世界に普及している医者の言い訳

「とにかく痛くて歩けないんだ。どうかしてくれ。」

怒りを投げかけるように私のところに一人の患者がやってきた。ちなみに最近ではこういう無礼な態度でやってくる患者はほとんどいない。初めて来る患者でさえ私の評判や噂を聞いてやってくる人がほとんどだから、ある程度私を最初から信頼してやって来るものだ。


このような無礼な態度をする人の共通点は医者に怒りと不信を抱いているところだろう。なぜ怒りと不信を抱いているかの理由も共通している。この患者に以前に接した医者たちが彼の持つ痛みを取り除くことができなかったからだ。


最近の患者はマスコミにあおられ、医療というものがどんな病気でも治せるという錯覚を持っていることが多い。だから腰痛や神経痛も医者に行けば必ず治るものという大きな勘違いをしている。だからこそ少々痛みがあっても無理をして仕事をする。体を潰すのは自分でも、医者が勝手に治してくれると本気で信じている。


信じるのは自由だが現実は違う。自分で傷つけてぶっ壊した体は医者にさえ治せない。人間の自然治癒力がいかに高いと言っても、壊した体は100%同じようには戻らない。にもかかわらず、現代科学に甘えている人たちはそんな当たり前のことも忘れて医者に完治を期待する。だから痛みを取れない医者に対して不信や怒り、恨みさえ持つ。


実際は痛みを取れない整形外科医は全国津々浦々ごまんといる、というか大部分がそうである。その恐ろしい現実に遭遇するのはあなたが激しい痛みに襲われたときということになる。それまでは真実が見えることはない。


さて、今日はとある全国チェーンT会病院のスポットアルバイトで整形の外来を担当している。だからこの患者は私の噂も腕も全く知らない。どうせ痛みをとれない整形外科医だろうという不信感ありありで私の様子をうかがっている。


それほど不信なら病院に来なければいいだろうと言いたいが、痛みが強い場合はそうはいかない。たとえ千人の医者にかかろうとも、痛みを取り除ける医者に会うまでは病院を訪問し続けるという気持ちは十分理解できる。それほど耐えがたい痛みなのだ。


私は初めて診るこの患者のカルテを覗き込んだ。

「次回痛みが強ければMRIか…」


思わず笑いが吹き出しそうになった。痛みが強ければMRI…。MRIとは磁気共鳴診断装置のことだが、脊髄の様子をMRIで撮影したところでこの患者の痛みがとれるわけではない。歩くのもやっとなくらいの痛みを訴えているこの患者に「今日はMRIを撮りましょう」などとカルテの指示通りにやれば、私はこの患者に殴られるかもしれない。殴らないにしても私を不信に思い、ますます怒り狂うだろう。


話が変わるが、この患者の風体は一見ホームレスだ。とてもみすぼらしい服を着てまともな生活をしていないだろうということが読み取れる。たいていの医者は身なりで人を判断するのでこういう患者に親切にしようという意欲が起こらないものだ。言葉遣いもチンピラのように悪い。かかわりたくないと普通の人ならそう思うだろう。


整形外科医の多くは、この患者のような激しい神経痛を伴う症状は「経口薬では治らない」ということを初めから知っている。初めから知っているのに経口薬のみを出す医者の心理というものはどういうものか?ということを考えてみよう。


まずこの患者にかかわりたくないし触りたくもない。それは誰だってそうだろう。風体も態度も悪いのだから。だからこの患者を何とかいいくるめてこの場からさっさと退場してもらいたいだろう。しかし、「あなたの風体と態度が悪いので治療したくありません」とは口が裂けても言えないだろう。


このバカ忙しい外来で、このふてぶてしい患者に対し、リスクを冒し、神経をすり減らし、長時間かけ、万一失敗すれば脅迫されるかもしれないという状態で、痛みを取るための硬膜外ブロックをしてあげようなどという気持ちが浮かぶだろうか?それは普通の医者にとっては水が下から上に落ちることはないというほどにあり得ない話である。


しかもこの患者の腰椎のレントゲン写真を見ると、あまりにも激しい変形を起していて、普通の医者が汗水たらしたところで針が硬膜外に入らないだろうというくらいにひどい。達人級の医者でさえブロックができないレベルだ。


この患者に全精神力をかけて治療にあたってもほとんど失敗に終わることが予想されるわけで、にもかかわらずこれほど好戦的な態度を示されればどんな医者でもおじけづく。


早い話が自分の腕では治療ができない、または相当精神力をかけて苦労しないと治療できない面倒な症例であることが初めからわかっているこのような(そして態度が悪く治してあげようとはとても思えない)患者に対して医者はどういう言い訳をしながらうまく逃げおおせるか?ということだ。外来という限られた時間しかない状態ではこの患者から逃げるしかない。


MRIで精査というのはほぼ全国、全世界に共通の、こういう場合の医者の逃げ口実なのだ。全国・全世界と言ったのは決しておおげさなことではなく、実際に医療現場では治療できないことへの逃げの一手としてMRIを使う。


なぜならMRIは最先端医療機器だ。これでだめなら「あきらめなさい」と話しを持って行きやすい。しかも病院には多くの医療費が入る。患者が不満を言えば言うほどたくさんの検査でタライ回しすれば病院はがっぽりもうけられ、しかも検査貧乏に陥った患者は、そのうち痛みの治療をあきらめるしかなくなる。


まさに治療できない言い逃れに最適なのがMRI検査。そして実際にMRIの検査は医者の言い逃れのために全国で一日に何万枚もフィルム撮影されている。MRIは国家予算をかなり圧迫しているが、現状、減ることはない。


患者の立場からすれば「しっかり検査してもらえる」という気分的なものもあり、検査さえ入れておけば、痛みが取れなくてもとりあえず納得する。検査タライ回しは医者の治療できないことへの言い逃れに利用されることが少なくないという現実を患者たちは知るよしもない。しかも病院はそれで経済的におおいに潤う。


話は元に戻るが、もしも私が、普通の整形外科医だったら、この先この患者をどのように誘導していくか?はまるでマニュアルがあるかのように決まった道筋がある。


MRIの画像を患者の目の前で示し、脊柱管の狭窄があまりにも激しく、「これを治療するには手術しかない」と言うことになっている。特に高齢者で変形が激しく、ブロックをすることも困難な患者にはこう言ってあきらめさせることが定番である。


普通の患者にさえこのように接するわけだから、態度の悪い患者ならなおさらだろう。“手術”を提示することはもっとも優秀な逃げ口実なのだ。それはそば屋の出前で「今出ました」と言って電話口で応対するのと同じくらいの定番の逃げ口実になっている。


キレやすい患者の場合、ここまでの話の進め方で九分九厘、おざなりの治療で追い返すことができる。キレやすいからこそ手術を受けてまでがんばるという根性がないからだ。


しかし、問題はそれでも痛みが強くてあきらめようにもあきらめられないような患者の場合だ。しかもその痛みのせいで会社を首にされかかっているというような人もいるだろう。そういう切羽詰まった状態の患者は「手術しか方法はない」ということを真に受けてしまう。


常識で解釈すれば「手術すればこの痛みから一生解放される」となる。しかし現実は違う。脊椎の手術は非常にギャンブル性が高く、しかも再発率があまりにも高く、成功しない例が多い。その理由はまた他のところで述べるとして、手術してもうまくいくとは限らないことを普通の人でも知っている。特に高齢者の脊椎管狭窄症では治療成績が思わしくない。だから「手術しかない」というのはほぼ通院治療をあきらめさせるための逃げ口実として利用されている。


だが、真に受けた患者は手術をしてくれる医者を方々探すことになる。しかしどこに行っても断られる。高齢者の脊柱管狭窄症は外科的に手術しても負け手術になることが多いからだ。そして患者は疲れ果てて今の症状を受け入れるというのが現実だ。


痛み、歩行困難を受け入れ、やがて歩けなくなっていくという末路をたどる。杖歩行やシルバーカーを押しながら歩いている高齢者が全国どこに行っても見られるのは、医者が彼らを治療できないことの何よりの証拠になっている。


高齢者が神経痛を訴える→薬で様子見る→MRIを撮る→手術しか方法はないと説得する→手術してくれる先生を探すが何軒も病院をはしごした挙げ句あきらめる、というのが整形外科の定番である。つまり全て逃げ口実なのだが現状こうするほかない。


私の場合はこうだ。

「はいはい、注射するんで横になってください。MRIを何回検査したところで痛みがとれるはずがないのは知ってるでしょう?ここには痛みを取ってほしいから来たんでしょう?だから横になってください。」


こう言いながら風体と態度の悪く好戦的な患者を横にさせる。そしていきなり腰椎から硬膜外ブロックをし始める。しかし、私の腕をしてもこの患者の脊椎に針を通すのは難しかった。違う場所から再度トライしようかとも思ったが、あまり針でつつくとこの患者がどう出るかわからない。だから第5腰神経を狙って左右に2本深く注射を追加した。


だがそれでも「痛い痛い」というので坐骨神経に2か所注射した。合計5本の注射をし、とりあえず「痛い」と言わさないまでに痛みを取り除いた。


「はい、帰っていいですよ」と患者に言うと、その帰りがけに

「先生はいつ来るんですか?」と言われた。


とりあえず私は今回臨時パートでここに来ているのではっきり「来週来る」とは言えなかった。痛みを訴えれば私ならその場でどんな痛みでもたいてい取り除いてあげることができるが他の整形外科医には無理だろう。この態度の悪い患者なら、たぶん一目見て「かかわりたくない」と思われるに決まっている。


今日は痛みを取り除いたが、いつ再発するかはわからない。申し訳ないが、今日、私に偶然に治療を受けられただけでも幸運と思っていただくしかない。私のような積極的な医者が増えてくれる以外にこのような患者の痛みを取り除く方法はないだろう。私ひとりが治療をしても、周囲の少ない人しか助けることはできないのだから。


私のところにも、「手術しか方法はない」と医者に言われた患者が数多くやってくる。そんな患者は私にこう質問する。「手術してもらうにはどうすればいいですか?」と。これが医者の逃げ口実であるということを患者に伝えるわけにも行かず、質問されるたびにいやな気分になる。患者の訴えから逃げた医者のしりぬぐいを、私はこの先も続けて行くしかない。だから私は患者の痛みを取り除き続ける。