嘘の診断書作成

どこの病院でも初診の患者には問診表というものを渡す。どこが、いつから、どのように調子悪いのかを用紙に書き込んでもらい、スムーズに診療を運ばせるためのものだ。今日はその問診表にまともなことをなに一つ記入していない患者がいた。


どこが?のところには何も書かれていない。いつから?のところにはお昼と書かれ、どのようにのところには追突されたと書かれている。
「なるほど…交通事故ね」


私は問診表を見てそうつぶやき、とりあえず問診表の不備はさておき、その患者を診察室に招く。歳は26歳。がたいのいいスーツ姿の男性だった。
「吉田様、どうぞこちらにおかけください。どうなさいましたか?」
「…」


26歳のいい大人なのに反応は悪かった。質問に答えようとしない。
「追突されたのですか?」
「はい」
「乗用車同士の事故ですか?」
「ええ、ぼくが交差点で右折しようとして止まっていたら追突されたんです」
「なるほど。もういちどお訊ねしますが、あなたが乗用車で相手も乗用車ですか?」
「はいそうです」


一応、追突されたと言っても、こちらが自転車の場合もあれば、相手がオートバイのこともある。どのくらいのものにどのくらいのものがどの程度のスピードでぶつかってきたか?は症状の原因として重要なのでカルテに記載することにしている。


「で、どこか痛いところがありますか?」
「ありません」
「えっ? 何か症状はありますか?」
「ありません」


悪いが私はこの手の患者が好きではない。なぜ好きではないか?は私のセリフを聞けばわかるだろう。
「症状がないのに来たのですか?」
「ええ、そうですよ」


何が悪いのですか?という不服そうな顔をして私を睨んできた。
「あなたが病院に来た時点で、この事故は人身事故になるんですよ。症状があろうとなかろうと、私は診断書を書き、相手の罪は重くなる。あなたがもしも加害者だったとしたらそれをどう思いますか?」
「そんなことを言われても…」


明らかにこの患者は私の発言に怒りを覚えた顔をした。まあ、私は患者に殴られようとそんなことはおかまいなしだ。いやなものはいや。言わずに無視することはしない。


「あなたに症状がなくても診断書や保険会社に渡す書類には病名を書かなければならないんです。あなたがここに来ただけで私は病名を書かなければならないんです。症状がないものに病名を書くことは誰が何と言おうと立派な詐欺なんです。あなたはよくても私は詐欺をすることで自分の良心が激しく傷つくんです。」


「そんなこと言われても、上司に命令されてきただけですから。上司が「後から何が出るかわからないから病院に行っておけって言われたんですよ。」
「もうしわけないがその上司に、お前の言ってることは受け入れられないと医者に面と向かって言われて迷惑したって言っておいてください。上司であろうと総理大臣であろうと、間違っているものは間違っているでしょう。」
「そう言われても上司の命令ですから」
この患者は一層怒りを顔にあらわしてきた。


「もちろん、症状があればその時点で診察もするし診断書も書きます。後から何か症状が出てくるということもありますが、その時来ればいいでしょう? 症状がない時点で診断書を書くことはあきらかに詐欺なんです。誰が何と言おうと詐欺でしょう?吉田さんは私に詐欺をすることを申し出ているんですよ。」


私も警察の事情、保険会社の事情はよく知っている。「後から何かあったら困る」というのは嘘で、後から何かあってもその時に病院に行けば問題はない。違うのだ。後から何かあったら面倒くさいというただの個人の勝手な言い分なのだ。それをよく知っているから私の怒りも湧き起こる。


こういう患者は、そして上司は、自分中心に物事を考え、後から何かあったら自分の時間を割かれるので事故のあった日にすべてを有利に運べるようにと病院に来る。症状がなくても病院に来るのは、面倒を省きたいという以外にない。そういうわがままのために医者は嘘の診断書を書かされるのだ。


この患者に症状が全くなかったとしても医療費、多くの人が動く人件費などは決して安くない。どれだけのお金と時間が、こういう患者のために無駄に消費されるか? 本来ならば診療拒否が妥当。嘘の診断書を書かされるはめになるのならそれを拒否する権利は十分私にある。


もっと意地悪な方法も実は存在する。症状はなく健康体ですと診断書に書いて提出させるという手もある。その場合、人身事故扱いになるかどうかは私の知る範囲ではない。面倒くさいといった患者に、その面倒を倍にして突っ返すという方法だ。


しかし、私がこのような患者が嫌いだとはいえ、そこまでしても何も生まない。この患者が病院に来たという時点で、すでに安くないお金がかかり、警察も人身事故として調書の取り直しをしなければならないことが決定する。すでにこの若者のわがままのおかげで、保険会社の人たちの人件費も含めて、かなりのお金が動くことが決まっている。私ひとりが嘘の診断書を書けばすべて何事もなく丸くおさまり、病院には2倍の診療費が転がり込む病院のふところも潤う。


ちなみに、一般にはあまり知られていないが、交通事故は「第3者行為」と言われる。これは不可抗力でなった病気ではなく、誰かに加害されて病気が出現したものという扱いになるので国や地方自治体、社会保険、共済保険などは一切治療費を出してくれないことになっている。だから保険証も使えない。つまり、かかった治療費はすべて実費となる。


しかも、実費とはいえ、その治療費設定は病院側が勝手にきめていいことになっているので、相場として一般に保険請求する金額の倍額を実費で請求することになっている。だから病院側は交通事故で来院した患者からは2倍の収益を得られてうま~~い話なのだ。


しかも、交通事故では、保険会社の病気の実態調査がほぼ入る。保険会社としても2倍の治療費を補償するわけで、それをできるだけ出さないように病気の調査をして余計な治療をさせないようにとプレッシャーをかけてくる。病院側はそれに対抗するためにX線写真をたくさんとって状況証拠をしっかり固めようとする。だから交通事故の場合、検査代がウナギのぼりとなる。しかもそれらすべては2倍の料金設定。よって良心がない病院ではMRIをとりまくって40万円くらい請求することもざらにある。


このような状況だから全国どこの医者も交通事故となればすぐに診断書を発行してくれる。書いたら2倍のもうけなのだから。症状がなくても病名を書けば、病院には倍の利益が転がり込む。私はそういうことが大嫌いなのだ。医療を食い物にして儲けることを外道のする汚れたことだと思っている。


まあ、そうは言っても、私がごねたところで、周りに迷惑をかけるから、とりあえず、この患者には説教だけたれることにして、診断書も普通に書いてあげている。そしてこういう患者には少しでもいやな思いをさせて、今後事故があっても、症状がなければ無意味に病院にはかからないようにと仕向ける。こんな患者に追突した加害者は被害者だ。


診断書には「頚椎捻挫」と書き、全治約1週間とした。この全治までの期間で加害者の行政処分が下る。1か月と書けば即免停となる。


私はありもしない病名をでっちあげ、症状もないのに全治1週間と書いた詐欺師だ。医者の風上にもおけない詐欺医者だ。だが、それを拒めば私はこの病院の問題児として理事長からお叱りを受け、場合によってはクビにもされる。雇われ医者の場合立場は弱い。自分で開業していれば断固断るが、そうもいかず、今日もいつものように丸くおさめた。


多くの医者はこういう行為に日常的に遭遇し、罪悪感さえ持たなくなるまでに慣らされる。医者も大人になればなるほど良心というものを失っていく。こういう悪循環に一人で立ち向かったところで無力だ。だがそれでも、少しでもまっとうな医者をやるために今回はこの患者に、出会って即行でお説教をたれた。


ちなみに私はこの患者に頚椎のX線を撮影し、きちんと診察し、現状での頚椎の状況、そして将来どういうことに注意すべきかをアドバイスした。もちろん交通事故とは無関係だが、せっかく病院に来たのだから何か得する情報をあげないと時間とお金がもったいない。なにせ私の診察を受けるにはすでに2~3時間は待っているはずなのだから。それだけでも彼にとっては十分にペナルティーになっている。


私ひとりが、こういう自己中心的な患者の考え方を矯正していこうとしても無駄なことはわかっている。だが、私の目の前にこういう患者が来れば、相手がやくざだろうが総理大臣であろうが同じことを言っている。誰にだって良心があることを信じて。