩いてくださいね。」とこう答える。100人中100人というのは100%という意味だ。
医師免許を持っている人間が、しかも人並み外れた勉強量をして天才と呼ばれた教授先生方が100人中100人が「歩いたほうがいい」という回答。しかしそれが正しくなかったらいったい誰が責任とってくれるんだ!という話だからややこしい。
医師たるもの、医学を勉強して医学の知識を持ち合わせているが、その分、机上の空論漬けにされているということは否めない。つまり、患者から得た生のデータと教科書に掲載されているデータに食い違いがあると、教科書を常に信じるというお堅い頭になっているということ。食い違いの理由は患者の精神的な誇張による…と簡単に患者の訴えを退けてしまう癖がついてしまっている。これは特に国立大学出身の先生がそのようになる傾向が高い。なぜなら国立大学出身の先生は公の病院を多く勤務するため、患者の訴えよりも職員の権利を優先する傾向があるためだ。この傾向は昔から言われている。
さて、歩けば病気がどうなるとか、こういう運動をすれば元気になるとか、何を食べると健康でいられるといった分野の学問は、実を言うと今の医学でほとんど研究されていない。研究されていないにもかかわらず、マスコミでは教授陣をテレビに出し、自論を主張させるものだからあまりにも間違った情報ばかりが世間に流布する。他の医師もその間違った情報に(教授の発言だから)右にならえをしてしまうから100人中100人が間違った回答をするという事態になっている。
私は「歩いたほうがいいですか?」と患者が質問してきた場合 「それは誰を信じるか?ですね。」と真実を伝える。そしてこう言うと患者は首をかしげる。
高齢者は全員が脊椎の椎間板というものがこわれてぺちゃんこになる。これは間違いなく100人中100人、いや70億人中70億人がそうなる。誰も避けられない。椎間板がうすっぺらくなると背骨同士が密着してくる。密着すると脊柱管とよばれる背骨の中心に開いている穴が必ずせまくなる。つまり高齢者になれば70億人中70億人が脊柱管狭窄症になる。これはなんぴとたりとも避けられない。
では脊柱管の中には何がはいっているか?それは神経の束がいっぱいつまっているわけで、歳をとるとこの神経の束が狭くなった穴に圧迫されて、神経に血流が来なくなる。
神経は脳からの電気信号を筋肉に伝える重要な役割を担っているが、神経に血流がいかなくなるとこの電気信号が途絶えるから歩こうと思っても足がいうことをきかないという状況になる。これを脊柱管狭窄症という。長生きすれば70億人中70億人がかかる病気だ。
歩かないと筋力が低下するという話は筋肉を鍛えなさいという話だが、神経がやられてしまえば、どんなにがんばっても歩けなくなる。筋肉を鍛える前に、まず神経が健全な状態に確保することの方が何倍も重要となる。ところが…
脊柱管狭窄の状態で長距離を歩くと、神経が狭い部分で摩擦されて炎症を起こし、腫れてその部分の血流が途絶える。それでも無理して歩くと神経の腫れと炎症は慢性化し、わずか10歩歩いただけでも血流が途絶えて歩けなくなるという状態になる。そしてトイレにも自力で行けなくなるので、事実上これを寝たきりという。
神経の炎症をしずめるための唯一の方法は安静のみ。だから歩いてはいけない。だから脊柱管狭窄症の症状が少しでもあれば、無理して歩けば命取りとなる。私は机上の空論が大嫌いで、常に患者からの生のデータから医学を学びとっている。教科書にのっている教授たちのホラ話はできるだけ信じないように努力してきた。その結果、生のデータからでなければ採集できない貴重な情報を何百何千と持っている。その一つが、脊柱管狭窄の症状が出たら歩いてはいけないというものだ。
私はもう15年も前になるが、在宅医療を行っている重度のパーキンソン氏病の女性の患者で腰の圧迫骨折をした人がいた。その人の腰の痛がり方は尋常ではなく、周囲の医師が「歩かないと歩けなくなるよ」と彼女を指導している中、私だけが
「可能な限り2ヶ月間安静をとりなさい。他の医師を信じるか私を信じるかはあなたの自由です。私を信じるなら安静です。わかりましたね。」と言って安静にさせたことがあった。彼女は私のいいつけを守り日ごと腰痛が軽快し、私に大変感謝したということがあった。私はいつもこういう。
「人間が安静にすることはむしろ地獄で、誰もがすぐに歩きたいと思うものなんです。歩かないと体力が減りますが、その恐怖に、そして地獄に飛び込む勇気があってこそ自分の体を治せます。痛みというものはあなたの体から発している「歩くな」という警告です。この警告に勇気を持って従った者が勝者です。」
私はそれ以来、何人もの再起不能の脊柱管狭窄症の人を安静療法を用いて実際に治療してきた。もちろん他の医者が治療できないレベルの難治性の脊柱管狭窄症ばかりを。それは机上の空論ではなく、きっちりとしたデータとして持っている。そしてこのデータは世界広しといえども、私しか持っていないデータだろう。だから100人中100人が歩きなさいという中、私だけは「歩いてはいけません」と回答する。
歩くことは楽しいことだが、歩かないことはつらいこと、そして精神力を必要とすること。多くの人はその逆だと思っている。歩くこと、運動することの方が偉いことだと思っている。
ただし、私の言う(治療としての)安静はそう甘くない。極端な言い方をすれば安静とは腰に重力をかけず、曲げ伸ばしもしない状態をいう。できる限りトイレにも行ってもらっては困るし、食事の時でさえできるだけ動かさないでほしい。
そして、それでも歩きたいという人にはこういう。 「どうしても歩きたいなら歩いてもかまいませんが、その時は足腰がだるくなる前に必ず休憩を入れてください。だるくなってから休憩を入れたのでは遅すぎます。ああ、そろそろだるくなるだろうなというところでベンチにでも腰かけて休んでください。そうすれば神経が炎症を起こしません。」
筋肉を鍛えるためには限界を少し超えたところまで運動しなければならないということを誰もが経験で知っている。だから人は高齢になって脊柱管狭窄が起こっても、少し限界を超えて歩こうとする。そうすることで筋力を鍛えようという思考だろう。しかし筋肉を鍛えようにも、脳からの電線が切れてしまえば命令は届かない。筋肉よりもはるかに重要で大切な組織が神経。神経が切れれば鍛えた筋肉など意味がない。
誰もが、安静にすることへの恐怖を持つ。衰弱することへの恐怖だ。だが私はいつも安静が必要な患者にはこう言う。 「2週間絶対安静にしてみなさい。確かに体力は減りますが、足は動くようになります。そこから体力を鍛えなおしてください。いいですか?家族が歩きなさいと言っても、それを無視する勇気を持つことです。もし、それでも家族が執拗に歩くことを要求してくるなら、その家族を私のもとに連れてきてください。私が歩かせないよう説得します。」
まあ、笑えるのは、私が患者にこう説明している横で、隣の医師が隣の患者に 「歩かないと歩けなくなるよ。無理してでも歩きなさいよ。」と指導しているところだ。だから私は常に言う。最終的には誰を信じるか?だと。
私が「歩くな」と言ったところで患者はそれを信じない。信じなければ何の意味もない。私の意見は他の100人のいや1000人の医者の意見と正反対の意見だ。誰も聞く耳を持たなくてもやむを得ない。ただ、私は本当に再起不能な人間を安静をうながして回復させた実績をいくつも持っている。誰にでも安静をうながすわけではない。私の安静療法には適応基準があり、その基準を上回った人にのみ安静療法を指導している。
一番最初に私に質問をした患者は、私が腰へのブロック注射を4回ほど行い、やっと歩けるようになった患者だった。歩けばまた元に戻る。だから何としてでも私の意見を信じさせる必要があった。だから20分もかけて彼を説得した。
「私の外来を見てください。このカルテの山を見てください。これだけの患者を待たせている中、あなたに20分もかけて「歩くな」と言った意味を少しだけ考えてみてください。あなたが私を信じるかどうかは別ですが、私が適当なごまかしを言うために、この混雑の中、20分もかけて説明するかどうか?考えてみてください。もし歩きたいなら、足腰がだるくなる前に休みをとること。それだけ守っていれば脊柱管狭窄の症状は出なくなるでしょう。」
彼は明らかに立腹していた。自分のこれまで生きてきて培った理論を全否定されたからだ。立腹しても結構。私はこの忙しい中、患者の待ち時間が3時間になろうという中、彼に丁寧に解説した。私の意見は他のどの医師とも違う。だから信じなくてもかまわない。
それから彼がどうなったかはわからない。しかし、私の外来にやって来ていないことから、脊柱管狭窄の症状は落ち着いているものと思われる。えっ!私を嫌って来ないだけだって?そんなことは、多分ないだろう。脊柱管狭窄の症状を取り去るためのブロック注射は、他の医師には簡単にできるものではないからだ。特に高齢者の変形した腰椎に注射することは並みの腕の医師には不可能。だからほとんどの医師は仙椎から注射するが、これは効き目が少ない。だから彼が再発すれば、どのみち私のところにやってくるだろう。
心配しなくても私の患者は立ち替わり入れ替わりが激しい。なぜなら私が治していくからだ。他の病院で治らないものばかりを専門に治療していっている。だから3か月もすれば患者の層ががらりと変わっている。ただし、笑えることだが女性患者だけはなかなか入れ替わりにくい。ある程度治っているのに通院してくる傾向にある。少々困ったものだ。