インフォームドコンセントどこまで

治療前に患者とその治療について起こりうるリスクや効果などをしっかり説明して了解を得てから行う。それがインフォームドコンセントの概念。これをしっかりすることで医療ミスをなくそうというもの。「医療ミスをなくそう」というのは私がインフォームドコンセントを皮肉った表現だ。


私は常に患者の訴えを最初から最後まで訊き、そして懇切丁寧に説明し治療をしている。そのおかげで患者の待ち時間は2時間を超えるが真剣に治療するにはここをおざなりにはできない。私は心理学をやっていたせいで患者の言いたいことも一を聞いて百を知ることも出来る。だからインフォームドコンセントには誰よりも自信がある。


しかし、インフォームドコンセントの実情は少し違う。これは患者と医師の疎通をはかるためではなく、医療ミスをなくすために行われているからだ。


つまりこういうことだ。あらかじめ起こりうる失敗や副作用をしっかり認識させておいてそれでも患者がOKした治療に関しては、どんな悪い事態が起こってもそれは医療ミスではなく同意の下での出来事になるという意味だ。インフォームドコンセントさえしっかり行っていればどんなミスも法律上はミスと呼べなくなる。


これと似たことはコンピューターソフトの“同意する”サインをクリックしなければソフトのインストールがはじまらないという事象に似ている。


同意書をしっかり読むためにはどう考えても半時間以上を必要とするくらいの量で、誰も読みはしないだろうことがわかっていても、法律上ソフト開発者が有利になるようなことに同意させる。そしてその同意書に同意すれば変なメールが毎回送られてきたり、勝手にコンピューターを覗かれたりする。しかしそれらは全て合法だ。医療界のインフォームドコンセントでも同じことが行われている。


患者が話の理解力があるかないかにかかわらず、書面にサインさせることはもちろんのこと、カルテにも何を説明したかをしっかり書く。そうすればどんな医療ミスもミスではなくなってしまう。


話は変るが、列車事故や飛行機墜落事故では「あなたは交通事故死するかもしれませんがこの機に搭乗しますか?」という同意をとらないからこそ事故死すると訴訟が起こる。もし全員に「死亡の可能性」を同意させれば訴訟は一切起こらない。責任をとる必要もなくなる。ではなぜ交通機関は同意をとらないのか?


一つは事故の起きる可能性である。それはかなり低く宝くじの1等を当てるよりも確率が低いからだ。もう一つは利用者に恐怖感を与え信用を失墜させてしまうことを防ぐためだ。第三に何か起こった場合に責任をとる覚悟がある程度出来ているからだ。大惨事を起こした交通関係の会社は賠償金を遺族に支払っている。そして社長は自分が起こした事故でなくてもクビにされる。これが責任の取り方だ。


もともと交通機関は事故がゼロであろうとなかろうと運営していかなければならない。それは暮らしの一つであるから仕方がない。自分に責任が及ぶことを恐れて人を運ぶことをおろそかにするわけにはいかない。各自が自分の責任において乗せる人の命を守っている。その責任を降りるわけにはいかない。運転手を含め交通機関で働いている人にはそういう覚悟ができている。


しかし、医療現場はそういう風潮がなくなってきている。医療にミスはつきものだがその責任をとるという心構えは年々薄れてきている。最初から死ぬかもしれないことをはっきりと同意させておけという流れになっている。


ただ、考えてみれば医療の場合、薬一粒で命をなくすこともある。どんな注射も何の副作用を起こすかわからない。つまり医療現場で行われている些細な処置全てに命を落とさせる危険がある。それをどこまで説明すべきか?が問われている。


私に言わせれば同意をとるのは責任をとらないための医者側の工夫。私は起こった副作用やミスに対して医者が全責任をとればいいと考えている。その緊張感で働いてこそ腕が上がる。そうすればミスもしなくなるであろう。同意を連発するのは卑怯者のすることだと思っている。


これは治療について患者との会話を少なくしろという意味ではない。治療についての信用を築いた上で、患者との信頼関係を築いた上で最終的なリスクについて医者が全責任をとって接するべきだということだ。まあ、そこまで自分の医者生命をかけて医師業をしている医者など一人もいない。だから私は異端児なのだろう。