訴えられても仕方ない

もうすぐ七十にもなろうという女性の高齢者の方が3歳の女の子を連れて診察室に入る。彼女はここに通院して2年近くになる。この3歳の女の子は彼女のことをおばあちゃんではなくお母さんと呼ぶ。それには複雑な理由があった。この子の母親には逃げられ、父親は精神疾患の病で働くことも出来ない。父親は精神科薬のせいで自分の娘のこともわからないほどに薬漬けにされていた。だから実質この患者が一人で子育てを行っている。もちろん生活保護を受けている。
彼女はクビが痛い、肩が挙げられない、両腕が痛い、腰が痛い、膝が痛い、ととにかくそこらじゅうを激しく痛がる。そしてどんなに痛がっても子育てをやめるわけにはいかないから大変だ。彼女が子育てをできなくなればこの子は施設に預けられることになる。だから私も彼女に関して、痛いところは根こそぎ治療するというじゅうたん爆撃のようなやり方で治療をしてきた。そしてどんなに強力な治療をしても1~2週間後には痛いと言って再びやってくる。
子育ては彼女にとってまちがいなくオーバーワーク、つまりやってはいけない運動量が強いられている。注射をすることで症状を少しずつ軽快させているのだけれど、子育てと言う重労働で再び痛いところを再発させてくる。その繰り返しで2年だ。
彼女に対して私の治療が成功しているとは言い難い。しかし、痛みを取り去らなければ子育てができない。だから何度再発を繰り返そうとも、私の目の黒いうちは子育て支援ができるレベルにまで治療をして生活を支えてあげるしかない。運動量を控えなさいとも言えない。
さて、そんな彼女が今もっとも困っているのは右肩が挙がらないということだ。私はこの症状に対しあらゆる治療を試みた。一般的に行われる肩峰下滑液包内注射だけならず、肩関節内注射、腱鞘内注射、トリガーポイント注射、頚神経根ブロック注射などなど、それはそれは痛みがとれる方法の全てを尽くした。しかし、いっこうに痛みがとれない。ある日患者が鍼灸を受けてみたいというので最後の手として鍼をすることを許可した。
ところが鍼を何回か受けた患者がある日私のところに来て 「鏡で見たら腕がこんなふうになっていて、全く挙がらないんです」と訴えた。 見ると患者の上腕がまるで足のように膨れ上がり、大量の皮下血腫を起こしていたのだ。
「ええっ~~」 何だこれは?と思えるほどに皮下出血がひどく、原因がわからなかった。 「鍼をやってもらったらこうなったんです」と彼女は私にその原因を訴えた。 しかし、私にはそれが信じられない。鍼灸に使う針はあまりに細く、たとえ動脈を貫いたとしても血管壁を破るようなことはない。しかも全く腕が挙がらないなんてことが起ころうものか。
しかも、彼女に鍼灸を行ったのは1週間前の出来事である。鍼が血管に刺さったことが原因ならばこの時間差が起こるのはあまりにも不自然というもの。しかし彼女は 「鍼をやったらこうなったんです」と自論を主張して引かない。
私が 「一週間前の鍼治療の原因で時間差でこんな出血が起こるなんて考えられませんよ。もしもそんなことが本当にあり得るとするならば、骨肉腫などの悪性の疾患がもともとあって、そこに偶然針を刺したとか、そういうことでしか起こりえません。しかも、2日前に私が診察して、治療を行ったときはなんともなかったじゃないですか…」 そう説明しても彼女は聞く耳を持たなかった。
「だけど鍼をしてからこうなったんです」と意地でも言い張る。 私はこの患者を真剣に診ようとしているから、本気で上腕二頭筋に悪性腫瘍があることを考え、他の病院にMRIをとりに行ってもらうことにした(ここは小さなクリニックなのでMRIを置いていない)。もし彼女の言うことを真に受けるならば悪性腫瘍の線を疑わなければならない。とりあえず、今回は痛みの処置としての注射は行わず、MRIに行ってもらう事で了承してもらい帰宅していただいた。
3日後MRIのフィルムを持って彼女がやってきた。 「向こうの先生も、鍼が原因だ」って言ってました。
「ええ~っ、ちょっと待ってください、何度も言うように鍼が原因ならその場で出血しますし、しかも鍼に使う針はとても細いものだからこんなことまず起きませんよ、状況も知らないのに鍼のせいだと断言する先生のいうことを信じないでください」 「でも鍼をしてこうなったんです」
私は少し憤りを覚えた。西洋医学にかぶれた医者たちは、東洋医学のことはろくに勉強もせず「自分たちのする治療以外をしたからこうなったんだ」という偏見を持って鍼灸などを見ている。それはよく知っている。 しかし、どう考えても鍼のせいとするには不自然すぎるにも関わらず、自分のそうした偏見だけで「鍼のせいでしょう」と患者に断言してしまっていいものだろうか?
確かに鍼のせいである可能性もわずかにあるが、断言する根拠などあるはずがない。まさに空想、推論でしかないのに患者の前で断言すれば患者は自分に都合のいい意見だけを信用しようとしてしまうではないか…無責任にもほどがある。 ただ、MRIでは血腫があるのみで悪性腫瘍の影はなかった。ひとまず安心だ。
ならばこの症状は上腕二頭筋の肉離れだということになる。肉離れはオーバーワークをし、筋肉が炎症を起こしているところであれば容易に起こる。彼女の場合まさに毎日のように無理をしているわけで、肉離れは非常に妥当な原因だ。それを鍼のせいだとする根拠はほとんどない。というよりも、1週間の時間差があることでむしろ鍼が原因であることは否定されてもいい。にもかかわらず他の医者は無責任にも「鍼のせいでしょう」と言い放った。
だが、そんなことはどうでもいい。彼女の腕を挙がるようにしてやらねばならない。いいがかりをつけられようと、誤解されてようと、私の言うことを信じまいと構わない。なんとか治療してやらないと…。
しかし、私の内科的注射治療、リハビリ治療、鍼灸治療はどれも限界に来ている。かくなる上は手術療法しかない。
私は彼女の腕を90度まで挙げ、そしてそこで保持させた。彼女は90度挙上保持ができた。つまり筋肉の断裂や神経の断裂で肩が挙がらないわけではないことが判明した。筋肉も神経もちゃんと効いている。もちろん私はそれを彼女に説明した。
「肩が挙がらないのはこの出血のせいではないです。鍼のせいでもありません。やはり肩関節周囲炎、つまり五十肩のせいと考えます。腱板という靱帯が切れているかもしれません。」と。 しかし彼女はいくら説明してもクビを縦に振らない。
「見て下さい。痛くないのに腕が挙がらないんです。鍼をやってからです。」 「ちょっと待ってください。こうやって私が肩を挙げてやると、この状態で支えられるでしょう?だから肩が挙がらないのは筋肉や神経のせいではないんです。五十肩の痛みをかばうせいで挙がらないんです。」
何度説明してもダメだった。 彼女は「痛くないのに挙がらない」と言う。 私は「痛みをかばって挙がらない」という。この食い違いのために患者は私を信じない。
だが真実はこうだ。彼女には自己催眠がかかっている。痛みに対する恐怖が「痛みを来させない範囲しか動けない」ように催眠術をかけている。恐らくこれがほぼ真実に近い正解だろう。しかし、これを告げることは患者を精神異常者扱いにするに等しい。そうすると患者のプライドは極端に傷つく。だから催眠術を説明しても理解されない。私は黙ってしまった。
私は彼女の信用を得るだけのことはこの2年間尽くしてきた。しかし、単なる思い込みのせいでその信用は一方的に台無しにされた。普通の医者ならとっくにこの患者に切れているだろう。
肉離れは偶発的に起こったわけではなかろう。彼女の場合むしろ必然的に起こったといってもいい。ところが、一度行っただけの病院の先生に「鍼のせいでしょう」と言われればそれだけを信じ込む。彼女はなんて都合のいい人なのだろう。
そんな話の全く通じない患者でも私は決して逃げない。どんな患者であろうと最後まで面倒を見ると腹をくくっている。だからもう一度他の病院を紹介することにした。今度の紹介状には上腕二頭筋の不全断裂のことにはあまり触れず、肩が挙がらないので腱板断裂への手術治療をお願いする意味での文面を書いた。
数日経って彼女は私の診察にやってきた。そして紹介状の結果をきいてみた。 「何か言われましたか?」 「いいえ、何も言われません、通ってくださいと言われたので遠いから無理だと言ってお断りしました」
「ええ~っ、ちょっと待ってください。今回は手術をお願いするつもりで紹介状をお出ししたんですよ。どういうことですか?」 「何も言われませんでした。それから向こうの先生も鍼が原因だって言ってました」
「ええ~っ、どうしてそんな風になるんですか? もしかして向こうの先生にも腕が動かなくなったのは鍼のせいだって言ったんですか?」 「だって、鍼をしてから動かないんですから」
「そんなこと言えば肩の治療をまともにしてくれるわけがないじゃないですか。筋肉が腫れて肩が動かないなんて言えば、肩の手術をしてくれるわけがありません。何度も言いますけど、腕が挙がらないのは筋肉が腫れたのとは全く別の原因なんですよ。腱板という肩の腱が痛んでいるから肩が挙がらないんです。それは鍼のせいでも何でもないと何回言えばわかるんですか?あなたがそんな風に向こうの先生に伝えるから、結局治療をしてもらえなかったじゃないですか!」
ここまで来ると、もうあきれて何も物を言えなかった。彼女が勝手に被害妄想をふくらますのは自由だが、そのおかげで医者は彼女をまともに診てくれなくなる。なぜなら被害妄想にはつじつまが合わないことが多すぎるからだ。医者は基本的につじつまがあわないものに関しては手術などの外科治療を絶対にしない。つじつまが合わないものに手を出すとかえって悪化することが多いからだ。
先方の医者には、完全に誤解されたと見える。そして再び彼女の都合のいい妄想を肯定するという全く無責任なことまでやらかしてくれた。医者がいかにまともに患者を診察しようとしないか…その実体にためいきをついた。
申し訳ないが彼女の身なりはホームレスのそれに似ている。生活保護も受けている。知的レベルも低い。しかし、そういった条件は医者の診察態度を変えてしまうことがよくある。まともに診察しないのだ。診察しないにもかかわらず、鍼灸などの東洋医学などに対しては「鍼が原因でしょうね」などと根拠のないことを平気で断言する。自分が治せない、理屈にも合わない症状は何か別のせいにするという癖が医者全体についてしまっている。
彼女は自分勝手な妄想を伝えたために外科治療への道を自ら閉ざすことになった。仕方ない。これからはゆっくりリハビリを行って、じっくり治していくしかあるまい。 「わかりました、ではゆっくり時間をかけてリハビリで治療していきましょう」私は彼女にそう伝え診察を終えた。
全て自分がまいた種であるが、彼女はそれを鍼という他人の行為のせいにしようとしている。私がそれを何度否定しても彼女は聞く耳を持たない。そして治療も自ら閉ざしてしまった。
さて、この話はここで終わりではない。彼女は鍼に対して相当な恨みを持っているようだ。私の診察に入るたびに「鍼をしたせいで腕が動かなくなった」と呪文のように私の前に訴えるようになったからだ。この誤解と妄想による恨みと執念には参ってしまう。そして息子の通う大学病院に紹介状を書いてほしいとせがんできた。
もちろんこころよくOKした。ただし、今回は彼女が「鍼をしたせいで大出血したという誤解をしていますので、ご注意ください。」という内容を添えた。もちろんその理由も書いた。鍼治療をしてから1週間後の出来事なので鍼が原因とは考えられないことも書いた。 さて、結果はどうか…
お返事には「彼女の腕が挙がらない理由は上腕二頭筋の麻痺ではなく、肩関節周囲炎の痛みによると思われます。」と書かれていた。ふむふむそこまではよかった。つまり、彼女の肩が挙がらないのは痛みを避けるための自己催眠がかかっているからだろうという見解は一致していた。しかし、彼女が最後に私にこう告げた。
「○○大学の先生も鍼のせいだと言ってましたよ」 「ちょっと待ってくださいよ。私はお手紙に、鍼が原因でないということを書いたんですよ…、もういい加減にしてくださいよ。大学の先生は忙しいから手紙もまともに読まないんだから…」
もうあきれるしかなかった。鍼が原因とするのなら、医者ならばその証拠を挙げるべきだろう。憶測で発言するものではない。もし、あなたが鍼灸師だったら、こんなことを言われたらどうするつもりなんだろう。証拠もないのに憶測で鍼灸師の治療のせいにする。憶測でものを言った医師は裁判になれば鍼灸師に訴えられることだろう。
大学病院の医師でさえこのレベルであれば、世の中訴訟が絶えない状態でも仕方があるまい。私は婦長と顔を見合わせた。もう開いた口が塞がらない。私が「鍼のせいではない」と断言しても残りの3人の医者が確証もないのに「鍼のせいでしょう」と肯定してしまっている。
「とにかく、私はあなたが鍼治療をして、その5日後にあなたの肩を診察して、異常がなかったことを確認しています。そしてカルテにその証拠が残っています。他の先生が何とおっしゃっても、私はあれが鍼のせいである可能性が極めて低いということを証言できますよ。」
「先生、患者様が大勢お待ちです」 婦長が彼女との会話に時間を割きすぎていることを気にして私にそう伝えた。
「あなたがどう誤解しようと仕方がありません。ただ何を誤解されようとも、あなたがよい治療を受けて肩の痛みが改善される方向にベストを尽くします。そういう意味で○○大学病院の治療が前向きに進むことを期待しています。」 こう伝えて去るしかなかった。
人の恨みは事実をも曲げる。そして周囲にも自分の意見がさも正しいかのように伝えてゆく。ここまで根深い誤解は、肩の痛みが消失したところで消えることはない。たとえそれが患者の勝手な妄想による誤解であったとしても、消えることはない。誤解には私の説得も無力である。