生活保護どこまで

「この一週間どうでしたか?」

いつものように入ってきた患者におなじみのセリフを言う。


「痛くて痛くて我慢できませんでした。今日が来るのが恋しかったです。」

強い痛みを我慢しながら仕事をしている人は私の外来の日を心待ちにしている。この患者は63歳という年齢ながら清掃業で生計を立てている一人暮らしの女性だ。最近は一人暮らしで高齢者になってからも働いている女性が増えているように思える。


「注射してもらってから1週間はよかったんですけど、5日前から膝が痛くてもうどうしようもありません。」

「なるほど」

そううなづきながらカルテに記載する。


彼女には以前、膝痛と腰から来る神経痛に対して集中的に治療をした。私が言う集中というのは、週に1度定期的に治療するのではなく、痛みがあれば週に2回でも3回でも来院させて徹底的に治療する方法を言う。そうやってやっとのこと、痛みがほとんどない状態で仕事ができるまでになった(おそらく保険は通らない)。今回は以前ほどの痛がり方ではないが、仕事を続けているせいもあって再発させてやってきたという状態だ。


こういう患者に接していると、医者としての仕事の本末転倒が起こる。痛みというものは体が「これ以上の乱暴はやめてくれ」という警告サインを発しているわけだが、痛みを取り除くことでそのサインを取り去ってしまう。すると患者は警告を無視して働きはじめ、おかげで関節の劣化や変形が進み耐用年数が結果的に減ってしまうということが起こる。


私は患者の痛みを取り除くことで患者の運動器の劣化を早める手伝いをしていることになる。本来ならば痛みを取り除くと同時に安静を促し、一旦炎症が落ち着いてから仕事を始めるようにアドバイスするものだ。もちろんこの患者にもそういうことをとっくの昔に説教している。しかし、いっこうに仕事を休む気配がない。私が痛みをとり、その効果でいつもどおり仕事をし、膝や腰を痛めて毎週やってくる…の繰り返しだ。これでは治癒する暇がない。治療効果もイマイチになる。集中治療をしてもその効果は3~4週間が限度だ。


「何度も言いますけど、仕事量を減らす方向にもっていかないと、私の治療にも限界がありますよ。」

「わかっているけど働かないとお金が入らないですから…」ありきたりな言い訳をする。もちろんそれはわからないわけではない。


「でもね、私がこうやって集中治療をしてなかったとしたら、とっくにリタイアしてるはずなんですよ。そこまで体がポンコツにならないと仕事量を減らしてくれないんですか?」

「…」


少し黙っていたが彼女はすこしもじもじしながらしゃべりはじめた。

「先生、生活保護を受けるための診断書とか書いてくれませんか?」

いきなり何をいうのかと思ったら生活保護か…


「仕事やめようと思うんですけど、年金だけでは暮していけないので生活保護を受けたいんです。」

仕事を減らすかわりに生活保護…私はからだじゅうに激怒の稲妻が走った。この患者腐ってやがる!


「あのね、人間は誰もが高齢になれば100%体が不自由になっていくんです。その準備のために年金というものがあるわけで、年金では足りないからといって高齢者たちが生活保護を受け始めたらどうなると思います? そんなことがまかり通るなら国が潰れますよ。必死に働いている若者たちが倒れますよ。」

「でも年金じゃやっていけません」


「何を言ってるんですか? バングラディシュでは月給2000円で生きているんですよ。パンの耳を食べてでも生きていけるでしょう。日本は世界と比べるとはるかに恵まれているんですから。」


彼女は体をつぶすだけ潰して、生活保護でお金を多くうけて一生楽々老後を送ろうと本気で考えていたようだ。健康に対する自己管理が全くできていないのもうなづける。私はこういう「自分だけ良ければいい」という腐った考えの持ち主には本気で激怒する。


「生活保護は内科的や精神的な重病をわずらっている人でないと無理ですよ」と横から婦長が淡々と彼女に話した。しかし、私にはそんなことはどうでもいい。本気で頭にきている。


「悪いけどぼくは、この国の悲鳴も、若者たちの悲鳴も、働く人たちの悲鳴も聞こえる。あなたのような人がこの世に一人でも出てこないようにするために患者の痛みを徹底的に治療してきた人間なんだ。高齢になっても国から保護を受けずに生きていける人を一人でも多く作るために医者をやっているんだ。生活保護を受けたいから診断書を書けなんてことを頼むのなら、ぼくに頼むのはやめておいたほうがいい。ぼくはそういう診断書を書く医者とはむしろ真逆の立場にあると覚えておいたほうがいい。」


彼女は黙っていた。もちろん彼女に国のこと、将来の若者たちの苦痛、そして私の言っていることの意味が理解できるはずもない。わかるはずもないだろうが言わずにはいられなかった。


現在、世の中には20代後半で生活保護を受けようとする人も少なくない。重労働で足腰が立たなくなる人もいるからだ。そういう人は弁護士に大金を支払い、弁護士の助力の元、医師に無理やり診断書を書かせたりもしている。そして弁護士の圧力で生活保護の申請を通りやすくしている。そうやって生活保護を受けさせ、そのお金から分割払いで弁護料をせしめる弁護士もいる。もちろん合法だが最高にあくどい。


外来に歩いてやってこれる若者が内科的な疾患もないのに生活保護を受ける。その若者は大きな借金をかかえ破産している場合が多く、その債務整理とともに生活保護を受けさせるというやり方までまかり通っているようだ。その結果、私たちの生活は貧困に追い込まれる。現在、生活保護費は国家財政に大きな打撃を与えている。


私は保護を受けなくても自立した生活が送れるようにと全力をあげて治療にあたる異端児医者。そういうポリシーで生きている私に、彼女の発言はあまりにも激しい怒りを沸騰させた。こういう人を一人でもなくす。それが私の生涯のライフワークだ。彼女は相談する医者を間違えたようだ。


そして言われたらすぐに診断書を出すいい加減な医者がこの世から少しでもいなくなることを心から願っている。弁護士から圧力をかけられても、拒否できるような信念がある医者が増えることを願っている。


だれにも診断書を書かない言っているわけではない。本当に必要と認めた人にだけ書くという姿勢であってほしい。

※医師の診断書がなくても生活保護は受けられます。