赤ん坊のまま大人になった高齢者

私の勤めている医院はとても小さく、待合室にはぎゅうぎゅうにつめても20人くらいしか座れない。そんな小さなところに今朝も開院前から4~50人が並んでいる。一番早い人は朝の6時50分から並んでいるらしい。だから私は10分前には診療をスタートさせる。


言っておくが私はパートの医者。常勤でもなければ院長でもない。10分前に診療を開始することでさえ、院長にけむたがられる。なぜなら私は朝礼を無視する。体調の悪い患者を少しでも早く診なければならない。そのためには院長の目など気にしていられない。そうやって「患者のため」を前提に全力で診療をするから、他の医者にも経営者にも嫌われる。経営者は自由勝手きままな(コントロールできない)私のことを嫌っていても、売り上げが他の医師の何倍もあるので一応文句は言わない。しかし、居心地が悪い。この居心地が最悪になればここをやめざるを得ない。パートの医者は立場が弱いが、そんなことは患者は知るよしもない。突っ張って生きればいつでも首を切られる。それが雇われている者の宿命。それがイヤなら自分で開業すればいい。私はそもそも雇われる器ではない。それなのに、雇われているわけだから私が悪い。


さて、そんな大行列の中、一番に私の診察を受ける患者はここに朝の6時台に並んでいることを意味している。それは普通ではない。非常に高いプライドを持ち、しかも傷つきやすく、何かに固執する頑固さを持っている。そういう性格でなければ痛い体をひきずってまで一番をとろうとなど思わない。


だから私の診察で3番以内をとる患者はどこか普通でない粘着気質の性格を持っていることが多い。これは全国どこの病院でも見られる早朝に病院前に並ぶ患者の性格傾向。しかも痛みという病気をわずらっているからその性格はさらに誇張され、普通からかけ離れる。


今日の朝一番の患者は先週私にはじめて顔合わせしたなじみの浅い患者だった。

「おはようございます」

私はカルテを見ながら患者の様子をうかがう。カルテには先週この患者の首のところに注射をしたことが記載されている。患者の症状は首が痛くて動かせないというものだった。


「どうぞおかけください。その後いかがでしたか?」

患者を手招きして座らせながら先週の治療の効果がどうだったか訊ねる。

「とにかくチクチク痛いんです。洗濯物をとろうとしたとき、ふと顔を上に向けると痛いんです。じっとしていてもチクチクしているんです。買い物に行くときも痛いんです。トイレに座って立とうとするときとか痛くなるんです。先週注射してからチクチク痛いんです」


この患者…永遠に自分の痛みを主張してくる。話が止まらない。外では患者が大勢待っているというのに…しかも、この痛みは先週私が首に注射をしたせいだという。

「ちょっと待ってください」

私は話をさえぎった。


「わかりました。注射をしたせいで痛みが出たんですね?」

こう訊いたが彼女(80歳女性、痴呆はない)は「そうです」とは言わなかった。

「こうやって振り向くと痛いんです。顔をまっすぐにしていてもずきずきするんです」

と痛みの現状を延々と訴える。こういう患者の心理は理解できる。痛みに過度の不安をかかえその加害者である私に不信と密かな怒り(恨み)を持っている場合が多い。


会話が成立しないのは、その恨みをぶつけたいというひそかな意識が顔を出しているからだ。何年も医者をやっているとそういう心理も理解できるようになる。彼女は気づいていないが心の深層部では私に喧嘩を売っている。


「わかりました。注射した部分が痛くなったのはわかりました。だけど先週は首がまわらないほど痛かったんでしょう?その痛みはどうなりましたか?」

このように訊ねてもさらに延々と注射部がチクチクすることを訴える…彼女とは会話ができない。さぞかし内心で私のことを恨んでいるのだろう。


私は少しいらだって来た。私を恨むことなどどうだって構わない。しかし、治療について訊ねていることに対して答えないのならそれは私の診療を妨害しているに等しい。私は全力で患者を治療する。だからそれを妨害するものであれば患者の恨み節であろうと容赦なく排除する。


「佐藤様、注射したところが痛いのはわかりました。でも先週首が回らないほど痛かったんでしょう?その痛みはどうなったんですか?」

「いやあ、チクチクするんです」

「……」

ここまでていねいに訊いても先週の痛みの症状がどうなったかを答えてくれない。


「そうですか…残念ですが、医療というもはマイナスの効果が出るものはするべきではありません。申し訳ないですが、朝早くから並んでもらっていましたが、私の注射治療は一旦手を引かせていただきます。注射はしないので内服薬とシップで様子を見てください。」


これ以上診療を長引かせても後の患者の待ち時間をいたずらに増やすだけだ。私は一旦、この患者の注射治療をあきらめた。

「それで、痛みが酷くなったらまた私のところに相談しに来てください」

このように普通の口調で話したのだが、ここから患者の目の色が変った。


「注射してもらえないんですか?何回かやっていればよくなるってことはないんですか?」

彼女は注射による痛みを訴えているというのに、「注射をしない」と言ったとたんにあからさまに不快な、そして不安な顔をし始めた。


「私の治療は初回は効かないけど何回かやっていれば効くなんてことはありません。注射をして効果が何もないのならその時点で今後何度やってみたところでマイナスになるだけです。ですから注射はしません。」

私はきっぱり「何度かやっているとそのうちよくなる」というようなありもしないことを全面否定した。


「でも痛みは少し楽になったんです。」

えっ?えっ?えっ?何を言ってるんだ?さっきまで注射した部分がチクチク痛いと何を訊いてもそれしか答えなかった彼女が、まるで隠し持っていた事実を白状するかのごとく、「痛みが楽になった」と言い出したのだから…。


こうなれば最後まで事情を聴きださねばならない。たとえ何十分かかろうとも治療効果をききださなければこの患者の治療が前に進まない。

「ではもう一度訊きます。注射した部分がチクチクして痛いことはわかりました。その痛みは一旦置いておいて、首が回らなかったことに対する痛みは、注射する前と後でどう変りましたか?」


「よくなりました。今はこうやって首も回るようになりました。ただ注射したところがチクチクしますけど…」

「なるほど、よくわかりました。では次にお訊ねします。首の痛みが取れて楽になったわけですね。その長所から、注射した後チクチクするという悪いことを差し引いたとして、全体で見ていい方向に向かっているか、悪い方向に向かっているか教えてください。」

「いやあ、注射した後がチクチクするんです。」


また、元に戻った。いい加減にしてくれ。私にはもうそろそろ全てがわかりつつあった。彼女は注射をしたがっている。首が回るようになっている。初めは注射部の痛みのことを延々と訴え続けた。この3つの情報から彼女の心理状態のほぼ全てを読み終えた。読み終えたからにはもう質問をする必要はない。ここから私は説教モードに変る。


例えば、評判のよいおいしいレストランがあったとして、そこでとてもおいしい料理をごちそうになる。ところがウェイターがお皿を置くときに少し大きな音を立ててしまった。彼女はそれがとても気に入らなかった。いやみを言わなければ気がおさまらなかった。彼女は、店長を呼び出してお皿のならべかたが悪いだの、食器の置き方が悪いだの延々とクレームをつける。店長が「お味はよろしかったですか?」と彼女に訊いたところで彼女は延々とクレームをつけ続ける。クレームをつけることで自分にもっと寛大なサービスをすることを望んでいるからだ。レストランではクレームをつければ今以上にサービスをしてもらえる可能性がある。だが私は違う。全力で治療をし、どの医者よりも熱心にまじめに接している私を、そのような姑息な手段で脅そうとしたわけだから、こういう患者を見逃しておくわけには行かない。


まとめるとこうだ。

彼女は私の治療の腕を周囲の人たちから聞きつけて、他の医師にかかっているのにもかかわらず浮気をして私のところにやってきた。私はいきなり彼女が怖がっている(嫌がっている)注射を首にした。彼女にとっては嫌がっているものを我慢してやったのだから、一度で全快しなければ許せないものだった。ところが注射した跡がチクチク痛んだ。だから私を恨んだ。確かに首の痛みはとれて動くようになって症状は治癒に向かっていたが、チクチクが許せない。彼女は私にクレームをつけ、もっと手厚い素晴らしい治療を要求しようとしてクレーマーとなった。だから治療のよかった点を一切言わず、悪かった点だけを延々と私にクレームつけた。

こういう筋書きが読めてしまったわけだ。


それだけではない。私は彼女の生まれてここまで生きてきた背景まで読んでしまう。彼女は完璧主義者だ。それは自分自身を完璧にしようとする完璧主義ではなく、他人が自分に施してくれるサービスが完璧でなければ許さないという完璧主義者だ。人は誰でも赤ん坊のときは他者への完璧主義者だ。ママがおっぱいをくれなければ泣き、おむつがかゆいと泣き、おなかがいたいと泣き喚く。そうやって他人を自分の感情のまま操作するのが赤ん坊の仕事だ。


彼女はそういった赤ん坊のまま大人になり、80歳にもなって他者への完璧を求める性格のまま生きている。さぞ彼女は嫌われ者だろう。他の医者にも容易に嫌われるだろうし、まともな治療もしてもらえないだろう。家族にも友達にも完璧主義者はそっぽを向かれるだろうことも予想がつく。そして私にも噛み付いてきた。全力で治療にあたっているまじめで熱心でひた向きな私にも噛み付いてきた。そして過剰なサービスを要求する。彼女の人生、彼女のネガティブさが理解できる。私はそういう彼女の腹黒さ、ネガティブさもまともに読んでしまうからこちらも気分を害す。しかしそれでも全力で治療する。手を抜かない。だってそれが気持ちいいからだ。だから説教もする。いまさら彼女に説教したところで、彼女のネガティブさが治るわけではない。しかし、最低限私の治療には協力するように説教しなければならない。


「佐藤さん。いいですか?治療というものにはいいところもあれば副作用という悪いものもあるんです。特に、効果の高い治療ほど副作用も大きいものがあるんです。あなたは首が回らないという非常に苦しい状態を脱するために治療を受けたわけです。そしてそれを脱することができたというのに、チクチクするという小さな痛みを我慢できないのですか? 治療をするということは、病気に立ち向かうということは、少しの犠牲を払わなければならないことがあなたの年齢になってもまだわからないのですか?」


「佐藤さんは今日、ここで私にクレームをつけにやってきたのと同じですよ。そんな人に医者が治療を進めようという気分になるかどうか?自分で考えてみてください。」


「治療効果があったにもかかわらず、それを隠して全く言わず、気に入らないところだけを延々と主張して、それで医者が気分よく治療を進めてくれるとでも本気で思っているのですか?治療をしてもらいたいなら、よかったところを申告することが必要なんですよ。」


ここまでストレートに他人に説教されたことは、恐らく彼女は80年間なかったことだろう。80歳の彼女は涙目になっている。


「佐藤さん、あなたが泣こうが、私のことを嫌おうがそんなことはどうでもいい。私もあんたのことを怒っている。気分を害している。だけどそんなことはどうでもいい。私はあんたの症状を治療したいんだ。治療をさせてくれ。こんなに非協力的だと困るんだ。」私の口調が乱暴になってきたものだから彼女は涙目になっておどおどしている


「でも怒っている先生にこれ以上診てもらうわけにいきません…」

それはそうだろう。普通はこれだけ厳しく説教されれば私を嫌って逃げるだろう。しかしそれでも彼女はまだ私に微妙なかけひきを使おうとしている。私が引き止めるのを待っているようだ。私はそんな手に乗るはずもない。


「私がいやなら他の整形外科に行っていいよ。だけど、他で治らないからここに来たんじゃないんですか?」

この質問は図星だった。そして実際に注射で首周りの痛みはほぼとれている。その効果は彼女が一番知っている。

「でも、ここまで言われて…」


彼女は自分のプライドをつぶされたこともあって、治療をもっと受けたいこともあっておどおどしている。

「佐藤さん、私はね、治すためなら自分のプライドなんてどうでもいいんだ。あんたに憎まれようと嫌われようと最後まで治療する。そして言っておくが私は根に持たない。今日は怒ってても明日からは関係ない。だから私に治療させることだ。」

「じゃあお願いします。」

最後はあっさり折れた。


私も後がつまっている。患者は大勢待合室で待っている。

「1プロキシロ2ccにオルガ1cc」そう看護師に言ってさっさと注射を打った。

すると彼女は

「今日は痛くありません」

と満足気だった。80年間も人生を積んだ彼女は赤ん坊のままだ。ここまで他人に甘えて生きてこられたなんてどんな人生だったのだろう。


せっかく診療開始時刻10分前から始めたというのにもう20分も経過していた。外で待っている他の患者には申し訳ないが、私は誰にでも全力で体当たり診療をする。時間が多少かかっても仕方がない。これで彼女の治療も進むだろう。たまにはこういう荒療治も必要なこともある。患者の協力なしによい治療はあり得ない。