日本のおば捨て山は健在

寝たきりの高齢者を背負うことになってはじめて家族は日本におば捨て山が存在することを知る。いや、知らなくていい。どうせこれを読んでいるあなたもやがてお世話になる確率が高い。そうなれば知りたくなくても知ることになる。それは介護老人保健施設というもの。自宅では過ごすことができないほど医療依存度の高い高齢者が入所する施設だ。
施設と言っても何のことはない。普通の病院の中に別枠として設置されていることが多いものだから、家族にとっては病院に「死ぬまで入院させる」ようなもの。早い話が病院の中に施設が存在している。
ここに入所する高齢者は頭もぼけていることが多いから、自分が病院に入院したつもりでいる。介護保険法を理解する知識もあるはずもない。だが実際は違う。入院とは大きく異なる部分があることを本人も知らない。また、家族も知らない場合も多い。
はっきり言おう。この病院内の介護施設は、入院していながらも治療を受けられない状態であるのだ。正確には「治療を受けられない」のではなく、治療を受けても誰もお金を出してくれない状態と言ったほうがいい。
寝たきりの高齢者を背負った家族は、自分の生活が苦しくなるため、できれば高齢者を一生施設に入れておきたいと思うことが多い。しかし、普通の老人施設は「寝たきり」の高齢者をひきとってはくれない。そこで病院側が寝たきり高齢者を引き取るという制度が生まれたわけだが、世の中それほど甘くない。家族としては入院させるような雰囲気で入所させることができるから、世間体が非常にいい。周りには「施設に入れる」とは言わず「入院させる」と言ってごまかすことができる。しかし、実際には入院とはかけ離れている。そこでは積極的な治療が行われないからだ。
理由は簡単だ。国や地方自治体は患者に対して1ヶ月○万円!という一定の金額しか支給されないことになっている。入所中の患者に治療をすれば治療費は病院側の自腹となる。病院は営利目的に経営されているから自腹を切ることはしない。だから実質、指定介護療養型医療施設に入院すればまともな治療は受けられない。一見病院に入院しているように見えるが、そこは治療が受けられない病院。だから現代のおば捨て山と言われる。もともとここへ入る患者は寝たきりになるくらいの高齢者なので病気の宝庫である。その患者を“治療をさせない病院”に放り込むのだからおば捨て山と言われても仕方がない。
病気の宝庫である患者にとっては、無治療地獄に放り捨てられるのも同然であるのだが、こんなひどいおば捨てがまかり通っているのには理由がある。
それは高齢者を見捨てたい家族と、治療費を削減したい国と、支給額でもうけたい病院の利害関係が完全に一致しているからだ。そして拷問を受けるのは高齢者。しわよせは全て患者に行く。
患者はそうとは知らずこの施設に入るものだから、入所してから無治療地獄で生きながら責め苦を味わい、激しい怒りを覚えることになる。しかしどんなに怒ろうとも家族と医者と国が手を組んでいるのでどうやったって無治療地獄を抜けることはできない。そのうち怒る体力や精神力もなくなり「死にたい」と思うようになる。それがこの指定介護療養型医療施設の実体である。
しかし、なぜそんな酷い施設が全国の病院内に存在するか? それは入所希望者があまりにも多く、あふれかえっているからだ。高齢者を介護している家族にとっては何が何でも入所させたい。そういう家族が日本全国であふれかえっているから存在する。
患者がどんな不満や怒りを叫んでも「いやなら退所しますか?」と言えばそれでおしまい。病院側としては退所させても次から次へと入所待ちの患者がやってくる。だから不満を言う患者には出て行ってもらって構わない。退所すれば困るのは患者の家族。だから患者は常に家族に説得され、この無治療地獄に軟禁されなければならない仕組みになっている。
どのみち家族に見放されれば生きることもできない高齢者。だから家族の説得に応じざるを得ない。不満を言って怒り出せば、精神異常と診断され、薬漬けにされる。そうやってこの残酷極まりない社会システムが回っている。
指定介護療養型医療施設は悪質極まりないが、しかし、この社会悪が存在しなければ国が破綻して若者たちまでが苦しんでしまうという状況になっている。悪質であっても存在しなければならないおば捨て山。それは高齢化社会が生み出した必要悪。無治療地獄とは言っても、三食がつき、排便の世話までしてくれる。だからやむを得ないのだ。 いずれあなたがこの施設に入所するようになればわかる。そうなる日は明日にでも来る。